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平面の果て

作者: 知風

二次元の世界に生きる命。その輪廻転生をあなたは想像できるだろうか?

                    (1)カイとテラ


 それは初めての経験だった。

 生まれてこの方、カイは自分以外のサーフの姿をしっかり感じたのはこれが初めてだった。やつはすごい速さで、あっという間にカイの前に迫ってきたのだ。

 サーフは自分がどれくらいの速さで移動しているか、普段はわからない。ごくたまに出会う固定面だけがそのときの自分の移動速度を計る指標となる。固定面は、この無限に続く平面の中で静止している唯一の存在なのだ。

 移動中、固定面と衝突する可能性がある時には、サーフの感覚器が警鐘を鳴らす。サーフは固定面との相対速度を感じて速度を落とすのだ。たとえぶつかっても死なない程度に。だから、感覚器が警鐘を鳴らしたときに、安全に減速できない速度は出さないように移動するのが普通なのだ。

 だが、やつは違った。体の幅を大きく広げたままで猛スピードで突進してきた。固定面にぶつかったら確実にバラバラになる速度だった。

 カイは感じた。

『おれのほうがやつよりも大きい』

 その時、たまたまカイは左右が固定面となっている通路のような隙間を、身を細めて通過しかかっていた。やつはというと、自殺を諦めたのか、この隙間を通過できるように、槍のように体を細めた。

 大きな固定面がこのように並んでいること自体珍しいのだが、このような通路状のところでサーフどうしが出会ったときには、普通は面積が小さい方がコースを変えるか、止まって大きい方に道を譲ることになっている。これがサーフのルールなのだ。誰に教えられたわけではないが、本能的にカイは知っていた。

 だから、本来やつはカイに道を譲らなければいけなかった。だが、やつはスピードを落とすことなく、そのままこの通路に、カイに向かって突進してきた。逃げ道はない。この相対速度では、やつはカイの体にめり込んでしまう。ヘタすれば、やつはカイの体を真っ二つにして突っ切ってしまうかもしれない。そうでなければ、ふたりとも小さなバラバラの破片になってこの通路から吹き出すように平面に飛び散るかだ。

 カイは本能的に左の固定面に線のように身を縮めてへばりついた。

 その横を、まさにギリギリのところでやつはすり抜けて行った。カイは、横を過ぎ去っていくやつの体長を確認した。伸ばした自分の体の両端に感覚点を集中させ2方向からしっかりと感じた。

『やっぱりおれの面積のほうが大きい。やつはルールというものを知らないのだろうか?』

 カイは固定面の隙間から平面に飛び出したやつを追いかけ、そして追いついた。ふたりの相対速度はゼロになった。

 カイは、やつと輪郭の一部を密着させて境界を共有した。意思疎通を始めたのだ。共有部分の境界を複雑に出入りさせ変形させて相手に意志を伝えるのが、二次元世界に住むサーフの会話なのだ。

「おい、どうして道を譲らなかったんだ。危なかったぞ。ぶつかっていたらふたりともバラバラの破片になっていたかも知れない」 

「おれはもう、どうなったっていいんだ」

「なんだと。『どうなったって』ってどういう意味だ?」

「だから、死のうとしていたんだよ」

「お前が死ぬのは勝手だ。しかし、だからといっておれを道連れにする必要はないだろう。そんなに死にたけりゃ。固定面にぶつかれば良かったんだ。今くらいの相対速度があったらお前の体はバラバラの限界面積以下になって飛び散る。そうすればおれだってそれを有難く取り込めたのに」

「・・・・」

「おれはカイだ。お前の名は?」

「テラだ」

 サーフは、体がバラバラになると、そのそれぞれが意志を持ち独立したサーフとなる。ほとんどの場合は再び寄り集まって融合し、もとの面積に戻ろうとする。しかし、バラバラになった個体の大きさがある一定面積(限界面積)未満である場合、意志を持つことができないので、寄り集まることもできずこの世界に漂う『破片』となる。これがサーフの『死』である。破片は、それを最初に見つけた別のサーフによって吸収される。破片を吸収した分だけその個体の面積は大きくなる。そして同時にその破片から記憶、知識の断片を得ることで、その個体は成長するのだ。

 限界面積というのは、子供が親から分離してこの世に生まれるときの決まった面積である。つまり、限界面積はサーフの命の最小単位だ。

 バラバラになってしまうと、たとえ限界面積以上の面積を保っていたとしても、それぞれの記憶、知識は、その面積に応じた分しか元のサーフから分け与えられないので、親から分離した最小単位の子供よりも生命力が低いことが多い。だから破片と同じように他のサーフに容易く取り囲まれて吸収されるのがオチである。弱肉強食なのだ。だから、衝突なんかしてバラバラになるということは、たとえ生き残ったとしても、すべてが小さな破片となって死ぬのとほぼ変わらないのだ。

「おれはさっきの固定面にぶつかって砕け散るつもりだった。でも、どうしてもできなくて・・・、その隙間をすり抜けてしまったんだ」

「テラ、お前はどうして死ななきゃいけないんだ?」

「おれはこの世界で生きている意味が解らなくなったのさ」

「生きている意味だって?おれたちサーノはサーナを探して『融合』するためにこの平面を飛び回っているのじゃないのか?」

「『融合』は何のためのものだ?」

「それは、子孫を残すために決まっているじゃないか」

「カイ、それが、お前が生きている理由なのか?」

「それが・・・って。悪いか?お前だって、いずれはどこかでサーナと出会うことができるはずだ。そうしたら『融合』が待っている。死ぬのはその後でいいのじゃないか?」

「カイ、お前は実際に『融合』を経験したことがあるのか?」

「いや、それは・・・まだない」


                    *


 サーフには、サーノとサーナの二種類しかいない。カイもテラもサーノだ。彼らが自分の種を繁栄させるためにはサーナを探して『融合』し、新たなサーフを生み出していかねばならない。この『融合』はサーフにとっては快感の頂点である。それを求める本能に従うことでサーフはこの二次元の世界で種を引き継いでいるのだ。

 カイは自分が親から分離して生まれたときには、すでにある種の記憶を携えていた。それは親の記憶の一部と言って良いかも知れない。いや、カイの親もその親からの記憶を携えて生まれてきたとすれば、カイの記憶は先祖代々の記憶の集大成なのかも知れない。その『記憶』のなかにぼんやりとした『融合』の記憶が残されているのだ。

「おれはもう永遠と思えるほど、この世界で時を過ごしてきた。だが、一度もサーナに出会ったことがない。おれの記憶にあるサーナの感覚は、おれの母のものかもしれないが、その母にさえ再会できていないんだ」

「テラ、母は子供がサーノの場合は、再びどこかで出会って親子で『融合』することが無いように子供に対する感覚が研ぎ澄まされているんだ。だから、お前が母親の近くまで行ったとしても母親は絶対に姿を現わさない。そんなことも知らなかったのか?」

 サーフは、生まれるときに母の体から勢いよく飛び出して遠くに離れていくのが普通である。この仕組みは近親相姦を避けるための自然の摂理なのかも知れない。

「どうしてそんなことを・・・」

「どうしてそんなことを知っているか?おれは僅かだがお前より面積が大きい。つまりおれは今までお前よりもたくさんの破片を吸収し、その『記憶』の中にある知識と経験を自分のものにしてきたんだ。つまり、おれはお前より物事を良く知っているということだ」

 テラは自分の無知に気がついたようだ。そんな自分の恥ずかしさを隠すように、カイに議論を吹っかけた。

「それじゃあ、言わせてもらおう。おれより物事を良く知っているカイよ。お前はまだおれの質問に答えていないじゃないか。子孫を残すことだけが、本当におれたちが生きている理由なのか?どうなんだ?」

 カイはそんなことを考えたこともなかった。カイがこれまで吸収してきた破片にも、そんな知識は残っていなかった。『融合』はサーフにとっては快感の頂点である。このことは、カイは母から分離した時から知っている。先祖代々の知識というか本能なのかも知れない。カイには、この快感を求める気持ちこそが生きている意味だとしか思えない。

「・・・・・」

 カイは答えに窮した。

「やっぱりそうだろう。お前だってわからないじゃないか。子孫を残すこと、即ちそれは快楽に飛びつくだけのことじゃないのか?誰かに仕組まれた筋書きどおりに子孫を残す。いったい誰が仕組んでいるのかわからないが、お前は誰かが描いたそんなシナリオどおりに生きていくのか?」

テラの話を聞いていて、カイは何か答えがわかったような気がした。

「テラ。おれはこれまで、お前が言うように本能に従って生きてきた。でも、お前みたいな変わったやつとこうして会えて、今はすごく面白いと思っている。たとえ今後サーナと出会うことがないとしても、こうしてお前と出会えたことだけでも生きていてよかったと思うよ」

 共有境界線からテラの動揺が伝わってきた。

「どうしてだ?おれなんか・・・」

「なんだか、子孫を残すこと以外に、おれは新たな知識を増やすために生きているような気がしてきたんだ。今お前に問い詰められてはっきりと自覚したよ」

「知識だって?」

「そうさ。お前だって破片を吸収するのは快感じゃないか?それはその破片に残存している『記憶』を追体感できるからじゃないのか。確実に知識や経験が増える」

「おれ達が知識を増やしてどうなると言うんだ?」

 カイは少し考えた。そして、ふと思いついたことを口に出した。

「なんだかこの平面から抜け出せそうな気がする」

 テラはちょっと呆気にとられたあと、大笑いしてまくし立てた。

「平面から抜け出すだと?何をバカなこと言ってるんだ。一次元の生き物が知識をため込んで、自分が前後にしか動けないことを発見して『二次元に行けたらどんなに素晴らしいだろう、左右にも動けるんだぞ』って夢見るようなものじゃないか。おれたちは前後左右どちらでも行ける二次元のサーフだ。三次元なんてどんな世界か想像すらできない」

