第22部
自分は何者だろう。
自分って、何だろう。
物心ついた頃から、何かきっかけがあるでもなくふとした拍子に考える。その度に答えを見つけられず、またほか事へと気持ちが移る。
でも、いまは少し違う。いつもは考えの至らないもう一歩先へと踏み出していた。
なんてことはない、アイデンティティの話。
自分は他人と何が違うのか。
自分にしかできないことは?
私だけが持っているものって?
まるでスピーチのアピールポイントを考えているみたい。
運動はそこそこだし勉強も大してできるわけじゃない。ゲームも人並みのレベルだし、何か好きな分野についてとびきり詳しいわけでもない。
あれも違う、これも違う。そうやって消去法で自分だけの「なにか」を模索して、最後にたどり着くのが小説だと、
そう言えたら、どんなに誇らしいか。
そうありたいと思う。
だけど、実際は違う。
いくら自分が他のどこにもない発想のつもりで書いていたって、きっと知らないどこかの誰かが似たような設定を、ストーリーを考えついている。そうして私よりも上手く文章にしているに違いない。
それに、思い描いた世界を形にする方法はなにも小説に限らない。絵や漫画だってある。そういうのもひっくるめて星の数ほど作品がネットにあふれる中で、私だけの特別なんて到底あるようには思えない。
いままで創ったものも、この先に考えつくものもぜんぶ、もしかしたら自分が創る意味なんてないんじゃないかって――
「……ああ」
ベッドで目を閉じたまま、耐え切れずに声を漏らした。眠れないついでに走り出した小説の構想を練ろうとしていたはずなのに、いつの間にか頭の中は物語と関係のないことでいっぱいだ。
諦めたように目を開けて、暗がりに埋もれて見えない天井を見上げてみる。そうすると少しだけ気が紛れて、自然とほか事へ思考が移った。
『千佳ちゃんのこと、けっこう買ってるのよ』
別れ際に未来さんの残した一言。それが頭から離れずに残っている。
そんなことを言われるのは初めてで、素直に嬉しいと思った。だけどいまの私にとっては特効薬のようでいて、実は悩みの種を生み出した原因と言えなくもない。
私の何を買っているのか、どうしてそう思ったのか。未来さんは肝心なところを教えてくれなかった。冗談や建前でないということだけは念を押してくれたけど、詳しいことはわからず終い。
どうして未来さんがあんな事を言ったのか、その意図はわからない。そもそも意図なんてなくて、他愛のない会話の一端でしかなかったのかもしれない。
それでも。未来さんからすれば何気ない一言だったとしても、その一言が口をついて出たのにもきっと理由があるはずで。
それはいったい、なんだろう。
気になって仕方がない。根掘り葉掘り聞きたいけど、どれだけ粘っても未来さんは絶対に教えてくれない。それだけは確信を持てる。
なぜなら私たちは似ているから。
それなら答えは自分で見つけるしかないんだろうか。他人からの評価なのに?
考えるほどわからなくなる。いっそ菜月にこっそり聞きだしてもらおうか。未来さんの期待を裏切りたくはないから止めておくけど。
「はぁ。やだやだ」
小説の構想を進めようにも色んな思考が邪魔をして、恋愛のことまで頭が回らない。書き進んでいるのはいいけど、なかなか恋愛の絡むシーンにこぎつけない予感がした。
未来さんに言われた通り、何かきっかけが必要なんだろうか。きっかけってなんだろう。どうしたら見つかるんだろう。いまに始まったことじゃないけど、分からないことだらけだ。
すっかり頭が冴えてしまって、寝るのを諦めて枕元のスマホに手を伸ばす。だけど明日のことを考えて、ぐっとこらえるように手を引いた。よく耐えた。えらい、私。
暗闇に慣れつつあった目を閉じる。寝返りをうって、もういちどまぶたの裏に小説の情景を浮かべてみた。
――少女は窓をうつ雨を眺めて物思いにふける。
降り続く雨を憂いているのか。
雨の音を楽しんでいるのか。
それとも、もっと別のことに思い馳せているのか。
読みかけていた分厚い本に指をはさんで、彼女は何を――
投影しているのは私。姿も年齢も、性格も違うけど、紛うことなき私の一部。
ああ、それなら一緒でもいいんじゃないか。気取らなくても、もう少しぐらいありのままの自分を投影したっていいんじゃないだろうか。
私が抱えている悩みを、彼女も同じように抱いていたって不思議ではない。
――読みかけた物語の世界に浸りながら、少女は思う。
本を読むその間だけは、自分が登場人物になったつもりでいられる。そうなった自分には目標があって、それに向かうだけの力がある。あらゆる困難が立ちはだかるけれど、時に一人で、時には仲間とそれを乗り越えていく。
