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第3部

 学校の最寄り駅はこの地域でも比較的大きい。おかげで最近できたショッピングモールとも通路が直結したから栄えて見えるけど、本体の駅ビルの方は年季が入ってさびれ気味だ。私が高校に上がるより前は四階までフロアいっぱいにお店があったけど、いまは四階へ続くエスカレーターが封鎖されて各階の店数も減ってしまった。私が高校を卒業する頃にはどうなっているやら。

 そんな感傷にひたるのもそこそこに、私は菜月に指示された通り三階の休憩スペースにやってきた。休憩スペースと言っても、だだっぴろい空間に白い椅子とテーブルが雑多に置かれているだけ。その一角で男子高生が寄り集まってゲームをしているのを横目に、私はフロアの端に小さなブースがあることを確認した。


 さて。占いと聞くと、どんな印象を抱くだろう。


 朝のテレビ番組で流れる星座占いや、中学の頃に流行った恋占いの本だとか、そういうものは気軽で楽しいと私は思う。

 でも、占い師と対面して本格的に占ってもらうのはなんとなく気が引ける。占いにかこつけて精神操作されそうだとか、そもそも占い自体がうさん臭いだとか、そういったマイナスイメージが先行するから。見ず知らずの人に個人情報の一端を明け渡して――なんて考え出すとキリがない。やめにしよう。ここまで足を運んでおきながら引き返す口実を作ろうとするだなんて、我ながら往生際が悪い。ななみんも人生経験を豊かにしろと言っていたし、これもその一つと考えれば悪くない。よし、前向きになった偉いぞ私。

 目を閉じて小さく息をつき、思考をいったん落ち着けた。それから仮設スペースのように白いついたてで四方を囲ったブースに、私は改めて向き直る。

 正面のついたてにはびっしりと、それでいて丁寧に宣伝のチラシが貼られていた。どこかの定期演奏会やら料理教室やらの宣伝ばかりで、ジャンルに統一性はないし私の目的とは関係ない。宣伝色が強くていやだなと前を向いた足がまた後ろに向きかけたけど、ギリギリのところで踏みとどまった。なにせ二人には貸しがある。だからここで尻尾をまいて逃げるわけにはいかない。

 重い足を引きずるようにぐるりとブースの周りを一周すると、裏側に長いのれんのかかった入り口を見つけた。星空をイメージしたような可愛らしいのれんで、一歩を踏み出す抵抗感はいくらか紛れる。それでもなかなか踏ん切りがつかず、スマホを手に取ろうとポケットに手を突っ込んだ、その時。


「どうぞ」


 退路を断つ一言がきこえた。

 もう後戻りはできない。そんな諦めとは裏腹に、どこかほっとした私もいる。のれんの向こうから飛んできたのが思ったより若い女性の、落ち着いた優しい声だったから。その程度で警戒を解くような私もちょろいけど、どうせ突撃するなら怖くない方がありがたい。

 スマホに触れかけていた手を、諦めるようにゆっくりとポケットから出す。その手で通学鞄の端をきゅっと握り、意を決してのれんをくぐった。


「いらっしゃい」


 一目見て、綺麗だと思った。

 恋をするっていうのはこういうことかもしれない。そんな気の迷いを生じるほど、卓を挟んで向かいに座る女性が綺麗な人だった。歳はぱっと見たところ三十を越えているかどうか。長くみずみずしい黒髪が印象的で、カジュアルなドレス風のお召し物にぴったりだ。占い師に対して抱いていたうさん臭いイメージは、霧のようにすっと消えた。


「こ、こんばんは」

「どうぞお掛けになって」

「ありがとう……ございます」


 促されるまま、向かいの席に座る。その瞬間にふわりと甘い、どこか懐かしい香りがした。


「お気に召したかしら? オーシャンの香りなの」

「え、どうして」


 心の中まで見透かすなんて。と、動揺していたらどうも話は違うらしい。


「だってあなた、顔に出てたもの。ふふ、可愛らしい」


 そう言われて自分で顔が赤くなっていくのがわかった。菜月がよく気付くのもそういう理由なのかと思うと、これまでの人生を振り返って余計に恥ずかしくなる。そんなに顔に出るタイプだったんだ、私……。

