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第1部

「「恋愛小説ぅ!?」」

「(ちょっと二人とも! 声が大きい!)」


 梢と菜月の反応ももっともだ。予想通りと言ってもいい。

 だけど自分でまいた種とは言え、そんな大きな声で驚かれるのは困る。会話の断片を切り取られてクラスのみんなに変な目で見られでもしたら、折り返した残りの高校生活を灰色に染めることになりかねない。それだけは嫌だ。私は高校の三年間を平穏無事にまっとうしたい。

 おそるおそる辺りを見回してみる。幸いにも二人の声は休み時間の喧騒に紛れて消えたようで、怪訝そうな顔でこっちを見る人はいなかった。


「千佳が? 本気で?  ……ふ、はは、あっはっはっは」

「ちょ、菜月笑い過ぎ……視線浴びちゃうから」


 菜月は机に腰掛けたまま声をあげて笑う。もともと身長も高いんだから、高い位置から注目を集めないようにしてほしい。


「いやいや、そんなこと言ったって! ねぇ、梢?」

「うーん、ごめん。確かにわたしも取り乱した」


 梢は腕を組んで目を閉じ、たった数十秒前の自分の言動を反省するように頷いた。そこまで攻め立ててはいないのに、と思うと私の方が申し訳ない気持ちになる。


「でも菜月、さすがにうーるーさーい。もうすぐ授業だから放課後にでもじっくり聞かせてもらうよ」

「ちぇ。千佳、逃げちゃダメだからねー」

「べ、べつに逃げないよ……」


 半身でずっとこっちを見ながら窓側の席に戻る菜月。

 休み時間で列の乱れた机の間を縫い、静かに教壇の前の席へと帰る梢。

 私はそれを見届けて、小さく息をついた。


「笑われちゃったか。そりゃそうだよなあ」


 恋愛沙汰に縁がないのは、他ならない私自身がよく知っている。それも恋愛小説を書こうと踏み切った理由の一つだ。


「起立、礼――」


 始業のチャイム。

 日直の号令。

 みんなが席に着くざわめき。

 その一つ一つが余韻を残して、ハイトーンな英語教師の声が教室を埋める。そうして気付いた頃には周りの音が消えていた。

 ぼんやりと黒板の上の学級スローガンを眺める。文字を読んでいるわけではなくて、そういうフリをしているだけ。だって、わたしの意識はもう教室の外にいる。


 ここではない。

 きっといまではない。

 いつかどこかの世界線。


 それは遠い昔の記憶かもしれないし、いつか読んだ小説の情景だったかもしれない。そんなよくわからないどこかの、輪郭もはっきりしない景色を思い浮かべては心を揺らす。懐かしいとか、切ないとか、そういう言葉がよく似合う。

 この掴みどころのない情景を、気持ちを、わたしは表現したい。そんなことばかりを考えて、形にならないままいたずらに日々が過ぎていく。

 気付けばもう高校二年生だ。


「……牧村さん、次の――」


 友だちの苗字につられて意識が現実に引き戻された。

 夏服の背中が並ぶ静かな教室。申し訳程度にかかるクーラーの音、締め切った窓の外から聞こえる蝉の声。ほのかに漂う制汗剤の香り。なんの変哲もない、夏の授業のワンシーン。

 梢が前に出て宿題の回答を黒板に記していく。まじめで優秀な梢はまごつかなくて、一緒に呼ばれた男子たちがその場で答えを考えている間に回答を終え、席に戻った。そんな梢を見るといつも背筋が伸びる。白昼夢なんて見ていないで、まじめに勉強しなきゃと思い直す。一瞬だけ。

 そんな折、ふと視線を感じて窓側を見た。教科書を盾にした菜月はこっちを向いてまだニヤついている。幸せなやつだ。そんな菜月も、私は嫌いじゃない。いつも元気を分けてくれる頼もしい存在だ。でも教科書に隠れてこっち見てるの、先生にバレバレだからね。

 そのうち注意されるであろう菜月のことをほんの少し憐れんでから、黒板の上の壁掛け時計を見た。授業が始まってから五分。まだ五分しか経っていないのかと思うと、眠気がどっと押し寄せる。

