156 P-私たち、親子になりました ~そして緊急メンテへ~
今のアイジア・アウス・シミュラの心境を一言で表すならば、そう。
(――――!?!?!?!?)
ズキューン、であった。
「お母さまっ」
機械翼のモンスターが出て行った窓から、少しの時間を経て目前に飛び込んできた少女。
あまりにも可愛らしく、純真で、そして何よりも。変性してもなお、紛れもなく『彼女』なのだと、否応なしに理解できてしまうその姿。
「お母さま?」
小首を傾げ、真ん丸な瞳をこちらへ向けるその顔立ちは、何処かアイザの面影を色濃く感じさせる。それでいて浮かぶ爛漫な笑みは、自身の不愛想な閉眼とは似ても似つかない愛らしさ。
十代も中頃にすら至らないような小さな体付きは、だからこそ一層に庇護欲を掻き立てられた。
「お母さまぁ~」
殊更に情感たっぷりに呼びかけてくるその声は、鈴の音のような清廉さと蜂蜜のような甘さの黄金比率。聞いているだけで心地良く胸が詰まってしまうような、耳で楽しむバニラフレーバー。
少なくともアイザにとっては、賛美の言葉が足りないほどに魅力的な少女であった。
「――っ、お母さまとは私のこと、でしょうか……?」
その一挙手一投足が全て自分に向けられていることなどとうに理解しつつも、舞い降りた衝撃に痺れるアイザの脳みそは、そんな言葉を吐き出さずにはいられない。
「はいっ!」
「っ、――――っ……!」
そんな、四度の呼びかけを経てようやく応えてくれた大好きな人への、今度こそ何の遠慮もない満面の笑みに、再びアイザの胸が撃ち抜かれた。
未だ窓の外のセカイでは、加速しきった時間による急激な変遷は続いていたが、アイザを筆頭に、ハナもミツもアッシェも、そんなことはもはや眼中になかった。
「『わたし』を導いて、このセカイに産み落としてくれた、お母さまですっ」
同一個体でありながらここまでの変貌を遂げたその事象は確かに、変性であり再誕ですらある。そう考えればこそ、その少女の言葉はあながち間違いでもないのだが。
面と向かって、それ以外は有り得ないとでも言わんばかりに断言されてしまうと、思考よりも情動が先にきてしまう。
「私が、母……」
衝撃と困惑と、合わせたそれらをも上回る、未知の多幸感が。
「お母さま。わたし、お母さまに最初のお願いがあるんです」
母と娘。
そのことにアイザが了承しているのだという前提で……否、そもそも了承も何も最初からそうなのだと信じて疑わないままに、少女は母に、生まれて初めてのおねだりをする。
「お願い、ですか……」
「はいっ。ダメ、ですか……?」
何が何だか分からないながらも、既に無意識下で少女を自身の愛い娘だと認識しつつあるアイザに、そのあまりにも可愛らし過ぎるおねだりに逆らえるはずなどなく。
「わたしに、名前を付けて欲しいんですっ」
「――!」
それは、親が子に贈る、最初で最大のプレゼント。
所有権の主張、などという下賤なものではない。
貴女を守り、導き、支え、愛し続けるという証明。
それを欲しいと言われ、寸暇もなく相応しい名を模索し始めた自分の心が、彼女の母でなくて何なのだと、アイザは強く自覚する。
自分に似た面影を残しながらも、こんなにも愛らしく天真爛漫な純白の少女。
彼女の姿を見、声を聴いているだけで、不明瞭だった自身の行動の意味が自ずと紐解かれていく。
あの時、彼女を庇おうとした不可解な自己犠牲未遂の本質は。
きっとあの時点で、僅かながらにでも抱いていたのであろう、親愛の正体は。
(彼女を……いえ。この子を見ているだけで頻発する、動機と息切れの原因は――!)
そう、これこそがまさしく。
(まさしく――――母性っ!!!!!)
