たった一度しか充実したことがないリア充
「今年の夏祭りは中止です」
その知らせを聞いたあたしは、小学四年生にして、初めて絶望というものを感じたのだった。
そもそも「町」とも言えない、村レベルの僻地でダンスなんぞをやっているあたしだ。
近隣の村落にもわずかにいる、少数のチームが集まって「ダンスフェスティバル」が決行されることになったのだが、その数少ない発表のチャンス、夏祭りが無に帰したことは、これ以上ない痛手だった。
「スタジオまで車に乗せていってもらって40分・・・地元では、白い目で見られながら、みんなで神社の境内で練習してたのに・・・」
やかましい音楽をかけながら、何をやっとるんじゃ子供らは。調子にのりおって。
・・・そんな文句をつけてくる年寄りに魅力を分かってもらえるよう、何度も振り付けを調整してきたのに。
「くそう。台風のヤツ。いつもは学校を休みにしないくせに、こんな時だけ直撃するなんて。・・・また当分は、痛ましい視線に耐えながら踊らなきゃいけないのか・・・」
別にフェスティバルが成功したって舌打ちしてくるお爺さんの態度は変わらないかもしれないが、とにかくあたしは悔しかった。
チームを組んでいるみんなの保護者たちが、「せっかく練習したんだから」と、村の公民館を発表の場に用意してくれたのだが、当たり前だがそんな場所にはもともと味方だった人しか来てくれない。
ため息しか出ないようないつもの観客の中、あたしは他の4人と一緒に、キレッキレの踊りを披露したのだった。
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何かと人生の転機において、『成功』をしたことがないあたしにとって、それが第一の「燻り」だったと思う。
それでも、何かをやることは何らかの変化を生んでくれるものだ。
あたしはそれまで全く知らなかったのだが、村でもわりと有名な、引退した町会議員のお爺さんが、たった一人だけ部外者として発表会に来てくれたのだった。
「・・・お嬢ちゃん。とても良い踊りだったよ」
そのお爺さんは、母親に愚痴をもらしていたあたしに、そう言ってくれたのである。
あたしは少しだけ嬉しくなって、ぺこりとお辞儀をした。
やっぱり、他人が褒めてくれるのは損得抜きだから、嬉しいものだ。
しかしそれでも、どこか無意味に感じていたダンス発表会のことを母親に話していたら、お爺さんはこっそり教えてくれたのだった。
「自分の思い描いていたように物事がうまくいかないのは、べつに悪いことじゃないよ」と。
それは後に、あたしの将来を見事に言い当てたものになった。
お爺さんは、こう続けたのだ。
「・・・一生懸命やってきた事がうまくいかないってのはね、それはより大きな、新しい兆候なんだよ。努力の結果に不満を感じる現状は、ただの新しい扉なんだ。”あなたには、あなたがいま願っているより大きな形の成功、今はまだ見えていない幸せが用意されてるんですよ”とな。・・・お嬢ちゃんは、大きくなったら踊りを仕事にしたい人かい?」
あたしは迷いなくその問いに頷いていた。
勉強も好きじゃないし、ほかのスポーツにもそれほど夢中になれたことはないし、自分には踊りしかないと思っていたのだ。
「じゃあ、本当に成功するのはもっと後になるのかもしれないね。長い時間、日陰の努力をしてきた人間ほど、長い時間成功するようにできている。ダンサーか・・・それとも踊りを教える人としてか・・・。ほら、よく言うじゃろう。その道のプロっていうのは、ただそれをやめなかったアマチュアだと。割に何でもうまくいってきた人間の方が、変な美意識を持っててすぐ諦めたがる」
正直、お爺さんの話は難しくて、あたしにはよく解らなかった。
でも、何となくその熱意は伝わってきて、「ありがとう」とお礼を言うことができたのだ。
ーーそれからの学校生活でも、あたしは何度も「燻り」を経験することになる。
中学に上がってからの大会では、チームの仲間が大ゲンカして、何人かが踊りから抜けていったし、高校では文化祭の前日、泊まり込みをしていて半焼クラスの火事を起こしたバカいた。
教室が3つも丸焦げになり、あたしは自分のダンス人生が呪われているのではないかと思ったくらいだ。
張り切って望むはずだった舞台ほど、それはあたしを裏切る形になって、心を挫けさせる。