そうして自分のしたいこと、自分にしかできないことを成し遂げる。その過程と達成感で、言葉にならないほど気持ちが満たされる。
まさに夢のような時間。
そんな夢の時間も、最後のページをめくれば余韻を残して終わってしまう。特別だった自分、気の置けない仲間たちともそこでお別れ。
それが寂しくて、怖くて、本を読み終えられないことも少なくない。叶わない思いだとわかっていても、物語が永遠に続けばいいのにと何度願っただろう。
現実に戻りかけた少女は息をついて、指をはさんでいたページを開く。視線が文字を追い始めるとたちまち物語の世界が脳裏に広がり、手は無意識にページをめくる。
一ページ、また一ページ。そうして彼女はとうとう、最後のページをめくり終えた。
……余韻。
締めくくりの一文の、その後を埋めつくす空白を見つめて少女は浸っていた。まるで黄金色にきらめく水面に包まれたように。言いつくせない穏やかな感情の波に、ただ流されるまま身を委ねていた。
けれどもその余韻も、次第に淡く消えていく。それと入れ替わるように、意識の外にあった雨音が波のように押し寄せる。
自室の無機質な蛍光灯の灯り。椅子にかけられた通学かばん。半端に開いたクローゼット。日常のありきたりな光景が視界いっぱいに広がって、夢想の時間はあっという間に飲み込まれた。
午後十時。寝て、起きたら学校に行く。特別な行事もなく、授業を受けて部活をこなして、きっと今日と同じように平穏な一日が終わる。明後日も、その次の日も、書き留めるほどのことは無い日常が続いていく。いつの日か、命が尽きるまで。
ひとり、少女は自分に問いかける。
自分はいったい何者なのか。自分の存在意義はなんなのか。物語にもならないような人生を過ごして終わっていく、その意味は――
ぼうっと光るスマホの画面を操作して、三人称視点で小説のアイデアをメモしておく。
そうして、言いようのない漠然とした不安感に包まれた。まるで宇宙の暗闇にひとり放り出されたみたいに。自分を主人公に投影しながら、アイデンティティがどうのと深堀りしてしまったせいだ。
わかっていた。わかっていたけど、こうなるともう眠れない。SNSに目を通したりゲームを触ってみたりするけど、気持ちが落ち着く気配はどこへやら。小説が捗るのを優先した十数分前の自分が恨めしい。
スマホの灯りしかない薄暗がり。田舎だから物音ひとつだってない。しんと静まり返った夜の世界に一人、集中力が高まるのか思考が深みへとはまっていく。存在意義がどうこうなんて考え出すと足元が揺らぐようで、自分が自分でいるためのよりどころを見つけようとすると余計に首がしまって、どうしようもなく心細くなる。
たまらずメッセージアプリを開く。人に頼ったところでどうにもならないことはわかっていても、何故だか誰かにかまってもらいたいと思う。その理由を冷静に分析するだけの心の余裕も、いまは持ち合わせていない。
とは言え、もう日付けをまたいで二十分が経った。明日まだ学校があることを考えても、不用意に連絡を取って他人に迷惑をかけたくない。
そう思うだけの理性はあるのに。どうしても諦められなくて、誰かわがままを許してくれそうな人がいないかと蜘蛛の糸をたぐるみたいに指を動かす。
梢は夜型だけど、いまは文化祭前で忙しい。この間のは特別だ。
菜月は寝るのが早いから、通知で起こしてしまいたくはない。まあまず起きないだろうけど。
そうして会話履歴の一覧をざっと下まで眺めて、気さくに声をかけられるような相手も見つからずまた上まで戻る。一番上に新しく増えた未来さんとの履歴があるけど、生活リズムがわからないし大した用事もなく自分から声をかける勇気もない。
スマホを伏せる。目を閉じる。何も考えないようにしようと思ってうまくいかず、せめてほかの事を考えようと思ってそれもしくじる。
ほか事に思考を移せないならいっそ、小説を進めた方がマシかもしれない。そう思うのに、スマホの画面はメッセージアプリからなかなか離れなかった。淡い期待が捨て切れなくて会話履歴の一つをじっと見つめてしまう。
『ねえ』
メッセージ欄にたったのひとこと。飾りっけもなんの捻りもない二文字を入力しては消し、履歴を遡ってはまた入力して消してを繰り返す。いっそタップする場所を間違えて送信してしまえばいいのにと思うけど、私の指は寸分の狂いもなくスマホの画面をなぞる。
そうこうしているうちに五分、十分と過ぎていく。迷えば迷うほどハードルは上がるのに、自分の背中を押せるだけの材料はいつまで経っても見つからない。
何をやっているんだろう。ふとした拍子に我にかえる。そうするとまた不安な気持ちが押し寄せて、胸の奥がうずく。
「あ~~~~」
もうどうにでもなれと、送信ボタンを押して秒で画面を閉じてうつ伏せになった。幸か不幸か不安な気持ちは薄れて、代わりに爆発寸前の恥ずかしさが全身を駆け抜ける。