……本当にそれだけなのか、甚だ怪しいところではあったが。
「――分かりました」
そして、そんな激情と並列して思考を続けていたアイザの脳が、遂に答えを導き出す。
「本当ですかっ。やったぁっ!」
了承の言葉だけで、飛び上がらんばかりに喜ぶ少女の姿。
「……すぅ……」
それを堪能するかのように。
僅か一拍ほどの、静かな溜めを作り。
「……貴女の、名前は――」
――実際のところは、胸が詰まり過ぎて息も絶え絶えになっていただけなのだが。
兎にも角にも、万感を込めて娘へと贈る名は。
「――シン。貴女は今日から、シンです」
「わぁっ――!」
新なる存在。
真なる知性。
そして何よりも。
(sin深過ぎるほどに、可愛らしい……!!!!)
母となってはや五分。
既に親バカとしての才覚を表し始めているアイザであった。
「素敵な名前……!ありがとう、お母さまっ!!」
短い音に込められた沢山の意図を、直観――シン自身がそれに類するものだと位置付けた『プロセス省略思考』――的に読み取った彼女の、一層深まった笑みは、言わずもがなアイザの心臓を追加でぶち抜いていく。
「――くっ、我が娘が………眩し過ぎる………!」
娘と、そう口に出して言うことに、もはや爪の先ほどの躊躇いもなく。
(ウタさんの言っていた事、少しだけ理解した気がしますね……)
尊いとは。
ただその一存在の全てを愛おしく感じ、見守りたいと思わずにはいられない、そういう意味だったのかもしれない。
(……ですが、私たちは母と娘)
遠くから見守ることをこそ良しとしていたウタ→ハナ・ミツの関係性とは違う。
(言葉を交わさないだなんて、有り得ない……!)
相互に作用し合う関係。
(貴女とは、別の道を進ませてもらいます……!)
ウタの気高き志を今こそ真に理解しつつも、彼女とは違う道を征く。
相も変わらず静かな佇まいに、今までとはまるで異なる心構えを抱きながら、アイザはシンと向かい合っていた。
「………えっとぉ………」
と。
ここまでの親子のやり取りに口を挟まずにいた……というか、呆気にとられ過ぎて開いた口の発声機能が失われてしまっていた者たちも、ここでようやく、自身らの声を取り戻す。
もはや外で起きている事象など意識の外。比ではないほどに衝撃的な存在が目の前で笑んでいることに比べれば、セカイの時間などは些事も些事であった。
「シン、ちゃん?で、いいのかなぁー?」
「随分と、何ていうか、その……明るくなったね……?」
戸惑いつつも、目耳に入ってきていた情報から問いかけるミツとハナ。返すシンは変わらず愛くるしい笑顔で。
「はい、シンはシンですっ。お姉さま方っ!」
「「――――!!!」」
ぴしゃーん。
その時、二人に電撃走る。
((お、お姉さま……!?))
「どうしようハナちゃんっ、わたしたち、お姉さまになっちゃったぁ!?」
「おおお、落ち着いてミツちゃんっ。お姉さまなんだから、もっとお姉さましないとっ!」
完全に未知なる敬称を耳にし、歓喜と混乱の渦でミキシングされてしまったミツとハナの思考回路は、あまりにも短絡的なお姉さま像へと、瞬時に、そして同時にアクセスする。
「そうだね……ううん、そ、そうですわねぇ~っ?」
「ええ、ええ、よろしくってよっ??」
何がよろしいのか、当人たちもさっぱり理解してはいないものの、二人揃ってお姉さまと呼ばれるのは、なかなかどうして悪い気はしない。
基本的に単純な二人のテンションは、瞬く間に急上昇していった。
「お母さまー、お姉さま方ー」
「さあ、シン。我が娘よ。母の胸に飛び込んでくるのです」
「仲むつむ………むつ、まじい?親子ですわね?」
「ええ、ええ。そうですわね??」
色んな意味で人智を超越した(ようにしか見えない)天人種の少女。
その少女――シンに対して、尋常ではない親愛を見せるアイザ。
何か急にテンションがぶち上ったミツとハナ。
「…………なんだ、こりゃあ…………?」
置いてけぼりを食らったアッシェの呟きが当然のものであるとするならば。
それから程なくして、[HELLO WORLD]史上初の緊急メンテナンスが行われたのもまた、必然の措置であったのだろう。
次回更新は4月17日(土)18時を予定しています。
よろしければ是非また読みに来てください。
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