10 V-続・学院内は危険がいっぱい
五限、VR実習。
「VRの世界では理論上、誰もが人間の持つ最大スペックを発揮できるとされています。物理的な制限に縛られない仮想の体は、脳が実現したい挙動をそのまま再現できるということですね」
授業内容は、先日不慮の事故によって中断されてしまったVRチュートリアルのリベンジ。
「とは言えあくまで理論上の話ですし、ハロワのようなゲームではステータスという形でそれに制限をかけているんですけども」
だがその前に、VR世界での身体について、和歌による補足説明が行われていた。
「そもそも、現実の肉体とあまりにかけ離れた体格のアバターなんかだと、最初は違和感を覚える事も多いですしね」
と、自分の言葉を何気なく反芻し、ふと思い至る。
よくよく考えれば、華花と蜜実は現時点で高校二年生。しかしこの二人は、現実換算で七年以上続いている[HELLO WORLD]内で、初期のころから行動を共にしていた。
(つまり……つまり!!初期の百合乃婦妻は実質、幼女同士の百合ップルだったということ……!?)
そのとき、和歌に電流走る――
「グッ……!!」
雷鳴と共に彼女の脳裏に浮かんだのは、あまりにも甘美にして背徳的な風景。まだ年端もいかない幼き少女たちの、蕩けるような蜜月の日々。何よりも恐ろしいのは、アバターの皮を被っていたとはいえ、それが紛れもない事実であったということ。
「先生!」
「美山先生がまた気絶しそうになってる!!」
目ざとい生徒たちは、彼女がうめき声をあげる直前に、華花と蜜実の方へ視線を向けたことを見逃してはいなかった。
「きっと相当えげつない妄想をしちゃったに違いないわ!!」
「よりにもよって本人たちの前で、なんて無茶を……!!」
先日の授業によってめでたく前科持ちと相成った和歌の様子がおかしくなれば、当然生徒たちも警戒……もとい心配してしまうものである。
「フーッ、フーッ……!!」
しかし、それこそ杞憂。いらぬ心配。
生徒に二度も迷惑をかけてなるかという教師としてのプライド……そしてこれ以上情けない姿は見せられないという、百合乃婦妻最古参ファンとしての矜持でもって、和歌は今度こそ、辛うじて失神を免れた。
「耐えた……!」
「流石です先生!!」
「……ふっ、この美山 和歌に、二度はないわッ……!!」
「「「先生!!!」」」
生徒たちの目は、まさしく偉大なる先達へ向けられた尊敬のまなざしであり。
「さあ、授業を再開しましょう!」
「「「はいっ!!!」」」
教師と生徒の理想的な関係が、そこにはあったとかなかったとか。
「……ところで美山先生は、一体どんな妄想を?」
「妄想と言いますか……あのお二人、実質幼女の頃からくっ付いてたんだなぁと」
「ひぃぃぃ!!」
「先生、なんてことを!!」
「考えないようにしてたのに、脳が耐えられないから考えないようにしてたのにぃ!!」
「ロリ×ロリ……いやここは攻守逆転してロリ×ロリかな?あはは、あはは」
理想郷が一瞬で地獄の三丁目に変わるさまが、そこにはあったとかなかったとか。
「……なんだこれ」
「幼い頃のお二人……成る程、そういうのもあるんですね……」
深窓 麗、新たなる啓蒙を得たり。
……とまあかくの如く、和歌と生徒たち、どちらが悪いかと聞かれれば満場一致で百合乃婦妻が尊いと返ってくるような一幕も交えつつ、VR実習は進行していく。
「――ではでは今度こそ、皆さん!この仮想現実のセカイを存分に楽しんでください!」
相変わらず、モンスターと戦わせるという脳筋っぷりではあったが。
「やぁっ!」
「えいっ!」
蓋を開けてみれば先日の和歌の言葉通り、授業の一環としてハイクオリティなゲームに触れられるということで、生徒たちは各々、前回と同じペア同士で和気藹々と、イノシシ型モンスターとの戦闘に勤しんでいた。
「幼いとは即ち、無垢であり。無垢であるとは即ち、真の愛――あっ」
「深窓さーん!?」
啓蒙を深め過ぎた麗は、またしてもモンスターに轢かれた。
「深窓さん大丈夫ですか?少し休憩して、もう一度チャレンジしてみましょう!」
麗以外にも、全くの初挑戦ということで少々苦戦している生徒は何人かいたのだが。彼女らを気に掛けながらも和歌は、全体的な授業の流れは成功と見ていた。
実際、手こずってはおれどそれを苦痛に感じている様子はなく。むしろ、ペアの子に教わりながら少しずつこのセカイに慣れていく彼女たちの顔には、一様に笑顔すら浮かんでいた。
必要であれば適宜声をかけながら、和歌もその点に関しては満足そうにうなずく。
(うんうん。やっぱり実戦に勝るものなし、ね。……ただ……)
独りごちながら向けた視線の先にいるのは、華花と蜜実の二人。
この二人だけは前回の時点で課題はクリアしていたため、和歌と同じように、ほかのペアにアドバイスをする側へと回っていたのである。
(問題って程じゃないけど、授業なのに二人に教えることが無いっていうのもなぁ……)
教師として流石にいかがなものかと、少しばかり考え込んでしまう。
しかしだからと言って、二人だけどんどん先へ進ませてしまうのもまた、授業としてあまりよろしくはないだろう。
(というかそもそもの話、あの二人が今更、VR実習で学ぶことなんてあるのかしら?)
