第2部
月曜は部活が休みの日ということもあって、私たちは帰りのホームルームが終わるや否や、いつもの場所に集った。
学校から最寄りのショッピングモール、その二階にあるフードコート。この時間は私たちみたいに学校帰りの生徒の姿が増える。制服からしてうちの高校よりは近所の私立の子の方が多い。学校との距離の問題もあるんだろう。
「千佳さん今日はやらかしましたねえ」
梢がファストフード店で買ったポテトを片手に、英語の授業でのことを蒸し返した。その隣に座る菜月はうんうんと頷きながら、断りも入れずに梢のポテトをつまむ。
「ほんと、授業終わるまで生きた心地がしなかったわ。その後すぐに返してもらえたから良かったけど」
私は改めて安堵したように息をつく。ちらりと足元の鞄を見て、例のノートがクリアファイルと数学の教科書の間にいることを頭の中で確認した。
「そんなに心配しなくても、ちゃんと返してもらったでしょ!」
「うっ。めざとい……本当に気が気じゃなかったんだから」
菜月は意外と細かいことに気が付く。付き合いが長いからか、特に私のことはよくわかるらしい。思い返せば気を利かせてもらった場面はたくさんある、と思う。彼女がどう自覚しているかはわからないけど。
「しっかしまぁお咎め無しとは、とよちゃんって強面だけど寛容だよね」
「それたぶんテストが寛容じゃないからだよ。他で寛容だからか知らないけど、テストだけはめちゃくちゃ厳しいじゃん」
そんな私の意見に梢が反論しようとしたことをいち早く察知して、菜月が手を挙げて割って入った。
「はいはーい、あたし千佳の味方ね。赤点同盟だから梢には負けないよ」
「や、気持ちは嬉しいけどそれ、名前でもう負けてるから」
援軍が頼もしいやら頼もしくないやら。本気の口論にはならないけど、もしそうなったら二人がかりでも梢には勝てる気がしない。赤点取得者の私たちができるのは言い訳を並べることだけだ。
一方の梢はというと、力なく両手を上げて争いの終わりを報せている。
「いいよ降参する。あの期末は赤点がマジョリティだったもんね。わたしは何も言うまい」
「きーっ! またそうやって難しいこと言うし悟ったみたいな目で見てくるし。てか半笑いじゃない!? 千佳からもなにか言ってやってよ!」
「そこで私に振るんかい」
あきれながら頭をひねったけど私から言えることはなかった。頭の回転の悪さについては英語の授業で証明済み。あの言い訳は今からでも撤回しにいきたい。ああ、もしも時間を遡れたら。そもそもノートが見つかるようなヘマもしなかったのに。
そうだ、次の次の作品はタイムスリップを題材にでもしようか。定番過ぎてこれまで手を付けたことがなかったっけ。そんなことをぼんやり考えていると、梢がぱんぱんと手を叩いて私と菜月の注目を集めた。
「はいはい! 今日の本題はそこじゃないでしょうが。あと菜月はわたしのポテト食べ過ぎ。太るぞ」
「っ……」
喋る合間にポテトをつまみ続けていた菜月の手がぴたりと止まる。これは反論のしようもない。手痛い一言を浴びた菜月は見るからにしょんぼりしていた。同盟の一員として助け舟を出すべきか、ほんの少し迷ってやめた。自業自得だ。
そんな彼女を横目に、残り少なくなったポテトを一本ずつ齧りながら梢が続ける。
「それで? どういう風の吹き回しよ」
その言い回し、古くない? という一言をぐっと飲み込んで、私は半解凍のバニラシェイクをすすった。
さて、今日の本題。梢が聞きたいのは言うまでもなく、あの休み時間での話の続き。授業が始まる直前に話題を投下したから、まだ触りの部分しか話していない。
梢はわずかに身を乗り出して、私の回答をいまかいまかと待っている。叱られて縮こまっていた菜月もすぐに眼の色をかえて、鋭い視線を飛ばしてきた。どちらも矢継ぎ早に質問を投げかけたいのを必死でこらえているような、そんなオーラが見えそうだ。
しかしこの話題、そこまで興味を引くほどの中身はない。あらぬ期待を持たせたことがいまさらながらに心苦しくて、私は半ば弁明するような気持ちで口を開いた。
「いや、別に深い意味があって書こうと思ったわけじゃないの。前の作品を書いてる時に気まぐれでアンケート取ったんだけどさ、次回作は恋愛モノがいいって票が多くて。いままであんまり触れたことのなかったジャンルだし、いい勉強になると思って手を付けようと決めたわけ。はい、以上。オーケー?」
とよちゃんに聞かれたら今度こそノートを取り上げられそうなカタコトの英語を吐いて、私は誤魔化すように梢のポテトへと手を伸ばす。
しかし梢が身を引いたせいで私の手は空を切って、菜月にガッシリと手首を掴まれた。
「それだけ? 本当に深い意味、ないの?」
ずいと顔を近付ける菜月の目が真剣すぎて怖い。なんなら私の手首を掴む力もやけに強くて恐ろしい。
話せるものなら話してあげたい。むしろこの私が男女の色恋に巻き込まれるような事態ともなれば、真っ先に二人に相談するだろう。
だけどこれ以上のネタは提供できない。なぜなら本当にネタがないから。なんなら二人にさえも見せたことのなかった、あのノートの中身を見せたっていい。
「本当にそれだけ。長い付き合いなんだし、恋愛沙汰に縁がないのは知ってるでしょ」
