154 P-私たちの実験を始めよう
彼女たち以外は誰もいない、アイザの借家。
「…………」
じっと眺める。
いつも通りと言えばいつも通りだが、しかし、眺める側のアイザの心中は、いつものそれとは、少しばかりか少なからずか異なっていた。
「…………」
どうかしたかと言わんばかりに小首を傾げる、眺められる側の天人種の少女。その随分と人間味の増した振る舞いに、けれどもアイザの思考は、更に内へ内へと没入していく。
(あの時、私は確かに、彼女を庇おうとした……)
思い出される戦いの一幕。
何の戦略性もない咄嗟の衝動に任せて、大斧から彼女を守ろうとした瞬間。
(思いの外、情が湧いていた……と言う事でしょうか……)
天人種、モンスターと称されるこの個体が、学習を経て小さな人間味を帯びていくことに、私は実験という言葉以上の喜びを覚えていたのだろうか。
切迫した状況の中で浮かび上がった自身の心の内に、小さな驚きを感じずにはいられない。
(ここまで入れ込むつもりは無かったのですが)
共同研究者として、極力対等な形でのコミュニケーションを図ってきた。
しかし、対等ではあれどどこかドライというか、それこそ言葉通り、あくまで同じ研究を進める上で利害が一致したという、ただそれだけの関係なはずだったのに。
(……まあ、何にせよ我々のやることは変わらない)
では、だからといって、情が湧いたから何が変わるのかと問われれば、別に何も変わりはしないのもまた、二人の間にある確固たる事実。
既に『セカイ日時計』の借用予定日はアッシェへと連絡済みで、もう僅か数日の内には、この天人種は膨大な観測データを得ることになるだろう。
そこで、自分たちの関係もおしまいだ。
「……結局。貴女に名前を付ける事もありませんでしたね」
名付けとは、一種の所有権の表明ですらある。
対等を謳い、事が終わればそれぞれの道を行く彼我の間でそんなことをしていいのかと、もしかしたらどこか、無意識の内に考えていたのかもしれない。
そんなアイザの、心の内に収まらず、気が付けば口からこぼれ出ていた言葉。
「…………」
対して天人種は考え込むようなそぶりを見せるも、こればかりは、このモンスターが何を思考しているのかアイザにも分からない。
(……分からなくとも、良いのでしょう)
コミュニケーションが可能である現状ですら、その意図を読み取ることが出来ないというのなら。それつまり、それだけ複雑な思考回路を、今この瞬間の彼女が回しているということであり。
ならばそう、目の前の人工知能が、そこまで深く考えているというだけで、最も近くで観察を続けてきたアイザにとっては、十分なことなのであった。
研究成果としてではなく、もっと曖昧で判然としない、気分だとか気持ちだとか、そういう点において。
「実験が終わった後も……」
気が向いた時にでも、会いに来てくれると嬉しいです。
テイム中の今そんなことを言ってしまえば、本当に律儀に会いに来てしまいそうだから。
だからアイザは、その言葉を静かに呑み込んで。
「…………」
「…………」
代わりに二人は、静かに見つめ合う。
結局はいつも通りの、無言のやり取り。
それがもうすぐ終わってしまうことに、何故か満足げな寂しさを滲ませながら。
胸に抱いた友愛の形すらも、曖昧なままに。
◆ ◆ ◆
「――さて。取り決め通り口を出すつもりは無いが、それはそれとして流石に同席くらいはさせて貰うよ」
幾日か日が経ち、遂に訪れた実験当日。
縦に長い時計塔の中央部にある制御室に、アイザ、ハナ、ミツ、アッシェの四人が集まっていた。
「ええ、構いません」
一応は現所有者として見届ける権利と義務があると主張するアッシェに、アイザも頷いて同意する。
「……ところで、あの女剣士殿はいないのかい?折角だしスカウトしとこうかと思ったんだけどねぇ」
