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百合乃婦妻のリアル事情  作者: にゃー
春 百合乃婦妻の新年度
172/326

172 R-ちょっと怖いコーヒー牛乳


 始業式翌日、一限目。


「――さて。VR技術が確立されて以降、『アバター』という言葉は専ら、仮想現実世界における各人の写し身を指して使われるようになりましたが」


 新年度最初の授業が、担任である彩香女史の『総合VR座学Ⅱ』であったことは、三年二組の生徒たちの意識を、否が応にも学業へと引き込ませる要因となっていた。


「そもそもの話、なぜアバターなどというものが必要となったのでしょうか?」


「……え、なんでって、それは……」


 とはいえ昨日のHR以降、彩香女史が思いのほか親しみやすい人物であると理解した彼女たちは、二年次の頃ほど『お堅い講義』というイメージは抱かなくなっている。


「ただ仮想現実世界を、電子データの世界を閲覧したいだけならば、身体などというものは必要ないでしょう?脳に送られた電気信号を、そのまま処理すればいいだけなのですから」


 ……[HALLO WORLD]を始めとした恐ろしく精度の高いVRセカイを表す際に、五感へリアルに訴えかけてくる、などという言い回しがあったりするものだが。


 それはつまり、アバターの目に映る景色がリアルであったり、耳に聞こえる音がリアルであったり、鼻を抜ける匂いや、肌に触れる空気の感触がリアルであったり……何にせよ、あくまで仮想の肉体越しに現実世界顔負けの体験をしているということ。

 裏を返せばそれは何処まで行っても、肉体の五感ありきでリアリティを追及しているということでもある。


「……確かに。いや、でもそれってなんか、うーん……」


 しかし今まで、現実にしろバーチャルにしろそれが――すなわち、『身体』が外界の情報をキャッチする感覚が――当たり前だったわけなのだから。生徒たちみな、彩香女史の口にしたそのまま処理云々という言葉が、どうにも理解しがたく感じてしまうのも、致し方ないことであろうか。


「……現実と似てるけど現実じゃあり得ないような体験をするための技術なわけだから……現実と同じように『肉体』がないと、こう、疑似体験にならない……とか」


 教師の言葉によって表面化した、そんな座りの悪さを、生徒の一人がどうにか言葉に表そうと首をかしげた。

 理解しようとするその姿勢に深く頷きながら、彩香女史も併せて話を膨らませていく。


「ええ、それも大きな理由の一つですね。我々人間は、肉体を介して外界の情報を得、また、脳での情報処理も基本的には感覚受容器の存在ありきで行われています。無論、錯覚等といった現象も有りはするのですが」


 それこそ、VR技術発展の最初期には、アバターを介しない仮想現実世界へのダイブが試みられていた。

 いたのだが、しかし。


「やはり、ただ脳に情報を与えただけでは、人間の脳裏に浮かぶイメージは、一定以上のリアリティを保てなかったわけですね」


 

 何かをする・されるという現象は、肉体という主体があって初めて成立する。

 それは実在する肉の体の有無ではなく、『身体』という、自身を縁取る人形(ひとがた)という概念。

 

 身体はないがセカイはある、そんな状況に、人間の脳は対応しきれなかったという話であり。


 VR技術の発展によって『現実の』という枷からは解放されたものの……結局、概念的な意味での『身体』からは、人間はどう足掻いても逃れ得なかったという、そういう話であった。


「どれ程優れた仮想現実であっても、それを認識する『主体』が希薄であれば世界に没入出来ない。どうやら我々人間は、そのような生き物だったようです」


 納得したという顔、分かったような分からないような曖昧な表情、頓珍漢だと顔に書いてある者。

 各々の反応を俯瞰し事後対応を考えつつも、『理由の一つ』という話題はいったんここで区切る彩香女史。

 一息おいてから続けざまに語るのは、アバターが必要であるもう一つの理由。


「――さらにもう一つ、VR技術開発の初期段階においては、決して小さくない危険を伴う問題がありました。それを解決する上でも、『仮想の肉体(アバター)』という仕組みは非常に重要な役割を果たしています」


