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第6部

 七時前。夏の暑さはまだ衰えないけど、朝方の空気に限ってはほんのり涼しさが混じる。熱い日差しと涼しい空気の境目に立つとふしぎな感覚を味わえて、なんとなく得をした気分になった。

 駅員さんに定期券を見せて改札を抜け、眠い目をこすりながら出発時刻を待つ電車に乗る。ローカル線の始発駅とは言え、通勤通学の時間は人が多い。今日は少し寝坊したせいで、もう席は残っていなかった。

 あきらめて閉まっている側のドアの脇に陣取り、かばんから英語の単語帳を取り出した。単語テストの範囲をさくっとスマホのメモアプリで確認して、単語帳のページの耳を折る。範囲内を流し見したところ、知っている単語は一割あるかどうかもわからない。よく晴れた空とは裏腹に、一日の雲行きは怪しそうだ。

 やがて反対側のドアが閉まり、電車が動き出す。学校の最寄りである終着駅に着くまでの約二十五分間、そのすべてを単語の暗記に費やすかと聞かれたらノーだ。限りある青春のページを、単語の暗記で埋めたくはない。

 とはいえ、テストに引っかかれば余計に時間を浪費することになるのは想像がつく。想像もなにも、何度か経験して学んだことなんだけど。


「(でぃなうんす、非難する。でぃなうんす、非難する……)」


 心を無にして単語の読みと意味を、声にならないぐらいの声で繰り返しつぶやく。それなのに、無にしているはずの意識はどこかへお出かけしていて、単語が頭に入ってくる気配はさっぱりない。

 それでも半ページだけは読み通して、すぐに再開できるよう指をはさんで単語帳を閉じた。

 小さく息をつき、振り返って車窓から外の様子を眺めてみる。普段は座って単語帳を片手に寝ているか、スマホに目を落としているから見えない景色だ。

 民家と田んぼと、遠くに山が見える、どこにでもある田舎の風景。それがローカル線らしい速度にあわせてゆったりと流れていく。たまにこういう景色を眺めるのも悪くない。

 ぼんやりと過ぎゆく景色に思いを馳せると、大切ななにかに気付けそうな気がして。


 私はあとどれだけ、この電車に揺られて学校に通うんだろう。


 ふと、そんなことを考えた。こうして電車に乗るたびに、残った高校生活のカウントダウンは進んでいく。私の意思とは関係なく、日に日に残された時間が減っていくと思うと気持ちが焦る。漠然とやり残したことがあるような気がして。

 部活に趣味にと、高校生活はそこそこ充実してると思う。梢や菜月と他愛もないことを語らって過ごす日々は楽しい。勉強もギリギリで踏みとどまってる。順調と言えば順調だ。

 だけど進路は定まってないし、まだ小説で自分の納得する成果をあげてない。せめて高校生のうちに、一次選考だけでもいいから通ってみたい。そんな気持ちだけが募って、形になった長編作品はあれからまだ二つだけ。中学の頃に完成させた、あの作品から二つ。

 外の景色から目を離して、閉じたままの単語帳に視線を落とした。今日の単語テストと、漠然とした先のことを二秒ずつ考えて天秤にかける。

 私ははさんでいた指を引き抜いて単語帳をかばんに戻し、ポケットのスマホを手に取った。


「まもなく~……」


 景色の流れるスピードがゆるんで電車がとまり、自分の立っている側のドアが開いた。乗客の邪魔にならないようにほんの少し車内の方へ動くと、陣取っていた場所は知らない女子高生たちにうばわれた。

