17 R-初めての夜
夜。
紛れもなく、華花と蜜実が現実で褥を共にする、初めての夜。
「お風呂、上がったよ……」
薄暗い部屋への扉が開き、先に風呂から上がり待っていた蜜実へと声がかかる。
「華花ちゃん、ここ座って?髪乾かしてあげる」
「おねがい、します」
濡れた髪のまま寝室へと足を踏み入れた華花は、薄青のネグリジェに身を包んでいた。この日のために奮発して買った、シンプルなデザインながらも可愛らしさと、どこか色気を感じさせるような一着。
蜜実の方も同じくワンピース型の、よく似合う薄桃色の一枚着を身に纏い、華花をベッドへと誘う。
縁へと腰掛けさせ、自分はその後ろ、ベッドの上で膝立ちになるようにして、華花の濡れた髪をやさしく手に取る。枕元の薄明かりにのみ照らされ、ドライヤーをかけながら愛おしげに手櫛で梳くその姿は一見すると、どこか神秘的ですらあるかもしれない。
けれども蜜実の瞳は、すでに情欲に妖しく輝いていた。
毛先まで指を通しながら、うなじを、薄い布越しの肩甲骨を、背筋を、何度も何度も撫で擦っていく。髪を梳く確かな感覚と、触れるか触れないかの背中への刺激が、湯で温まった華花の体をさらに火照らせていって。
ぞわぞわと、背中が粟立つ。指先から与えられた痺れが、脳髄をジンジンと疼かせる。まだ何もしていないのに。恥ずかしい。けれども、それすら気持ちいい。
時折漏れる、熱の籠った華花の吐息が、震える肩越しに蜜実の耳へと届く。静音性ドライヤーの風音を突き抜けて耳朶をくすぐるその声に、呼応するようにして、蜜実の呼吸も荒くなっていった。
かり、と。
意図せずして、蜜実の丸い爪の先が、華花の耳の裏を引っ掻く。
「あっ……」
鋭敏になっていた体の、特に弱い部分を刺激されて、遂に華花は嬌声めいた声を上げてしまう。小さな小さなその声はしかし、崩壊寸前だった蜜実の理性を突き崩すには、むしろ大き過ぎるほどだった。
「華花ちゃんっ」
ドライヤーを投げ捨て、後ろから華花を強く抱きしめる。強く強く、痛いほどに。けれどもその圧迫されるような痛みさえもが、今の華花には堪らなかった。
蜜実が、腋の下から通した右手を華花の腹部に這わせた。指の一本一本、その関節一つ一つ、掌の皴一つ一つまでをも総動員して、薄いネグリジェ越しに得られる情報全てを感受する。そうしながらも顔をうなじに押し付け、香りを取り込み、髪もろとも赤くなった肌を食む。
「ふーっ、ふーっ、っ」
くぐもった息を漏らす獣のような蜜実の凶行に、華花の心はすでに従属の意思を示し始めていた。それに感化された身体もまた、自らを蜜実に捧げようと全身を弛緩させていく。くたりと力を失った両腕が、それでも乞い求めるように蜜実の左手に重なって。
導かれるようにして、その手は華花の胸元へと。
「はぁ、あぁっ」
その控えめな双丘が、音もなく蜜実を包み込んだ。ただ触れただけ、愛撫とすら言えないそれだけで、華花は深く息を吐いてしまう。けれども同時に期待に喉がひくついて、結果として口から洩れたのは、オクターブの高い溜息のようなもの。
それがまた、蜜実の官能を燃え上がらせてしまった。
「華花ちゃん、華花ちゃんっ……!」
感覚の共有を望むが如く、自らの豊かな胸をより強く押し付ける。いつもの抱擁とは明らかに一段階異なるそれ。より深い想いの伝達か、それとも浅ましい劣情の発露か。チリチリと明滅する頭ではそんなこと判断出来るはずもなく、ただただ華花を求める本能に従って、蜜実はその柔らかな身体を擦り付ける。
「蜜実ぃ……」
背中に感じる二つの柔らかさに、沈み込んでいってしまいそう。そんな甘やかな恐怖心が、自然と名前を口にさせた。けれどもそのたった三文字が、さらに渇望を強くしてしまって。喉が渇いて仕方がない。この渇きを満たして欲しい。そんな思いを隠そうともせず、華花は首をひねって後ろへと振り向いた。
欲しい欲しいと潤む瞳が、肩越しに蜜実を貫く。