「・・・お爺さん、これでもあたしはダンスで成功できる人間なのかな。もっと大きな形で、成功しなきゃいけないのかな」
練習以外はちっともうまくいかない物事に、あたしはどんどん考えが暗くなっていったのだった。
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ーーそういえば、出場していた大会での結果が散々だったため、モダンダンスに挑戦し、新たな方向を模索するはずだった高校の文化祭が中止になったことで、一つだけいいことがあった。
それは、「弥子」という少女と出会えたことである。
・・・まあ”出会う”とは言っても、隣のクラスの子だったし、あたしはずっと気にしてたんだけど、ちょっと訳があって彼女とは敵対していたのだ。
「弥子」は、ものすごく踊りが上手い女の子だったけれど、あたし達の通う町の、ダンススタジオの子ではなかった。
それよりずっと離れた、都市の方にある教室に通っていた少女なのだ。
あたし達のチームリーダーはプライドの高い子だったから、それが面白いわけがない。
実のところ弥子は、ただ母親の知人が経営しているスクールに入っていただけなのだが、何かとこちらから嫌な態度を取るようになり、もうメンバーの何人かは、取り返しのつかないくらいにお互いを憎むようになっていたのだ。
「・・・パチパチパチ」
たぶん、彼女のことを嫌いじゃないのはあたしくらいだったかもしれない。
正直、ダンスに関係すること以外は人なんてどうでもいいと思っていた酷いあたしは、文化祭の火事が消された後の体育館で、彼女が一人で踊っているのを初めてマジマジと見ることができたのだった。
「・・・? あなたは・・・」
ぽかんとした表情で、彼女はステージに立っていた。
まだ外には、消防士さんや、警察の人達が出入りしている最中だ。
体育館に忍び込んで踊ってやろうという人間は、おかしなフラストレーションを溜めた人間は、あたし達くらいだったのである。
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それからは、弥子すらも、あたしの「燻り」人生に巻き込むことになってしまった。
妙にウマが合った二人は、高校を卒業してから、同じダンスプロダクションに所属するために、上京することに決めたからである。
まず持ち前の天性で、さっさとオーディションに受かって事務所に所属できた弥子だったが、そこから「雨女」的な、あたしの体質に巻き込むことになってしまった。
彼女に用意された仕事、ちょっとしたイベントや、バックダンサーなどの依頼が、ことごとくポシャってしまう事態が発生したのである。
屋外ならゲリラ豪雨や竜巻、舞台なら主要関係者のドタキャン、スポンサーの撤退など、なぜか弥子が受けた仕事は、片っぱしから潰れていくことになってしまったのだ。
「・・・まあ、この業界は、この世で一番変化に対応しなきゃいけないくらいの仕事だからねえ・・・」
何とかあたしも一年後に滑り込めたプロダクションの女代表は、しぶい顔をして、そんなことを言った。
小さな事務所だったが、彼女は弥子とあたしが尊敬する、元高名舞踏家だったのである。
弥子を送り込んでは突き返され、あたしを送り込んでは突き返され、仕事を取ってくるのが並外れて上手い代表は、それでも少しずつあたし達を使いつづけてくれたのだが・・・。
それまで二人きりの時は、ずっと思っていた。
この業界は、とても切り捨てが厳しいから、どんな目に遭っても耐えていこうと。
おかしな仕事をさせられそうになったら、貧乏でもいい、何とかダンスだけで食べていける、インストラクターにでもなろうと。
しかし世の中とは不思議なもので、本気で踊りに打ち込める、奇跡的にまっとうな事務所に所属できたにも関わらず、その力にまったくなれないという、幸運と不運が折り重なった事態に自分たちは嵌まってしまったのだった・・・。
・・・それから2年間、あたしと弥子がまともにやれた仕事は、なかったと思う。
途中からは代表も面白がってしまって、「今度の派遣はアウトレットパークだから、バルーンが落ちてくるわよ」とか、「次は脚本家と演出家の仲が最悪の舞台だから、バックでお茶を濁しまくっておきなさい」とか、どんどん適当な指示が飛ぶようになっていた。
唯一あたしの評判が高かったのは、都内のスタジオを回ったり、地方のダンススクールに出張したり、幼い子供に接する時だっただろうか。
