9_第三のプレイヤー
詩織さんは優さんの部屋から出て、帰宅しました。そろそろ夕食の準備をしなければならないからです。保護者の薫さんはお仕事があるので食事の用意をするのは二人暮らしのもう片方である詩織さんのお仕事なのでありました。
薫さんの帰りはだいたいいつも19時を回るので、日が落ちるまでに帰宅すれば時になにも言われません、最も夜遊びをするような詩織さんではありませんでしたし、近くにそのような遊べる場所もありませんような地域でありましたので、今まで一度も、なかなか帰ってこなくて心配させたこともありませんでしたが。
夕食の材料はすでに揃えてありましたので、さっくりと仕上げていきます。詩織さんは、優さんに一緒に夕食とかどうですか?と誘ってみましたけれども、さすがにしどろもどろながら、照れながら断られました。
「迷惑でしたか?」少し悲しそうに言う詩織さんに対して。
「いえ、さすがにいきなりは悪いでしょう、また今度改めて誘ってくださいな」と大人の反応をちょっと照れながら返した優さんでありました。
薫さんが帰宅して、一緒に夕食をとります。ミートソースのスパゲッテイを中心にして、コンソメのスープときゅうりと人参とレタスのサラダです、ドレシッグは手作りです。
「今日は、お隣の人と友達になったんですよ」嬉しそうに言う詩織さんです。
「ええと、確か柳田さんでしたか?」薫さんが、ペロリと口の周りについた赤いソースを舐めながら相槌を打ちます。
「そうです、柳田優さんです。最近ハマっているゲームがあるんですが、優さんもそれが好きだったみたいで、同好の志、発見しました」ピッと人差し指を立てる詩織さんです。
「よかったですねぇ。時間が合えば私も一緒に遊べるのですが」
「それ、いいですね!あ、でもお仕事で疲れているのに迷惑じゃないですか?」
「他人行儀なことを言うんじゃありませんよ、でもまあ、無理じゃない時に寄せてもらいましょうかね?一度柳田さんにもあっておきたいですし」
「はい、楽しみにしてます、ええとじゃあ今度夕食とかに誘ってもいいですか?」
「いきなり仲良くなってますね?いいですよ、できれば週末がいいですけど。あと、柳田さんって、お酒いけましたかね?」
「薫さん、優さんをダシにしてたくさんお酒を飲むつもりですね?ええと、一応聞いておきますね」
「もちろんいいお酒を飲む機会は逃したくないのですよ。聞いておいてください、あと、飲むなら好みも聞いといてくれると、選ぶ時に助かります」
「了解しましたけど、うーんあまりたくさんはダメですよ?金銭的にも健康的にも」
「はっはっは、すっかり財布を握られてしまいましたね、了解いたしました奥様」
「うむ、良きに計らうがよかろうなのです」いたずらっぽく笑う詩織さんでありました。
次の日は新学期でありました。詩織さんは徒歩20分ほどの小学校へと登校します。先日の雨でいささか、桜の花も散っていて、水溜りにもぞもぞひたひたと大盛りになっている花びらを、ちょいちょいとかき分けながら、校舎へと続く道をのんびりと歩いて行きました。
久方ぶりの級友と朝の挨拶を交わしつつ、新しい教室へと向かいます。詩織さんの学校では5年生から6年生への進学時にクラス替えがありません、というのも生徒の数が少ないので学年に一クラスしかないからです。ですので、昨年卒業した先輩の教室へ向かえばいいだけですので、特に迷わずに進んでいきます。
たまに昨年度までの教室へ行きそうになった方が、あれ?という顔をしつつ、自分のありがちな失敗を笑いながら、新しい教室へと向かい直している、この季節の風物詩が見られたりもしています。
「というか、詩織、一瞬前の下駄箱へ行きそうになったでしょう?」
「お見通しですか、すみれさん」
「わかるわよ、私もやりそうになったからね」にししと笑って答えているのは、ショートカットの黒髪で、クリクリとしたお目目をちょっと大きめのメガネごしに見せている、女の子でした。オーバーオールの胸もとに、手を入れて、ちょっと気取って立ってます。
「人のことは言えないではないですか?」
「もうすでに失敗を乗り越えた先人の忠告でありますよ」すっと、右手で額を自分の額を押さえるようにしてポーズをとります。
そして二人してクスクスと笑います。
「おはよう詩織、今年もよろしく」