なにせハロワ歴七年超の大ベテランである。下手をすると教員である自分よりも詳しいかもしれない。
(教える、っていう点ではさすがに、負けてないと思いたいけど……)
と、何とも難しい問題を抱えながら件の二人を目で追っていると、VR初心者の生徒の一人が、二人に話しかけているのが見えた。
「ねえねえ、二人ってすっごい強いんだよね?」
「まぁ、それなりには」
「長くやってるからねー」
「じゃあ、二人が戦ったらどっちが強いの?」
ざわっ。みたいな。
ぞわっ。とも言えるかもしれない。
さながら突風が木々のあいだを駆け抜けるようにして、騒めきが広がっていく。
「「同じくらい、かな」」
「えー、見てみたいかもっ」
あまりにも恐れを知らない発言。百合乃婦妻の名を知らないからこそ出来る、禁断の果実へと手を伸ばす行為。
「え、今?」
「ちょっとだけ、ダメかなっ?」
それは初心者が故の、単なる好奇心であり。好奇心は身を滅ぼすと知る、第一歩であった。
「駄目っていうか……」
「一応、授業中だしねー」
話しながら三人は、授業において最高決定権を持つもの、すなわち教員たる和歌の方へと目を向ける。
一つの期待と、二つの可否を問う視線を受けながら、思い出されるのはとある噂。
それは、ファン達の間でまことしやかに囁かれているもの。
――百合乃婦妻が時折、誰にも見られないようにして打ち合う剣戟は、まるで倫理コードを掻い潜って行われる情事のようですらある、と。
……まあ、誰も見たことが無いというか、わざわざ人に見せるものでもあるまいと、二人がプライベートルームの一角で行っているだけなのだが。
ともかくそれが今、目の前で行われようとしていて。その是非を決めるのは、教員たる自分。
「是非!是非にお願いします!」
一瞬で許可を出した。むしろお願いした。授業としての体裁とかもう、一瞬でどっかにいった。美山 和歌二十四歳(独身)。親しみやすく、生徒想いの良い先生ではあるのだが。
彼女はまだ、若かった。
「えっと、じゃあちょっとだけ」
勢いよく食いついてきた和歌に若干引きながらも、許可が下りたのならと、二人は準備を始める。
「剣借りていいー?」
「えっと、譲渡はたしか……こう?」
「ありがとー」
女生徒から剣を譲り受け、多少なりともいつものスタイルに近づけた蜜実。華花は既に剣と盾を携え、彼女を待っていた。
「おまたせー」
「ん」
短いやり取り。
ただそれだけを済ませ、始まりの合図も何もなく、二人はおもむろに剣を打ち合わせた。
かん、と小さな音が響く。
華花が右手で軽く振るった剣を、蜜実が左手に握ったそれで、同じく軽く受け止め。そのまま、鍔迫り合わずに、二度三度と打ち付け合った。
華花が勢い一歩踏み込めば、蜜実は一歩後ろに逃げる。蜜実が一つ歩を進めれば、華花が一つ体を引いて。付かず離れず切り結ぶ二人はしかし、決して相手から目を逸らさない。太刀筋、体捌き、足運び、それらには目もくれず、ただ視線だけを絡み合わせていた。
そんな二人の距離が変わったのは、幾度かの打ち合いの後。
瞳がにわかに熱を帯び、まるで、相手のそれに引き寄せられるようにして。
互いがもう一方の手を伸ばしたときだった。
蜜実が右手の剣を突き立てる。心臓を違わず射貫かんとするその剣先はしかし、華花の掲げた小さな盾によって、とん、と優しく受け止められる。
接触による小さな振動が、貫かれなかった心を急かす様な。そんな甘い焦燥に導かれるまま、華花は一歩踏み込みながら、剣を斜めに振り上げる。狙うはこちらを求め伸び切った右手。