「でも、面白いじゃないか。そんなことを考えるのは。この平面のことだっておれたちは良く知らない。テラ、お前はこの平面がどこまで続いていると思う?」

「何を言い出すんだ。そりゃずっとまっすぐに行けばどこかで終わるだろうよ」

「終わったその先は?」

「その先って・・・そんなの知るかよ」

「たぶんその先も平面は続いているんだと思うよ」

「それじゃあ、お前はこの平面は無限に続いているとでも言うのか?この世に無限なんてあるわけないだろう」

「たとえば、一次元の生き物がいたとして、まっすぐ行けば終わりがあるか無いかという議論をしていたとしようか。おれたちから見て彼らの一本道がもし「輪っか」だったら、彼らは前後どこまで行っても終わりが無い世界にいることになる」

「カイ、お前は知識を増やせばこの平面から本当に抜け出せるとでも思っているのか?」

「さあ・・・、でも可能性はあるだろう」

「・・・・・」

「よし、幸いおれ達は面積がそんなに違わない。互いに食い合うこともない。どうだ。これからふたりで旅をしないか?破片を見つけたらふたりで分け合うんだ。そして、知識を増やすことに専念しようじゃないか」

「サーナを見つけたらどうする?」

「そのときは・・・、正々堂々と戦おう」


                    *


 この平面にサーフが存在する密度は極端に小さい。だから、こうしてカイがほぼ同じ面積のテラと出会えたのは奇跡に近い。そして奇跡的に出会ったふたりは、本能とは別の生きる意味、即ち『知識』を求めてふたりで旅をすることになった。最初は、ふたりであればたくさんの破片を見つけられるだろうという単純な発想だった。

 しかし、これはこれで意味があった。境界を大きく共有した状態で全体としての輪郭長さを最小にする、即ち円形となることで、これまで360度方向、つまり全周囲に振り向けていた感覚器をその半分の範囲に集中することができる。監視の半分を相手に任せればいいのだ。つまり破片が見つかる確立がルート2倍(約1.4倍)になった(読者も計算してもらいたい)ということだ。ふたりで分けることになるから破片の摂取という期待値は約70%に下がることになるが、ふたりが共有している境界を通して、得られた知識は共有できる。目的が知識を増やすことであれば、やはり効率は1.4倍になるのだ。

 想像以上に破片はたくさん見つかった。急速に接近する固定面へのアラームが素早くなったことで、これまでよりも速いスピードで移動することができるという利点が加わったからだ。おれ達の面積はこうして徐々に大きくなっていった。



                    (2)共同体

 

 あるとき、ふたりの半分ほどの面積のサーノに出会った。つまりカイ、テラと同じくらいの面積ということだ。そいつがふたりに気付くずっと前に、ふたりはそいつに気付いていた。

「どうする?カイ」

「どうするって、やつを食っちまおうとでもいうのか?」

「ああ。そうすれば破片なんか集めるよりよっぽど簡単にまとまった知識と経験が得られるじゃないか」

ちょっと過激すぎると思った。カイはテラと行動を共にしているのがちょっと怖くなった。そして、その気持ちが共有境界を介してテラに伝わってしまった。

「おい、そんな風に考えるなよ。おれ達はここまでうまくやってきたじゃないか」

「お前はやっぱり心が荒んでいる。お前がやつを殺して食おうというなら、おれはもうお前と旅を続けるのはやめにする。おれだってお前にいつ食い殺されるかわからないからな」

 おれは共有境界を剥がしだした。

「カイ、ちょ、ちょっと待てよ。おれひとりじゃやつを倒せないよ。とりあえずこの体制は維持してくれないか」

 しょうがない。カイは離れかけた共有境界を元に戻した。

「テラ、もう変なことは考えないだろうな」

「わかったよ。もう考えないさ。でも、それじゃあ、カイ。お前はやつをどうするつもりなんだ?黙ってやり過ごすとでも言うのか?」

「そんなことはしないさ。まあおれに任せろ」

 ふたりは大きく迂回して、やつが向かっている方向に先回りして、じっとやつが来るのを待った。

来た。そして、やつはふたりに気付いた。ふたりの面積の大きさに気付いて、いつでも逃げられる距離を保っている。

 何も起こらない時間が過ぎていった。おれ達はそうすることで敵意がないことを示していたのだ。しかし、やつはゆっくりと動き出しておれ達から離れて行こうとした。おれ達も動き出した。距離をわずかにつめて離れなかった。するとやつは全速力で走り出した。おれ達も離されないように追いかけた。やつは固定面に衝突するリスクを無視していた。  

 あの速さでは、正面に固定面があることに気づいても避けることができないはずだ。案の定、正面に大きな固定面が近づいてきた。

「テラ、助けに行くぞ。フルパワーだ」

「しょうがねえな」

 ふたりは、自分達でも驚くほどのスピードでやつを追いかけ、そして追い越した。やつの行く手を遮るように正面に移動してゆっくりとスピードを落としていった。ようやくやつも観念したようだ。

おれ達は固定面のすぐそばで停止していた。

 ふたりはゆっくりと近づき、まずカイがやつと境界の一部を共有して、コミュニケーションを開始した。

「驚かせたようだな」

「わたしをどうするつもりだ?」

 わずかな共有境界線を介して恐怖心が伝わってくる。カイは逆にやつの不安をあおらないように、自分の穏やかな心が自然と伝わるようにした。すると、やつの恐怖心が次第に薄れていくのがカイには感じられた。

「落ち着いたか?」

「あんたは何者だ?どうしてわたしに攻撃してこなかったんだ?」

「何者といわれても困るが・・・お前と同じサーノに違いないだろう。お前を攻撃しなかったのは、お前がおれ達に加わる気があるかどうか確かめたかったからだ」

「おれ達?」

 やつから見れば、ふたりは面積が自分の2倍もある一つの個体としてしか感じ取れないのだろう。

「実は、おれはお前とほぼ同じ面積なんだ」

「何を言っているんだ。どう感じたってあんたの面積は私の2倍はある。今更わたしをごまかしてどうするつもりなんだ?」

 下手な説明をするよりパートナーのテラを紹介するのが早い。カイはテラと分けて境界を共有させた。そして、すぐにテラが話し出した。

「おれ達っていうのはおれも一緒だってことさ。命拾いしたな」

「・・・・・」

「おれはカイ、こいつがテラだ。お前は?」

「わたしは・・・ムキです」

 このとき、カイは共同体としてのコミュニケーションの難しさを想像した。共同体が隙間なく境界を共有したところで、共有境界線は1対1の対応となる。境界線の変形パターンを基にしたコミュニケーションであるから、カイとムキがコミュニケーションしている内容は、ふたりと境界線を共有しているにもかかわらずテラには直接伝わらない。・・・そのはずだった。 

 しかし、それは杞憂だった。

 両方から心の動きとして自然に伝わるものがあった。それは、境界面を共有することによる物理的に出入りする感覚を基にしたコミュニケーション手段とは明らかに異なるものだった。それ以外の何らかの媒体が介在するコミュニケーションが成立したのだ。カイがムキに話しかけていた内容がすんなりとテラにも伝わってきた。

「テラ、お前はおれとムキの話を理解できていたのか?」

「ああ、良くわからないが理解できていたよ」

「ムキ、お前は、いま、おれとテラが話していた内容を理解できたか?」

「ああ、良くわからないが理解できていたよ」

「おい、ムキ。真似するんじゃねえ」

 このような情報伝達手段があることは、カイが産まれ持っている知識には無かったし、これまでカイが吸収した破片からも一切もたらされていなかった。カイはムキに話した。

「おれとテラは一緒にこの平面を旅している。ふたり一緒だと破片を見つけやすいし、さっきお前が見たようにすごいスピードを出せるようにもなる。破片は均等に分け合うことになるが、たくさん見つけられるからひとりの時より収穫は確実に多い。そこで相談だ。ムキ、お前もおれ達と一緒に旅をする気はないか?」

「一緒になったら、そんなにいいことがあるのか?」

「そうだ。共同体がくっついて円形になれば、それぞれが輪郭の3分の1だけを担当すればいい。これまで360度全方位に振り向けていた感覚器を120度の範囲に集中することができる。つまり、感覚器の密度が上がるということだけで考えると破片を見つけ出せる確立はルート3倍(約1.7倍)になる。これを共同体で分けるから分け前が減ると思うかもしれないが、おれ達は知識を得ることをいちばんに考えている。破片を摂取して体が大きくなるのは結果であって、求めているのは知識なんだ。とすれば、情報を共有することができるから、おれ達はこれまでの1.7倍の知識を得ることができるということだ。更には、近づく固定面を1.7倍の感覚器で検知できるから、ふたりの時より安心して更に速いスピードが出せるようになる。このことで見つかる破片の量はもっと多くなる。ムキ、お前がおれ達と行動を共にすることでおれ達も助かるんだ」