恥ずかしい。人に弱みを見せるときはいつもそうだ。すでに数秒前の自分の行動を後悔し始めている。だけどいま送信したメッセージを消去したところで、少なくとも相手にいった通知が消えたりはしない。時すでに遅し。覆水盆に返らず。日常で出てこないような単語がやたらめったら湧いてくる。いま何かひとことでも発したら梢に突っ込まれるのは間違いない。むしろ突っ込んでくれた方がありがたい。
耳だけそばだてながら、悶えるように顔を枕に埋めた。自筆小説を誰かに見せる時と似たような感覚かもしれない。見られたいような、見られたくないような。たったの二文字にそんな自分の一面をさらけ出したみたいで――
「っ!」
鳴った。聞き慣れたスマホの通知音。
跳ね上がった心臓を落ち着けながら顔を持ち上げて、横に伏せてあるスマホを見る。通知で点いた画面のほの白い灯りが、ベッドとの境目から漏れていた。
どうしよう。そんな無責任なことを思いながらおずおずと画面をこちらに向ける。
『佐藤圭
どうしたの?』
送信者の名前とメッセージが目に飛び込んだ。数秒のあいだ思考が止まる。それからすぐに画面をタップして会話画面を開いた。
『遅くにごめん。大した用があったわけじゃないんだけど』
頭に浮かんだそのままを言葉にして送る。
『寝るとこだった?』
立て続けにもうひとこと。すぐに既読がついて返事が返ってきた。
『まだ。いつも一時ぐらいまで起きてるから』
思いがけずほっとする。それほど迷惑にならなくてよかった。たぶんだけど。
『そっか。いつも遅くまで何してるの?』
そうして当たり障りのない、他愛のない質問を投げかけてみる。
話す内容なんてなんだっていいんだ。話し相手がいて、何気ないやり取りで日常を感じられればそれで十分。それが、ふと胸の中に生まれた空虚を埋めてくれるから。
『音楽聴いたり、音取りしたりとか』
『音取り? ってなに?』
『耳コピって言ったらわかるかな?
弾いてみたい曲の楽譜がない時なんかに、その曲を何度も聴きながら自分で楽譜に起こすんだ』
『なにそれ、すご……
そんなことできるんだ』
『時間かかるし面倒なんだけどね。でもノってくるとつい時間も忘れて、おかげでこうして夜更かしグセがついてる』
『ああそれ、ちょっとわかるかも
私も小説が捗ってる時とか夜更かししちゃう』
私の返答に、佐藤は腕を組んでうなずくニワトリのスタンプで返してきた。
『なんかそのスタンプ佐藤っぽいね』
『え、何それ初めて言われた
どのへんが俺っぽい?』
『なんだろ。直感的にそう思っただけ』
そうやって普通に話すみたいなペースでメッセージを送り合う。意図して急いで返信してるわけじゃない。佐藤もきっとそう。自然に湧いてくる言葉を投げている感覚。
話題づくりや話すペースに気をつかわなくていいのは、気楽だ。
『そういえば』
『そうだ』
と、話題を繰り出そうとした互いのメッセージがぶつかって、思わず笑ってしまった。
『ごめん大したことじゃない。そっちからいいよ』
『いや、俺の方もそんなに大したことじゃないから』
そんなふうに譲り合って、どっちも動かないまましばらく。私から切り出そうと入力を途中までしたところで新しいメッセージが来た。
『いまって電話できない?』
ああ、確かにそれが手っ取り早いかもしれない。
だけどもういい時間だ。話したい気持ちはあるけど、話し込でしまう予感がするから応じてしまえばきっと明日に響く。
『ごめん。今日はもう遅いから』
手短に応えて、すかさずもうひとことを付け加えた。
『土曜の午後、もし予定が空いてたら会って話さない?』
あえて授業のある平日を選ばなかったのは、周りの目を気にしないで昨日の続きを話したかったから。
自習室で筆談した、あの続きを。
『いいよ。どこで話そう?』
そう言われて手が止まる。自分から持ちかけておいて場所まで考えていなかった。
学校の空き教室でいいかと思いかけたけど、文化祭前の最後の土日だからそれなりに人がいるのは間違いない。午前中は部活があってテニス部の人も何人か残るだろうし、気が気じゃなくなるから学校はダメだ。
『14時頃に駅ビル一階のドーナツ屋はどう?』
辛うじて思いついたのがそこぐらいだった。騒がしくなく静かすぎず、手ごろに入れて長居できそうなところ。
『オッケー
じゃあまた土曜に!』
そうしておやすみのスタンプが送られてきたから、私も相づちのスタンプを返して画面を閉じた。
スマホを伏せる。枕を引き寄せて目を閉じる。なんとなく話し足りないような気持ちはあるけど、話す予定ができたことに満足した気持ちもある。
いつしか胸に抱いていた心細さはどこかへ消えて、意識は心地よく闇に包まれていった。