 複雑な気持ちで通学かばんを荷物カゴに置いて向き直ると、女性は妖艶なほほえみを浮かべて視線を返してくれる。


「さて、はじめましてね。七つの海に未来と書いて、七海未来(ななみみき)と言います。どうぞよろしく。今日はどういったご相談かしら?」

「あれ、ななみ……」


 相談内容を訊かれたのも忘れて、「ななみ」という名前にふと担任の顔が脳裏をよぎる。

 この辺りでは珍しい苗字だからななみんの親族かと思ったけど、字は違う。だから無関係の、


「あら、もしかして父の生徒さんかしら。あなた、制服からして北高の子よね?」

「はあ、そうですけど……え!? ななみん、じゃない。名並(ななみ)先生の娘さんなんですか!?」

「はい。父がお世話になってます」


 ああ。そんな馬鹿な。世間一般のおじさん像から大してズレのない、特段イケメンでもなんでもないあの先生の娘さんが、こんなにも美人でしかも占い師だったなんて。


「あれ、でも字が……」

「これは芸名みたいなもの。本名は名前の名に人並みの並で名並。ちなみに下の名前は本名の通りよ」


 同じ読みに違う字をあてて七海。この女性、綺麗なだけじゃなくてセンスもいい。これは好きになっても仕方がない。ふと目が合えば、思わず視線を逸らしてしまいそうになる。こういう気持ちを書き留めておけば、白紙のページも少しは色付くだろうか。


「さてさて。世間話も好きだけど、先にあなたのお悩みを聞いておいてもいいかしら?」

「あ、ごめんなさい。そうでした」


 そうだった。私は菜月にそそのかされて相談を強いられて来たんだ。悩みごと自体はないでもないけど、ここでどこまで自分をさらけ出すか迷うところではある。いくら担任の親族とは言っても、洗いざらい話すのは気が引けた。

 絞るとしたら進路のことか、小説のネタのこと。煮詰まり具合はどっちもいい勝負で、プライバシーのレベルも拮抗している。


「やっぱり年頃の女の子となると、恋愛のことかしらね」

「へっ!?」


 意表を突かれて変な声が出た。恋愛絡みではある意味悩んでいるし間違ってない。でも彼女が言っているのは私の思うところではなくてきっと、一般的な意味での、それこそ菜月と梢が期待していたようなことで。


「いや、えと、あの」

「恥ずかしがらないで。プライバシーは絶対に守るから」


 そう言って未来さんは慎ましやかなウインクみせる。かわいい。そんなのずるい。ずるい……。

 違うだなんて言い出せるはずがなかった。しかしまあ、占いはしょせん占いだ。結果をどう受け止めるかは私次第なんだから、遊び半分で恋愛のことをきいたって咎める人はいない。ネタ性を考えれば二人への土産にちょうどいい。

 それこそ真剣な悩みを相談して、余計に惑わされてしまうよりは。そう自分を納得させてうなずいた。


「はい。じゃあ利き手を出して」


 紺色のクロスがかけられた丸テーブルの端にちょこんと乗せる形で、私は右手を差し出した。あまり前に出すと、卓の中央に置いてあるカードの束に触れてしまう。そう思って控えめに出していた手は未来さんにすっと持ち上げられて、避けていたカードの上に乗せられた。

 私の利き手はいま、タロットと思しきカードと未来さんの白く滑らかな手に挟まれて緊張している。緊張で手汗をかくまいと思うと余計に鼓動が早くなった。


「目を閉じて、深呼吸をして。ゆっくり、そう。もう一度」


 言われるがまま目を閉じ、ゆっくり呼吸を整える。

 未来さんの落ち着いた声、鼻をくすぐるオーシャンの香りに波打った心が鎮まっていく。ここが寂れた駅ビルの一角であることも忘れそうになるぐらい、気分が安らいだ。悪い気はしないけど、はやくも彼女の術中だ。


