141 P-計画の前段階
アイザが部屋を間借りしている観測拠点『ホロスコープ』は、セカイ中の様々な情報が集まってくる街である。
中立と観測を旨として発足されたクラン『視測群体』の管理するこの街で、アイザはひっそりと、高知能モンスターの目撃情報を集めていた。
自身の実験を行うための大事な共同研究者を探す段階において、(ゲームにおける)伝手も知識も経験も乏しい彼女にとっては、この街そのものが重要な情報拠点であり。
いくつかの当てが外れた末、叡智とは程遠く思われた枯れ木林の中で、最高峰のモンスターと出会えたのだから、その行動指針は間違っていなかったと言えよう。
こうして実験計画の最初の一歩をクリアしたアイザは、もうすっかり馴染んだ『ホロスコープ』の街並みを歩いていく。数歩後ろにハナとミツを連れて、見慣れたはずの商業エリアのあちこちへと、殊更に視線を向けながら。
「まさかみんな、ここに天人種がいるだなんて、思いもしないだろうねぇー」
「しかもテイムされたやつ」
声を潜め、名詞さえぼかしながら、ハナとミツが笑い合う。素知らぬ顔で前を行くアイザは足を止めないままに、聞こえてきた声に小さく肩を竦めた。
「……わざわざ喧伝する事でもないでしょう」
「そうだねぇ。黙ってた方が良いかもー」
「ばれたらすんごい騒ぎになりそうだし」
実験そのものを強いてまで隠し立てするつもりはないが、かと言って物珍しさに野次馬が付いて回るのも面倒くさい。
そんなアイザの考えから、テイムした天人種はストレージに収められたまま、アイザの視聴覚情報を共有する形で、プレイヤーたちの営む街を観察することとなっていた。
(…………)
『観測』を旨とするが故に、今までプレイヤーたちを遠巻きに眺めはすれども、その営みの中に入って行くことはなかった天人種が、こうして街の中を存分に見て回ることが出来るようになって、いかような学習が為されているのか。
今はまだ、アイザにも分からない、というかそこまで気にしていない。
これはあくまで、高速学習計画の前座にすらならない、天人種の自立思考プログラムがどの程度のものなのかを推し量る為の、ちょっとしたテスト程度のものでしかないのだから。
今日一日街を見て回り、後程データ解析を行って天人種のスペックを実測する。
そんな、実験の準備段階……の、初期段階、くらいの心持ちでアイザは街中を歩いていた。無論、彼女自身の情報収集も兼ねてはいたが。
迷いはなかれど今日中に済ませるべき目的もない、静かな足取りで先行くアイザ。一も二もなく付いてきたハナとミツはその背中へと、密かに気になっていた疑問を投げかける。
「――実験には『セカイ日時計』を使うって言ってたけど、どうするつもりなの?」
アイザの計画の要である、向こう数百年分の観測を一挙に行う高速学習。その為に必要不可欠な……というより、このアイテムがあるからこそ計画を思い付いたという、ある意味で切っ掛けとも言えるかの時計塔型巨大アイテムは、しかし当然のことながら、今はアイザの手の内にはない。
「今、あのアイテムは簒奪戦?だっけ、に勝った『新進気鋭』が持ってるし、頼めば貸してくれるようなものでもない、よねぇ……」
時計塔を手にし、その周辺に拠点を築き上げているクラン『新進気鋭』自身ですら、その能力の全貌を探っている最中なのだから。いきなり現れた外様が実験に使いたいので貸してくださいと言って、良いですよと頷いてくれるはずもない。
「一応、あちらの代表と話し合ってみたい所ではあるのですが……まあ、貸し出しはほぼ不可能と見て良いでしょうね」
アイテムとは資産である。
それが、自身らの望むままに時間を進めることが出来る、神の力にも等しいものであるというのなら、なおのこと。戦いの末に手に入れたそれを独占したいと考えるのも、当然のことであろう。
「最悪と言うべきか恐らくと言うべきか。最終的には奪う事になる、と考えています」
傭兵集団とも称される『新進気鋭』が、誰のものでもなかった『セカイ日時計』をそうしたように。今度は我々が彼らから、かの時計塔を奪うのだと。
