121 V-亡者の再顕 獣化
獣化、と。
そう叫んだ台詞が、この戦闘におけるハナの最後の言葉となる。
文言に呼応して発現した強化スキルが、彼女の外観をも変えていく。くすんだ灰の耳と尻尾の毛が逆立ち、手の先の爪は鋭く伸び。淀んでいた両目の瞳孔は縦に切れ長く伸び、そこには肉食獣の光りが灯っていた。
獰猛に笑う口の端からは、鋭い犬歯が身を覗かせる。
「ゥゥゥッ――!」
漏れ出る唸りは、人でも屍人でもない、獣としてのそれ。
ピンと尖った三角耳には既に、人の言葉など入ってきてはいない。
「――フシャァッ!!」
体中を巡る闘争本能に突き動かされて、ハナは眼前の敵へと飛びかかる。
仮にもゾンビ化しているとは思えないほどの、これまで以上の俊敏性でもって、僅かな小康状態を保っていた彼我の距離を一息に詰めて。
「――!?」
たじろぐ『教皇』の顔面に、鋭い爪を突き立てた。
「――ッ――!!」
辛うじて反応し、それでも躱しきれなかった『教皇』の額に、三筋の爪痕が刻まれる。いやむしろ、爪痕程度で済んで僥倖と言ったところだろうか。
「ッ、ッゥゥッ――!!」
爪が風を切る音と、口の端から漏れ出る鋭い唸りを威嚇のように発しながら、そのまま至近距離で猛攻を繰り広げるハナ。
両手の爪が閃くたびに、『教皇』の身体に傷が付いていく。
鬱陶しげに繰り出される反撃をするりするりと躱しながら、上機嫌に唇をぺろりと舐め上げて。
その猛攻は止まらない――
「――ゥミャゥッ!?」
――わけもない。
『教皇』にのみ集中し、視野狭窄気味になっていたハナの横っ腹に、『聖女』が錫杖を叩きつけた。
直前で気が付き、攻撃の勢いに乗って飛び退いた為に大きなダメージはなかったものの……それは、普段のハナではあまりないような被弾の仕方だった。
「ゥゥゥッ……!」
「――なるほどぉ。こういう感じになるのかぁ」
勝手に飛び出し、今ようやく自身の隣へと戻ってきたハナを横目に、ミツが呟く。
数年前の周年イベントで自身が『獣化』を使用した際の、ハナの苦労が少しだけ分かったような気がした。
「ゥゥゥ……?」
ミツの言葉を受けて、しかし、ハナは小さく首を傾げるのみ。
明らかにこちらの言葉を理解出来ていない様子の妻に、ミツは優しく微笑んで返す。
「こういうハーちゃんも、可愛いねぇ」
「……にゃぁっ」
台詞の意味は分からなくとも、その笑みで何となく意図を察したハナもまた、機嫌良さげに一声鳴いてみせた。
――一定水準以上の獣人種に許された、強力な自己バフスキルである『獣化』。特に俊敏性において常以上の優位を得られるこのスキルに備えられた代償こそが、それ。
言語のインプット及びアウトプットの、完全禁止。
耳で聞く声は全て、意味のなさない音の連なりへと変換され、目で見る文章は全て、太古の象形文字めいた判読不可能な落書きへと置き換わる。
口をついて出る言葉は獣の鳴き声に、指で刻む文字は四足の痕跡に。
スキルの効果時間中、凡そ言語を用いたあらゆるコミュニケーションが不可能になる。
戦いの最中に言葉を失えば、その心は自ずと闘争ただ一筋に先鋭化され。
上昇した身体能力に任せて、戦場を奔放に駆けまわる。
人の道を逸脱し獣性に染まる、進化からの逆行。
故に、『獣化』。
「何言ってるか分かんないかもしれないけど……でも大丈夫」
急激に気勢を増したハナの変貌に驚く『教皇』と『聖女』を警戒しながらも、ミツは一度だけ、さらりとハナの首筋を撫で上げる。
「……んっ……!」
小さく残るその歯型は、ミツがハナに幾度となく噛み付き、感染させてきたことの証だった。また、今この瞬間も変わらず、ハナの身体を流れる獣の血は屍人の呪術に汚染されたまま。
ほんの一瞬の指先で、意図は伝わる。
言語を失えども、獣化中だってハンドシグナルやボディランゲージで意思疎通を図ることは可能であり。高レベルな獣化の使用者たちにとっては、その分野はむしろ必修項目ですらあるのだが。