「はい、すみれさん、よろしくお願いします」軽く手を上げて、挨拶をしました。
全学年集めても、200人に満たない小学校の上に、新一年生はまだ入学をしていませんので、ちょっと寂しいくらい空間が空いている講堂兼体育館で始業式がされています。ちょっと古めのパイプ椅子を並べて、行っていますが、この椅子はそのまま少し並べかえて、入学式にも使用されます。でなけれは、前期の終業式や、後期の始業式では特に使用しないで倉庫に片付けられているままになっています。
少子化のあおりを受けて、パイプ椅子とかがあまり気味ではありますけれども、古く壊れかけたりしたものを除いているので、綺麗に使用できる椅子の数は、人数にふさわしいほどしか残っていないようです。うまくできてるものですね、と詩織さんは、校長先生のお話を聞き流しながら、感心していました。
詩織さんの小学校には規定の制服もありますが、その着装は任意でありまして、気分を変えたい時とか、校外の学習に出る時とか特別な時でもなければあまりそれを身につける方は少ないようです、実際始業式程度での着装率は50パーセントほどでしょうか?一応入学式ではみなさん制服でお願いいたしますね、と教頭先生から通達があります。
制服のデザイン自体は、ちょっとしたスーツとかブレザーとかみたいで結構綺麗なのではありますので、それほど人気が無いわけではありませんが、いかんせん、洗濯とかクリーニングに手がかかるし、成長期には買い替えが頻繁に発生して不経済なのですよね、と詩織さんはちょっとため息をつきます。
「成長を見越して大きめを注文しておくという手も、程度がありますしねぇ」
「主婦みたいだよ、詩織」
思わず口に出た感想を耳にしたすみれさんが、すかさず突込みます。
「家計を預かっている身としては切実です」
「あー、ごめん、確かに色々大変だったみたいだね」
「あ、気にしないでください。それに、自分のお小遣いを自分で決められるので、結構潤っているんですよ?」
「それは羨ましい、今度うちで散財しなさいな」
「回らないお寿司屋さんへ気軽に行けるほどのお小遣いはないですよ」
「そこまで高くねえよウチは。たまには薫さんと一緒においでよな」
「春のお寿司ですか、祭り寿司とかいいですね」ちょっとうっとりとした表情になる詩織さんでありました。
そこ、私語は慎みなさい。と注意されて、ちょっと首をすくめる詩織さんとすみれさんでありました。
「今日はこれから御暇ですか?」詩織さんがすみれさんに尋ねます。始業式が終わりまして、春ですけどまだ冷える講堂から、新しい教室へと帰ってきて、新しい教科書やらを配り終えて、ちょっとしたガイダンスを終わらした後のことです。
週休二日が完全に実施された後、しばらくして、さらに隔週水曜日がお休みになった教育現場では、始業式の日にも給食が用意されて午後にも授業があります。
その合間を縫っての休み時間に、詩織さんはすみれさんに声をかけたのでした。
「うん、大丈夫だよ?別に予習とかするタイプじゃないことは詩織も知ってるでしょう?」
「その点は、少しくらいしておいてもいいような気もしますけど。ええと、面白そうな遊びを見つけたのですけど、ご一緒しませんか?」
「これはびっくり。危ない遊びのお誘いですか?」ちょっと声を潜めて尋ねるすみれさんです。
「ある意味、危険かもしれませんが、法には触れませんよ?」
「?ええと、マジ?」
「ある種の中毒性はありますけど、今の所合法です」
「いや、それ何?怖いんですけど?」
「今日は早めに帰宅できる日程ですから、よければウチに寄りませんか?危ない遊び云々は冗談ですよ、ちょっとしたゲームを祖父の書庫から発掘しましたので」
「闇のゲームの始まりか?」ちょっとシリアス顔のスミレさんです。
「???なんでかすそれ?」
「いやうちに転がっていた古い漫画にそんなのがあってな、結構燃える展開で好きなんだよ」
「そうなんですか、そういう感じじゃあありませ……否、ある意味あってますね方向性は」
「え、あれ、もしかして僕、新しい世界への扉を開いちゃう系列の展開か?」ちょっと躊躇している感じのスミレさんです。
「いえ、そのような劇画というかコミックというか、漫画みたいな展開で楽しめるような種類のものだと思うのですよ」