「華花ちゃんっ、そんな眼で見られたらっ――」
自分で言いかけた言葉を、自分の行動で遮ってしまう。
「――んん、っ」
気付けば唇が触れ合っていて。
いつかのそれ以来の、二度目のキス。
けれども、二回目はもっとロマンチックに、なんて考えていたことなど、蜜実の頭の中からは完全に欠落してしまっていた。
「ん、ぁっ!?」
触れるだけの優しい口付けは、十秒と持たずに、貪るような激しいものに。
食み、吸い上げ、桜色の唇を味わい尽くす。湿った唇同士が擦れ合うたびに、小さな水音が寝室と、それから二人の頭の中を淫らなものへと変えていく。
無意識のうちに、右手は華花の頭をがっちりと抱え込んでいて、それは、決して離さないという蜜実の意思表明。
逃げられまいと、半ば上からのしかかるようにして、二つの花弁を食らう獣。ふと獲物の顔を確かめたくなって、僅かに唇を離した。
「ぷぁっ、はっ、はぁ、ぁあ」
酸素よりも、離れてしまった熱を求めて喘ぐその表情は、あまりにも。あまりにも。
まるで、もっと食べてくださいと、言っているかのようだった。
「はむっ」
「んっ」
再び押し付けられた情欲を甘受し、うっとりと目を細める華花。その口の端は、だらしなく緩んでしまっていて。触れている蜜実の唇が、その隙を逃すはずもない。
「っ!?」
ずるり、と。ぬめり気のある蜜実の舌が、華花の唇を割り開いた。
「っ、ぁっ、んむぁっ」
「んーっ、みつ、んっ、んんんっ」
異様なまでに熱を持った軟体のそれが、華花の内側へと。
潤んだ瞳が、驚きと期待に見開かれた。
視界の端にその様を捉えながら、蜜実はまず唇の裏側を丹念に舐る。舌先で隙間を埋めるようにして、唇と歯茎の間に、赤く淫靡なそれを上へ下へと這わせていく。
自分ですら直接触れることの少ない場所を、執拗に、何度も何度も愛されて。弛緩した身体が勝手にびくびくと跳ねるのを、華花自身ではもう、止めようがなかった。
そうして、欲望を擦り付けること幾ばくか。入り口を味わい尽くした後は、当然、そのもっと奥まで欲しくなってしまうもの。
「はなかひゃん、んむっ、もっとぉ」
力が抜け、半開きになっている上下の歯の間に、舌をねじ込む。
さしたる抵抗もなくおとがいは開かれ、遂に蜜実の舌は、その先で期待に濡れそぼっていた華花のそれと邂逅した。
「――っ、っ、!」
もはや可聴域に至らず、けれども間違いなく、その嬌声は蜜実の耳に届いた。
どろどろの唾液で身を濡らし、今か今かと待ち構えていた華花の舌に、蜜実のそれが襲い掛かる。
まずは舌先同士をぐりぐりと突き合わせ、具合を確かめて。それだけで、今まで以上に身を跳ねさせる華花に気を良くした蜜実は、纏っていた唾液をこそぎ取るかの如く、自らの舌をずりずりと当て擦る。味蕾の一つ一つまでも絡ませるような、過剰なまでの愛情表現。
ざらざらの舌同士が、混ざりあった唾液を潤滑油にして、その身を際限なく寄せ合う。
ぐちゅぐちゅという音は、部屋中に響いているのか、それともただ二人の頭蓋の内側を埋め尽くしているのだろうか。粘性の水底に沈んだ華花の脳髄はショートしてしまい、識別機能を失っていた。
「っ、っ、ぁ、っ」
見開かれた瞼は再び弛緩し、もはや瞳は虚ろですらある。
その端から、快楽に育てられ熟した、甘く透明な果実が零れ落ちるのを見て、蜜実の頭のごく一部が、はたと我に返った。
そうだ。水というのは、上から下に落ちるものだった。
「ん、はぁっ」
「っ、っ」
唇を合わせ、舌を繋いだまま、華花の頭を完全に上向かせる。
「……んぁ?」
そして、極上の花弁を食み際限なく湧き出ていた自身の唾液を、余すことなく華花の口内へと流し込んだ。
「ふぁっ、あぁ」
舌と舌との潤滑剤ではなく、甘く甘い蜜として。
むせ返るほどに濃厚なそれが、上から下へ、どろりと降り下っていく。
「ん、んぶ、ぁ、?、っ?」
恍惚に半ば自失状態だった華花も、さすがに戸惑ってしまった。
