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第9部

 自分の作品を読み返すと、自分で自分を褒めたくなる。

 自分の作品を読み返すと、むしゃくしゃして何もかも放り投げたくなる。

 ふしぎだ。同じ自筆小説を読んでも、その時々でとらえかたが変わってしまう。その時の頭の回り具合によるのか、ただの気分の問題なのか、それはまだよくわかっていない。

 部活帰りの夕暮れ時。疲れて少し重たい脚で自転車のペダルをこぐ。

 いまの気持ちは後者に似ていた。自分で自分のしたことに嫌気がさしている。責めるとしたらほかでもない、自分自身。


「はぁーあ」


 浅く吐きだしたため息は、頬をなでる生ぬるい風に乗って消えていく。

 そんなに深刻に考えてはいない。あと味が悪いな、と思うだけ。どうせ、あいつと関わりあいになる機会も多くはない。関わらなければいいだけの話。時間が経てばきっと、やり場のない気持ちは自然と消えていくはずだから。

 そうやって自分に言い聞かせても、気分はまだ晴れなかった。


「もー千佳ったら、ため息なんてよくない。幸せ逃げちゃうよ?」

「ごめん。気をつけなきゃだね」


 ただ、菜月が今朝の佐藤とのことを知っていたのには驚いた。部活の休憩が終わるまぎわの一言を最後にその話題は出ていないけど、私はずっとそのことについて考えている。

 菜月が佐藤と仲良しだった記憶なんてない。もしかすると、単純に私がそのつながりを知らなかっただけという可能性もある。それならあの言葉を聞かされたのも納得だ。

 でもやっぱり、二人が仲良しでもなんでもなかったんだとしたら。菜月があいつに声をかける理由もないはずだし、電車の時間が違うから朝のことを知るよしもないわけで。となれば、佐藤がわざわざ菜月に声をかけたことになる。そうまでして私の罪悪感をあおりたかったということなんだろうか。

 答えはきいてみないとわからない。


「ねえ菜月」

「ん?」


 自転車で並走する菜月を横目で見る。あの休憩時間のように変に大人びたり、"らしく"なかったりしない、いつもの菜月がそこにいた。

 いまなら変に気負わなくていい。


「未来さんのことってどうやって知ったの?」


 きける。はずなのに。

 私の無意識はほかの話題を持ち出した。優先度の高い疑問をさし置いて。

 どうしてそんなことになったかは自分がよく知っている。触れにくいことを後回しにする、私の悪いクセ。


「んーと、いつだったかなぁ。六月ぐらいに紗雪(さゆき)から教えてもらったのが始まりだったかな。紗雪ももともと他の人に教えてもらったらしい……って言っても、千佳は紗雪のことあんまり知らないか」


 仕方がないから自分の持ち掛けた話題に頭を切りかえて、なんとなく聞き覚えのある名前から記憶をさぐってみる。

 菜月がその子の名前を呼ぶシーンは、たしか部活がない日の放課後にあったような。思い浮かぶのは菜月に負けないぐらい明るい雰囲気で、きれいな長い黒髪が印象的な子。


「理系クラスの子だっけ。菜月と話してるとこは見たことあるから顔はわかるけど、私は話したことないなあ」

「だよねー。ま、それはいいんだ。そんなふうに人づてに情報が広まってるだけで、未来さんも広告なんかは出してないって自分で言ってたよ。口コミだけでお客さん集めてるんだろうね」

「ふーん。いまどきSNSで宣伝とかもしないんだ」

「うん。あんまりお客さんが増えても、一人じゃさばき切れないからってさ。千佳もまあまあ順番待ちしたでしょ?」

「え? 誰も並んでなかったけど」

「え、うそ! なにそれラッキーすぎない!? ずるい千佳~」


 ガラガラに見えたあの殺風景な休憩スペースに、普段は行列ができているんだろうか。あのフロアにはめったに立ち寄らないから具体的なイメージがわかないけど、菜月の話ぶりからしてほとんどが近所の女子高生たちなんだろう。

 もし他校の生徒ばかりでにぎわっていたら、きっと私は気がしぼんで帰っていたと思う。そうならなかったのは確かにラッキーだった。


「しかし未来さんの事情にやたら詳しいね。仲良しか」

「だてに通いつめてないからね。そりゃあもう仲良しよ! へへ、うらやましいでしょー」

「はいはい、わかったから前見なって。危ないから」


 ちらりと見えた笑顔がまぶしくて、菜月の気持ちはよく伝わった。ほどよく気もそれたし、もう少し未来さんの話を深堀りするのも悪くない。

 駅から二つ前の交差点、赤信号を見て自転車のスピードをゆるめる。足止めされて片足をつき、改めて菜月の方を向き直った。昨日の結果を一緒に振り返ってみようかと考えていたら、私が口を開くより先に菜月が思い立ったような顔をして言った。