「ええと、よく分からないけど、分かった。ついでにいつも通りに課題も教えてくれるというなら、断る理由もないな」
「課題の面倒を見るのは、確定なのですね。まあいいですけど」
「おう!じゃあ、家に連絡入れておいてから一緒に帰ろな。詩織のちだったらうちのも文句は言わないから、問題ないね」元気に了承する、すみれさんでありました。
「というわけで、このようなゲームを発掘しましたのですよ」
「ほへー。まさか詩織からテーブルトークRPGの話題が出てくるとはなぁ」
詩織さんの自室です。ローテーブルを出してきて、軽くお茶菓子とお茶、今日は日本茶にお饅頭です、あんこがたっぷりというか、あんこの身に薄皮のあんこで包んだほぼ100%あんこの物体で、致命傷を与えるくらい甘いかと思いきや、実は結構甘さ控えめで美味しいお饅頭と、家飲みのほうじ茶がコンボになって襲いかかってきています。
机をの角一つを挟んで、サラサラと図表やら冊子やらを広げて詩織さんはすみれさんへ説明していました。
「あ、ご存知でしたか?」
「うん、というか、『闇のゲームの始まりだぜ』が決めゼリフの漫画にこの種のゲームの紹介があってね、ちょっと興味はあったんだ。このRPGゲームを遊んでいる様子を描いた、紹介漫画とかも好きな作者さんがしてて、古本屋で投げ売りしてたから漁ってきて読んだりしたよ」『おこんないでね』とか好きだったなあ、と続けて呟いています。
「そうなんですね」
「このシステムは知らないけどね、同人作品?」
「そうです。お爺様が関わっていたみたいでして、書庫にありました。私へのプレゼントとしてまとめてあったんですよ?結構好みではありませんか?て手紙を添えてあって」
「あー、言われてみれば、詩織この手のやつ好きそうだよな。むしろ今まで知らなかった方が驚きかもしれん」
「そうなのですか?」
「本好きで、さらに自分でお話を作るのも好きだろ?よくネタ出しの相談に乗ってもらってるし」
「ええと、お話を作るのは好きか嫌いかというよりは、ただの日常の延長ですのであまり意識したことはないのですが?」
「自然に妄想を周囲に振りまくことができる人が、お話作りが嫌いなわけないじゃねーか」
「そんなものですかね?」
「実際にゲームをしたことはないけど、一度やってみたいとかは思っていたんだ。いいよ、遊んでみようや」にっこりと笑って答える、すみれさんでありました。
「よかったです。これで仲間がまた一人増えました」
「あれ?もう一緒に遊んでいる奴がいるの?薫さん?」
「薫さんはちょっとお仕事が忙しので、まだタイミングが合ってないのですよ、お隣に優さんという方がいまして、偶然にもこの『つくたん』経験者だったんです。いろいろあって、遊んでもらいました」ちょっとうっとりとした表情で言い放つ詩織さんです。
「ええともしもし?優さんって?」
「ええ、凛々しくて、頼り甲斐があって、経験も豊富で優しくいろいろリードしてくれて、それでいてちょっと可愛いところもある素敵な方なんですよ」
「ちょこちょこ、ツッコミたい表現があるけど、ええと、大丈夫な人なわけ?」
「はい、もちろんです、私の初めての人なんですから」
「いや、その表現は色々問題あるよね!僕の知らない間に、詩織が大人の階段を三段飛ばしくらいで駆け上っているような表現だよそれ!」ちょっと赤くなっているすみれさんです。
それを見て、にこやかに笑っている詩織さんです。
「あー!またからかいやがったな!」それを見てちょっと怒るすみれさん。
「冗談ですよ、ほんと、いい人です」
「ううう、偏見なくその優さんとかいう奴を見れなくなったどうしてくれる」
「もう本当に、いい人すぎて、もう少し積極的に来てくれてもいいくらいな、紳士さんですよ」
「だから、発言に気をつけてくれよ。いやもういいや、振り回されないことにしよう」
あら残念ですね。と思わず呟いた詩織さんに軽いツッコミを入れるすみれさんでありました。
今日は軽くルールを確認して、今度おやすみの日でも一緒に遊びましょうね、という段取りとなりました。
「その時に優さんも紹介しますからね」
「本当に大丈夫な人なんだろうな?」
「余人に、譲りたくないくらいには、気に入っておりますよ?」にっこりと詩織さん。
「怖いわ!」詩織さんの目が、笑っていないことに気がついたすみれさん、魂からの叫びでございました。