第11部
『 パソコンから顔を上げて、ぼんやりと
窓の外を眺めてみる。梅雨らしい雨空が
当たり前のように何日も続いていて、星
のきらめく澄んだ空はしばらく見ていな
い。
今日も相変わらず、空を覆う鈍色の雲
からとめどなく雨粒が降っていた。
ベッドに潜る七分前の、私にとっての決
まりごとも、梅雨の間だけはお休みだ 』
上書き保存。枕の上にスマホを伏せて、半身を起こして大きく伸びをした。
「んん~」
伸ばした腕が乾かしたばかりの髪に触れて、果物のような甘い香りがただよう。気分を乗せたい時、気分が乗っている時にだけ使うお気に入りのシャンプーの香り。それとほんのり熱っぽい香りに鼻をくすぐられながら仰向けになった。
視界に広がる天井には照明のほかに何もない。見た目さびしい空間に、絞り出したばかりのワンシーンを思い描いてみる。
自室で小説を書く主人公。中学の二年生ぐらい。ショートヘアで、銀縁めがねが特徴の女の子。よくある文学少女のイメージそのままだ。オリジナリティを出すための細かいキャラづくりは後にするとして、とりあえずそんな感じで。
季節は梅雨。なんとなく空模様を大事にしたくて、扱いやすそうな季節を合わせてみた。
物語の舞台については、まだ部屋の外まで想像を広げられていない。だけどきっと田舎町だ。都会とは縁がないから、田んぼもないような街の景色や日々の暮らしを想像するのは難しい。ちょっとした憧れはあるけど、きっと描写としてはリアリティに欠けてしまう。ファンタジー世界じゃない分できるだけ情景を大事にしたいから、そうなると見知ったものの方がいい。
そうやって主人公と、主題と、舞台までをぼんやり想像して、その先がやっぱりつながらない。演劇に例えるならポスターのうたい文句を決めて、背景になる張りぼてを作って、役者を一人だけ舞台に立たせたような状態。肝心の台本がないから話は動き出さないし、世界も広がっていかない。どん詰まりだ。
勢いづいて白紙のページに色を落としたのはいいけど、「恋愛小説 書き方」なんて検索してしまうほど、思考が動く気配がなかった。前に書き上げた作品はどうしていたかをぼんやり振り返ってみて、あの時はもともと物語の結末を固めていたことを思い出す。
自分が描きたい終着点。読者にいちばんみせたいもの。
言ってしまえば自分の願望。妄想の塊。面と向かって見せるのは恥ずかしい、胸の内に秘めた思い。口出しされたくない自分の主張。そういう類のエトセトラ。
それをいざ恋愛小説に当てはめようとすると、そういう肝心なものが"ない"。小説が自分の願望を映す鏡だとしたら、そこには何も映っていない。そんな状態になる自分には納得しているけど、このままでは話が進まない。
「恋愛。れんあい。こい……あい……」
縁がないとは思う。だけど私だって恋愛に全く興味がないわけではない。物語の中心ではなくて、おまけ要素として惚れたはれたの描写があるのは嫌いじゃない。主人公にときめくヒロインの姿を見ると、いつもこそばゆい感覚に襲われる。
そんな言葉にし難い気持ちを一人で味わう分にはいいんだけど、それを人と共有する勇気が私にはない。恥ずかしくてたまらないし、茶化されるのが嫌で無意識に遠ざけているんだと思う。それが積み重なった結果、私の恋愛関係の引き出しはすっからかんだ。
「ああ」
そう考えてみれば、どうしたらいいかは自然と理解できる。これまで他の物語を書く時にもしてきたことなのに、そんな簡単なことにどうしていままで気付かなかったんだろう。
スマホを手にして、大してあてにならなかった「恋愛小説 書き方」の検索結果を閉じた。新しく検索をかけようとして、そこでまた手が止まる。情報を仕入れるにしても、そもそもキーワードが思い浮かばない。
でも、今日の私は頭がよく回っていた。それならばと思考を切り替えて別のアプリを開き、トーク履歴画面をざっと眺める。菜月と梢が履歴のツートップかと思いきや、一番上に表示されているのは目新しい名前だった。人もまばらな帰りの電車で、それでも周りの目をなんとなく気にしつつ交換した連絡先。
「ケイってこの字なんだ」
佐藤、圭。私の名前、千佳の"佳"の字に似ているななんて思いながら履歴を開くと、一つだけ押された佐藤のスタンプが画面の端で目を引いた。連絡がちゃんと取れることの確認用で、それ以外に大した意味なんてない。この先きっと、履歴の下へ下へと埋もれていくんだろうなと考えながら菜月とのトーク履歴に切り替えた。
直近のやり取りは部活絡みの業務連絡だった。ちょっとだけ履歴をさかのぼると、文化祭の準備をした土曜日の記憶がよみがえってくる。部活でへとへとになったあとにダンスでの疲労が重なって、その夜は死んだように眠りこけた。まあ、それはおいておいて。
『ちょっとききたいことがあるんだけど、|』
