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第19話

 冒険がしたいと思った。


 剣を携えて見知らぬ土地をめぐり、個性豊かな仲間と出会ったり魔物と闘ってみたりしたかった。

 財宝を探したりドラゴンに乗ったり、現実では想像もつかない体験を。


 魔法使いになりたかった。


 ほうきに乗って気持ちよく空を飛んで、みんなから羨望のまなざしを向けられたかった。

 面倒な宿題やテストなんかも魔法でごまかせたらいいのにと、どれだけ考えただろう。


 見慣れた自室の天井をあおいで、意味もなく右手をかざしてみる。こうしてぼんやり物思いにふけってみると色んなことに気付く。

 小説にかける思いは、どんなジャンルで書こうが共通するところが多い。いちばん大事なのは、自分が主人公のつもりになれること。

 私が書く小説の主人公はなにか特別な力を持っていたり、その世界の中で他のだれにもない個性を持っていたりする。それは言い換えてみれば、話の中心になれるような魅力を持っているということだ。現実の私が持ちえない、主人公としての器を。

 私の持っていないもの。それも空想の世界なら思いのままだ。私はたちまち主人公になって、かっこいい勇者にも妖艶な魔女にも、時には人の身を捨てて悪魔にだってなれる。


 そうして、私はどうしたいんだろうか。


 個性を手にしたその先、冒険の果てにあるもの。物語のクライマックスを迎えた後には何があるんだろうか。そんなことを考えていてふと気付いた。

 ちがう。物語をまとめることを考えるあまり、終わりに囚われ過ぎていた。結末ばかりがすべてじゃないことは、過去の創作を振り返ってもわかることなのに。

 思い出す。気の向くままに書いていた時の気持ちを。

 非現実の世界を旅するわくわくを味わいたかった。

 目標に向かって成長したかった。

 特別な自分の力を、個性を認められたかった。

 仲間と笑いたかった。泣きたかった。

 味わったことのない感情に触れてみたかった。

 味わったことのある感情を引き出したかった。


「ああ」


 小説には私の大事な思いが詰まっている。明るいものから暗いものまで、いっしょくたに詰め合わせた宝箱のように。きっと他人から見れば不格好なものも多いけど、どれも大切な私の一部であることには変わりない。


『――付き合ってくれませんか』


 まただ。なんでもないタイミングで帰り際のことを思い出す。雨降る駐輪場でのワンシーン。

 これでもう何度目だろう。初めての経験。初めて味わった気持ち。


 初めて気付いた、新しい私。


 家に帰ってくるまでの間に幾度となく思い返したせいで、すっかりドラマのワンカットみたいな記憶が焼き付いてしまった。

 告白されたらどきどきするんだろうと思っていた。恥ずかしくなって、耳まで赤くなってもじもじするんだろうと思っていた。

 だって私はそれしか知らなかったから。どこで得た情報かもわからないような、そんなあやふやな知識だけしか。

 それなのに現実は、自分でもびっくりするほど冷静だった。息苦しいとさえ思ってしまった。


「はぁ」


 彼のことが嫌いだったからじゃない。むしろ良い後輩の一人だと思っていたから、余計にそう感じたんだと思う。本人は諦めがつくと言っていたけど、悲しませることには変わりなかったから。

 それじゃあ私にできることはあっただろうか。答えはノーだ。私が首を縦に振る以外に、彼が救われる方法なんてなかった。だからいつまでもこんなことを考えていたって仕方ない。頭ではそれを理解している。

 それでもこうして思い返さずにはいられない。罪悪感からか。それとも、いまになって彼のことが気になっているのか。自分でもよくわからない。はっきりと言葉にできない。

 ――あやふやなこの気持ちは、宝箱に詰められるだろうか。


「っしょ、と」


 ベッドから起き上がって勉強机に向かう。付属のキャビネットの上段を引き出してコピー用紙を適当に何枚か引っこ抜いた。そのうち一枚だけを手元に広げて、残りは邪魔にならないよう脇へ寄せておく。

 さっきまで数学のプリントと格闘させていたお気に入りのシャーペンを手に取り、まっさらなコピー用紙の中心に楕円を描いた。そして円の中に「主人公」の三文字を書き落とす。

 中学の頃は当たり前のようにやっていた、設定なんかを掘り下げるための連想ゲーム。「主人公」の楕円から線を引っ張って、その先で「女の子」の三文字を楕円で囲って。書きかけている恋愛小説の主人公に関連する情報を、クモの巣を広げるようにつなげていく。

 中学生。小説。メガネ。黒髪。内気。AB型。背の順で真ん中。。。。


「……そっか」


 主人公を構成する要素を書き出したいまになって気付いた。この恋愛小説を通して、なによりまず自分に向き合ってみようと思って、ようやく。恋愛経験がないからと言い訳をしてばかりで、そのせいで私は問題の本質に気付けずにいたんだ。

