プロローグ:こうして静稀は入学を決めた。
「羽野静稀さん、もしよかったらヒールアイドルにならない?」
その一言が静稀を変えた。考え方もあり方も、何もかもが変わった。
アイドルは光り輝く存在。
歌やダンス、演技など、様々なパフォーマンスが上手い人がアイドル
そう考える静稀にとって、幼馴染の佐倉灯叶はアイドルのような少女だった。
自然に周りを明るくさせる、ひまわりのような笑顔。
少しおっちょこちょいで愛嬌のある振る舞い。
まっすぐで誰が相手でも、どんなものにも真摯に取り組む姿勢。
小柄で華奢で、けれど健康的に見える容姿。
これ以上ない魅力を備えている、自慢の幼馴染だった。
そんな灯叶に惹かれて、導かれて、静稀は彼女と共に行動してきた。
同じ場所で遊び、同じことを習い、同じ道に進む。
灯叶のようになりたいという思いはなかった。彼女は自分とは違って魅力があり過ぎる。
ただ、彼女のそばにいるために、ただ、誘ってくれるままに、静稀は同じ道を選んだ。
「ねぇ、静稀ちゃん、私、アイドルを目指そうと思っているの」
灯叶は必ず静稀に夢を語る。
ただ自身の夢を他者に打ち明けるためではなく、静稀の意思を確認するためだ。
ずっと同じ道を歩んできたことを知っているから、彼女が何か一歩踏み出す時は、静稀に確認を取る。
それは彼女が十二歳の夏だった。灯叶は真剣な表情で、夢を明かした。
「アイドルか……そうか」
普段は穏やかな表情を崩さない灯叶が、厳しい表情を見せる。そこには少し緊張も含まれているのだろう。その表情は灯叶の言葉が本気のものだという証拠である。
この時に初めて、アイドルを目指すという話を聞いた。
けれど、その告白に戸惑いはしなかった。
アイドルが、灯叶にふさわしい道だとすぐに納得できたからだ。
灯叶は静稀に、一部のパンフレットを渡す。
可愛らしさが詰まった制服を着た、魅力的な少女が校舎を背に、木陰の下で微笑んでいる。
その表紙は完成された芸術のようで、静稀はそのパンフレットから目を離せなかった。
パンフレットには『エールトライトアイドル学園』の文字が綺麗なフォントで記されていた。
学園の入学案内である。それを一枚めくる。
「あたしはこの学校に入学して、アイドル活動をしようと思うんだ」
「うん、いいと思う」
静稀は即座に肯定した。そもそも灯叶の選んだ道に間違いはない。昔から彼女の語る夢を否定したこともない。
灯叶は表情を緩めた。否定されることはないと考えていても、実際言葉にして伝えるまで結果は分からない。静稀の言葉を聞いた彼女は胸を撫でおろした。ほっとしたよう。
そして、灯叶はいつもと同じ言葉を続ける。
「静稀ちゃんも一緒に目指そうよ」
灯叶からのアイドル学園の誘いだ。
静稀は自分がアイドルに、とは全く考えていなかった。
誘いに少し考えると、静稀は自身をアイドルにはふさわしくないと感じた。
背は同い年の男子より遥かに高く、あまり感情が表に出なくて、笑顔を見せることができない。
いつも寡黙で、灯叶の後ろをずっと付いているような人間だ。
自身を可愛らしさの真逆の位置にいると考えていた。
それがどのような夢でも静稀は彼女のそばに立つ。
「そうね。一緒に頑張ろう」
静稀はそう返した。結局のところ、その答えしか彼女の中にない。
二人は『エールトライトアイドル学園』を受験し、合格した。
静稀は灯叶が合格することは当然のことだと考える。
彼女がそれだけの才能を持っていたことや、才能に溺れず、努力し続けたことも知っていたからだ。
なんでも主席合格らしい。それすらも当たり前の結果だと考えられた。
そして、静稀自身はその合格の端に引っかかったことに安堵する。
合格通知の順位を見れば後ろから数えたほうが早い。運が良かったのかもしれない。
けれど、確かに静稀は合格した。
また灯叶のそばにいられる。
そのために入ったアイドル学園で、灯叶とは全く異なる道を歩むことになるとは夢にも思わなかった。