「あ、そだ。ちょっと買ってくものあるから、今日はここで」

「え? ああ、うん。またね」

「また明日!」


 菜月はペダルに足をかけなおして、点滅し始めた信号をわたって行く。立ちこぎするすらりとした後ろ姿と、風になびく長い髪が夏の夕空に映える。小説のキャラにしたらいいヒロインになりそうだな、なんてことを考えながらその背中を見送った。


「あっ」


 と、私もいまさら思い出す。あわてて菜月に声をかけようとしたけど距離がだいぶ離れていた上に、後を追おうにも信号が赤に変わっていた。

 ききそびれた。佐藤とのやり取りについて。

 待っていた方の信号が青に変わる。動き出した車の波を先取りするように交差点をわたって、脚を動かしながらぼんやり考えた。

 あとから連絡を取ろうか、そんなことを迷うほど一連のことを気にかけている自分が気に食わない。一度マイナスの方へ感情が動くと回復にやたら時間がかかるせいか、ひとつのことにとらわれてしまう。これも悪いクセだ。


「っ……」


 ため息をつきそうになって菜月の言葉を思い出し、すんでのところで踏みとどまった。

 幸せは逃がしたくない。でも、幸せってなんだろう。

 真っ先に思い浮かんだのは小説。

 自分の小説が出版社の審査を通ったらうれしいと思う。そうでなくても、ネットで公開している小説がいまより注目を浴びたらよろこぶのも間違いない。夢の実現に向けて前に進めたらどれだけうれしいことか。

 でも、それはなんとなく幸せとは結び付かないような気がした。

 審査を通っただけじゃ足りないとか、閲覧数が伸びるだけじゃ足りないとかそういう話じゃない。たとえ売れっ子作家になってお金持ちになったとしても、それが幸せとは限らないと思う。

 じゃあ何かと聞かれると明確な答えはない。けど、菜月や梢と語らって過ごすような当たり前の日々が、いちばん幸せに近いのはわかった。

 ああ、そうだ。一つ思い出した。私が小説を書く理由。


「おつかれさまでーす」


 お世話になっている駐輪場のおばさんに声をかけて駅へと足早に歩く。連絡通路をわたってローカル線の有人改札を通り、まだ人もまばらなホームに立った。

 忘れていた大事なことを思い出したときの気持ちは、転校した仲良しの子から初めて手紙をもらったあの時と似ている。

 はやる気持ちを抑えてスマホを手に取り、メモ帳アプリを開く。近くを通った人の方に一瞬だけ視線が向いてすぐにスマホへと戻って、それから私は思わず顔を上げた。


 あいつだ。


 相手は気付いていなかったのかもしれないけど、気付いてしまったからには私から声をかけようと思った。菜月のあんな伝言みたいなメッセージを聞いたら、さすがの私だって思うところはある。なにより自分で自分の首を絞め続ける息苦しさから早く解放されたい。

 けど、それは二番目にすること。

 まずは優先度がいちばん高いことを終わらせないと。思い出した大事なことをメモにとろうとスマホのロックをもう一度解除して、手が止まる。


「あれ、」


 なんだっけ。思わず声が出た。

 キーボードの上で指が迷子になる。焦ると余計に気が散って思い出せない。記憶をさかのぼろうと佐藤の方をもう一度見ると、タイミングが良いんだか悪いんだか目が合ってしまった。

 数秒。視線が交わってから佐藤は気まずそうに視線をそらした。そんな風にされるとまた少し心が痛む。でもいまはそっちじゃない。先に片付けるべきことがある。

 スマホに視線を戻す。画面を埋める白紙のメモ。白紙にひもづいて恋愛小説のことを思い出した。それから昨日の英語の授業とか、部長になる梢のこととか。なんとなく近付いている感覚があるけど、肝心なところを思い出せないのが悔しい。こんなことなら歩きスマホをしてでもメモを取るべきだった。

 反対側のホームに電車が滑り込む音がする。ドアが開いて降りてくる人たちの喧騒にまた気が散っていく。なにもかもタイミングが悪い。これはため息の一つや二つ、ゆるしてくれてもいいんじゃないだろうか。