それは、これまでも視線を交えて戦ってきた二人にだって、やってやれないことじゃない。
それに、もう一つ。
指でなぞった傷痕が示す通り、二人は今、ゾンビとしての繋がりをも有している。
「よぉし、頑張ってみよっかっ、ハーちゃん!」
「みゃうっ!」
うずうずと体を揺らすハナへ、ミツがGOサインを出す。
またもや飼い主を置き去りに、出方を窺っていた『教皇』たちへと一直線に駆けだすさまは、風のように早かれども、本能のままに単調な突進。
「――、――」
「――――」
待ち構える『聖女』と『教皇』は、一瞬のやり取りで安堵の言葉を交し合う。
身体能力は上昇しているが、それに振り回されて相方との連携がおざなりになっている、と。
「――み゛ゃうッ!!」
先と同じく勢いだけは十二分な飛びかかりを、『教皇』が錫杖でしっかりと受け止める。振り下ろされた両腕の膂力も上がっており、それ故に、ハナが力に任せて押し通したくなってしまうのも、分からないでもないのだが。
そんなことでは、受け止められた一瞬の隙に、『聖女』が横やりを入れてくるのもまた、当然のことと言えるだろう。
「――――!」
無音の気迫と共に、鋭く突き出された錫杖の先がハナのこめかみへと迫る。
先程の繰り返し、いや、先ほどよりも確実にハナの息の根を止めようとする、『聖女』の強烈な一撃。
いや、いや。
「――それはぁー、ダメっ!」
先程にはなかった青肌の拳が、その錫杖を弾き飛ばす。
「――、――!」
変わらない表情の代わりに首の角度を歪めながら、『聖女』は即座に、攻勢をミツへの追撃へと切り替える。
横やりに更に横やりを入れる形となったミツの姿勢は、目一杯の拳撃の代償として、拳を伸ばしきったまま完全に硬直している。
それだってほんの僅かな隙、けれども、なお早く体勢を整えた『聖女』の右脚がその胸部を捉えるには、十分なほどの猶予があった。
あったはずだった。
「フシャァッッ!!!」
「あーれー」
あまりにもしなやかに身を翻したハナが、ミツの身体を引っ張って彼我のポジションを反転させる。
くるりと回るその勢いのままに右手を振りかざし、『聖女』の左腕に鋭い爪を食い込ませた。相手が骸骨であることなど知らぬとばかりに、腕の骨を削り穿つその指先に、『聖女』が驚愕と苦痛の悲鳴を上げる。
「よ、っとぉ!」
同時、人間離れした腕力で振り回され足を浮かせたミツが、そのままドロップキックの要領で『教皇』の腹部へと足先を見舞う。
「――――!?」
先程ハナがへし折ったのとは逆の方、左の肋骨を三本砕かれた骸骨の皇が、ぐるりと回りながら吹き飛ばされた。
「ゥゥゥゥ――!!!」
地を転がる『教皇』になど目もくれず、『聖女』の左腕に関節を一つ増やしてやろうと、ハナは唸りを上げながら右手を握り込む。
ミシミシと軋む腕の骨が、歪み、たわみ、限界を迎える直前に。
「――!にゃッ!」
伸びた尻尾で主人を捉え、死した猫はその場を飛び退いた。
「ありがと、ハーちゃん」
二人が足を付けていた地面に浮かぶ闇色の魔導を眺めながら、ミツが小さく礼を言えば。
「にゃぅっ」
こっちこそ、教えてくれてありがとう――そう言ったつもりの短い鳴き声が、ハナの口から返ってくる。
「――、――」
「――――」
ドロップキックのダメージと、無理やりに魔法を使用した反動でうずくまる『教皇』に、『聖女』が駆け寄っていく。
交わす言葉は心配と安堵、それから、驚愕。
何故、何故こうもあっさりと、人と獣が完璧に手を取り合えるのか?
けれども、高位のアンデッドであるが故に、その疑念はあっさりと解へと辿り着いた。
ミツとハナ。
今二人は人と獣であると同時に、感染源と感染者でもあるのだから。
次回更新は12月9日(水)18時を予定しています。
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