恋愛のこと。きくにしても漠然とし過ぎているような気がして、もう少しかみ砕こうと頭をひねる。そのうちに今日のことを思い返して、きくよりも先に言うべきことがあると気が付いた。
いちど打ち込んだ前置きの言葉を消して、新しく文をつくる。
『さっき佐藤と話して仲直りした。気つかわせちゃってごめんね』
また部活の休憩時間を思い出す。だけどもう後ろめたさはない。むしろ自分から動いたことを褒めてもらってもいいぐらい。自分から……あれ、自分から謝ったんだっけ。なんとなく違うような気もするけど、まあ細かいことは気にしないでおこう。
どこかおぼつかない佐藤との記憶もそこそこに、頭の中を恋愛の話へ切り替える。
『ところで恋愛についてききたいんだけど、|』
いったん冷静に考えてみる。そこまで書いたはいい。だけどこの流れは、また誤解を生んでしまうんじゃないだろうか。
さすがの私でもそれぐらいはわかる。冷静になれば。冷静になってよかった。
「お、」
と、一人でほっとしている間に既読がついた。そして書きかけていた内容を消し切る間もなく返事が届く。
『うそ! すごいじゃん! がんばったね』
短いメッセージのあとに、感動の涙を流しているようなキャラクタースタンプが押された。大げさな、と思いながらもちょっと照れくさい。
『仲直りしてなにか話した?』
『創作のことをちょっとだけね』
つられるようにして反射的に返すと、菜月がトーク画面を開きっぱなしなのがわかった。いっそ電話すれば早いんだろうけど、そこまでの内容じゃない。菜月もきっとそう思っているはずで、そうでもなければこっちの都合なんてお構いなしで電話がかかってきている。
『他には?』
創作の話を掘り下げられるかと思っていたら、予想の斜め上をいかれた。
他に、ほかに。いったん画面から目を離して、数秒だけ記憶を掘り返して返事を打つ。
『なんか話したような気もするけど覚えてない』
一瞬でつく既読。そして少しの間をおいて、
『えーーーーつまんない』
『なに、つまんないって笑』
そんなこと言われたって。思わず笑みをこぼしながら菜月の反応を待つものの、それからはなかなか返事がこない。たぶんこの話題はいったん終わり。
さて、恋愛の話をふってみようか。なんて考えてはみたものの、ここからその流れに持っていくのは難しいと私の中の私が白旗をあげている。あらぬ方向に話がそれるのは目に見えていた。それを軌道修正するだけの知恵とモチベーションも、いまはない。
そうなれば残る希望はただ一つ。
画面を切り替えて、履歴も見ずにメッセージを送る。
『梢って恋愛小説、書いたことある?』
いまさらな質問だとは思う。でも気にしたら負けだと、思い切ってぶんなげた。この切り口ならきっと戦える。
一歩を踏み出せたことにひとしきりの達成感を覚えて画面を切り替えようとした、その瞬間。
「あれ、」
いつもは返事が来るまで半日かかるのに。ここのところ忙しいとは言っていたけど、さすがに十時をまわるぐらいの時間にもなると手が空くんだろうか。そう考えると少しほっとした。
『いわゆるロマンスものはない』
梢らしい文面につい笑みがこぼれる。
『じゃあそれ以外はあるってこと?』
そうやってものの数秒で返しておきながら、それ以外ってなんだろうと考える。そもそも"ロマンス"という単語がぴんときていなくて、返事を待つあいだに意味を検索してみた。
ロマンス。ざっくり言えば恋愛もののことらしい。それは話の流れからして当然のような気もしたけど、もとは空想的な物語のことを指す用語だというのは意外なポイントだった。なんとなく恋愛小説のアイデアとして使えそうな予感がして、検索結果のタブは消さずによけておく。
『話の本筋が恋愛ってのはないけども、恋愛感情そのものは書いたことがある。描いたことがあるっていう方が適切か』
『なるほど』
なるほど。秒で返して思わず心の中でもつぶやいてしまう。恋愛感情の描写は気になるところではある。というか最重要課題だとは思うんだけど、その前に私はゴールを決めてスタート地点に立つ必要があるわけで。恋愛主体の物語でどういう風にオチを考えたか、本当はそれがいちばんききたいところだった。
思いがけずあてが外れて返す言葉が見つからず、会話を宙ぶらりんな状態にさせている。どう――
「わっ!」
急な着信音に飛び上がった。思わず取り落としたスマホは寝転がる私の顔を叩いて耳元に落ちる。耳が痛いほどの音量にしかたなく起き上がって、ひと呼吸おいてから画面を確認した。
相手はほかでもない、梢だ。
「はい、もしもし?」
梢からこんな風に電話をかけてくるなんてめずらしい。なんとなく胸騒ぎがして、私は慎重に耳を立てる。
『やあ、突然悪いね。お悩みのようだったからさ。こっちのが早いと思って』
声の調子はいつもと変わらない。それで少しほっとした。
「ありがと。忙しいだろうに」
『まーねー、ほんと。ま、それはいいんだ。むしろ人と話せる方が息抜きになりそうだと思ったし、連絡くれたのはちょうどいいタイミングだったよ。それより、例の新作の方はちょっと進歩してるっぽいね』
