126 V-隔離実験区域02 或いは、母娘の秘密の隠れ家
衝撃的な発表――ハナとミツにとっては――があった八周年記念日当日から数日後。
二人はメッセージと共に送られてきた招待状を用いて、その送り主の元へと訪れていた。
一見何の変哲もない庭園付きの小さなコテージ、されども『隔離実験区域02』と呼ばれる通り、ここは通常のプレイでは決して辿り着くことが出来ない、運営権限に基づくエリアであり。
それこそ、今日ここにハナとミツが足を踏み入れるのだって、諸々の許可やら守秘義務契約へのサインやらなんやら、面倒なステップをいくつも踏んでのことであった。
それほどまでに、一般のプレイヤーからは切り離された空間に、それでも此度百合乃婦妻が立ち入りを許されたのは、この『隔離実験区域02』に住まう人物たちが、旧友として二人に事情を話したいと嘆願したから。
「わぁーっ、お姉さま方ーっ!」
門をくぐったハナとミツへと、庭園に繋がるテラスから手を振る一人の少女。ハロワのプレイヤーたちにとっては真新しく、けれども婦婦にとっては良く知ったその天使のような女の子――シンは、軽やかなステップを踏みながら二人の元へ駆け寄っていった。
「お久しぶりですっ!」
「おっと」
「久しぶりぃ~」
小さな体を目一杯に伸ばして二人に抱き着いてくるシンに、婦婦も笑顔で再開を喜ぶ。
「元気だった……って、この間のアナウンスで見てたんだけどね」
「はいっ、シンは今日も元気いっぱいですっ」
「いやもう、ほんとびっくりしちゃったよぉ」
「えへへ、お姉さま方を驚かせたくって……!」
もう一人の住人、招待の送り主が待つテラスへと向かいながら、三人は言葉を交わす。ハナとミツの方を見ながら後ろ歩きに進むシンの様子からも、彼女が如何にお姉さま方との再会を楽しみにしていたかが窺えた。
「これからは、お姉さま方があんまりいちゃいちゃし過ぎてると、わたしが直々に警告しに行きますからねっ!」
「あはは、お手柔らかに……」
与えられた役割に息を巻くシンに苦笑で返しながら、成程これは親しみも沸きやすくなるなぁと、運営の意図を読み取るハナとミツ。
そうやって少しばかりの会話を弾ませている内に三人は、もう一人の待つテラスへと辿り着いた。
「……お久しぶりですね、ハナさん、ミツさん。相変わらずな様子で何よりです」
シンと同じように澄んだ、けれどもより深く大人びた声が、ハナとミツを迎え入れる。
「久しぶり、アイザさん」
「今日は招待してくれてありがとぉー」
アイザと呼ばれたその人物――アイジア・アウス・シミュラは、長い白金の髪をした、色白な女性であった。ハナよりも幾分か背が高く、体付きもミツより更に豊満な、成熟した大人のシルエット。閉じられた両目の片方、左の目の下にある黒子が、より一層その大人びた雰囲気を助長している。
しかし一方で、よく見れば同じ位置に同じような黒子を持つシンが、どうしたって爛漫な少女に見えてしまうのは、大きく見開かれたその白金の瞳によるものだろうか。
前髪ぱっつんまでお揃いで、一目見て何かしらの繋がりがあると分かるアイザとシンが、この『隔離実験区域02』に住まうたった二人の住人であった。
「それにしても、本当に久しぶり……直接会うのは、お二人の結婚式以来でしょうか」
丸テーブルを囲んで座る四人は、早速本題に……入る前に、先の続きとばかりに少しだけ雑談に興じる。
「そうだねぇ。何ならその時もお忍びで、だったし」
「連絡も不定期で……って、そういえば結構前に、前の拠点が吹っ飛んだみたいなこと言ってたけど……」
「その件に関しては、申し訳ないのですがプレイヤーにはお聞かせ出来ない内容となっておりまして……まあ、わたしの実験が少し行き過ぎてしまった、というだけの話です」
少し、とは言うが。
かつて、アイザの実験が行き過ぎた結果としてシンが生まれたのを目の当たりにした婦婦からすれば、彼女の少しという言葉は、あまり信用出来たものではなかった。
「ふ、ふぅ~ん……」
色々な意味で追求するのが憚られたミツの相槌も、自然、少しばかり強張ったものになってしまう。
「えっと、聞かせられないっていうのはやっぱり、二人が正式に運営側の所属になったからってこと?」
言葉尻を引き継いだハナが、嫁のフォローがてら、どうせならこの流れでと本題を口にした。
「ええ、以前より一般プレイヤーとは異なるカテゴリに置かれてはいましたが……運営側も遂に、わたしとシンを活用することに踏み切ったようで」
「わたしは、もうご存じの通り公式アナウンス、各種チュートリアル案内、警告その他諸々の顔役。お母さまは……これもあまり詳しくは言えないのですが、モンスターや[HELLO WORLD]の自然環境に関わる分野で、お仕事を任されることになりましたっ!」