続く言葉、頭数が足りないという指摘に対しても、今度は否定の意味を込めた首肯。
「ええ、彼女は不在です……仮にこの場に居たとしても、勧誘には応じないと思いますが」
「そうかい、残念だ。んじゃ、そこの金銀コンビはどうだ?待遇は保証するよ?」
「折角だけど」
「ごえんりょ~」
ならばと同じく目を付けていたハナ、ミツに粉をかけようとするも、これまたすげなく断られてしまう。
「そうかい、そうかい。ま、何となくそんな気はしてたさ」
二人の、あまりの二人組感の強さから、多分断られるだろうなと分かっていた為にか、続け様の勧誘失敗にも、アッシェは肩を竦める程度だった。
「先生は……ま、聞くまでもないだろうねぇ」
「ええ」
傘下に下るを良しとするならば、そもそも簒奪戦など起こってはいない。
最終的には天人種を解放するという言葉からも、徒党を組み戦うことは手段であって目的ではないと察していたアッシェに、アイザを仲間に引き入れる術など、持ち合わせているはずもなかった。
「全員に振られちまったし、アタシは今度こそ大人しく黙ってるとするかね」
言葉の通り、一歩引いて三人の後方に下がるアッシェ。
それを合図にするかのように、アイザがコンソールを開き『セカイ日時計』の操作を開始する。
とは言ってもまあ、やることは時間の加減速の度合いを設定するだけなのだが。
恐ろしく規格外なアイテムではあれど、アイテムとして完成されている以上は、コンソールに触れれば容易くその権能を発揮してしまう。
だからこそ――誰にでも、その操作が出来てしまうからこそ――この巨大な時計塔は、かくも恐ろしいアイテム足り得るのだが。
「さて……」
至極簡単な操作での設定を終え、後はシステムを起動させるだけ。
この段階で、アイザは最後の仕上げに移る。
完全な『観測』を行うには、彼女を一切の制約から解き放たなければならないのだから。
「今この瞬間を以って、私と貴女との主従契約を破棄します」
「…………」
簡単な、それこそ『セカイ日時計』の操作と大差ないほど簡単な手順を踏んで、その天人種はあっさりと、プレイヤーの手の内から解放された。
(ホントに、何の躊躇いもなくやっちまうんだねぇ、アイジア先生……)
約束通り、声の一つすら挟むことのないアッシェ。
「…………」
元より声無き天人種が光輪と機械翼に纏う淡い輝きは、彼女自身の願いと、それから、主だった者の意図を組んで、少しずつ広がり始める。
「「わぁ……」」
機械的でありながら幻想的で、そのくせ今までに積み重ねた交流が、その姿をどこか有機的にすら見せ付けてくる。
形容し難い感嘆に溜息を漏らすハナとミツよりも、更に一歩近いところに、アイザはいた。
「さあ、行きなさい……いえ、こうやって命ずる事も最早、烏滸がましい振る舞いになってしまうのでしょうね」
最後の瞬間にすら薄く微笑む程度だったアイザの顔を、記憶領域にしっかりとしっかりと、何重にも焼き付けて。
「…………」
天人種は翼を広げ、宙に浮く。
「…………」
開け放たれた窓から外に飛び出し、壁を這うようにして時計塔の頂点へと。
ただ単一の針が文字の無い真円に乗っている文字盤の、正面に至り、それを背に負うようにして、彼女は天空からセカイを見据える。
一方的に『観測』し、何某かからも極力観測されないようにとセーブしていた自身の知覚領域を、最大限にまで拡大させていく。
その天翼は全てを包み、その天輪は全てを見下ろす。
そう錯覚するほどに、セカイの八割強を観測し得る最大出力が、その華奢な体から解き放たれて。
「――さあ、見せて下さい。貴女の進み行く先を。その限界を」
小さな呟きと共に、アイザは『セカイ日時計』を起動した。
次回更新は4月10日(土)18時を予定しています。
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