「……!」


 ついてなかった。そのおかげで、喉のつかえが取れた。

 あわててロックを外す。キーボードの上で親指を踊らせる。白紙だったメモに、みるみる黒い文字が生まれていく。

 思い出した大切なこと。小説を書く理由の一つ。


『何気ない日常を楽しく過ごした幸せを、忘れないように書き留めたい』


 メモして、満足して、でも冷静になるとちょっと恥ずかしい。

 背後に人の気配がないことに安心してそっとアプリを閉じ、顔を上げた。これで優先順位が更新されて、ようやく次のことにとりかかれる。


「あれ」


 さっきまで佐藤が立っていたはずの場所に目を向けてみるものの、あいつの姿がない。あたりを見回してもそれっぽい人影は見つからなかった。

 私たちの乗る電車はまだ来ていないし反対側の電車に乗るはずもない、と思う。さっきの電車から降りた人たちの流れに飲まれて改札まで出ていったとしたら笑えるけど、さすがにそれもない。

 このままうやむやにしてもいい気がした。大事なメモを取れた多幸感につつまれたいまなら、朝から続いていた不快感を上書きできる。それならいちいち蒸し返すのもばかばかしい。


『落ち込んでたよ』


 でも。菜月の言葉が頭から離れない。それだけは無視できそうもなかった。

 観念したようにため息をつきかけて押しとどめて、しかたなく点字ブロックの横を歩いてホームの奥へと向かう。ちらちらと横を見て、あいつがいないか確かめながら。

 背の高いサラリーマンの陰にはいない。

 見知らぬ男子高校生の集団の中にもいない。

 女子高生と仲むつまじく話していたりなんかもしない。

 細い柱の陰なんかにも――


「いた」

「え?」


 ああ、確かに。ホームの屋根のいちばん端にある、この柱の近くにいたような気はする。わざわざ隠れることないのに、なんてことを言えるような身分ではなかった。

 佐藤は私から声をかけたことに驚いた様子を見せつつも、逃げないでいてくれた。思いっきり目をそらされているのはこっちとしても気まずいけど。

 でも、気まずいままじゃ解決しない。菜月のあの言葉に、とらわれ続けたくない。


「ねえ」


 後ろめたさと気恥ずかしさが混じって、それを隠すように声がとがった。そんなつもりはなかったのに。そのくせ謝罪の言葉をちゃんと考えていなかったせいで、次の言葉がすぐに出てこない。

 そらせていた視線を戻した佐藤はたじろぎながらも私を見つめ返す。実際はどんな気持ちなのかわからないけど、これ以上はお互いのためによくない。私は腹をくくった。


「あの、」

「えと、」


 口を開きそうには見えなかった。それなのにタイミングがかぶるなんて。間が悪いのは私だなんて思いたくないけど、お互いの言葉がぶつかったおかげでまた微妙な空気が流れた。

 でもまた視線をそらされてはめんどくさい。


「あのさ、」

「ん」


 二度目はうまく切り出せた。そのことにほっとしたら、もう怖いものはない。あとは勢いで言えばいい。

 今日の朝はごめん。私、大人げなかった。

 うまく言えた。頭の中では。

 だけど現実の私はいまさらになって口ごもる。佐藤は何も言わずに私の言葉を待ってくれているのに、ただ無言の時間だけが流れていく。そのうちに私たちの乗る電車が到着して、まばらに人が降りてくる気配を背中越しで感じて。のどまで出かかった言葉はまだつっかえていた。

 馬鹿みたいだ、私。いい年してごめんの一言も素直に言えないなんて。朝のことを思い出すとやっぱり悔しくてまた涙が出そうで、そんな子供っぽい自分が恥ずかしいし憎らしい。こんなことをしていたらまた佐藤を困らせて、私の罪悪感が余計に膨れていくだけなのに。


「……ごめん」


 ばつが悪そうに佐藤があやまってきた。それは間違いなく私のせい。きっと朝のことと、いまのことで。

 違うのに。謝らせたいわけじゃない。私は首を振るけど言葉を吐き出せない。頭の中なら、物語の中なら素直になれるのに。

 ああ、また一つ。こんな時に思い出した。

 メモをしないと。忘れないうちに。さっきの二の舞になってしまわないように。本当に馬鹿みたいだけど、私の背中を押したのはそんな気持ちだった。


「ごめん……私の方こそ」


 佐藤は面食らったような顔をする。だけどすぐに穏やかな顔になってくれて、それで私はひどく安心した。そしたらせきを切ったように言葉があふれそうになって、


「あ、」


 佐藤が間の抜けた声でさえぎる。その視線は私の後ろに向かっていて、おかげですぐに当たりがついた。

 振り返る。発車のベルから少し遅れて電車が動き出した。私たちが乗るつもりだった、二両編成の電車が。

 ということは、次の電車が来るまであと三十分。


「ごめん」


 さっきまであれほど出てこなかった一言が、こんどは拍子抜けするほどすぐに出てきた。

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