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第21部

 世の中には答えのないものがたくさんあるらしい。

 テストの問題には答えが用意されている。

 スポーツは点数の高いチームが勝ち。

 最後のボスを倒せばエンディングを迎えられる。


『でもさ、そういうわかりやすい結果が用意されてるものって実は少ないんだって』


 未来さんの受け売りだけど、と菜月は真面目な顔で言っていた。

 それを聞いた私は自分でも意外なほど腑に落ちた。だって進路のことだってそうだ。ぴったりひとつだけ正しい道があるわけじゃない。その選択が正しかったかどうかなんて誰にも判断できないし、そもそも正しさを求めること自体が間違いなのかもしれない。正しいから良い、とは限らないから。

 だから部活中にそわそわしてしまうことに「まあ、そんなもんだよ」と言われた時も、素直に納得してしまった。


「それで、今日は何をお探しかしら」


 小さな丸テーブル越しに、未来さんがしとやかな笑みを浮かべて見せる。()()の大人っぽさと小洒落た言い回しに、思わず心が引き込まれそうになった。


「あ~……あの、今日は占いを交えずに相談がしたくて。もちろんお金は払います」


 そう告げると未来さんはおもむろに立ち上がって、カードやテーブルクロスやら、備品を片付け始めた。


「今日はもう店じまいね」


 片付けを着々と進めながら、未来さんは顔も上げずに言う。やっぱり営業時間ギリギリに滑り込んでしかもこんなお願い、聞き入れてもらえるはずもないか。

 あきらめて席を立とうとすると、その気配に気付いた未来さんは荷物をまとめながら顔を上げた。


「いいお店、知ってるんだ」


 普段のイメージとちょっと違う無邪気な表情に、私のハートは見事に射抜かれた。




 閉店時間を迎えてほとんどのお店がシャッターを下ろした、駅の南側の商店街。灯りをつけているのは居酒屋らしいお店ぐらいで、道行く人もまばらだ。

 そんな静かな夜道を綺麗な大人の女性と歩くのは、ちょっぴり悪いことをしているような気分になる。ただお茶をしに行くだけなんだけど。

 だけどその相手が自分の担任の娘さんだと思うと、不思議な感じだ。


「あら、なにかおかしい?」


 隣を歩く未来さんは隙のない笑顔で私の顔をのぞきこんできた。


「や、ごめんなさい。なんていうか……学校では先生に進路相談して、その娘の未来さんにはまた別で相談しようとしてるのが、なんだかおかしくって。そのうち弱味でも握られちゃいそうだなあとか」

「ふふ。そうね、確かに大切なことは胸にしまっておく方がいいわ」


 と、そこで未来さんが立ち止まる。一歩遅れて立ち止まった私は、彼女の視線の先へ目を向けた。


「ここ。入りましょ」


 窓からあたたかい光が漏れている。そこがなんのお店かは、漂ってくる香ばしい香りですぐにわかった。

 未来さんがお店のドアを引くと、心地よい鈴の音が奥行きのある店内に響く。迎えてくれたのは喫茶店らしいエプロン姿の女の人だった。


「いらっしゃいませ」

「二人です」

「二名様ですね。お好きな席にどうぞ」


 「ありがと」とうなずいた未来さんは私の方を振り返る。


「カウンターでもいい?」

「え、ああ、はい」


 しゃれたお店の雰囲気に飲まれて、思わずうろたえたような反応を返す。それでも未来さんは気にせず、カウンター席の中央あたりに私をエスコートしてくれた。

 通学用鞄を足元に置いて、ちょっぴり位置の高いカウンター席に座る。そうするとカウンターの中がよく見えた。視線の高さには食器棚があって、コーヒーカップがまるで展示物のように、ひとつひとつ間隔を開けて飾られている。


「きれい……」


 語彙力のカケラもない感想をこぼしている間に、さっきの店員さんが水やおしぼりなんかを手際よく用意してくれた。


「好きに頼んで。お代は私が持つから」

「え、いやいやいや。むしろ私の方が払うべきで」

「いいのいいの。私もちょうど話し相手が欲しいと思ってたところだったから。だから今日は特別」


 そう言って笑いかけてくる未来さんのまなざしに私は何も言い返せない。喫茶店にいるのに、まるでバーのカウンターで語らうみたいな雰囲気に包まれそうな、そんな幻を見せられたようで。