 ムキはまだ得心がいかないようだった。

「私は、知識もそうだが、とりあえずは自分の面積を増やしたいんだ。でないと大きなやつと出会ったら、すぐに食われる恐れがある」

 カイは言ってやった。

「おれ達は、もう3倍の面積になっているじゃないか」

 ムキはようやく得心した。

「ああ、確かにそうだ。わかった。一緒に行こう」

「よかった。ああ、そうだ。ムキにもこれだけは言っておかなければならない」

「なんだ?」

「サーナを見つけたときには・・・・」

 ムキの緊張が共同体の共有境界線を横断して駆け巡った。

「そのときには正々堂々と、おれ達は離れて戦う。いいか?」

「ああ、了解した」

「テラ、お前もいいな?」

「カイ、お前もしつこいぞ。おれは既に了解済みだ」

 こうして、サーフ3体による共同体が新たな旅に出ることになった。



                    (3)初めての敵


 共同体は、今いるところからできるだけ遠くへ行くことにした。遠くといってもそれぞれがこれまで何処から来たのか誰も答えられないのだが・・・。だから固定面に出会わない限り、直線コースをひたすら突き進んだ。そしてその間、多くの破片が発見され取り込まれていった。

「どうしてこんなにたくさんの破片があるのだろう」

 ムキが誰にともなく言った。

「そりゃ、おっ死んだサーフがたくさんいるってことだろう」

 テラがぞんざいな言い方で答える。

「ムキの質問は、実はおれも不思議に感じていたことなんだ。テラ、お前はいやと言うほど長くこの平面で放浪しているとか言ってたよな?」

「ああ、確かに。だが・・・、それはあくまでおれの感覚であって、おれはその長さを何かと比較したり、別の何かで表現したりすることができない。カイ、お前はどうなんだ?」

「おれもそうだ。産まれてこの平面に飛び出したことは覚えてはいるが、それからどれくらい経っているのかわからない。なあテラ、おれ達は固定面にぶつからなくてもいずれ死ぬのだろうか?」

これについて、ムキが冷静に分析して答えた。

「これまで取り込んだ破片の記憶は、瞬時に途切れているものばかりでした。だから、すべて何かに衝突して砕け散ったものだと考えて良いのではないでしょうか。あとは大きなサーフに見つかって食われてしまうってことですかね。その場合は破片なんか残らない」

「それじゃあ、おれ達はぶつかるか食われるかしない限り死なないということかい?」

テラの言葉にムキがちょっと考え込んだ。

 そのときだった。共同体全体にアラーム信号が駆け巡った。大きなサーフを発見したのだ。

「でかいぞ」

 テラの言うとおりだった。やつの面積は多少大きくなった自分達と比べてもその五倍はある。見つかったかもしれないとカイは思った。それ以上近づかないように距離を保って様子を見ることにした。ムキは自分の前にカイとテラが現れたときのことを思い出していた。その気持ちがカイとテラにも伝わった。

「ムキ、だとするとやつもおれ達に敵意を持っていないかもしれないぞ。この広い平面でめったに出会わないサーフだ。やつと比べておれ達は面積で確実に小さい。すぐに襲ってこないのはきっと何か理由があるはずだ」

 ムキは違うことを考えていた。

「カイ、確かにあなたの言うとおりです。でも、ひとつ忘れていることがあります。相手がもしも単一のサーフだったら、我々よりも格段に感覚器の能力が低いということです」

「ムキ、なにか?やつはあんなに大面積でも、もし単体だったらまだおれ達に気づいていない可能性があるということか?」

「それを確認する必要があるでしょう」

 共同体は、あの時ムキが取った行動と同じようにゆっくりと動いて距離を広げていった。だが、やつは全く反応しなかった。

「やっぱり、やつは単体なんだ。おれ達に全然気づいていない。どうする?カイ」

 テラがカイの判断を求めた。

「見つかったら当然おれ達はやつに完全に取り囲まれて吸収される。やつが破片だけを吸収してあの面積に成長したとは考えられないからな」

 サーフの攻撃方法については、共同体としては多くの破片から知識を得ていた。サーフは、自分の輪郭境界のすべてを相手に共有された時にその境界線が消えてしまう。だから面積に大きな開きがある時には、大きい方が小さい方を完全に取り囲んでしまい吸収してしまうのだ。

「ということは、やつは相当な知識を持っていると考えた方がよさそうですね。強敵ですよ。逃げますか?」

 ムキは常に冷静だ。カイは心強かった。

「いや、おれたちにはやつにはないものを持っているじゃないか。そうだ。スピードとやつの一.七倍の感覚能力だ。うまくやればやつを倒すことができる。ムキ、冒険はいやか?」

「固定面をうまく使えば何とかなるかも」

「よし、決まりだ。もしもやつがおれ達を取り込みに来たらやつを倒すことにしよう。おれたちの知識レベルは格段に上がるぞ」

 ムキの乗り気を感じて、カイが決断した。

 共同体は瞬時にバトルイメージを交換し合うことができた。そして、すぐに行動に出た。まずはやつとの距離を保ちながら、気づかれないようにこの近くに固定面が何処にどれだけの大きさのものがあるかを調べた。すると都合よく固定面がいくつか集まっているところが見つかった。ここが決戦の場だ。

 共同体はやつに徐々に近づいて行った。敵の感覚能力を知ることが今はいちばん重要なのだ。

やはりそうだった。やつが共同体に気付いたのは、カイが一人で行動していた時の感覚能力と変わらない距離だった。

「よし。あと少し近づいてからおれたちが初めてやつを発見した、ということにしてやつの動きを確かめる。もしも追いかけてきたら逃げにかかるぞ」

 バトルはやつに自分たちを追いかけさせることから始まった。

「よし、やっぱり追いかけてきた。方向反転。逃げるぞ」

 カイが主導権を握って共同体をコントロールする。

「やつが追いかけてきます」

 ムキが後方を、テラが前方の監視をそれぞれ担当している。

「ムキ、後ろをよく感じていてくれよ。追いつかれそうになってからちょっと引き離すんだ。だが、引き離しすぎたらだめだ。やつが諦めてしまうかもしれない」

「わかりました。テラは固定面にちゃんとアンテナを張っておいてくださいよ。私はまだバラバラになりたくないですからね」

「ムキ、逃げる方向はおれに任せておけ。うまくやってやるから」

 思ったとおり、やつは追いかけてきた。しかし、追いつきそうで追いつけない。きっとイライラしてきているはずだ。

「敵がスピードを上げてきました」

 やつは自分の感覚能力で決まる危険速度(前方の固定面を発見しても衝突を避けられない最低速度)を超えて走り出している。

「よし、ムキ。その調子だ。テラ、そろそろだぞ」

「予定どおりだ、カイ。前方に固定面が近づいている。ギリギリで避けるぞ」

 共同体が猛スピードで前方の固定面をギリギリで躱した。そして、予想どおり後ろを追いかけて来たやつはこれを避けることができなかった。最初の固定面でやつの面積の3分の1が砕け散った。そして残りは斜めに跳ね飛ばされ、そこに待っていた大きな固定面に正面衝突し、大小の破片と化した。

「やったぞ!」

 共有境界線を通して、勝利の感動が共同体内を駆け巡った。

 共同体は、いったん別々の単体に分かれて破片を集めることに専念した。そして約束どおりそれらを共同体で均等に分け合って吸収した。そして再び境界線を共有しひとつの円形に収まった。自分達でも驚くほど体が大きくなっていた。

 そして、共同体は情報を共有しはじめた。

「素晴らしい。こいつはこんなにいろんなやつを吸収してきたんだ」

 それはカイの素直な感想だった。

「そうか。そうだったのか。カイ、私たちはこいつの存在を最初に感じたとき、どんな話をしていたか覚えていますか?」

「なんだっけ?」

「サーフの死についてです。こうして砕けたり、食われたりする以外に死ぬことがあるかどうかです。その答えがありました。これです」

 ムキが、自分が探り出した知識の共有を図った。そしてそれは瞬時に、カイ、テラに伝わった。

「つまり、おれたちは永遠に存在し続けるというのか?」

「というより、わたし達には時間という概念は意味が無いということです。過去があり、現在があり、そして未来は確かにあります。しかし、その時の流れを規定するものが何もないということなんです」

「カイ。ムキがあんなこと言ってるが、お前は理解しているのか?」

 テラはカイに助け舟を求めた。

「たぶん、この世界で時の流れというのはあくまでも主観的なものだってことだろう。テラが『永遠と思えるほど、この世界での時間を過ごしてきた』って言っていたその永遠の時間だって、おれたちにはつい先ほどの事かもしれないってことなんだ」

「おれは益々わからなくなってきたぜ」

 ムキがテラに優しく説明する。

「つまり、時間が主観的なものだっていうことは、私たちが感じている距離感も、スピードという感覚さえも曖昧なものであるということです」

「しかし、おれたちは確実にあいつよりもスピードが速かった」

「そうです。相対的には大小があるということなんです」

「ちょっと待てよ。それじゃあ固定面はどうなんだ?あれが動かないからおれたちはぶつかったりするわけだ。この平面に動かないものがあるということは絶対的な距離というものがあるはずじゃないか?おれたちがそれにぶつかっても問題ない速度とバラバラになる速度だってある。それは時間があることを意味しているのじゃないのか?」

 気負っているテラにムキが冷静に説明しようとする。

「テラ。鋭い発想だけどそうじゃない。時間が無いとは言っていないんだ。難しいけど、相対的という言葉が使えるとき、言い換えれば相手がある、またはいるときにのみ時間が意味をなす、ということだと思う」

「・・・・・」

 とうとうテラは黙ってしまった。

「テラ。おれたちには時間が流れているさ」



                    (4)もうひとつの死


 再び共同体はここに来た時と同じ方向に走り出した。

「ずっと同じ方角に向かって走っている」

「そうです」

「だが、何も感じない。このままサーフにも、固定面にも会わなければじっとしているのと変わりはないってことか?」

「だけど、私たちは一緒にいます。互いに相手がいる状態を保っていますから、その中で意味のある時間が確実に流れています」

 カイはテラとムキの話を聞きながら考えていた。

 無限に生きるとしたらおれたちが求めるサーナとの融合にはどんな意味があるのだろうか?永遠の命を持った種族が新たな命を求めるだろうか?