天才肌の舞踏家である弥子にずっと接してきたせいで、その言葉に出来ない踊りの凄みをどう吸収するか、そして人に伝えるか、長い間考えてきたのだ。
それに、「成功」というものをまともに味わったことのないあたしは、どんな子が、どんな壁にこれから突き当たるのか、不思議と見抜くことも出来た。
そんな風に新しいライバル達を育て、時々は事務所に貢献しながらも、それでもあたしと弥子は、ずっと長いトンネルをくぐり続けていたのだ。
「・・・このまま、何事もなくダンサーとしてのピークを過ぎていくのかなあ・・・」
「それもいいかもね。あたしは最近思うんだよ。踊りに関わってるだけでものすごく幸せなことだし、高校時代に弥子に出会えて、ここまで引っぱり上げてもらったことで、あたしは運を使い切っちゃったのかなあって・・・」
あたし達は、しばしばお酒を飲みながら、そんな話もするようになっていた。
このまま現役を終えても、じゅうぶんリア充だよ、と、男をつくる暇もなかったのに、笑顔であたしは言う。
弥子も、かすれたように口元を曲げていた。
「私も、男はいいかなあ・・・なんか、人が付き合ってるの見ても、全然羨ましいって思えなくて。そんなのより、ダンスのさりげない”振り”に気づく観客がいて、信じられないビルドテンションで上がっていけて、これより気持ち良いことなんかない気がするんだよねえ・・・」
分かる気がする、とあたしは思った。
踊り以外のものにエネルギーを使ったり、不必要なまでに快楽を貪っていると、本当に鋭い人には伝わってしまう、”爛れた流し”にしかならないのだ。
そういうダンスをする人は、どんな技量を持っていても、人を感心させることができても、心を動かすものはない。
あたしは高校時代の友達とあっさり縁を切れたことから、冷たい人間なんだと思ったいた。
踊りのうまい弥子にホイホイ鞍替えした、節操のない趣味ビッチだと。
でもそうじゃない。人間の熱量なんて、限られたものなのだ。
あたしはただ、より舞踏の世界の”中心”に魅せられた、脇に目が行きようのない不器用女なのだ。
「ーーさて。そろそろ切り上げますか」
いつもの居酒屋で焼酎を飲みきり、あたしは言う。
「・・・そろそろルームシェアも解消する? あなたも、もう貯金はずいぶん貯まったでしょう」
弥子はそんなことを言ってくるが、「あら、あたしを振る気? 雨がなくなると、それはそれで後悔するわよ」と頬に手を当てて笑ってみせる。
「いや、そんな気はないけど・・・最近あんまり「雨」降らなくなってきたからさ。なんか変わり時なのかと思って」
そういえばそうだな、とあたしは思う。
近頃の仕事で、おかしなストップがかかることがほとんどなくなっていたのだ。
・・・いや、まあそれが普通なんだけどさ。
あたしと弥子は、いつものように酔っぱらって、手をつないでふり回しながら、自宅へと向かったのだった。
ーー爆発したのは、その次の仕事だった。
考えてみれば、レッスンの時の助手以外で、あたしと弥子が同じ舞台に立ったことはなかった。
しかし、その週明けの映画のモブ撮影で、初めて二人揃ってのダンスを、仕事で見せる機会が訪れたのだった。
「何それ? 誰が考えたの、その動き」
まだマイナーな監督の映画で、主人公がたむろする路上で踊っている、ただのフリーター役だった。
指定された踊りも平凡なもので、あたし達は暇潰しに、カメラのこちら側でダンス遊びをしていたのだった。
「ちょっと、監督! 面白いですよ、この子ら」
まだ照明の準備やメイクが入っている段階だったので、監督にも余裕があった。
台本を丸めた目つきの悪い小男に、あたし達はまた同じ踊りを見せることになったのである。
ーーそれは、長年ちゃちゃ入れを繰り返してきた弥子とあたし独特のダンスで、はじめは邪魔にしかならなかった絡みが、徐々にパートナーの踊りの精度を上げていき、最高潮で相手の背中でウィンドミル→エアートラックスからの立ち上がりという、瞬間的ではあるがなかなかショッキングな構成になっていた。
「大谷ちゃん!」
それを見た監督は、すぐに脚本家を呼び寄せる。「どう? この子らにさっきのやらせて、コウ君のセリフ普通に回せる?」
何やらスタッフがザワつき始めて、それでもあたし達はいつものように、淡々と踊りをこなしていったのだった。