「ありがとうございます」


 話し相手が欲しいという言葉の裏が気にならないでもなかったけど、いまは素直にお言葉に甘えることにした。

 手元に置いてあったパンフレット型のメニューを眺めてみる。コーヒーの種類がたくさんあって、それぞれに簡単な味や特徴の解説が書かれていた。かわいい手書きの解説につい心がひかれるけど、コーヒーはまだ砂糖やミルクを入れたって飲めない。いつか大人になれば飲めるようになるのかな、なんて思いはせながら、後ろの方にまとめられたその他のドリンクメニューに目を通した。


「ココア、いただいてもいいですか?」

「アイス? ホット?」

「うーん」

「ちなみにホットだと好きなカップが選べるけど」


 そう言って未来さんはコーヒーカップのずらりと並ぶ棚を指さす。

 冷たいのにしようと思っていた。だけどそんなことを言われてはホットを選びたくなる。お店の中は程よく冷房も効いているし、あたたかいのも悪くはない。

 それほど迷うことなく、私は未来さんの口車に乗せられることにした。


「マスター」


 カウンターの内側でグラスを磨いていた男の人がふっと顔を上げた。中年ぐらいで細身の人。ぱっと見た感じ、人当たりの良さそうな印象だ。


「私ブレンドで。今日は……それ」

「はいはい、いつものね。カップはこれかい」


 慣れた様子で微笑み返すマスターは、未来さんの指さす先にあたりをつけてカップを手に取ってみせた。


「うん、それでお願い。あとホットココア一つ」


 私の分もオーダーしてくれた未来さんが目配せをしてくる。言いたい事は聞かなくてもわかった。


「あ、えっと……」


 あわてて三段あるカップ専用の食器棚をざっと見渡す。どれも違うデザインで、それぞれが魅力的なせいで目移りしてしまう。

 こういう時、優柔不断な自分を恨めしく思う。すぐに一つを選び出せないから。


「はは。慌てなくていいよ。好きなのを選んだらいい」

「あはは……優柔不断なんです。ごめんなさい」


 マスターは落ち着いた声で助け舟を出してくれた。隣に座る未来さんも頷いて、手にしたスマホを触り始める。私に気を遣わせないようにするためだろう。

 そんな二人の優しさに甘えながら、改めてじっくりとカップを眺めた。


「あ、」


 なんだろう。端から一つずつ色と形を見比べようとしていたけど、そんなことも忘れて「これ」だと思えるようなものが不意に見つかった。


「その、二段目の」


 私が口を開くと、先にコーヒーを準備し始めていたマスターが手を止めて食器棚に向かってくれた。


「左から三つ目のを」

「これかい?」


 マスターは指示した通りのものを手に取って、わざわざ私の方に近付けて見せてくれた。


「はい。お願いします」


 うん。やっぱりこれがいい。なんとなくそう感じる。

 私が頷くとマスターはにこやかに応えて、二人分の飲み物を用意し始めた。


「ピンときた?」

「へ?」


 スマホをいじっていたはずの未来さんは、いつの間にかこっちを向いている。カップ選びに夢中になってぜんぜん気付かなかった。

 言葉の意味をちょっと噛み砕いてみる。きっとカップを選んでいた私の心の中を考えてのひと言だろう。


「コーヒーカップひとつ選ぶだけでも、意外と難しいものよね。私も優柔不断だからわかるわ」

「未来さんがですか?」

「あら、意外? そう思われてるなら光栄ね」


 ごまかすように笑う未来さんがまたかわいらしい。占いの時は溢れるほどの大人っぽさに包まれているのに、いまはまるで逆だ。そのギャップがいっそう魅力を引き立てている。


「こう見えて優柔不断なんです。初めて訪ねたカフェだとメニュー相手に何分もにらめっこしたりして」

「わかります、それ。友だちと行くとみんなはすぐに決めちゃって、焦っちゃうんですよね」

「あは、そうそう。それで迷った末に、けっきょく友だちと同じもの頼んじゃったりね」