「前方に固定面です。これは今まで出会ったものの中で一番大きい」

「よし、迂回しよう」

 共同体がスピードを落として固定面沿いに迂回し始めた、そのときだった。いきなり共同体は周りを取り囲まれた。固定面の陰に隠れていた巨大なサーフに一気に呑みこまれたのだ。

「やられた!」

 テラが叫んだ。共同体がこれまで多くの破片から得た知識では、そのうちに輪郭境界が溶けて吸収される。意識も拡散し完全にこのサーフの一部として取り込まれてしまうのだ。

「ムキ。何とか逃げる方法は無いか?」

「カイ。無駄です。サーフの体内では我々は身動きできません」

「おれたちが蓄えた知識もこいつに取られてしまうのか」

 万事休す。共同体は動けないまま、吸収されるその瞬間を待った。そして、そのままの状態であまりにも長い時が流れた。テラがぽつりと言った。

「ムキ。長い時が過ぎているように感じるが、これは主観的な発言か?」

「いえ、私も同じように長い時間だと感じています。何も起こらない」

「カイ。おれたちは確かにサーフに呑みこまれたんだよな?こんなでかいやつがいるとは思わなかった。でも、どうして・・・」

 カイは何かに思い当たった。そして、その何かを言葉にした。

「テラ、ムキ。おれたちは吸収されないぞ。なんとかなる」

 ムキもほぼ同時にそのことに気付いていた。

「そうですよね」

 こういう時、テラがいつも乗り遅れる。それを感じてムキが説明する。

「小さなサーフは、大きなサーフに体の輪郭境界線を完全に取り囲まれたら吸収されます」

「そんなことわかっているさ。いまおれたちは完全に取り囲まれている」

「テラ、あなたの輪郭境界すべてがこのサーフに完全に取り囲まれていますか?」

「・・・・あっ、そうか!」

「やっとわかってもらえましたか?我々は共同体で共有境界を作って一体となっています。その状態で取り込まれたのですから、このサーフに取り込まれているのはそれぞれの輪郭境界の半分と少しくらいです。すべてを取り囲まれているわけではないので輪郭境界は消滅しないのです」

「しかし・・・」

 カイが補足する。

「もしも一部分でも境界を接していることで境界線が無くなるんだったら、おれたちは話をすることもできない。それどころか、こいつに呑みこまれるずっと前に共同体はとっくに溶け合っているよ」

「そうなのか。しかし、こんな状態がいつまで続くんだろう?」

「もうそろそろじゃないか?」

 カイがそう言ったのは、この大きなサーフの体内で自分たちの体が揺れ出したのを感じたからだ。そして続いて、このサーフとの共有境界を通じて何か『ザワザワする感覚』が伝わってきた。そして、次の瞬間、共同体は平面に投げ出された。

 共同体の前には広大な面積を持つサーフがいた。昔の自分だったらあまりの大きさにこれがサーフだとは気付かなかったかもしれない。こんなやつと出会わなくてよかった、とカイは思った。

「カイ。やつはどうしておれたちを吐き出したんだろう?」

「テラ。それは簡単さ。おれたちを吸収する快感が無かったからさ」

「そうですよ、テラ。きっと気持ち悪くなったんじゃないですか。そんなことよりもこれは重要な発見です。わたし達はこうして一緒にいることで他のサーフに呑みこまれても吸収されない体を得たということがはっきりしたのですから」

「おれたちは不死身か?」

「衝突事故にあわない限りはね」

 共同体が余裕を取り戻してこんな話をしている間も、この巨大サーフは共同体を前にしながらどうすることもできないでいる。

「カイ。どうします?この場を立ち去りますか?それとも・・・と言っても相手がこの大きさだと、バトルを挑むこともできないですね」

「ムキ、テラ。どうだ。こいつと話をしてみないか?」

「カイ。こいつは話なんてできるのか?こいつの体内にいたときだっておれたちと境界線を共有していたんだぜ。なんか気持ち悪い感覚が伝わってきただけだったじゃないか」

「テラ。それも含めて確かめてみましょうよ。もしかすると、これまで以上の色々な知識が得られるかもしれないですよ。ねえ、カイ」

「よし、ムキ、テラ。それじゃあおれがやつと境界を共有してみる。ふたりは表に現れないようにしてくれよ。おれたちがなぜ吸収できなかったのかやつに教えてやる必要はないからな」

 共同体はゆっくりと巨大サーフに近づいた。そしてそっとカイが自分の境界を接した。

「おれはカイだ。お前は何者だ?」

「おれはエクス。お前こそ何者なんだ。どうしておれの体内で生き延びることができたんだ?」

「おれは普通のサーフとは違うんだ。いわば不死身というやつだ」

「どうしてそんな体を得ることができたんだ?教えろ」

「お前は何か勘違いしていないか?おれはお前よりも強いんだ。そのでかい体を少しづつバラバラにしてやることだってできる。どうする?逃げるか?どうせその図体だったらちょっと走ったら固定面にぶつかってすぐにバラバラになるだけだろ?」

「おれは逃げも隠れもしないさ。もうお前たちには危害を加えないからどこにでも行くがいい」

「そうはいかない。そのつもりなら、とっくにそうしていたさ。おれはお前が持っている知識を得たいんだ。この世界について。サーフについて」

「そんな知識を得てどうしようというんだ?どんなサーフでもいずれは死んじまうんだから。おっとお前は『不死身』だったな」

「サーフが死ぬのは固定面にぶつかってバラバラになって限界面積以下になるか、あるいは大きなサーフに取り込まれて吸収されるかくらいなもんだろう?」

「やっぱりお前は小さいだけあって知識が足りない。そんなことじゃあこの平面で生きてはいけないぞ」

「ほかにサーフの死に方があるとでもいうのか?」

「ちょっと離れておれをよく感じてみるんだな」

 エクスが境界線を急激に動かして共同体を弾き飛ばした。

「どういうことだ?」

 テラが誰にともなく言った。

「とりあえず、こいつの周りをまわってみよう」

 それは、相当な広がりを持つサーフだった。境界線沿いに走る。相当スピードを上げているが、いつまでたっても状況は変わらない。

「こんなにでかいやつがいたとは、驚きですね。でもここまで大きくなると・・・」

「どうした?ムキ」

「カイ、テラ。ほら、あそこ。どう感じます?」

 共同体の前に続いていたエクスの境界線がおかしな感じになっていた。エクスの境界線がいつの間にか固定面の境界につながっている。そして、エクスの境界線がどんどん固定面の境界に吸い込まれていた。カイはエクスに直接聞いてみようと近づいた。

「カイ。だめです!」

 ムキがその動きを制した。

「カイ。よーく感じると、固定面に引き込まれているスピードは相当速い。この場所だと、カイがエクスに境界を接した途端に我々も引きずり込まれてしまいます」

「カイ。さっきのところに戻った方がよさそうだ」

 テラの言うとおり共同体は元の場所に戻った。しかし、ここでも同じようにエクスの境界が固定面に吸い込まれていた。

「これじゃあダメだ。途中の動きが無かったところまで引き返そう」

 共同体は、ようやくエクスの境界線が未だ安定しているところにたどり着いた。そして、カイが再びエクスと境界を接した。

「エクス。あれはどうなっているんだ?」

「カイとか言ったな。お前が知らなかったサーフの死が進行しているってことだよ」

「お前は死にかけているというのか?」

「そうだ。それじゃあ、おれが死ぬ前にお前にそのことを教えてやろう。そしておれの最後をよーく感じるがいい」

 エクスはカイに話し出した。

 サーフはこの平面に放浪して生きている。お前がさっき言ったように固定面にぶつかったり、自分より大きなサーフに吸収されてほとんどのサーフは命を落とす。しかし、おれのように、生まれてすぐから運良くたくさんの破片を吸収できる環境があったとかいうやつはすぐに大きくなるから、食われそうな相手と遭遇する確立は極端に小さくなる。だからどんどん破片を見つけては吸収していく。更に大きくなると共に固定面にぶつからないように走る知恵も身につける。

 お前の30倍くらいの面積になった時には、もはや敵はいなくなった。あとはゆっくりこの平面を放浪して破片を取り込んでいくだけで十分だった。そうだ。それからあとはサーナを求めることだけがおれの生きがいとなった。そして、あるときサーナに出会ったんだ。

 どうやらお前はサーナを感じたことすらなさそうだな。おれが出会ったサーナは、たぶんお前が想像しているようなものじゃなかった。たぶん、生まれてこの平面に放出されて間もなかったのだろう。伝わってくる感覚はおれたちサーノと同じようなものだった。当然おれは獲物だと思った。そしてさっきのお前のように一気に取りこんじまったのさ。サーナの境界線が消えていく時の感覚は、それはひどいものだった。お前みたいに吐き出す暇もなかった。わかるか?おれは本来『融合』すべきサーナを食っちまったんだ。そのとき、おれはそのことがサーフの世界では死を意味しているという知識を持っていた。騙されて毒を飲んだようなものさ。ただ、どのような死に方をするのかは知らなかった。