踏み出したというよりも、受け止めた左手で蜜実を抱き寄せた……傍目にはそんな錯覚すらも覚えるような、焦がれ求めるその一太刀。エスコートを受け入れるかの如く、蜜実の左手はごく自然に、それを受け止める。
僅かな拮抗の後、そのままお互いを押し返すようにして、二人は一度距離を置き。
はぁっ、と。
まるで、長いキスを終えた後のような、色付くほどに熱を帯びた一声。
そのひと時の間を挟み、二人はもう一度、体を寄せ合おうと歩を進める。
開いたその距離を埋めるようにして蜜実は、一歩で勢いを乗せた斬撃を右から左へ。しかして、同じく一歩で最適な角度に踏み込んだ華花の盾が、その一太刀を弾き返した。
軽やかな接触音に合わせるようにして、弾かれた反動に乗り半回転、蜜実は再び一歩後ろへと下がるものの。二人の距離はもう、決して離れることはない。同時に一歩踏み出していた華花の、流れるように突き出された剣先を、蜜実はわずかに残った遠心力のままに、左手をしならせ絡めとった。
剣先と剣先の接触。
切っ先を下げるように回しながら、やがては肌に指を滑らせるかのように、深く深く、鍔の方へと沈んでゆく。文字通りの鍔迫り合いにまでなってしまえば、もはやそれは手を握り合っているのも同じだった。
ならばと、次は足を出す。
踵に引っかけようと静かに伸ばされた華花の右足は、しかし、それを待ち構えていた蜜実の踏み込みによって阻まれ、彼女の両足に挟み込まれてしまった。
互いに一歩ずつ歩みを進めたのだから、当然その距離はさらに縮まっていて。吐息すら届く至近距離で、その瞳が向かう先は変わらない。薄化粧のように顔に乗った微笑みと、僅かに色付く頬の紅潮が、視線に更なる熱を帯びさせた。
抱き合うことすら容易いこの距離で、もはや盾など役には立たない。何の迷いもなくそれを捨てた華花の左手に、次いで握られたのは蜜実の右手。華花が盾を捨てるのと同時、蜜実もまた、右手の剣を捨て、その手を掴みに行ったのである。否、掴まれに行った、という方が正しいのかもしれない。
かくて両の手を結び合い、足を絡め、顔を寄せ合い、視線すら一つに重ね合わせて。
「捕まえたぁ」
「捕まっちゃった」
2人の剣戟は、おもむろに終わりを告げた。
先の言葉の通りほんの少しだけ、僅か一分にも満たないその打ち合いでは、両者ともに掠り傷一つ付くはずもなく。
「「「…………」」」
代わりにクラスメイトたちが、強制ログアウト寸前の大ダメージを負っていた。
「……ふぐっ、う、」
間近で見ていた言い出しっぺの女生徒など、出もしない鼻血を止めようと必死に鼻を抑えている始末。
初心者である彼女には刺激的過ぎたが故に、脳が錯覚を起こしてしまったのである。
「……今日の、授業は、ここ、までと、します……」
薄れゆく意識の中、一言一句絞り出すようにそう口にした和歌は、教師権限により生徒全員をログアウトさせ――
「う゛っ」
――何とかギリギリ、現実世界で意識を失った。
無論、後ほど彩香女史から死ぬほど怒られた。
百合園女学院高等部二年二組。
そこは毎日危険と隣り合わせの、命懸けのクラス。
だが、そこに所属する生徒たちは皆、口を揃えてこう言う。
――命を懸けるに足るものが、ここにはあるのだと。
次回更新は11月17日(日)を予定しています。
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