アイザを母と呼び、誇らしげに宣言するシン。
「「おぉー」」
長年、秘密裏ながらも[HELLO WORLD]内では宙ぶらりんな立ち位置にいた二人の立場がようやく定まったことに、ハナとミツも友人として祝福の拍手を送った。
「本日来て頂いたのは、このことを報告する為というのと、もう一つ。それに伴って、我々の間に定められていた接触制限が緩和されたことを知らせたくて」
シンという天人種――すなわちモンスターがアイザの手によって、プレイヤーと遜色ない人格と高度な自立思考能力を有するに至った経緯。
古参プレイヤーの間で、委細不明な狂気的実験だの都市伝説だのとして語られるその出来事の最中、偶然にもシンがシン成り得る瞬間に居合わせていたハナとミツには、運営側から関連事項の口外及びアイザ、シンとの不用意な接触が制限されていた。
完全に独立した自我を獲得したと言って差し支えない人工知能とその生みの親という、ハロワ内でも唯一無二かつ、プレイヤー・運営どちらにも属せない親子であるが故の隔離措置だったのだが。
シンはシステム上、[HELLO WORLD]外に抜け出すことが出来ないと証明されたこと、シン、アイザ両名が運営サイドに対し協力的であったこと――特にシンは、ハロワ内の一システムであるという特性上、嘘をつくことが出来ない――から、二人はようやく、ハロワ運営の職員として迎え入れられる運びとなった。
母娘が共に友好的であることの証明、信頼関係の形成、シンが持ち得る能力の把握等々、様々なことに時間を取られていたが為に、このタイミングまで時間がかかってしまった、というのはアイザの弁。
「こう言っちゃなんだけど、運営もよく決断出来たわよね」
運営側の意図しない進化を遂げた人工知能など、排斥されてもおかしくはないはず……などというのは、良く知った仲だからこそ言えることだろう。
「なんだかんだ言ってもわたしは、このセカイのルールに則った存在のままですからねっ。怖がらなくってもいいって、分かってくれたみたいですっ!」
屈託なく微笑むシンの姿を見れば、AIの反逆だのなんだのという前時代のSF映画的思想なんて、皆揃って投げ捨ててしまうだろう。
母親としてシンに無類の愛情を注ぐアイザは、静かなすまし顔のままそんなことを考えていた。
「なるほどぉ。まあでも、立場がはっきりしたおかげで、手続きさえ踏めば顔を合わせやすくなったのは、良いことかもねぇ」
「流石に、言えないこともいっぱいありますけど……こうしていっぱいお話しできるようになって、シンは嬉しいですっ!」
八周年当日のアナウンスから驚きっぱなしのまま今日この場に呼ばれてみたが、ふたを開けてみれば、そう悪いことでもない。それどころか、旧友親子がしっかりとした立場に付き、むしろ以前よりも会いやすくなった。
「メッセージでのやり取りも、今までより気軽に出来るようになる、かな?」
「はいっ!」
良いことだらけだと微笑みあう四人。
「……あ……」
けれどもふと、アイザが小さな声を上げた。
「実は、一つだけ不安なことが……」
閉じた両目の上、寄せられた眉根の皺から、彼女がその一つとやらに、如何に気を揉んでいるかが窺える。
「なに、私たちに話せること?」
何か深刻な話なのかと、ハナが心配しながら問えば。
「……シンの親離れが、少々早過ぎるような気がするのです……」
「「へ?」」
帰ってきたのは、えらく沈んだ声音で呟かれたしょうもない言葉。これには婦婦も、思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。
「座るのだって、ついこの前までは私の膝の上だったのに……」
「わぁぁっ!お母さまっ、余計なこと言わなくていいからっ!」
妙なことを言いだした母の口を塞ごうと慌てて立ち上がるシンだったが、それがあだとなり、逆に座ったままのアイザに捉えられてしまった。
「母はこんなにも貴女を愛しているというのに……シン、何故なのですか……」
「ちょ、ちょっと、お母さまぁっ……お姉さまたちが見てる、のにぃっ……!」
昏い表情でぶつぶつ言いながら、シンを無理やりに膝上に乗せ、覆い被さるように抱きしめるアイザ。
「あ、あはは……」
「相変わらず、仲がよろしいようでー……」
この天才の子煩悩っぷりも変わらないと、本日幾度目かの苦笑いを浮かべるハナとミツであった。
次回更新は12月26日(土)18時を予定しています。
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