 仕方なく新しいポジションに落ち着いて、私は自分の世界に戻る。いつもの小説投稿サイトを開いて、お気に入りに登録しているユーザーの作品一覧をのぞいた。

 人の作品はそんなに読まない。それでも時々、何かを思い立ったように読もうと思うことがある。れっきとした理由なんてないけど、そう思うことは度々あった。

 そしていまが、その時だ。


「そうそう、金曜にさぁ……」


 知らない高校生たちの話し声が遠ざかっていく。開いた作品の印象的なプロローグに引き込まれて、二、三度読み返した作品を始めからもう一度読み始めた。

 日ごろから本を読まないせいかなかなか集中できなくて、時折まわりの喧騒で現実に引き戻されそうになったり、読んだはずの文が頭に入っていなくて数行引き返したりを繰り返す。

 それでも、頭の中にえがく映像はローカル線のざわめきひしめく車内ではなくて、物語世界を着実に映し出していた。

 そこは光のある世界だった。

 蛍光灯のように無機質な光じゃない。夕陽にきらめく水面のように、空気が澄んだ日の星空のように、生きた光があふれる世界。

 それなのに現実的で生々しい色味があって、印象的な光との対比が見事にからみ合って――


「遠山さん」

「へっ?」


 水を浴びせられたように意識が現実へ引き戻された。

 顔を上げると、見覚えのあるやつが目の前に立っている。


「昨日ぶり。いつもこんな早い時間の電車に乗ってるんだ」


 佐藤は何気ない雰囲気で話しかけてきた。これはいたって普通のことかもしれない。

 でも。物語の世界に浸っていた私としては、そんな当たり前が腹立たしくて仕方がない。私にとっては奇跡とも言えるほど最悪のタイミングだったから。

 せっかくの夢の時間だったのに。

 なにか、小説を書くヒントが得られそうだったのに。


「遠山さん? どうし」


 佐藤は言葉をつまらせた。私のするどい視線に気付いたからだろう。一歩分ほど空けて目の前にいるそいつはたじろぎ、目を泳がせた。

 ざまあみろ。私の大切な時間と気持ちをふいにした罰だ。

 しかしどうしたことか、そんなことを思う私の方の視界がうるみかけた。

 少し冷静になればわかる。悔しい気持ちが無意識のうちにたかぶって、抑えきれない分がちょっとあふれただけ。


「えぁ……」


 動揺に拍車がかかった佐藤の口から、言葉にならないなにかがもれた。どうやら涙目の女子に対してかける言葉をご存知ないらしい。かわいそうに。私も知らないけど。

 きっといまの私に対しては、何を言っても不正解だ。半端な謝罪は火に油をそそぐだけ。だからいまは、これ以上関わろうとしないでほしい。


「……」


 佐藤は喋らない。気まずそうな顔でうつむいて、視界のすみっこで私の様子をうかがっている。私の意図するところが伝わっているなら何よりだ。

 それだけ確認した私はいらだちを喉の奥に押し込めて、目元のうるみを人差し指で拭った。何事もなかったかのようにスマホへ視線を落として、開きっぱなしだった小説サイトを閉じる。代わりに立ち上げるのは、いつものミュージックアプリ。

 ポケットから取り出したイヤホンをさして、ふと昨夜のことを思い出した。

 スピーカーになっていた私のスマホ。それに気付かされた恥ずかしさ。それからの佐藤とのやり取り。そして、夜中に思いを馳せた創作のこと。

 こいつの創作について訊いてみたいと思っていたけど、いまはもうそんな気分じゃない。

 ふう。と、ひとつ息をついた。

 朝っぱらから味わった変な気疲れを吐き出すように。そうでもしないと、残り長い一日がしんどくなる。それはいやだ。

 念入りにイヤホンの接続を確かめて、ランダム再生に選曲を任せた。私の相棒が選んだメロウな曲に耳をかたむけ、目を閉じる。


「……ごめん」


 何も聞こえない。何も見えない。

 つり革を支えにして、自分の世界に入ろうとする。

 そうでもしないと気まずい空気が続くだけ。元はと言えばこいつが悪いのに、なんだか私の方まで悪いような気分になる。そんな不要な罪悪感は味わいたくない。

 それでも意識は別のことで塗り替えられなくて、終着駅まで不穏な空気を引きずることになった。

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