神の手にあった『時間』を人間が奪い、今度はまた別のプレイヤーがそれを奪う、これこそ正しく簒奪戦。
「無論、手に入れた後にはまた、我々が誰かによって奪われる事になるのでしょうが」
それで十分。
目的はただ、数百年の時を一気に進めるだけなのだから、ほんの一時、『時間』を手中に収められればそれでいい。
防衛など考えず、奪うことだけに集中すれば良いというもの。
「そしたら、その誰かさんがまた別の誰かさんに奪われてー」
「別の誰かさんもまた、別の誰かさんに奪われて」
「ふふ……そうなれば正しく、戦乱の世の始まりですね」
冗談めかして言うアイザだが、その実、本当に言葉通りになってしまう可能性は十分にあると、彼女は考えている。
[HELLO WORLD]を一つのセカイと見立ててみればこそ、時間の進みを操作出来るだなんて、本来ならば文字通り、人智を超えた領分であるはずなのだ。
運営にしか許されていないはずの、セカイの理への干渉が、一切の不正アクセスもなく、清廉潔白に行える。
それこそ現実世界で言えば、一切のオカルトを排し既存の科学理論に則ったまま、時間という概念に触れられるようなもの。
そんなアイテムが、所有者にどれだけ莫大な利潤を与えることになるか。
「今はまだ誰も、あのアイテムの実測値を知らない。私だって、製作者の言葉から効果の及ぶ範囲を予測しているに過ぎません」
所有クランの、アウトローなどと名乗っている割に慎重な姿勢のおかげか。なんだかんだ言っても多くのプレイヤーにとってはまだ、『セカイ日時計』は「理論上はもの凄くヤバそうなアイテム」という評価に留まっている。
しかしどうしたって、やがてはかの時計塔が下界に与える影響の大きさを、誰もが実感することになるだろう。
そうなれば、既に一度起こっている簒奪戦は、今後より活発に、頻繁に、際限なく行われることになるかもしれない。
その点においてこそ、いずれは運営までもが介入してくるのではないか。
そう予想するアイザにとってはどちらにしろ――争いの絶えない世紀末が訪れようとも、運営が厳密にルールを定め管理しようとも――そうなってしまえばもう、『セカイ日時計』は手の届かない雲上の存在になってしまう。
そう、ある意味で、今しかないのだ。
プレイヤーとしてはさして強くもなく、大きなクランに所属しているでもないアイザが、あの規格外のアイテムに僅かでも指をかけ得るタイミングは。
評価の定まり切らないアイテムを、ルールの定まり切らない簒奪戦の戦利品に出来る、今の時期しかない。
「……戦うのはいいんだけど。でもアイザさん、私たち以外にフレンドとかいるの?」
「いませんね」
「……流石に、三人で一つのクランを相手にするのは、無理じゃないかなぁ……」
「流石に傭兵くらいは雇うつもりですよ……それに、戦うとは言っても、まあそれなりにやりようはあります」
ちらりと後ろに目をやりながら、アイザは言葉を続ける。
「小狡いやり方かもしれませんが……セオリーの定まっていない今の内にならまだ、少数同士の代表戦に持ち込める可能性があります」
こちらの人数に、相手方を合わせさせる。そうせれば少なくとも、規模の上での差はなくすことが出来るだろう。
合わせさせられれば、の話だが。
「こっちからそうお願いしてみるってことー?」
「ええ」
「流石に、受け入れてくれないんじゃない?」
喧嘩を売りに行っておいて、ルールはこちらの用意したもので……だなんて、虫が良すぎて頷かれるはずもない。いくら大規模対人戦に疎いとはいえ、ミツとハナにだってそれくらいのことは分かる。
二人に沸いた当然の懸念に、けれども決して不可能な話ではないと、アイザは小さく首を振った。
「対価をちらつかせれば良いのです。条件を呑んだ上であちらが勝利すれば、これを差し上げますよ、と」
偶然か必然か。
今、アイザの手中には『セカイ日時計』と同じか、或いは周知度という点ではそれ以上に、プレイヤーたちの関心を引き付けて止まないモノがあるのだから。
次回更新は2月24日(水)18時を予定しています。
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