109 R-夕暮れが見てるから
〈――、――!――〉
「すごいねぇ……」
「ね。何がどうなってるのか、全然分かんないけど……」
感嘆混じりの、しかし何とも言えない表情を浮かべた華花と蜜実が見やるのは、机に置かれたデバイスから投影される、体育館の様子。
〈――――っ――――!〉
余興の一つとして始まった教師陣の隠し芸大会の一幕、厳格なる二年次学年主任、大和 彩香女史が、いつも通りのお堅い顔付きのまま、舞台に設置された巨大なレーザーハープを自在に操っている。
学院の校歌を恐ろしくサイケデリックにかき鳴らすその手指は、普段の彼女からは想像も付かないほどのギャップを生み、華花と蜜実のみならず、多くの生徒から困惑混じりの歓声を引き出していた。
かように繰り広げられる、教師も生徒も入り乱れた盛大な内輪騒ぎとでも呼ぶべき後夜祭は、学院祭とはまた違った、どこか無礼講めいた空気を学院中に広げていく。
デバイスでの投影によって、祭りに参加していながらも各々が好きな場所で好きなことを出来るという状況が、より一層、自由を強調するような。
……そんな、浮足立った心に押されてか。
どちらからともなくふと、見つめ合う蜜実と華花。
「「……、……」」
ほとんど反射的に、今も刻々と沈む西日に合わせるようにして、二人は顔を近付けて――
「「っ」」
どこか別の教室から聞こえてきた笑い声に、はっと目を開く。
二対の瞳がちらりと廊下の方を見て、それから、くっつく寸前まで行っていた唇が、名残惜しげに引き離された。
「あはは……」
「へへぇ……」
誤魔化すような、残念がるような。
そんな照れ笑いを浮かべる二人。
危うく、校舎中に漂う非日常的な空気に流されそうになってしまったが。
ここは学校なのだ。学び舎なのだ。
いくらお祭りの日だからと言って、あまり、こう、健全でないスキンシップを致すのはマズいだろう。
ので、キスはお預け。
軽く唇を合わせるだけでも、今の二人はもう、止まらなくなってしまうだろうから。
だからその代わりに、と言う訳でもないけれど、これまで以上に身を寄せ合う。
椅子を引いてぴたりとくっ付け、蜜実の左肩と華花の右肩が、隙間なく合わさった。
二の腕を擦り付け合いながら、肘から先を絡め、逆手に指を結ぶ二人。
一分の通り道すらないその間では、空気振動の代わりに熱量が行き来する。
袖は長いが生地は薄手な春・秋用制服は、あっと言う間に二人の熱を透過させてしまって。ぎゅっと寄った皺の上を流れるように、温もりが二本の腕を包み込んだ。
「……」
「……」
華花も蜜実も、黙して何も語らない。
先程まで立体映像に向けられていた四つの視線も、今はもう、固く柔く結ばれた指先にだけ向かっていた。
華花が少し、握るその手に力を入れれば。
ぴくりと反応した蜜実が、指の腹で華花の手の甲をなぞる。
「……っ……」
強く握り捉えているのは自分なはずなのに。
甲にうっすらと浮かぶ血管を撫でられるだけで、まるで血流すら支配されてしまったようなむず痒さが、華花の皮膚の裏側を震わせて。
デバイスから聞こえてくる体育館の歓声よりも、どこかから時折辿り着く笑い声よりも。
ただ蜜実が指を這わせる小さな接触音が、熱の籠った華花の吐息が、二人の耳には鮮明に捉えられた。
くすぐったくて心地良くて、華花はつい、絡めた指をもっともっと押し付ける。
まるで、蜜実を欲しがる、夜の一幕のように。
ぐりぐり、ぐりぐり。
指の間、関節の形が分かるほどに強く擦り付けられた華花の熱に、蜜実の方もぞわぞわと、背中の辺りに震えを感じてしまっていた。
共振するように体を小さく揺らし、そうすればまた、肩や二の腕の辺りにも一層熱が生まれる。そしてそれと同時に今度は下の方、互いの膝の頭まで、こつんと優しくぶつかり合って。
「ぁ……」
漏れ出た小さな囁き声。
どちらからともつかないそれが生んだ硬直は、ほんの一瞬のこと。
一息の後には今度こそ、どちらからともなく、膝先を擦り付け合う。
太腿を隠す学生らしいスカートから伸びる脚を、隣り合った椅子の脚よりもなお近付けて、硬く丸い膝の皿を並べるように。
すべすべとした肌の下で骨と骨とが引っ掻き合って、むず痒い痛みのようなものが二人の身体を撫でていく。
静かで微弱で、けれどもとめどなく続くその感覚に、結んだ手指の睦み合いさえ止まってしまうような。