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結果的に、弥子とあたしが脚光を浴びたのは、その映画でだけだった。
しばらくはテレビにも呼ばれることはあったけど、それはほとんどが”見せパンダ”としてで、本当のダンスのためじゃない。
自分たちの踊りの将来に繋がらないということで、弥子とあたしはまた日陰の道を行きたいことを事務所に伝えたのだった。
「まあ、それでもあんた達のおかげで、この事務所もしばらくは安泰だねえ。二人が入りたての頃は、雨だの嵐だの、スカの仕事ばっかで、どうしようかと思ってたけど・・・まあ神様はボーナスもくれるもんだから」
反対されて、「どんどんテレビで稼いでこい! 恩を仇で返す気か!」と怒られるかもと思っていたが、代表も有名なダンサーだっただけのことはある。
どのみち本業を忘れればすぐ終わってしまうか、うまくいってもウソくさいタレントにしかなれないことを、骨身に沁みて分かっているようだった。
・・・あたしと弥子は、それでも社長室を出る最後に、尋ねてみる。
ずっと、心に引っかかっていたことがあるのだ。
ーーどうして、仕事がポシャってばかりだった二人を、使いつづけてくれたのか。
ーーどうして、赤(字)しか出さなかったあたし達を信じることが出来たのか。
それを聞いた代表は、むず痒そうに腕に手をやった。
机の上に転がっていた飴の袋をやぶき、口に入れる。
「・・・別にあたしゃ、良い人なんかじゃないよ。あんたら向きじゃない仕事は、ちゃんと他の子や、時には他の事務所にも回してたからね。依頼者のニーズに、最大限応える。それが今のあたしの仕事さ」
・・・ただ、と代表は続けた。
「あんたら、『社交性』と、『コミュニケーション能力』の違いって、分かるかい?」
いきなり変な質問をされ、あたし達は言葉に詰まった。
それは同じ意味ではないのか?
「『社交性が高い』ってのは ”雑談が上手い” ってこと。『コミュニケーション能力が高い』ってのは、多少不器用でも、人の心に届く言葉を言える人間さ。あんたらのダンスは、人の記憶に、温度といっしょに残るんだよ。少なくともその可能性を、あたしは感じた」
もう行きな、という風に、代表は手をふった。
失礼しますーー
再び感謝を込めて、あたし達は頭を下げたのだった。
それから、有名になった『ツイン・ムーブ』と呼ばれた二人は、無難に歳をとっていった。
「あ、あの映画の!」
と、たびたび驚かれることもあったが、そんな時は、ダンスレッスンの派遣先で、あたし達の言葉は、生徒に届きやすくなっていたと思う。
「・・・だめだめ。キミは大技に入る前に緊張して、ステップがもう片寄りはじめてるから」
ほんとに上手い人は、基礎がめちゃくちゃ格好良いんだよ、とあたしは弥子の動きをトレースした、ブレイクダンスの エントリー を流してやる。
子供たちが目を輝かせはじめたその瞬間、大技を決めてやるのだが、正直、こんなものを焦って身に付けてほしくはないと思うのだ。
「大丈夫、大丈夫」
あたしは口ぐせのように、教え子たちにそんな言葉をかけるようになっていた。
昔の自分もそうだったのかもしれないが、とにかく今の子は、プロを目指していれば幼くても切迫感がある。
厳しい道だと、文字通り身体で理解しているから、どうしても他の人から遅れるのを嫌ってしまうのだ。
・・・あたしも以前は、どこか不器用で、固まった考えを持っていて、先人の教えを鵜呑みにすることなど恥ずかしいと思っていた。
それじゃあ自分は、同じことを繰り返すだけで、新しいものなんて何も生み出せないじゃないか、と。
でも、今のあたしは、少しだけ息をつくことが出来る。しばらく足を止めて、胸を張って言うことができるのだ。
「皆から『一度しか成功していない』と言われるあたしでも、何とかダンスで食べていけてるよ」
練習の終わりに整列した子供たちや、その親御さんは、笑いをかみ殺してそんな話を聞いてくれる。
「・・・どんな道にも、天才はいる。でも、残りの99%のプロは、諦めなかったアマチュアだから。みんな、ダンスを嫌いにならないで。それだけで、道はいくらでも、どこにでも通じてるから」
いつかに聞いたお爺さんの言葉は、確かにあたしの心に届いていた。
そして、それを継いだ言葉も、あたしを生かしてくれたダンスへの思いも、誰かに届けば嬉しいな、と今は素直に思うことができるくらい、ささやかで確かな成功をした自分がいるのだ。