103 R-演じ終えて、ふと
昼時の学院内。
学院祭初日の午前、つまり最初の公演を無事に終えた二年二組の生徒たちは、教室で昼食をつつきながら安堵と歓喜に沸いていた。
「いやぁ、なんとか終わってよかったぁ!」
「まだ一回目だけど」
「思ったよりお客さんがいっぱい来ててビビったわ……」
「ほんとそれ」
口々に言うその言葉通り、第一回目でありながら生徒たちの予想を超える衆目を集められたのは、華花、蜜実らによるメイド喫茶での宣伝効果もあったのだろうが……
とかくそんな想定以上の緊張の中、盛況のうちに最初の公演を終えられたとあっては、誰もが顔をほころばせるのも当然のことであろう。
「いやぁ、陽取さんが本番中にクラスメイトを落とし始めた時は焦りましたけどね」
少ししたら会議の為に職員室へと戻らなければならない和歌も、この少しの間ばかりは生徒たちと共に喜びを分かち合っていた。
「いや、急に台本に無いこと言われたあたしの方が焦りましたよ、先生」
弁当を開きながら嘆息する担任へと、未代はあからさまなほどのジト目で返す。
結果としてはそのアドリブ……というか、本番で更なる真価を発揮した未代に対する和歌の魂の叫びがうけ、観客は盛り上がってはいたものの。まさか天の声に(本人的には)謂れのない非難を受けることになるなど予想だにしていなかった未代としては、どうにも釈然としないものがあった。
ちなみに、その笑顔にやられたクラスメイトは、少し離れた位置からちらちらと未代の方を見ていたが、これは未代の周囲では割と日常茶飯事である。
当人は全く気が付いていなかったが。
「ふふっ、未代さんにとっては災難だったかもしれませんが……正直なところわたくしは、見ていて少し面白かったですね」
「王女様は余裕がおありなこって」
隣でくすりと微笑む麗。
ぶー垂れる未代の顔には、和歌に対するそれとは違って、言葉の割に笑顔が浮かんでいた。
演劇という特殊な状況下故か、或いはその内容が、最終的には自分との未来を示唆するものであったが故か。常ならば少なからず心に引っ掛かっていたであろう未代のたらしっぷりも、あの時ばかりは笑って見ていられた。
もっとも、そんな麗の密かな余裕など一撃で葬り去ってしまうのが、陽取 未代という女なのだが。
「ちゃーんと手綱握ってないと、浮気しちゃうかもよ?」
「――!?」
本人的には冗談めかしてにやりと笑っているつもりなのだろうが、劇の成功に少しばかり上気したテンションと赤い頬は、未代のその笑みをどこか妖艶で蠱惑的なものへと色付かせていて。
表面上の意味、その裏に隠された、さながら笑いかけられた自分こそが正妻であるかのような物言い――無論、麗の都合の良い解釈なのだが――に、麗は思わず、手に持った箸を取り落としそうになる。
「な、駄目ですよ未代さん、浮気だなんて、そんなっ……!」
口をついて出た正妻気取りの言葉は、思いのほか大きく教室中に響き渡り、修羅場厨、固定カプ信者、一般野次馬クラスメイト、教師、友人婦婦皆々の表情をニヤつかせた。
「あはは、冗談冗談」
「……もうっ!」
今度こそ軽快に笑う未代、膨らませた頬をぷいと背ける麗。
友人同士で浮気も何もあるまいと、未代は自分の言葉を笑い飛ばしかけて――
(ああ、でも、それこそお友達からって話だったけ……)
つい先ほどまで演じていた仮想世界での物語が、ふと思い返される。
ざっくりと要約してしまえばあの話は、出会ってすぐになんとなく馬が合った二人がお互いを意識しつつも、まずはお友達から始めましょうなんていう、恋物語の初めの初めと言ったところ。
フィクションならずとも聞かないわけでもないパターンであり、それこそ今、対面に座って仲良くサンドイッチ(メイド喫茶からのお土産)に舌鼓を打っている華花と蜜実なども、元はそういった経緯だったはず。
(恋愛感情、ねぇ……)
とんと抱いたことのないその患いものに仮に自分が罹るとすれば……と、常ならば考えもしないようなことをつい思い浮かべてしまうのも、思いのほか演技に身が入ってしまっていたが為だろうか。
(友人から、っていうんなら――)
思考の進むまま、勝手に思い浮かんでくるその顔は。
「……なんですか」
「っ、や、なんでもないよ、うん……!」
(いや、まさか、そんな――!)