 気持ち悪い感覚を携えながらおれは放浪したよ。でもな、だんだん体が動かなくなってきたんだ。最初は体が大きくなりすぎたからだろうと思っていたのだが、そうじゃなかった。それから、しばらくじっとして休んでいるうちに、おれの体の一部分がこの平面に固着していることに気付いた。そうさ。お前がさっき感じたように、おれの体の一部分が固定面に変化していたんだ。そして、その固定面はおれを吸収し始めていた。

 おれは初めて理解したんだ。この平面に点在する固定面は、こうやってサーナを間違って食っちまったやつらのなれの果てだってことをな。

 この大きな体がそのまま固定面に変わるんじゃないんだ。収縮していくというか、体がどんどん縮んで吸い込まれていくって感じだな。別に苦しくはないさ。ただ、おれの意識がいつまで続くのか、意識がなくなった後の自分はどうなるのかってことが不安なだけだよ。もうそんなに余裕はないぞ。そろそろおれから離れて感じていた方がいい。

 そう言うとエクスは先ほどと同じように共同体を突き飛ばした。

「ほら、ふたりともしっかり感じてみろよ。あの巨大なサーフがもうこんなに縮んでいる」

テラが言うように、エクスの体は出会った時の半分くらいの面積になっていた。共同体はエクスが言ったように、遠く離れて様子をうかがうことにした。

「おれたちも気をつけなきゃいかんなあ」

「カイ、あなたは私を殺そうとはしませんでした。だから、小さなサーフに出くわしても、このエクスみたいな行動はとらないでしょ?」

 しばらくの沈黙のあと、テラが感慨深そうにぽつりと言った。

「これまで固定面にはぶつかりそうにもなったし、助けられもした。だがあれがこんなことでできていたとはな・・・」

 エクスの体は加速度的に小さくなって行った。そして最後の瞬間、共同体はエクスの意識がこの平面に拡散していくのを感じた。

「きっと限界面積になるまでは意識があったんでしょう。でもエクスが言っていたようにわたし達は死んだらどうなるのでしょうね・・・」

 誰に向けたわけでもないムキの質問は、エクスの意識と同様にこの平面に拡散していった。これがサーフの死のひとつの形だったのだ。

「さあ、出発しようか。この平面には、まだまだおれたちの知らないことが沢山ありそうだ」

「オーケー」

「行きましょう」



                    (5)最後の戦い


 それからどれくらい走っていただろうか。相手がいなければ客観的に自分たちの動きが本当に速いか遅いかも評価できない。共同体は黙りこくっていた。だからどれくらいの時間走っていたかもわからない。しかし、そのことは共同体にとっては重要ではない。一瞬かも知れないが永遠かも知れないその時間に、共同体はこれから自分たちを待ち受けている未だ感じたことのない世界に対しそれぞれ思いを馳せていた。

 この頃には、共同体は互いが考えていることを自然に共有していた。完全な信頼関係が築かれ、いわゆる心の障壁が取り払われていたのだった。

 そんな時、破片がたくさん漂っているところに出くわした。遠くに固定面がある。テラが叫んだ。

「これはすごいぞ。きっと馬鹿なサーフが固定面にぶつかったんだ」

 共同体はあたりに他のサーフがいないか調べたが、どこにもいなかった。

「よし、前のようにいったん分かれて破片を集めるぞ」

 カイの号令で共同体は3つに分離して破片を集めにかかった。

「この量だと、おれ達よりも大きいくらいのサーフが砕けたんだろう」

「何か新しい情報が得られるといいんだが・・・」

 カイとテラが話しているうちに、ムキは破片を集めに遠くまで行ってしまっていた。そのときだった。ムキの悲鳴がふたりに伝わった。その方向に感覚器を集中するとムキが自分の5倍はある大きなサーフに追いかけられているのが感じられた。

「これはまずい。テラ。助けに行くぞ」

 昔そうであったように、ふたりは境界を密着させて輪郭を円形にしてスピードを上げた。ムキを追いかけているサーフはこちらに気付いていない。

「テラ。やつはおれ達より大きいぞ。おれ達が囮になってムキを助けるんだ」

「了解。それじゃあ近寄ってからのろのろ逃げるか」

「ほら、おれ達に気付いたぞ」

 だが、そいつはふたりには見向きもせずにムキを追いかける。ムキは散々逃げまわった挙句、固定面を背にして止まってしまった。やはりムキは単体ではスピードが出せないから逃げ切れないのだ。

「あいつはどうしておれ達を狙わないんだ?ああムキが危ない!」

 そして、そのサーフは固定面にはお構いなくムキに向かって突っ込んでいった。固定面に、ムキもろとも覆いかぶさるようにそのサーフがへばりついた。

「ああ、ムキが・・・やられた」

「くそー。ただじゃおかねーぞ!」

 テラがすぐにでも突っ込んで行こうとするのをカイが制止した。

「テラ。あわてるな。おれ達はやつに食われたってどうってことないことはもう解っている。しかし、以前みたいな手は使えないぞ」

「カイ。なに言ってるんだ。以前と同じようにあいつの前でフラフラしてたら追いかけてくるさ。そしたら・・・」

「テラ。その手はもう使えない」

「カイ。お前にどうしてそんなことがわかるんだ。臆病風にでも吹かれたのか?」

 カイは悲しげにテラに食って掛かった。

「テラ、よく聞け。ムキが食われたのなら、ムキの記憶が既にやつに伝わっていると考えなきゃいけない。やつはおれ達のことを知ったうえで作戦を考えるはずだ」

「そんなこと・・・」

「やつがムキだけを狙ったのは、たぶんおれ達が分離したのを感じ取っていたからだろう。だから単体で一番弱いムキを吸収してその記憶を自分のものにしようとしたんだ。やつにはおれたちの狙いがすべて判るはずだ。いま、すぐに動き出さないのも作戦を考えているからだろう。このあたりの破片だって、やつはおそらく自分に取り込まないでいて、これを目当てにほかのサーフが来るのを待っていたと考えるべきだろう」

「そんなにずる賢いやつがいたとは・・・」

「テラ。ここは知恵比べだ」

 しかし、そのサーフは固定面にへばりついたまま動こうとはしない。何かおかしいとは感じながらもふたりには打つ手がない。

「よし、カイ。武器を使おうぜ」

「武器ってなんだ?」

「せっかくこうして破片を集めたんだから、これをあいつにぶつけてやろうというのさ

「そうか。破片を武器にするのか。そんなこと考えたこともなかった」

「おれもこんなこと、いま初めて考えた。だから、ムキの知識を奪ったやつでもきっと想定外だと思う」

「・・・・ああ、でもだめだ」

「どうした?カイ。いいアイデアじゃないか」

「そのとおり。いいアイデアだよ。だからこそ・・・失敗した時にはやつにこの攻撃方法を教えることになるということだよ。今度はおれ達がやられる番になる」

「じゃあどうする?」

「それは最後の手段としてとっておこう。まずはやつがどんなサーフなのか確認しよう。おれ達はやつには勝てないかもしれないが、負けることは無いんだから」

「よし、ちょっかいを出しに行くか」

 ふたりは、ゆっくりと固定面にくっ付いたままのサーフのそばに近寄った。その瞬間、そいつはふたりに襲いかかった。しかし、ふたりはそれを、余裕を持ってギリギリで躱した。

「意外とすばしっこいな。今の動きだったらおれ達だってバラバラだったら飲みこまれていたかもしれない」

「よーし。追いかけてこい」

 何の策もなかったが、この大型サーフはふたりを追いかけ始めた。カイは破片の武器としての使い方をもう少し考えておけばよかった、と反省した。とりあえずは以前と同じようにギリギリ追いつかれないように徐々にスピードを上げて行った。そしてそれはついに単体での危険スピードを超えた。

「カイ、おかしくないか?こいつは以前のでかサーフと同じようにバカみたいに追いかけてくるぞ?」

「いや、おれ達の策に乗せられていると見せかけているのかもしれない。気をつけろ。きっとなにかあるぞ。」

 そうは言いながらも、ふたりは以前のでかサーフの時と同じように、あちこち逃げ回りながら元の固定面を目指して突進していた。そして、同じようにギリギリで固定面の横をすり抜けた。

「カイ、これは・・・一体どういうことだ?」

「・・・・」

 カイは声も出なかった。ふたりを追いかけていた大型サーフは、固定面を避けることができず、正面衝突して一気に砕け散ったのだった。あたり一面、元々あったものと合わさって、限界面積未満の破片がたくさん漂っていた。

「カイ、本当にこいつは賢いサーフだったのか?」

「わからない。破片を吸収してみたら、何があったのかわかるだろう」

 だが、ふたりはすぐに行動する気にはなれなかった。これらの破片の一部がムキの記憶を含んでいるはずなのだ。ふたりはこれらを吸収してムキの記憶に出会うのが耐えられないほど悲しい。

「ムキとはいろいろ言い合ったけど、やつはいつも冷静だった」

 カイは寂しそうに呟いた。

「ああ。それでおれ達は相当助けられたよな。ムキと初めて出会った時もやつは冷静におれ達の行動を読んでいた。これから共同体でこの平面の果てまで旅をしたかったよ」

「もう二度とあんなやつとは出会えないだろう」

『それじゃあこれからはもっと大事にしてもらえますか?』

「・・・・?」

「テラ、いまのが聞こえたか?」

「ああ、聞こえた」

『私はここです』

 ふたりはムキの声が感じられる方向に感覚器を集中した。固定面の裏から出てきたのは紛れもなくムキだった。

「ムキ!お前生きていたのか?」

『ええ、こうして生きていますよ』

 カイが声を出せなかったのは、ムキが生きていたという感動だけでなく、単体で離れたサーフと交信ができているという不思議さによるものだった。

「ムキ。おれ達はどうして離れて話ができているんだ?」

「カイ。私にもよくわかりません。私がこのサーフに追いかけられていた時に、ふたりは私の悲鳴が聞こえたのでしょ?そうでなければあんなに早く駆けつけてくれるわけないですからね」