 ああ。未来さんってこんな風に話せる相手だったんだ。歳上のお姉さんに相談するんだと意気込んでいたから緊張していたけど、親近感がわいてふっと肩が軽くなった。

 菜月があれだけ未来さんを推していた理由がわかった気がする。


「それで、相談って?」


 間をとるように未来さんがお水を口に含む。私はこれから話す内容を考えると気恥しさに目を合わせられなくて、手元でいじっているおしぼりに視線を注いだまま応えた。


「きのう告白されたんです、私」


 恥ずかしさで声が震えそうになるのを悟られまいと、グラスを手に取って水を一口あおる。

 横目に未来さんの反応をうかがってみたけど、特別驚いている様子もなかった。女子高生を主な客にして占いをやっているんだから、そういう話にもきっと慣れているんだろう。そう思えば話しやすい。


「突然だったんですよ。部活の後輩で、関わりはあったんですけどね。でもそんなに喋ったことはなくて」


 息継ぎするようにそっと顔を上げる。だけどまだ未来さんの方は直視できなくて、コーヒーを用意しているマスターになんとなく目を向けた。彼は私たちの話に耳を傾けている様子はないけど、聞こえてはいると思う。他にお客さんもいないし、それぐらいの距離感だから。

 だけどそっちは思いのほか気にならなくて、むしろ粛々と飲み物を用意している様子に気持ちが落ち着くようだった。


「だから告白は断ったし、それは終わったことだからいいんですけど……その時にふと思ったんです。恋愛感情って、人を好きってどういう気持ちなんだろうなって」


 寄り道はしないで、未来さんに相談したかったこと、その核心に触れた。

 普通は人に聞くようなことでは無いんだと思う。教えてもらうことでもないと思う。

 だけど自分ではまだよく分からない。それならせめて、自分以外の人がどう考えているかを知りたかった。その中で未来さんを選んだのは、占い相談の相手も含めて経験や知識が豊富そうだと思ったからだ。


「ん~~」


 未来さんはうなりながら、何かを察したようにこくこくとうなずく。


「ピンとこなかった?」


 ついさっきも聞いたようなひと言が飛んできた。

 思わず未来さんの方を見る。目と目が合うと、妙齢のお姉さんは小首をかしげてみせた。その仕草がまたずるいというかなんというか。


「ふふ。ピンとこなかったんでしょうね、きっと」


 悟ったみたいな口ぶりで未来さんはカウンターの向こうへと視線を移す。


「千佳ちゃんは何事もよく考えるタイプかしら。置かれた状況を俯瞰して……行動を起こす前に、まず考える。感覚で処理せず、理性的に分析してから答えを出す。そんな印象を受けるわ」

「え」


 頭の中でものぞかれたかと、思わず声が漏れた。そんなはずがないとわかっていても、なんとなくそわそわしてしまう。


「占って言ってるわけじゃないのよ。これは私が勝手に抱いたイメージね。実際がどうかはわからないから、もし気を悪くしたならごめんなさい」

「いえ、大丈夫です。……当たってると思います」


 ぎこちなくそう応えると、未来さんは「ありがと」と奥ゆかしく微笑んだ。


「私もそういうタイプでね。つい何でもかんでも分析しちゃう。そうして自分が納得しないと気が済まない。だから人に()()だと言われても、自分で噛み砕いて実感しないと納得できないのよね」


 ああ、わかる気がする。自分で自分を納得させないと気が済まないところ。人から意見をもらっても、自分が納得しないと素直に飲み込めないところ。

 きっと、同じだ。

 なんて応えようか迷っていると、注文していたホットココアが目の前に置かれた。間を空けずに未来さんのブレンドコーヒーも。


「いただきましょ」


 温かいうちに、美味しいうちに。そんな未来さんの心遣いが垣間見えた。

 うなずいた私は、口をつける前にカップを持ち上げてみる。白を基調としてふちに銀のレースがあしらわれたデザインで、改めてこうして見ても棚に並ぶ他のカップと比べてひときわ輝いて見えた。