こんなにも甘美で、自らを満たす液体が、この世界にあっただなんて、と。
けれどそんな疑問なんて、その舌が蜜に沈んでしまった辺りでもう、あっさりと押し流されてしまい。
「ぁむ、んっ、んっ、んっ……!」
後はもう、こくこくと喉を鳴らし、一心不乱に嚥下するだけ。
飲み込めば飲み込むほど渇望が潤って、けれどもその、あまりにも甘やかな粘性が、喉にくちゅりと絡みつく。
そうしたら、もっともっと欲しくなってしまう。零れるのがもったいなくて、唇をさらに深く塞ぎ、懇願するように自分から舌を押し付けていく。
「んー、んぁむ、んっ、んぅっ」
子供のように純粋に、けれども快楽の味を知ってしまった女として、自らを求める華花の姿。
それはどこまでも、蜜実の理性を情欲に、情欲を愛情に変えていく。
何か、一つのラインを越えてしまったように、歯止めが利かない。体が強張る。
未だ華花の胸に添えられたままだった左腕に力が籠り、その双丘を強く押し潰す。
「あっ、あっ、はぁっ……!、ぷぁっ、みつみぃ、もっとぉ……!!」
本来なら痛みすら伴うはずのその刺激も、今の華花にとってはすべからく、蜜実から与えられる甘美な快楽にしかなりえない。
絶え間ない震えからそれを感じ取った蜜実の心身は、呼応するようにして、急激に微細な振動を引き起こす。
「あっ、あっ、!、っ!」
瞼の内側に、バチバチと火花が散り始める。
だというのにくっきりと、ただ華花の顔だけが鮮明に視界を埋め尽くしていて。
筋繊維が一本残らず彼女を求めて引き絞られ、砕き潰さんばかりに、その身を抱きすくめる。
このまま、砕けて、溶けて、混ざり合ってしまえたら――!
「はなはひゃんっ、すき。んむぅっ、ひゅき、しゅきっ、すき、すきすきすきぃ……!!」
明滅する脳裏にそんな想いを抱きながら蜜実は、強烈なスパークに身を焼き尽くされ。
「あっ――」
「――ん、ぁ?あれ、みふみぃ……?」
惚け顔の華花に覆いかぶさるようにして、意識を失った。
◆ ◆ ◆
「まぁまぁ、元気出して」
「~~~~~~~~!!」
しばらくして意識を取り戻した蜜実を待っていたのは、かくも情けない醜態を晒したことへの羞恥と、柔らかい華花の膝枕による幸福の、二面攻撃であった。
膝上でゴロゴロと転げまわる彼女に、先の獣のような凶暴さは微塵も感じられず。
「リードしてくれて、嬉しかったし」
「途中リタイヤしちゃったら意味ないよぉ……」
もう本当に、いっそ殺してくれと言わんばかりの有様。
せっかくの初夜が、興奮し過ぎてほとんどキスだけで終わってしまった。ついでに、初のリアル膝枕もこんな形で消化したくはなかった。
意気消沈する蜜実を慰めようと、華花は気恥ずかしさを押し殺して言葉を続ける。
「でもその、私も、もうほとんど意識がなかったっていうか」
蜜実が意識を失うほどに急激な快感に飲まれてしまった一方で、華花も、ぞくぞくと震え朦朧とするような快楽に、割と最初のほうからどっぷり浸かってしまっていて。
そういう意味では、お互い気持ち良くなれたとも、それに振り回されて正常な意識を保てなかったとも言える。
「ほんとに、ごめんねぇ!華花ちゃぁん……!」
目尻に涙を滲ませるその姿に、先の情事とはまた違った胸の高鳴りを感じながらも、華花は努めて穏やかに、笑みを浮かべて見せた。
「最初っから上手くいくものでもないし」
静かに頭を近付ければ、その茶色の髪が、まるで垂れ幕のように二つの顔を覆い隠す。
たったこれだけで、今この瞬間、世界は二人だけのものに。
「ちょっとずつ、慣らしていきましょ?」
「……うん。……あのね、華花ちゃん」
「「大好き」」
「……でしょ?」
「うんっ」
枕元の薄明りにすら見られることなく、二人は静かに、唇を触れ合わせた。
次回更新は12月11日(水)を予定しています。
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