 第二のテーマ、危険というワードに、生徒たちの空気が少しばかり強張る。


 自分たちも身近に利用している技術に何かしらの問題があったのだと言われれば、例えもう解決済みだとしても、どうしたって身構えてしまうものだろう。


「その役割とは何か、思い当たる方はいますか?」


 居並ぶ少女たちを安心させるように小さな笑みを浮かべながらも、質問を投げかけ、授業を滞りなく進めようとする彩香女史。

 そんな彼女の、密かに期待の籠った視線の先で、華花が静かに手を上げた。


「はい、白銀さん」


「……自分と、他人や世界を隔てるため、でしょうか」


「そう、その通りです」


 ――ああやはり、と。


 論理的にか直感的にか定かではないが、この二人はそこ(・・)に思い至りつつある、と。

 先のバディカップで予感していた華花と蜜実の現状に、彩香女史はこれまた密かに、満足げに笑みを深めた。


「自身を縁取るとは即ち、自分とそれ以外とを分け隔てるという事。当初行われた身体(アバター)を用いないダイブ実験は、自他の思考の境界線が曖昧となり異なる人間同士の意識が混濁してしまうという事態を招きました」


 コップの中に牛乳とコーヒーを注ぎ込めば、それらは次第に混ざり合い、やがて素材間の境目などなくなってしまう。


 ……などという、意外と可愛らしい彩香女史の例えに反して、一部を除いた生徒たちの顔の強張りは、強まっていくばかり。


「……いや、めっちゃ怖いです先生……」


 ともすれば自我の消失すら予見される恐るべき問題。

 麗らかな春の朝からなんて話を聞かせてくれるのかと、抗議の声すら聞こえてくるようであった。


「ああ、すみません。ですが安心してください、幸いにもこの現象は可逆的なものでしたし、問題が早期に発見されたからこそ、『アバター』という強固な自他隔絶機能を持った仮想の肉体が構築されるに至ったのです」


 今現在、アバターのソースコードはあらゆるVRシステムにおいて共有されている

。その理由がまさか、こんな重要な要因にあっただなんて……


 と、高水準なVR技術の恩恵を一身に受ける世代だからこそ、実用化に至るまでの紆余曲折をあまり目にしてこなかった若人たちには、本日の『総合VR座学Ⅱ』は少々ショッキングな内容となっていた。




 ◆ ◆ ◆




「――ア、アハハ……三年次の最初は、毎年こんな空気になるんですよねぇ……」


 無論、その日の午後に行われた『VR実習Ⅱ』は、ログイン前から異様に張り詰めた空気を醸し出していた。


「大和先生も、もうちょっと加減してあげればいいのに……ほら、皆さんっ。座学でも言われたと思いますが、現行のVRシステムは非常に厳格な安全基準を満たした上で実用化されてますからっ。そんな、コーヒー牛乳みたいなことにはなりませんって!」


 今年も変わらずVR実習担当・和歌の言葉に、しかしほとんどの生徒は、頭では分かっていても気持ちの面でしり込みしてしまう。


(まあしかしそうなると、白銀(ハナ)さんと黄金(ミツ)さんのアレは……)


 その中にあって極めて普段通りに授業を受けている華花と蜜実の方へ、思わず和歌の視線は向かって行ってしまい。


「……あー、じゃあ白銀さん、黄金さんっ。すみませんが先にログインしてもらっても大丈夫ですか?ほら、ファーストペンギン的な、ね?」


「はい大丈夫です」


「分かりましたー」


 自然、白羽の矢が立てられた二人へとクラスメイトたちの注目も集まっていってしまうというもの。


「ミツー」


「ハーちゃーん」


「「「「!?!?!?!?!?!?!?」」」」


 ログインから数分の内に三年二組で何が起こったのかは、推して知るべし、と言ったところであろうか。


 次回更新は7月10日(土)18時を予定しています。

 よろしければ是非また読みに来てください。

 あと、感想、ブクマ、評価、誤字脱字報告などなど頂けるととても嬉しいです。

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