第四話:こうして静稀はヒールアイドルに誘われた。
第四話です。
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「ヒールアイドル?」
ホールの扉の前にはまだ人だかりができている。そこから聞こえる喧噪も未だに変わらない。
それでも、羽野静稀はその言葉をしっかりと聞くことができた。
彼女は全く聞いたことのない言葉に首をかしげる。
その様子に、夜弦魅乃はケラケラと笑った。
「まぁ、その反応が普通だよ。普通のアイドルを目指す人には関係のないものだからね」
彼女はこほんと咳払いして、話を続けた。
「いわゆる悪役のアイドルなんだ。これはアイドルでも何でもそうなんだけど、倒すべき敵があると、その人はより輝く。その明確な敵として、ヒールアイドルが存在するんだよ」
「敵、ですか?」
「そう、ライバルじゃなくて、完全に敵。慣れ合うことも共に同じ方向を向くこともなく、学園のアイドル、さらに他の一般的なアイドルや歌手、モデルに対して、完全に敵対するアイドルとしての位置づけ。私達が共に肩を並べるのは同じヒールアイドルだけなんだ」
あまりにも魅乃はハキハキと語る。そんな彼女の様子から、悪役としての印象は感じられない。
「具体的にどんな活動をしているんですか?」
「そうだね。例えば、同じヒールアイドルだけでライブを行ったり、一般的なアイドルが何らかの理由で出演できなくなったフェスに、乗っ取りという形で穴埋めしたりね。あくまで敵対するというスタンスを取って、アイドル業界を盛り上げているんだよ」
「結構、重要なアイドルなんですね」
「ま、世間的なイメージは悪いし、ファンも付きにくいから誰もなろうとしないんだけどね」
その言葉に、静稀は疑問を抱いた。
誰もなろうとしないのなら、需要があるのだろう。どうしてもアイドルになりたい人がこの選択に手を伸ばさないはずがない。
少し表情を変えた静稀の考えに気付いたのか、魅乃は補足する。
「そうそう、これは一番重要なんだけど、ヒールアイドルはグループの転向ができない。それは悪役であるという印象を強くもたせるためなんだ。だからヒールアイドルになるのは元々このアイドルを目指していた人だけ。最初からヒールアイドルを選ばなければ、この活動はできないんだ。そして逆も同じ。ヒールアイドルを選んだ人はアイドルを止めるまで、ヒールアイドルのままで、また復帰するときもヒールアイドルとして復帰する」
「徹底していますね」
「そうだね。そう徹底しているからこそ、ヒールアイドルに価値はあるんだ」
そして魅乃は少し困ったように続ける。
「で、『エールトライト』に入学した新入生でヒールアイドルを目指す人はほとんどいない。毎年、こんな感じで新入生に声を掛けているんだけど、収穫はなくてね。私の代は私ともう一人しかいないし、一つ下は一人もいない。結構まずいんだよね」
魅乃は人だかりに指をさす。彼女の指の先には慌ただしく新入生に声を掛ける上級生の姿があった。
かなり顔色は悪く、少し不気味に感じられる彼女に、新入生は困惑したように離れていく。
「向こうも手ごたえはなさそうだね。おや、ちょっと休憩かな」
魅乃と同じグループである上級生はうなだれながら、人だかりの外に出てきた。少し疲れた様子である。
「あの方は?」
「『ロスト』のもう一人のメンバーで、鈴胡紺だ」
鈴は魅乃の隣にいる新入生を見て、思わず駆け寄ってきた。
静稀はそんな彼女に、また特異な魅力を感じた。
魅乃と比べて、鈴はあまりにも弱々しく感じる。
けれど、守ってあげたくなるような弱々しさではなく、不気味で不安定で、ある種の危なっかしさを感じさせる容姿が特徴的だった。
ぎょろりと開いた瞳、目元の深い隈、紫がかった唇。白髪の混じったボサボサ髪、病的なまでの青白い肌、線の細い身体。理由はどうであれ、目を惹きつけて離さない容貌だった。
「もしかして、『ロスト』の希望者ですカ?」
「いや、この学園のことを紹介していただけだよ」
鈴はたどたどしく言葉を放つ。そして魅乃の言葉に、視線を静稀にやる。
魅乃とは全く異なった迫力に、静稀は少し後ずさってしまう。
「ほう、これはこれハ」
「お、どうした?」
鈴はニヤリと口を歪める。
「えっと、あなたの名前は?」
「あ、はい、羽野静稀です」
「こほん、羽野静稀さん、もしよかったら、ヒールアイドルにならない?」
彼女はしっかりとした口調で、提案した。