「長い付き合いだからこそ期待したの! 読む本観る番組どれもファンタジーやらアクションやらばっかりでロマンスにもまるで興味がなくて、いままで恋バナにもろくに参加しなかった千佳が! ただアンケートの結果だけで恋愛モノを書くだなんて思う!?」
「ちょいちょい菜月。声、おっきいから」
立ち上がりそうなほどの勢いでまくし立てる菜月を、私じゃなくて梢がなだめた。いまの剣幕にびっくりしたのは私だけじゃなかったらしい。
とはいえ、梢もまだ尋問側の姿勢を崩さない。
「まあでも、菜月の言い分も分からんでもないなあ。彼氏いない歴イコール年齢の千佳が急に恋愛モノ書こうだなんて、裏がないはずがない。ねえ千佳、ひとまず恋愛のくだりは置いておくとして、他に何か悩みごとがあるんじゃないの?」
彼氏いない歴は余計なお世話だ。同じ言葉を投げ返せないのがなんとも腹立たしい。
でも、ああ。梢も察しがいい。小説の中だったらきっと、話をうまく進展させてくれるタイプだろう。
「悩みってやっぱり恋煩い」
「わーかった。菜月はいっかい黙ろう。うん。発言権を与えるまでこいつでもかじってて」
梢は残り少なくなったポテトをつまんで菜月の口にねじ込んだ。物言いたげな表情を見せながらも菜月はポテトを咀嚼し、飲み下して口を開こうとしたところでまた梢に餌付けされる。見事な口封じに、私は机の下で小さく拍手を送った。
「で? 図星ってとこか」
「うん……そう。最近いろいろと考えることが多くてさ。いまは部活に趣味にってしながらなんとなくテストに向かうような生活してるけど、そろそろ将来のことも考えなくちゃって」
「およ、千佳にしては珍しく真面目な悩みじゃん」
またひとこと余計だ。私だって現代社会を生きる女子高生なんだから、真面目に悩んだりもする。
「夏休み前に二者面談があったでしょ? 進路のことで訊いたり訊かれたりのアレ。あれで色々考えさせられたわけでして」
「ほう。具体的には?」
「……作家の夢とか。ほら、ななみんって現文の先生じゃん? 何かいいアドバイスくれたりしないかな〜と思ったんだけど」
「小説のネタの?」
「ちーがーう。作家になるとしたら、どういう進路行けばいいのかなって」
「ああね……そしたらなんて?」
その時ふっと、夏が盛り始めた放課後の教室で担任と二者面談をした時のことを思い返した。
窓を締め切った三階の教室にまで届いていた野球部の声、それを背景にして快活に話していたななみんの表情。授業の時よりも砕けた雰囲気ながら、真剣に進路の話をした十五分間。親身に話してもらえたのが嬉しかった一方で、将来のことを漠然としか考えていなかった私には刺さるものも多かった。
「いまどき作家だけで食べてる人はそういないってさ。医者やりながら本を出す人もいるぐらいだし、食い扶持にするのは生半可な覚悟じゃ厳しいって」
「ありゃま現実的」
「でもななみんの言う通りだと思った。賞に応募して作家デビューできる人でさえひと握りの人間なのに、そこから消えずに生き残ろうと思うとさらに数が絞られる。私、そこまでたどり着いてやり通せる自信がないかも」
「ふーん。じゃあ作家は諦めるんだ」
「……いじわる」
たしなめるような梢の言葉にふてくされて、私は逃げるようにシェイクを飲んだ。
ひんやりとしたバニラがすっと喉を通って心地良い。進路への漠然とした不安なんかも、こんなふうに飲み下せたら楽なのに。
「あはは、そう拗ねなさんな。千佳の気持ちはよくわかったし、わたしは応援する。だから恋愛小説も頑張って。進路を考えて踏み出した一歩なんでしょ」
「えっ、よくわかったね」
梢の意外な言葉に、私は虚を突かれた。
「どやぁ。てかまあ、話の流れ的にそれぐらいはね?」
「わかんない!」
「「あ」」
いつからポテトがなくなっていただろうか。菜月の口を封じるものがなくなって、発言権がよみがえっている。この話に菜月が参加していることを忘れそうになっていたから、良いタイミングではあったかもしれない。
「恋愛小説と進路がどう関係してるか、あたしにはわかんない。わかんないけど、あたしも千佳を応援する!」
「菜月……」
そのつながりがわからないのは仕方がない。だって具体的な話はまだしてないから。
それでもそう言ってもらえるのは、本当に嬉しい。梢と菜月の精神的なバックアップを得られただけでも、ずいぶんと心が軽くなったような気がした。
「二人ともありがと。進路のこと、また頭の整理ついたらじっくり話すね。その時には恋愛小説の進捗も……ああでも、そっちの方が先行き見えてないかあ。ははは」
ふんわりとお茶を濁して二人に話題を振ろうと思ったその時、菜月が何かを思い立ったようにのけぞった。たぶん机を叩くか立ち上がるか、何かアクションを起こそうとしてこらえた結果、のけぞったんだと思う。
我慢したその一点だけは褒めてあげたいけど、いかんせん挙動不審が過ぎる。梢もちょっと引いていたし、なんなら隣のテーブルの私立女子も反応していた。わかる。いまのは普通に気持ち悪いよね。
当の菜月はというと、私たちの反応を気にも留めずに怪しげな笑みを浮かべて耳打ちした。
「千佳にね、ぜひ行ってほしいところがあるの」
何かの勧誘みたいな表情、口ぶりに不信感を拭いきれなくて梢と目を見合わせる。この子、そろそろヤバそう。という意見はすぐに一致した。このあと何を言い出すか、不安でならない。
それから菜月がおかしなものに染まっていないことを確信できたのは、もう少し後のことだった。