「進歩してる……のかなあ。ていうか、どこまで書いたかまだ話してないけど?」
『おっ、何かしら書きはしたんだ。えらいえらい。そこまで進んでたんね』
そう言われて思わずにやけてしまった。嬉しいのと、ちょっと照れくさいのと。
『質問の内容からして全くの白紙から原稿用紙の枠ぐらいまでは進んでるんだろうと思ってたけど。で、具体的な進捗のほどは?』
「なんか絶妙にうれしくないたとえだなあ、それ。……えー、とりあえず思いつくままにちょっと書いてみたとこ。主人公像とか舞台はぼんやり浮かんだけど、先の展開はさっぱり」
『ふむ。うーん』
電話の向こうで梢がうなる。それから静かになって少し間が空いて、沈黙の時間。梢が待っているところなのか考えているところなのか判断しづらくて、我慢できずに私から口を開いた。
「いつもはちょっと書き出したら話を広げていけるんだけどさ。なんかこう……いつもと違って、頭の中で勝手に世界が広がっていかないの」
『広がらない、ねえ』
「ああ、その、いつもと違うところはなんとなくわかってて。結末が定まってないのが問題だとは思ってるんだけど、そこで行き詰まっちゃって」
『あはは。いちばん大事なとこじゃん。言わんでも自分がよくわかってるとは思うけどさ』
「はい。返す言葉もございません……」
わかってる。梢の言うとおり。でもそれを改めて第三者視点でつっこまれると、問題の重大さが身に染みる。
『まあ要は、クライマックスをどうしていいかわからんから助けを求めにきたと』
「んー、半分正解」
『ほう。あと半分とは?』
「あー、現状を打破するにはさ、こう……何かしらインプットしなきゃダメだと思って。それはいいんだけど、その……」
ああ。やっぱりこういう話を口にするのはわけもなく恥ずかしい。自分でもどうしてそう感じるのかわからないけど、言いたいことがまっすぐ出てこない。
「なんていうか、インプットするにもどういう切り口から入ればいいのかわかんなくって」
『あはっ。漠然としてんなあ。何言いたいかはわかるけどさ』
「ごめん」と小さい声であやまる。理解してくれる梢に甘えて言いにくいことをはぐらかす自分が、ほんの少し嫌になった。
それでも梢は朗らかな声で応じてくれる。
『苦手分野のことを勇気出して話してんのはわかるから、今回は大目に見てやろうじゃない』
すごい。いまの言葉にどれだけ救われたか。ちょっぴり泣きそうになってこらえて、ありきたりなお礼のひと言を返す。
人の気持ちがわかるからなのか、心に刺さるような言葉をかけてくれる梢が心強い。それでいて、そうやって人の心を動かすような言葉を生み出せる梢がうらやましいとも思う。私にはまだそんな実力も頭の良さもなくて、思いがけず違うベクトルで気持ちが揺れた。
あの部活の休憩時間と、同じ。
梢もまた、知らないうちに私より一歩先に行ってしまったような、そんな寂しさが胸をつつく。
『んまあ、手っ取り早いとこで言えば少女漫画読んだらいいとは思うよ。あとはそういうドラマとか、恋愛小説とか映画とか。いろいろ――』
もしかしたら、私はすでに置いきぼりなのかもしれない。小説のアイデアは出ないくせにそんなことばかり考えてしまうせいで、せっかく梢が提案してくれた内容も話半分になりそうだ。
なんとかして気持ちを切り替えようと、大げさに頭を振って深呼吸をひとつ。はじめに声をかけた私の方が上の空では、時間を共有してくれている梢に申し訳ない。
「そういうの、すぐ影響受けちゃうっていうか、パクっちゃいそうな気がして……」
『影響受けるの怖がってたらインプットなんてできないぞ。んーまあ、どうしてもダメってんなら取材とかは? それなら情報は入ってくるけど、創作物のパクりにはなんないっしょ』
「え。取材って、面と向かってきくの? そういうことを?」
『変に抽象的な言い方すると逆にやらしいから、気をつけなね』
「う……気を付けます。でもそんなの私、」
『無理?』
諭されるような声音に、出かかった相づちがのど元で止まる。梢が真剣に色んなアドバイスをくれているのに、ほとんど考えなしにつっぱねてばっかりだ、私。
「ごめ――」
『そこで一つ朗報だ。取材相手の第一号にわたしがなってあげよう。というかむしろなりたいんだけど、時間は大丈夫?』
「え、ああ……え?」
怒られるのを覚悟していた。だから予想外の提案を受けて、間の抜けた声がもれる。
すこし遅れて脳内の処理を終えた私は慌てて部屋の壁掛け時計を確かめた。
「うん。まだしばらくは話してても怒られないから」
『ありがとう。では訊かれる前に言おう』
ほんの一瞬。言葉が途切れたその一瞬に、なぜだか勘付いた。
『別れたんだよね、さっき』
電話越しの梢の声はいつもと変わらない風で。でも本当は平静を装っているだけだと、いまさらになって気が付いた。