 一科目の授業は永遠のように長いけど、高二の夏はきっと瞬く間に終わるんだろう。

 夏休みの宿題をため込んで遊び回った小学生の頃みたいに。

 部活と趣味に明け暮れた中学生の頃みたいに。

 そうした記憶のページをめくると、また少し切なくなった。かけがえのない一瞬、それを積み重ねている"いま"は二度とかえって来ない。小学校のとなりの神社で隠れんぼした、いまより少し涼しかったあの夏も。部活の休み時間にスポーツドリンクをがぶ飲みして、早く帰りたいと嘆いたあの夏も。

 だから私は、いまこの時にしか出来ないことをしたい。なにもせず過ごすにはあまりにもったいないと、ノートを開いた。


「えー、この問……」


 黒板をちらりと見て、先生の視線を観察する。そうして安全確認を済ませて、授業用ノートに隠れて開いたプロット作成用のノートへ目を向けた。

 見出しに筆ペンで「新作」と書かれたページは白紙のまま。一週間前に恋愛小説を書こうとした意気込みだけが、もやのようにノートの表面を漂っている気がした。それが文字に変わるなりアイデアに変わるなりしてくれればいいんだけど、あいにく筆を進める後押しにはならないらしい。気持ちだけが先を行っているみたいだ。


「(すぅ…………ふぅ………)」


 静かに深呼吸する。

 授業の内容について考えているようなそぶりでそっと目を閉じる。

 思考を巡らせる。

 これまでの人生で頭の中に刻んできたアイデアを、一つ一つ洗い出すように。

 ひと通り記憶を探って目を開けた。だけどペンは動かない。ファンタジーを絡めた恋愛ならいくつか候補が浮かぶけど、それではアンケートまで取った意味がない。きっと求められているものとは違うから。


(はぁ……)


 この一週間、ずっと同じことの繰り返し。前作を書き終えてからというものの、恋愛モノに関してはてんでアイデアが浮かばない。こうして授業を有効活用しようが、長風呂でリラックスしていようが、ふっと降りてくるのは魔法やらSFやらを交えた話のネタばかり。

 たまに見る夢もそう。やれほうきで空を飛んでいたり、滅亡寸前の地球で奔走していたり。脳の構造からして恋愛とは縁がないんだと、改めて思い知らされているようだ。

 ああ、恋愛。恋愛ってなんだろう。

 年頃の男女があれやこれやの末に結ばれてめでたしめでたし?

 それとも昼ドラみたいな――


「遠山さん」

「はいっ」


 やらかした。思考に集中し過ぎて先生の気配に気付かなかった。

 そもそも教室を徘徊していたのにも気付かないなんて、ここまでくると私の集中力も恐ろしい。授業はさらさら聞いていなかったけど、きっと誰かが当てられて次の章を音読していたんだろう。そうでもなければ授業中の先生に背後から声をかけられたりしないし、なんなら斜め左前の方で教科書を手にした橋本君が立っていたりもしない。

 手早く状況確認を済ませて、私は怪しまれないような所作でプロット用のノートを隠し、おそるおそる振り返る。


「なんでしょうか」


 平静を装う、私の背筋を汗が伝う。周囲の視線を集めているのも嫌だけど、それよりも恐ろしいことが一つ。

 一秒足らずでこの先の展開を想像した。怒られるだけなら御の字。呼び出しもまあギリセーフ。最悪なのはノートを没収されること。これほど大切で、見られて恥ずかしいものもない。もしも取り上げられたら、ああ。その先は考えたくない。

 怖い顔をした初老の英語教師は何も言わず、金縁の眼鏡越しに私の目を見据えたまま横に立った。


「ノートが白紙ですけど」

「あ、はは。ぼーっとしちゃって……」


 自分でもドン引きレベルの下手な言い訳が口をついて出た。梢みたいに頭の回転が良ければ、もう少しうまいことが言えただろうに。

 先生は私の弁明を無視して、授業ノートの下からプロット用のノートを引きずり出した。

 終わった。


「授業が終わるまで没収です」

「……はい、すいません」


 先生は黒板の前に戻ると私のノートを教卓に置き、何事も無かったかのように授業を再開する。残りあと四十分、地獄の時間だ。

 みんなの目に付くところにアレがあると思うと落ち着けるはずがなくて、ついに終業のチャイムが鳴っても私の授業ノートは白紙のままだった。

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