「確かにムキの悲鳴を聞いた。感覚器が何かを感知したと思っていたが、やっぱりあれはムキの声として聞いたんだ」

『私は、いまそのときの感覚を思い出しながら声を出しているのです。もしかしたらふたりに聞こえるかもと思って声を出したら、思ったとおり通じたんです』

「おれ達サーフはそんな能力を持っていたということなのか?」

『元々のサーフの能力なのか、それとも私たちが色々なサーフの破片を吸収していく中で受け継いだ能力かも知れません』

「ムキ。そんなことより、とりあえず合体しようぜ」

『はい。カイ、テラありがとう』

 合体した方が、格段に情報共有能力は大きかった。あっという間に色々な記憶情報が感覚として共有されていった。

 ムキは、固定面を背にしたときに『助かった』と思った。巨大サーフは固定面にぶつかってきてムキもろともに固定面にへばりついた。やつはこれでこの小さなサーフを飲みこめると考えていた。しかし、ムキとの共有境界線は消えなかった。ムキの体の、輪郭境界線の半分近くが固定面と接していたからだった。

「そうです。エクスと戦った時の知識が私を助けてくれたのです。でも、やつも賢くその原因について気がつきました。やつは私の体を固定面から剥がそうとしてきました。私は体を固定面に広げて必死に抵抗しました。でもふたりの救出があと少し遅ければ剥がされてしまっていたでしょう」

「そうだったのか」

「テラだったら、とっくにやつに吸収されていたかもしれないですね」

「何を言う、おれだってそれくらいの知恵は働くさ」

「テラ、おれ達はムキがそうして頑張っていることなんて全然知らずに戦っていたんだ。確かにムキは素晴らしいよ。本当にムキがやつに吸収されていたら、おれたちはあの作戦で勝利を挙げることはできなかったんだ。ムキが生きていてくれたからおれたちも助かったという訳さ」

「これからの旅では、よほどの注意が必要だってことだな。カイ。それにしてもこのたくさんの破片をどうする?これを全部吸収したらおれたちの面積は2倍以上になるぞ」

「急ぐ旅でもないさ。ゆっくり残存記憶を確かめながら吸収して行こう」


                    *


 あの巨大サーフの記憶が明らかになってきた。この周辺に散らばっていた破片は、やはりやつがほかのサーフと闘って勝利した結果だった。それは驚愕の戦い方だった。相手はやつよりも数倍大きなサーフだった。やつは自分の体を槍のように細長くとがらせてやつに突っ込んで行った。大きなサーフに突っ込んでいくというのは自殺行為ともいえるような所業だが、体を相手の体長より長くすることで自分の輪郭境界線すべてが相手に完全に取り込まれることは無い。逆に体を突っ切られたサーフは体が分断される。ひとつの体を分断されるとそれぞれが大きな面積を有していても判断力は半減し、あっという間に勝負は決まってしまう。何度も何度も分断されて、ほとんどが限界面積未満の破片になってしまったのだ。そして、これから破片を吸収しようとしていた時におれ達共同体が現れたから、やつは慌てて固定面の陰に隠れたのだった。

「こんな戦い方ができるのか。どうしておれたちにこれを使わなかったのだろう?」 

「テラ、やつと比べておれたちは小さかった。だからやつは自分が倒される可能性はゼロだと考えていたんだ。逃げ回ってもいずれは取り込めると考えていたんだろう」

「過信は禁物ということか」

 このほかに、共同体は最初に散らばっていた破片から貴重な情報を収集することができた。そして、それは共同体をある種緊張させるものだった。

『そのときには正々堂々と、おれ達は離れて戦う』という約束の記憶が共同体の共有境界をぬけて駆け巡っていた。そして共同体はそれに気づかないふりをしている。

「時間の感覚はあてにならないけど。でもこいつがサーナと出会ったのは確かだ」

「カイ。サーナのフェロモンだろうか。このサーノの感情の昂ぶりが、おれが吸収した破片に残されていたぜ」

「だがテラ。こいつが『融合』できたのならこんなところにいるわけがない」

「そうだ。おそらくこいつはサーノ間の争いに敗れたのだろう」

カイとテラの話にムキは乗ってこず黙っている。カイは少し心配になった。

「ムキ。どうかしたのか?」

「・・・・」

「おい、どうしたんだ?」

「ああ・・・。わたしはこのサーフを知っています」

「なんだって?いったいどこで会ったんだ?」

「場所と時間はあてになりません。でも、私はおふたりに出会うずっと前にこのサーフに出会ったというか、よく知っているんです。この感覚は間違いありません。ただ、その時の記憶がすごく曖昧で・・・ほとんど覚えていないのと同じって感じなんです」

「おい、ムキはボケるほどこの世界にいるのか?」

 テラが茶化すがムキは真剣だ。

「何か、すごく重要な出来事があったはずなんです。でも・・・わかりません」

「ムキ。まあそんなに急いで思い出さなくてもいいさ。おれ達はまだ知らないことばかりだ、ということだ」

 こうして、すべての破片を吸収すると共同体の面積は3倍以上になった。そして、自分達でも驚くほどの充実感が得られた。単体で3倍になるよりもはるかに素晴らしい感覚だった。

「これが、知識を得る喜びというやつかな」

「素晴らしい充実感です。もうどんなサーフに出会っても怖くないような気がします」

「おれ達は、このままサーナに出会わない方がいいのかもな・・・」

 テラの本音にカイもムキも反論できなかった。

「さあ、出かけるとするか。この平面の果てに何があるのか感じに行こう」



                    (7)共同体から集合体へ


 共同体サーフは快適にスピードを上げて走り出した。だが、ムキは依然元気がない。サーフが持っている記憶は、親から分離したその直後の出来事からはっきりと残っているものなのだ。そのことについてはカイもテラもわかっていた。記憶が曖昧になる原因はひとつしかない。

「カイ、テラ。やっぱりわたしの体は一度砕けたとしか考えられません。思いだそうとしても無駄なことだと感じます。一部の記憶が完全に途切れてしまっているんです」

「本当にそうなのか?」

 テラが訝しげに聞いてみる。

「間違いないと思います。だって、わたしには・・・親から分離した瞬間の記憶がないのですから」

 カイが、テラも聞きたかったが敢えて言わなかった質問をムキにぶつけた。

「ムキ。あの破片は・・・お前の分身だったのか?」

「おそらく・・・そうだと思います。だとすると、わたしは昔何らかの理由で砕けたということですよね。いえ、正確には砕けた破片のひとつが今の私だということですね。そして、わたしは生き延びた。自分が何者かもわからないままこの平面を漂っている間は、幸運にも敵に遭遇しなかったのです。その間、おそらくたくさんの破片を吸収するなかで元の単体時代に匹敵するほどの知識と経験を手に入れたのでしょう。あの破片もわたしと同じように生き延びていたのだと思います」

「じゃあ、お前は自分の分身を殺した相手に敵討ちができたってことだな」

「テラ、でもおれ達はムキの分身の破片を吸収してしまった・・・」

 カイが済まなそうに言うとムキが笑った。

「カイ。破片は共同体で分けたけど、彼が持っていた記憶、知識は全て共有できたから全く問題はありませんよ。それより、ぜんぶ吸収したのに昔の記憶のほとんどが戻っていないわけだから、たくさんの破片になって分散したのでしょう」

「それじゃあ、これからもお前の分身に出会うかもしれない、ということだ。これからは平和にやっていかなきゃな」

「テラらしくもないですね」

「おれはいつだって平和主義者だよ」

 カイは、互いに相手を倒そうとは考えないほどに大きさが近いテラ、ムキというサーフに出会った。まずは、この広い平面の中で、このような出会いがあったこと自体が奇跡的なのだ。そしてカイが、合体して共同体を形成するという発想に及んだことは、サーフのひとつの進化とも言えるのではないだろうか。そして共同体の能力は、単なる個体の能力の和ではなく、大きな相乗効果をもたらした。

 自分たちに攻撃を仕掛けてくる大きなサーフには、相手がどんなに大きくてもこの共同体は知恵とスピードで打ち勝つ自信があった。共同体は、もはや自分たちの能力を超えるサーフには出会わないだろうことを確信していた。

 更にもうひとつ重要なことは、カイ、テラ、ムキで形成した集合体が、小さなサーフに出会ったら境界を共有して仲間にすればいい、という発想に及んだことだった。

 もしもサーフに本能というものがあるとすれば、自分より小さなサーフに出会えば取り囲んで吸収しようと考えるのが当たり前なのに、それを平和的に同じ効果が得られる方法を開拓したのだ。

 そして、サーナに出会った時には・・・。このことだけが共同体の心のしこりとなっていた。

 それから共同体はいくつもの大小様々なサーフと出会い、彼らと境界を共有した。もはやカイ達は「共同体」というよりもサーフの「集合体」と言った方が解りやすいものとなった。新たに加わった彼らとは直接輪郭境界を接していなくても最初から自由に会話ができた。そして、破片を取りこむときには小さなサーフに優先的に吸収させてやった。共同体の中でのカイ、テラ、ムキには、もはや自分自身を大きくする意味が無かった。それよりも後から加わったサーフを大きくしてやる事を考えた。そうやって全体のバランスをとる方が走りやすいし、情報伝達もスムーズになることが分かったのだ。