「あなたは何が知りたいのかしら」


 ひとりごとのような、歌うような言葉に意識が引きずられていく。上っ面にもない恋愛の話はなりをひそめて、私の意識は核心へと近付いていった。

 私が知りたいこと。それは他ならない、私の気持ち。私はいま、自分を見失っている気がするから。


「そう」


 私は口を開いていない。それでも未来さんは心の声を読み取ったかのように相槌をうち、私の右手に重ねていた手を離した。


「ありがとう。目を開けて」


 まぶたを持ち上げる。少し眠いな、と思った。短いあいだだけでも目を閉じて、瞑想じみたことをしていたせいだろうか。洗脳されていないといいなと思いつつ、カードから手を離して目をこする。うん、たぶん大丈夫だ。

 それから未来さんは口を開くことなく、黙々とカードを触っていた。机いっぱいに広がるようにカードを混ぜて、いちど束に整えたかと思えば三分割してまたもとに戻す。そうして束ねたカードを上から三枚めくり、表向きにして卓の中央にそっと並べた。その一つ一つに何か意味があるんだろうけど、私にはさっぱりだ。ただその手際の良さと、細長い綺麗な手を見つめることに終始していた。


「あら、悪くないわ」


 どきっとした。もう何かわかったらしい。そもそも相談内容すらまともに伝えてないというのに。


「現状は可もなく不可もなくってところかしら。そもそも恋愛に興味がない……とまでは言わなくても、自分にはあまり関係のないことだと感じている。あなた自身はそれで良いと思っているから不満もない。だけどあなたが踏み出せば十分に成果は望める。何の成果とは言わないけど」

「えっ、なんですかそれ」


 すこし抽象的だけど間違ってはいない。恋愛ものを書こうと思い立って日も浅いし、その影響で私自身がどうこうということもない。進捗が出ていないのも自業自得。だけど当たっていると判断するのは悔しくて、頭の中では素直になれなかった。

 その一方で、意味深な発言に対しては素直な反応が口をついて出た。


「何を踏み出せばどういう成果が得られるんですか?」

「それはあなた次第。あなたがどうしたいか、それがわかっていれば一番いいんだけど。迷っているんでしょう?」


 見透かされてる。そう思った。それが本当に占いによるものなのか、観察眼やらどこかから流出した前情報によるものなのかはわからないけど。


「ラッキーなことに、無意識のうちに足を進めても相応の結果がついてくるわ。容量がいいからある程度のことは上手くいく。だけど全部が全部、思い通りにいくと思っちゃだめ。それは自分でもわかるでしょう?」


 私は返す言葉もなく、黙ってうなずいた。


「よしよし。じゃあ、私から言えるのはこれぐらいね。あとの時間は質問に答えるか、雑談ということで」

「えっ……と、」


 私はどの道を選んだら幸せになれるのか、訊こうとしてすんでのところで思いとどまった。

 それじゃあ私、何も考えてないじゃないか。示された指針を頼りに進んで確かに幸せをつかめたとしよう。その頃の私はきっとこの日の占いのことなんて忘れて素直に喜ぶに違いない。逆もまたしかり。それも一つの道だと思う。

 だけど数か月後か、数年後か、はたまたもっと先の私がいいとしても。いまの私は納得しない。私は自分の手で選び、積み上げたものの上に立っていたいと思う。だから、訊くのはやめた。


「ありがとうございます」


 未来さんの中ではきっと答えが出ているんだろう。だけど、彼女がそれを全部言ってしまう人でなくて良かった。おかげで少しだけ、私の中のなにかがすっきりした気がする。菜月にはまたお礼を言っておこう。

 残りの時間はせっかくだし、目の保養がてら雑談に付き合ってもらうとしよう。


「そうだ。ラッキーカラーとか、あります?」

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