気が付けば二人の視線も意識も、ただ擦れ合う左脚と右脚にのみ向けられていた。
くいっと、華花の右脚が、更にひとつ歩み寄る。
くっ付くを通り越して覆い被さるような、情熱的なその一歩を受けて、蜜実の眼差しはますます色付いていく。
膝の裏、関節の窪みに、蜜実の膝を受け入れる華花。
そこを起点に二人は重なり、華花の黒いハイソックスが、蜜実の白いそれに影を落とした。
脚の上に脚を重ねたのだから、当然その分、華花の右足は浮き上がっている。
学院指定のローファーは床に置き去りにしたまま、けれどもそのつま先はまだ、靴の中に。
脱いではいない。脱ぎかけだけど、広い目で見ればまだ履いたまま。
そんな言い訳を心の内でしながら、華花は布地越しにふくらはぎを擦り付けて、蜜実の脚を堪能する。
踵の浮いたその片足を揺らすほどに、肌と肌が、膝から下を覆うハイソックスが、湿った摩擦熱を生み出していく。
「んっ……、……っ」
組み敷かれた方の蜜実だって、勿論されるばかりではない。
とろんと火照ったその瞳が見据えるのは、宙ぶらりんになった華花の踵。
言い訳めいて靴を脱ぎ切らない華花と違って、蜜実はあっさりと、左のローファーから足を離してしまう。
大丈夫、まだ靴下履いてるし。
そんな言葉を心の内に漏らしながら、半脱ぎのローファーから顔を覗かせる華花の踵に、足の指を当てがって。
そのまま、親指と人差し指の間で挟み込むようにして、優しく、つつーっとなぞり上げる。
「……、ふっ……っ……」
ぞくりと、一層背中が泡立つ華花。
ふくらはぎと踵の間を行き来する蜜実の指先が、互いの靴下越しに、しゅりしゅりと愛を囁いて。
堪らず脚を引き攣らせた華花の膝裏が、組み敷いていた蜜実の膝をぎゅっと抱きしめた。
「……んっ、ぁっ……」
どこか歪な圧迫感に眉根を寄せながらも、そんなことをされれば、蜜実の指先は余計に強く華花を抱き返してしまう。
指先と一緒に足の甲まで押し付けて、膝のお返しとでもいうように、硬質な骨の感触で、華花のふくらはぎをさらに攻め立てる蜜実。
だけども彼女自身、そうすれそうするほどに、身を捩るほどのぞわぞわに囚われてしまって。
結果、どちらとも脚をくねらせながら、与えられた心地良さを絶え間なく行き来させることになる。
上に下に、片や黒の、片や白のソックス、まるで太陰道の紋様のように、それが世界の理であるかのように絡み合う華花と蜜実。
秋の涼風に当たってもなお、汗ばむほどに熱を孕んだ肌同士が、靴下一枚を隔てて、それでも一つに繋がろうとするような。
そんな情動を、二人は確かに交わし合っていた。
唇を重ねることは出来ないけれど。
それよりももっと濃密に、色濃く、伸びる影は一つに連なる。
橙と紫の混じり合う夕暮れのその瞬間、夜の帳の二歩手前。
すっかり汗の浮かんだ右手と左手を、今一度強く絡めて。同時に、熱く火照った右脚と左脚を、痛いほどに押し付け合う。
華花が上で、蜜実が下で。
蜜実が攻めて、華花が喘いで。
華花が小さく脚を捩れば、蜜実がその脚を震わせる。
どちらが上でどちらが下だったか、どちらが攻めていたのやら。
背筋に走る電流で直列に繋がれた二人に、最早その判別など付いてはいなかった。
デバイス越しに聞こえる音楽は遠く、身をこわばらせる二人の心臓の音に――それ以上に二人の耳を苛む、すりすりという摩擦音に掻き消される。
「――――ぁっっ――!」
「――ふ、――ぁ――!」
やがて、ひと際大きく吐き出された吐息と共に、二人の身体はくたりと弛緩した。
「「――――っ、――、…………」」
今しがたまであんなにも激しく擦り付け合っていた互いの脚は、まるで何か余韻にでも浸るように、柔らかく身を寄せ合っている。
〈――ねぇちょっと、あたし聞いてないんですけど!?なんでいきなり舞台にあげられてるの!?!?〉
世界に帰ってきたかのように、デバイスから響く聞き知った声が耳にうっすらと届いて。
「……ふふっ」
「えへへぇ……」
こつんと頭を寄せ合いながら、二人はその後も二人っきりで、祭りの余韻に身を浸していた。
次回更新は10月28日(水)18時を予定しています。
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