「まさかこんなことになるとはな」

 カイが感慨深げに呟いた。

「カイ。おれ達が一緒に旅を始めたときから、こうなることは決まっていたんじゃないかな。なんだかそんな気がするぜ」

「テラのいうことが正しいかも知れませんね。誰が私たちのような生き物を創ったのか知りませんが、こういう形になるのが一番安全だし知識をため込むのに一番効率がいい。つまりこうなったのは必然だと言って良いんじゃないかと思います」

「だがよ。ムキ。おれ達はこれからどれだけ大きくなっていくと言うんだ?おれはエクスみたいにブクブク膨れ上がってサーナも見分けられずに食っちまうようになるのは嫌だぞ」

「テラ。私だってそうですよ。エクスはあの体で単体だった。でも私たちは集合体です。単体のサーフとは全く違う生き物になっているような気がします。この意識だって、もう50も集まったこの集合体の中で完全に共有されています。新たに取り込んだ知識や経験も、3人の共同体の時はその一つひとつ全てを自分達で確認していたけど、今はそんな意識は無いですよね。でも、知らず知らずのうちに自分のものとして思いだすことができるようになっている」

「こんなにたくさん集まっていても、今はおれ達の考えどおりに事が運んでいる。だがよ、いずれはおれ達に楯突くやつが加わってこないとも限らないぞ。そのときにどうするかを今から考えておかなきゃいけない」

「テラの言うことはごもっともです。そんな輩が私たちの半分を引きつれて分離でもしたら、それこそどうなることか」

「ムキ。テラ。おれ達はどこに向かっているのかわからないけど、おれはこの成り行きに任せて進んでいくしかないような気がする。これを運命とでも言うのだろう。トラブルがあるかもしれないけど、誰も知らない何かがきっと俺たちを待っているはずだよ。それはきっと悪い未来じゃないと思う」

 それからしばらくしてこの集合体は百を超えるサーフ達の大きな集合体となった。これだけの数が集うと、小さなサーフが内部に埋もれてしまう可能性がある。意図的でなくても、大きな一つのサーフに取り込まれ吸収されてしまう可能性だってあるのだ。だから、すべての構成サーフは必ず集合体としての輪郭線にそれぞれの輪郭境界線の一部が等しく出ているように配置が調整された。面積の大小はもはや調整できる状況にはないので、全体の輪郭線を均等に分担し、カイたちのように大きな面積を有するサーフは、内部に大きく根を下ろす形をとった。もちろん全体を仕切っているのはカイであり、その両隣にテラ、ムキがいて調整役になっていた。

 そんなある時、テラが心配していたことが起こった。最近合流したエムという比較的大きなサーフが、破片の分配方法に抗議しだしたのだった。

「どうして小さいやつらを優先して破片を食わせてやらなきゃいかんのだ?おれは自分の面積を増やしたい。今はこうやって集まっているが、いつまたバラバラに別れるかもしれないじゃないか。そのときに少しでも大きくなっているべきだ」

 これに対して同調するものが現れた。いずれも比較的大きい状態で加わった連中だった。

「エムの言うことは筋が通っている。もし俺が単体だったらこんな小さなやつらは食っちまってるさ」

「そうだ。そうすればこいつらの知識や経験は完全におれだけのものになっていたはずだ。今は情報を共有していると言っているが、本当にそうかどうか怪しいものだ」

 テラが耐えられなくなって口をはさむ。

「嫌だったら一緒にいることはないさ。出て行ってもいいぜ。おれ達集合体と勝負して勝てるというのならな」

 エムが割って入る。

「おい、テラ。それじゃあ、すべての情報が本当に共有されているということを証明して見ろよ」

「なんだと」

 すべての情報が本当に共有されているか、これを証明するのは容易なことではなかった。そこにムキが助け舟を出した。

「エム。わたしはあなたと同じサーフです。特別なものではありません」

「そんなことは解っているさ」

「それでは、わたしができることはあなたにもできる、ということでいいですか?」

「あたりまえだろう」

「では、情報が共有できている証拠として、わたしがあなたのすべてを見通しましょう」

「な、なんだと?」

「あなたは、親から分離した時の記憶がありませんね。私も同じです。どこかで固定面にぶつかるなどして分裂した破片のひとつだった。だが、何とかここまで大きくなるまで成長し生き延びてきた。あなたはそのとき他のサーフを『信じる』とか『憐れむ』心、即ち『良心』を受け継げなかったのでしょう。多くの破片を取りこむ中で徐々に回復はしてきているが、自分でもそのことに自覚がある」

「・・・・」

 エムは、図星をさされて声が出せなかった。

「でもその性格が、敵が多いこの平面であなたに力を与えて来た。それこそがあなたがこの世界で生き延びることができた要因と言って良いでしょう。あなたはたくさんの小さなサーフを殺して大きくなってきたのです」

「それじゃあ、おまえたちはどうしておれを仲間に入れたんだ?」

「あなたは、多くの犠牲になったサーフから知らずしらずのうちに『良心』と言うものを取りこんで蓄積してきたのです。そして今ではそれがふつうの単体サーフが持っているレベルに達しています。そのことがわかっていたからカイもあなたが合流することに同意してくれたのです。でも、あなたは今でもそれを拒否しようとしているのです。その『良心』に従うことは、これまでの自分の行動を否定することになるからです」

「わかったようなことを言うんじゃない。おれはおれだ。おれは誰にも行動を縛られない。ちょっと面白そうだから参加してやったが・・・」

 そのとき、ムキが集合体の中をかき分けて輪郭境界線の一部を直接エムに接触させた。意志疎通には今やそんなことする必要はなかったが、これこそが本当の会話だった。すると、エムの荒んだ気持ちがみるみる和らいでいくのを全員が感じ取ることができた。エムに同調していたふたりにもそれは伝わり、何事もなかったかのように元の集合体に戻った。それは心がひとつに融合したことを示していた。

 テラは不思議だった。

「おい、ムキ。お前やつになにやったんだ?」

「ちょっとね」

「ちょっとってなんだよ。おい、カイ。お前は高みの見物を決め込んでいたようだが、お前には何があったのかわかっているのか?」

「テラ。黙っていて悪かったよ。でもムキなら何とかできると思ったし、そのとおりになった。ムキはおそらく・・・自分の『良心』をエムに分けてやったんじゃないか?」

「そうなのか?ムキ」

「実は、私にもよくわからないのですが・・・たぶん、そういうことでしょう」

「ムキには猛獣をなだめる力があるってか?カイ。お前はそのムキの力のことを知っていたのか?」

「ああ。多少はね。さっきムキがエムの心を読んだのは、誰にでもできる技じゃない。最近この集合体に合流した連中は、みんなまだ心に障壁を持っているからおれ達だって覗き込むのは不可能だ。でもムキにはできた。そしてムキは他のサーフの心をなだめることができる何かを持っているんだ」

「カイ。なんでお前はそんなこと知っているんだ?お前はこれまでそんなこと、ひと言だって言わなかったじゃないか」

「テラ。よく聞けよ。心をなだめられた第1号はおまえなんだよ」

「・・・・」

「お前はおれとふたりで旅していた時にはまだ荒々しい心を持っていた。その頃は、おれは多少不安があったんだ。このまま一緒にいていいものかどうか?ってな。だが、ムキが加わってからお前は次第に信頼できる存在になってきたし、おれ達はお前なしには旅を続けられないと思うようにさえなった。具体的にはうまく言えないんだが、そういうことなんだ。もしかするとおれだって影響を受けているかもしれない」

「おれは少しも変わっていないぞ」

「でも、ムキが大きなサーフに食われたと思ったとき、おれはお前の心に大きな悲しみを感じることができた。おれの心もそれを助長していたのだろうけどな。あのときおれは、テラは本当に変わったと思ったよ」

 そのとき、黙って聞いていたムキは、他人ごとのように言い放った。

「へー。そうなんですか」

「お前のことを言っているんだ」

「それにしても、エムはなんか・・・調子悪そうだったな・・・」



                    (8)ムキとの別れ


 これだけの大所帯になると、もはやこの平面上のことで知られている知識のすべてを得たようなものだった。しかし、カイにはまだ回答が得られない二つの疑問があった。すでに昔のとおり境界線を共有してテラ、ムキにもそれは共有されている。誰かに聞かれたくない時には、界面共有によるアナログ会話が役に立つ。

「不思議ですよね。私たちのようなこんな形態のサーフが過去に存在していたという情報が一切出てこないなんて。私は別ですが、カイやテラは先祖の知識や経験を親から引き継いできたのですよね。そしてこうして集まっている数多くの仲間の先祖代々の情報の中にも過去にこんなサーフの集合体があったという情報がない」

「ムキ。おれたちがサーフ集合体の第1号だって言うのか?」

「まあ、この世のすべての事象には最初があって終わりがあるものですからね。私たちが第1号であっても決しておかしくはありませんよ」

「ムキ。それよりもカイのもう一つの疑問のほうが、おれには気になるぜ」

 カイがその疑問について話し出した。

「テラ、ムキ、おれ達も、こうして集まったたくさんのサーフも、サーノとしていつかサーナと出会うという夢を見ながらこの平面を放浪してきたんだ。だが、どうしたことだ?サーナと出会ったら、何がどうなるのか、自分はどう行動するのか、なんてことを誰も知らないでいる。知っているのは『融合』という言葉だけだ。そして、そのことが大まかに子孫繁栄の本能的行動のであるということ以外、本当に意味するものを誰も知らない。