 そうして持ち上げていたカップからココアのふくよかな香りがふわっと鼻を抜けて、気持ちがいっそうたかぶった。そのまま口を近付けてみたけど、猫舌の私にはまだ早い。軽く口に含んだふりをしてカップはいったん置いた。


「ちょっと脱線しちゃったけど、恋愛って……人を好きだと思う気持ちって、理屈じゃないと私は思うの。私たちにはちょっと難しいかもしれないけど」


 私()()という前置きに心が浮ついた。未来さんのように魅力的な大人の女性にそんな言い方をされると、自分も少しだけ大人になったような気分になれる。そういう意味で言われたわけでないのはわかっているのに。


「たとえばこのカップを選んだ時みたいにね。特に理由はないけど、なんとなく良いと思った。そういう曖昧な気持ちから恋愛が始まることって多いと思うの」

「なんとなく……ピンとくる気持ち、ですか」


 復習するみたいに私は言った。未来さんの言い方が印象に残っていたから思い出せたのもある。まるで伏線を回収するかのような流れだった。

 もしかするとあのブースで相談を持ちかけた時点で、未来さんは私の相談内容を予期していたんだろうか。それとも懇意にしているお店でたまたまそういう流れができただけなんだろうか。気になって仕方がないけど、軌道に乗った話を脱線させるわけにはいかなかった。


「そ。言わば直感ね。……だって、この人を好きになるんだー! って意気込んで好きになろうとするのは、ちょっと不自然だと思わない?」

「そう言われれば、確かに」


 つい納得してうなずいた。「ピンとくる」という言葉のイメージが曖昧でどこかしっくりきていなかったけど、いまの理論はわかりやすい。


「だからそのきっかけさえあれば、恋愛感情がどういうものかも自然にわかってくるはず」

「いやでも、きっかけなんて私……いままで恋人がいたことはないですし、そもそも人を恋愛対象として見たことなんかもなくて」

「ふふ」


 と、未来さんは鼻で笑った。馬鹿にされたわけじゃないことは顔を見ればわかる。


「私もそうだった。大学に入るまでは恋愛なんてからっきし。そもそも男子が嫌いだったから、恋愛なんてありえないと思ってた」


 未来さんはふっと中空を眺めた。カウンターのむこうりより、どこかもっと遠くを見つめるように。

 言おうとしていることはわかる。過去のことが聞けるんだろうなと思って待っていると、未来さんはひとり首を振って私の方に向き直った。


「ごめん。他人は他人、自分は自分よね。千佳ちゃんにはシンパシーを感じることが多いから、つい自分の経験を押し付けようとしちゃった。いまのは忘れて」


 カウンターの方を眺めていた時のはかなげな表情がまだ脳に焼き付いている。忘れてと言われたけど、もしかしていまのが未来さんの話したかったことなんだろうか。それなら聞いてあげたいけど、もしその推測が外れていたらと思うと怖い。

 けっきょく掘り下げる勇気は出なくて、私は黙って頷くしかなかった。応えるように笑いかけてくれる未来さんの瞳の奥にある色は、私にはまだ読み取れなかった。


「ありがと。私の経験はさておき、恋愛については千佳ちゃんにその気があるなら大丈夫よ」

「その気は、別に……」

「その気がなくても大丈夫」

「……適当なこと言ってません?」

「いいえ。まじめもまじめ、大まじめです」


 そんなやり取りをしているうちに、私はまた未来さんのペースに引き込まれた。つられるように口もとを緩めながら、自分の手元にあるカップに向き直ってみる。そうして未来さんのメッセージをゆっくりと噛み砕く。


「きっかけ、かぁ」


 なんとなく選んだコーヒーカップ。確かに細かい理屈をこまねいてこれと決めたわけじゃない。後から考えれば形だとか色だとか、いくらでも理由はこじつけられる。だけど選んだあの瞬間はそんなことを考えもしなくて、直感的に他のものより「これがいい」と思った。

 おかげでイメージはわかった。ささいなことではあるけど、このカップを手に取ったことでその実感は確かに胸に刻まれている。


「きっかけ……」


 思わずうわ言のように口ずさむ。

 なんとなくわかったような、やっぱりまだちょっとわからないような。

 それでも何かが変わりそうな、予感めいたものが心のすみに芽生えた。

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