隣で未だ頬を膨らませている、お嬢様なクラスメイト。
(――なんで三人同時に、思い浮かんじゃうのさ……!)
と、天真爛漫な後輩と、変わり者な先輩の、三人。
三人。
三人であった。
……いや、嘘だろお前、と。
もしその心中を委員長や友人婦婦が覗き見ていたら、呆れ果ててしまっていたであろう、そんな未代の胸の内。
流石の本人ですら動揺してしまうそのインスピレーションは、修羅場厨が聞けば興奮のあまりぶっ倒れてしまうであろうインモラル。
「……?本当に、どうかしたのですか?」
気まずそうに眼を背けるという何とも未代らしからぬ振る舞いに、怒っていますというポーズをあっさりと解く麗。
しかし、少しの心配を孕んだ彼女の言葉も、今の未代には追い打ちにしかならない。
「ややややっ、ホント、ダイジョブ、何でもないからっ……!」
急激に回りの悪くなった口をもにょもにょ動かしながら取り繕うその内側では、今までにない感情の奔流が、さながら嵐のように荒れ狂っていた。
(あたし、ほんと、いやでもあくまで仮定の上のそのまた延長線上の話っていうか、そう、現状めっちゃ仲良くてなんかの手違いでもしかしたら万が一そういう関係に進展するのも素敵かもなーって相手がこの三人でやっぱなんで三人いるんですかねぇ!?)
同性婚は世界的に一般化して久しいが、重婚、一婦多妻といったモノの許容度は未だ、国によってまちまちである。
現状、(少なくとも公的な制度に則った)重婚の認められていない文化圏で育った未代にとっても、自身の脳裏に現れた騙し絵めいた三つ吊り天秤の揺れる様子など、到底許容出来るものではなかった。
(あぁぁヤバいっ、みんなに言われてきたこと、ちょっと理解出来ちゃったかもしれない……!いや、あたしがモテてるってのは的外れだけど、でも、確かに、三人っ、いや三人はダメだってぇ!)
当の三人から既に好意の矢印を一身に受けている、という一番大事な部分にはやはり気が付けなかったものの、しかし遂に、ほんのちょっとだけ自覚する。
それは変革ですらあった。
未代が。
あの、陽取 未代が。
かなーり過小評価気味ながらも、認めたのである。
ああ確かに、自分が三人共に良い顔し過ぎたら、修羅場るかもしれない、と。
(いや、でもほらっ、言ってこれ極論みたいなもんだし、友人関係から恋愛関係に発展だなんてする方が珍しいってもんだしまぁ目の前にその最たる例みたいなやつらがいるんですけどねぇ!?)
確かにまだ、未代が抱いている感情は、友愛の類であろう。
三人の誰に対しても隔てなく、そう、隔てなく向けている好意は、先輩、後輩、クラスメイト関係なく友情である。
しかしだからといって、決してその想いが小さいわけではない。
むしろ、こんなふとしたきっかけで、恋愛感情に転化してしまうのではないかと危機感を覚える程度には、強く純なもの。
(……相談、した方が良いんだろうなぁ……ぜーったい煽り倒されるだろうけど、でも…………今は変なテンションになって錯覚しちゃってるだけかもしれないから、学祭終わって、落ち着いて、それでもまだ……)
まだ、妙な考えが抜けてくれなかったら、その時は。
リアルだろうがバーチャルだろうが劇中だろうが一切ブレることのない友人婦婦に、恥を忍んで助言を求めるべきだろうか。
自身の中に芽生えつつある未知なるものの正体が、何なのかを探るために。
「……あぁ、もうっ」
落ち着くまで一旦保留という、要するにヘタレた結論をとりあえずは出した未代は、半ば八つ当たり気味にサンドイッチを貪りだした。
彼女に恋愛のれの字の一画目ほどは意識させられた、という意味では、委員長の目論見は成功したと言えるかもしれないが……一方で、三人同時に意識してしまうという固定カプ思想の正反対を征くような芽が生まれてしまったという点では、とんでもない失敗とも考えられる。
(さて、明日を含めて後三回の公演……どこまで距離を縮められるか……)
心中にやりとほくそ笑む委員長には、自身がパンドラの箱を盛大にぱっかーんしてしまったことなど、今はまだ知る由もなかった。
次回更新は10月7日(水)18時を予定しています。
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