 今回の主人公に特別な能力はない。クラスの中心になるような個性もなければ、磨けば光る何かを持っているでもない。名前さえもまだ決まっていなくて、どこにでもいそうな……強いて言えば"素"の私に近い平凡な子。

 だから書きにくかった。

 だから想像が膨らまなかった。


 特別でないままの"私"が主人公だったから。


 物語の中で何がしたいとかどうなりたいとか、それ以前の問題だった。特別でない私に、あるはずもない特別を与えようとしていたから筆が進まなかったんだ。

 ああ。でも、いまなら少しわかる。世界を救えるような能力は持っていないし、ドラマチックで劇的な人生を歩んでもいないけど。成績も中の中ぐらいだしテニスもギリギリ県大会に残れるぐらいだけど、それでも。


 私だけの特別が、きっとある。


 それが何かを知るためのヒントはもう手元にある。なんだか彼を踏み台にするみたいで、それがちょっぴり心苦しいけど。とは言え彼のおかげで気付けただなんて感謝するのもお門違いだから、こればかりは胸に閉じ込めておく。

 そう、私は気付いたんだ。私の中にまだ自分の知らない私がいるということを。それがどんな私かはまだわからない。けど、わからないからこそ良い。

 私は、小説を書くことでそれを見つけてみたい。

 私だけの、特別を。


「よしっ」


 コピー用紙を脇によけてスマホを手に取る。いつもの小説投稿サイトを開いて、書きかけていた恋愛モノの編集画面を開いた。

 読みかけて、すぐに閉じる。きっと新しく書き直す方がはやい。

 新規作成の画面に切り替えて思いつくままにキーボードを叩く。まっさらな入力欄にみるみる文字が生まれていく。雨空と田舎道を背景にして、ひとり傘をさす主人公。その姿を形づくる言葉たちが。

 結末なんて決めていない。展開も、それどころか他の登場人物すらろくに考えていない。まったくの無計画だけど、それでも主人公は動きはじめた。私の半身のような存在が、その目と耳で世界を広げていく。


 ああ。この感覚、久しぶりだ。


 まるで自分がそこにいて、傘をくるくると回しているみたいな。民家の(へい)にはりついた雨蛙(あまがえる)に顔を近づけたり、水たまりをはね上げる音で楽しくなったりするみたいな。

 紡ぎ出した物語からあらゆる感覚が逆流してくる。それは私の脳内イメージを動かす原動力になって、思い浮かべた情景は止まることなく動き続ける。物語の世界がいっそう深まっていく。

 安心した。私はまだ、こんな風に小説を書けたんだ。


「――ふぅ」


 気の済むまでひと息に書き進めて、いったん保存をかけた。ものの十数分で書いた文章の文字数が書きかけていたものの何倍もある。考えがまとまらないでいた時間も含めたら、あっちには何十時間と費やしたのに。

 それでもいったん集中が途切れると現実に戻ったようで、今日はこれ以上続きを書く気力がわきそうになかった。そろそろいい時間になるし、この先はまた明日にしよう。

 スマホを片手に部屋の灯りを落として、伸びをしてからベッドに寝そべった。スマホを充電ケーブルにつないで、ベッドの端に寄っていた掛け布団をたぐり寄せる。冷感素材の生地が肌に触れて心地いい。うまく書き出せたことでたかぶっていた気持ちが程よく落ち着きそうだ。おかげで寝る準備はできた。準備だけは。

 眠りに落ちるまでの時間は延長戦のようだと、いつも思う。今日のうちにしたかったけど首が回らなかった、あれやこれやに手をつける時間。そうして眠気という名の負債を次の日に抱えることはわかっているのに、このクセはなかなか直らない。

 良くないんだけどな。そんな理性を先に寝かしつけて暗がりでスマホを開く。アプリを開いてゲーム内チャットを確認したり、やり残したデイリークエストをちょっとだけ消化したり、あてもなくSNSを眺めたり。そんなことをしながらメッセージの通知が来ないかな、なんて淡い期待を抱いたりもする。まだ日付は変わっていないから、ちょっとぐらい可能性はあるはず、だなんて。とは言っても、特定の誰かから連絡が来るのを待っているわけじゃないんだけど。

 ただなんとなく、今日のことを話したいだけ。家族には気恥ずかしくてとても話せないから、それ以外の誰かに。本当は二人に話したいけど、文化祭がひと段落するまでは梢に迷惑をかけたくない。だからって菜月にだけ先に話してしまうのも、梢を置いてきぼりにしてしまうようでいやだ。そうやってあの言い知れない寂しさみたいなものを、梢には味わわせたくない。それから置いてきぼりにしてしまう、自分や菜月にも。

 そうなるとあの話を気軽に持ちかけられる相手なんてほとんどいない。いっそ別の高校に行った中学の友だちに連絡をとってみようか。そんなことを考えて連絡先の一覧から同じテニス部だった優真(ゆま)ちゃんの名前を見つけ出して、だけどやっぱりメッセージを送るだけの勇気はなくて。


「はーあ」


 誰か尋ねてくれたらいいのに。自分からこういう話を振るのはハードルが高すぎる。恋バナなんて単語を思い浮かべるだけでも恥ずかしい。決して浮ついた話ではないんだけど。

 菜月とか、梢とか、みんなはそういう話をよくするんだろうか。いままでそういう話には食いつかなかったからわからない。これまでそういう機会を自分から捨てていたのかと思うと、ちょっぴり後悔が募る。

 どうしたらいいんだろう。そうしてぼんやりとした頭でスマホをいじっていたら、いつの間にかメッセージアプリで佐藤との会話履歴を開いていた。

 きっといちばん上の会話履歴だったから無意識に開いたんだろう。別に話を聞いてもらいたいとかそういうんじゃない。

 でも、こうしてみると不思議だ。塾帰りの電車で絡まれた時はそんなに親しくなることもないだろうと思っていたのに。交換した連絡先も履歴の下へ下へと埋もれていくはずだったのに。業務連絡に近い内容とはいえ、こうしてまた履歴のいちばん上に来るだなんて。


「……」


 それでもあの話を振るのはまた別だ。自習室に二人でいた姿を杉山くんに見られていたから、無関係ではないけれど。

 まじまじと画面を見つめる。放課後の連絡を取り付けた短いやり取りを読み返す。菜月に背中を押されたとはいえ、こんな唐突なお願いをした自分を我ながら勇者だと思う。それが無事に実を結んで収穫も得られたことだし、いまはこれ以上望むものなんて。


『|』


 スマホの画面上にキーボードが浮き上がり、メッセージの入力欄でカーソルが点滅をはじめる。

 これは、そう。改めて放課後のお礼を言うだけだ。それ以上のことなんてない。だから後ろめたいことだとか変な期待だとか、そんな


「え、はっ!? うわっ」


 悲鳴じみた声と一緒に思わずスマホを放り投げた。はじかれたように身体を起こして、枕元に落ちたスマホの画面を慌てて閉じる。おかげで視界は急に真っ暗になった。

 飛び起きたせいか心臓がどくどくと脈を打つ。胸に手をあてて呼吸を整えながら、いま起きたことを整理した。

 なんだかんだで佐藤にメッセージを送ろうとしていた。そのために画面を開きながら言葉を選んでいたら、ぽんと履歴が更新された。ただそれだけ。

 それだけなんだけど、向こうは一瞬で既読がついたことに気付いたはずだ。いや気付かないわけがない。それはつまり私が佐藤との会話履歴を開いていたことがバレたっていうことで、


「あぁぁぁぁぁ…………」


 冷静に状況を分析しようとすると余計に恥ずかしくなった。

 なんて思われただろうか。すぐに既読がついたこと、なにか突っ込まれやしないだろうか。ていうかそもそもなんてメッセージが来てたっけ。驚いてすぐにスマホを放り投げたから内容はまだ見ていない。そんなに長い文じゃなかった印象だけはあるけど。

 ベッドの上に座り込んだまま、手探りでスマホを充電器から引っこ抜いた。ぼうっとあたりを照らすロック画面に新しい通知はない。けど、ロックを解除すればすぐに会話履歴の画面だ。ちょっとだけためらって、何をいまさらと自分をふるいたてて画面のロックを解除した。


『今日は声かけてくれてありがとう。いい話ができて良かった。続きはいつでも聞くから、また気が向いた時に言ってね!』


 佐藤からのメッセージ。ほとんど私が言おうとしていたことで、先を越されてしまった。ベッドに潜るのがもう少し早かったら立場が逆だったのかと思うと、ちょっと面白い。

 おかげで変な気恥ずかしさも薄らいで、自然と笑みがこぼれた。


『こちらこそありがとう。また連絡するね』


 短いメッセージを返して、それだとあまりにも素っ気ない気がしたからスタンプを後付けする。そうしてこんどは既読をすぐにつけてしまわないよう、アプリを閉じてからスマホを置いた。

 もういちど身体を横にしておやすみモードに入る。ついつい枕元のスマホに手を伸ばしたくなるけど、衝動をぐっとこらえて目をつむった。今日あったいろんなできごとが走馬灯のようにぐるぐると頭の中を駆け巡って、それがいつしか動き出した恋愛小説の冒頭とごちゃまぜになり始めて。

 満たされた気持ちで、私は眠りに落ちた。

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