自我に目覚めていないような下等な生き物だったらそれが本能ということでいいかもしれない。しかし、おれ達は自分の考えでちゃんと行動することができるし、本能に逆らうことだってできる。そしてその経験を他者に伝えることもできる。

なのにどうだ。おれ達仲間の先祖代々の情報の中にさえ、ただのひとつも出てこない。こんなことってありうるだろうか?サーナと出会うそのときまで、おれ達は知ってはいけないという理由でもあるのだろうか?」

「情報として親から引き継がれないような仕組みでもあるのですかね」

「ムキ。おれにはもうひとつ疑問がある」

「3つ目ですか?」

「サーノはこんなにたくさん集まったのに、おれ達はサーナに一度も出会っていない。これは、サーノの数に比べサーナの数が極端に少ないということじゃないか?」

「エクスはサーナを吸収してあんなことになったのだから、この平面にサーナがいることは確かでしょう。少なくともこの平面に存在する固定面の数だけは過去にサーナがいたということですよね」

「ムキ。カイが言うように、おれもこれだけサーナに出会わないのも不思議に思っていたんだ。もしかすると、エクスが食ったサーナがこの平面で最後のサーナだった、ということだってあり得るぜ」

「テラの言うとおりだったらこの世はおしまいですね」

「エクスがサーナを食った話をしたときに、おれ達はなんてバカなやつだと思った。でも、あれほど巨大化したサーフだ。おれ達の何百倍もの知識を持っていたはずだ。そいつがサーナをサーノと間違えたんだ。もしかすると、おれ達はサーナを見ても識別できないことがある、とは考えられないだろうか?」

「そうかもしれませんね。でもどうにかして識別しないと。もし、漂っている破片がサーナのものだったりしたら、それも取りこんではいけないはずですよね」

「おいおい、サーナの破片がたくさん漂っていてそれがおれ達には毒だとすればそれはえらいことだぞ。知らずに食っちまうサーノがたくさんいたら、そこらじゅうが固定面になる」

「固定面がたくさんあるところには注意が必要ということですかね」

「そんなところに少しだけ残ったりしている破片はサーナのものかもしれない。サーノなら一片たりとも残すことはないからな」

「・・・・・」

「どうした?ムキ」

「いえ、ちょっと・・・気になることが」

 ムキはエムを仲間にしたときのことを考えていた。エムはある固定面の近くで破片を取りこんでいるところを発見した。そのときの集合体は既にエムの数十倍の大きさになっていた。その大きさのサーフが近寄っていけば、エムは当然逃げ出しただろう。だから、ムキが皆から分離してひとりで向かった。エムよりもムキの方がふた回りほど大きかったから、それでも緊張しているのが感じ取れた。でも、ムキは同じようなことをもう何度も繰り返しているので、それ以上相手に不安感を与えることはなかった。静かに境界線の一部を共有し、集合体として生きる方が安全であることを説いた。

 エムは、ムキに気を許した。そして、自分が取りこもうとしていた破片の最後のひとつをムキに差し出した。ムキは、これを有難く取り込んだのだ。獲物を共有することが打ち解ける一番の行動であることは互いに知っていた。こうしてエムは集合体の仲間入りを果たしたのだ。

 だが、ムキはその破片を取りこんだときに、何ともいえない違和感があったのだ。それにエムが荒れてどうしようもなくなったとき、ムキがなだめるために境界を共有した際に感じたエムの不調。そして今の話。そして・・・

「エムを仲間にしたのは固定面がたくさんあるところでした。そこでエムは破片を取りこんでいたのです。そして、このところエムだけが遅れていますよね」

 スピードを出そうとすると、どうしてもエムだけがついて来れないので、集合体は円形を保つことができずに長細くなってしまうのだ。だから、エムはこのところ進行方向に対して常に最後尾に位置している。カイもテラも不安を感じていたのだ。

「エクスの二の舞だってこともありうるのか?」

「カイ。わたしはその可能性が高いような気がします」

「カイ、ムキ。おれ達は、このままやつとくっ付いていているのは危険だ。早くやつを分離した方がいいんじゃないか?もしもあいつが固定面になりだしたら、猛烈な勢いでおれ達まで固定面に吸いこまれちまうぞ」

「でも、テラ。エムがどうしても離れない可能性があります。私たちはエクスの情報をみんなに共有しました。もちろんエムにも。だから彼も自分の状況を感じ取っているはずです。自分が死を迎えるときに誰でもひとりではいたくないものです」

「じゃあ、どうすればいいんだ?やつを無理に引きはがすことができるのか?」

「ムキ。なにか考えがあるんだろう?」

 カイの言葉にムキが答える。

「わたしがエムと一緒に離れます」

 テラが動転して叫んだ。

「バカなことを言うんじゃない。そんなことしたらお前も道連れになってしまうぞ」 

「はい。そのつもりです」

 カイも動転しそうだったが、なんとか冷静さを保って質問した。

「ムキ。訳を話してくれるか?」

「はい」

 ムキは、エムを誘いに出たあのとき、自分はエムと同じ破片を吸収したことを打ち明けた。そしてそのときに感じた違和感についても。そして、エムのあとは自分である可能性が高いことが共有境界を通してふたりに伝わった。

「食い意地が張っているからそんなことになるんだ。抜け駆けしやがって・・・」

 テラが寂しそうに愚痴をこぼす。

「テラ。わかってください。みんなのためです。ねえ。カイ」

「・・・・」

 ムキは、さっそくエムと境界を共有して話し始めた。

「ムキ。やっぱりあんたもわかっていたのか。あれはサーナの破片だったんだな。あのときおれは、なんとなく違和感があった。でも、自分を大きくすることだけしか考えていなかったんだ」

「こうなったとき、どう対処したらいいのかわたし達には知識がありません。だから・・・」

「ああ、わかっているさ。おれはみんなに迷惑をかけるようなことはしないさ」

「はい、わたしもお供しますから」

「・・・どうしてだ?あんたには関係ない・・・そうか。あの時・・・」

 エムも気付いたようだった。

「そうです。私たちは同じ境遇にいるのです。わたしの方が、進行が遅いようですがね」

「一緒に行ってくれるのか?」

「これも運命ですかね」

 そしてムキは最後に感覚器を全開にして別れを告げた。

「カイ、テラ、ふたりに出会えて本当によかった。3次元の世界があったらそこでお会いしましょう」

 次の瞬間ふたりは集合体から分離した。しっかりと境界を共有したままで。

「みんな。ふたりを感じていられるところに留まるぞ。最後まで感じていてやろう」

 カイの言葉にみんなが同意した。テラは悲しみで言葉が出なかった。その悲しみが集合体全体に広がって、ひとつの感情として昇華した。


                    *


「エム。ほら、みんな残っていますよ。最後までわたし達を近くで感じていてくれるつもりなんだ」

 エムは、最後の力を振り絞るように滔々と語りだした。

「この気持ちは・・・何だろうな。おれはそんなにいいサーフじゃなかった。おれはこれまで破片を見つけて吸収するだけじゃなく、小さなサーフを見つけて追いかけまわして捕まえては吸収してきた。そして、そいつらの記憶を獲得したときにおれだけが親の記憶が無いということに気がついたんだ。だから、それ以降おれだけがみんなとは違うんだと思って、ずっとへそを曲げて生きてきた。おれよりも少しでも小さなサーフと出会ったら、すぐにそいつを殺すことばかりを考えていた。

おれ達サーフは元々ひとりでこの平面の中で生きて行くものだ。でも、そんな中でもおれはいつも孤独を感じていた。だが、カイやテラ、それに特にムキ、お前がおれを変えてくれたんだ。

まずは、おれと同じ境遇のやつがこの平面にいたことに驚いた。おれは、自分はひとりじゃなかったんだと思うと嬉しかった。だが、そいつはおれとは違ってひねくれもせずに、こんな大勢の仲間に囲まれて生き生きと活動していた。おれは嫉妬を覚えた。だから素直になれず、おまえたちの前でも何かにつけ反駁した。でも、おまえはそんなおれを、いつもごく普通に受け容れてくれていた。特別扱いをしなかった。なんでおれを追い出そうとしないんだろうって思ったさ。だが・・・、そんな難しい話じゃなかった。おれがちょっとへそを曲げていることなんか、ムキにはお見通しだったんだな。本当は、おれもみんなみたいに真面目になりたかった。だが・・・、ちょっと遅かった」

 一息つくようにエムは黙った。

「この世にそんな悪いサーフなんていやしませんよ。わたしたちも大きなサーフに出会った時には、食うか食われるかだったからやむなく相手を倒しました。もしかすると分かり合えたかもしれないって、いつも反省していました」

『そうだ。エム。おまえはおれ達の仲間だ』

それは、エムにも感じられた。

「カイなのか?」

「エム。いまのはカイじゃありませんよ。これだけ離れていて私たちに伝わってきたんです。よほど大きな意志が動いたんです」

「・・・・・」

「そうです。あの集合体全体の意志として発せられたものです」

 エムの感動の高まりが共有境界線を通してムキに伝わった。

「こんな状態になってから反省しても遅いな」

 エムの意識が突然乱れるのが感じられた。そして次の瞬間、ムキはエムに弾き飛ばされた。

「エム!」

 エムの体のごく一部がこの平面に固着していた。そして、その小さな一点に向かって彼の体がどんどん吸い取られていった。それは、エクスの時よりもっと早かった。限界面積に達するまでエムは何も考える余裕が無かっただろう。そして最後の瞬間、ムキには聞こえた。

『ありがとう』

 そこには小さな固定面が残った。集合体の悲しみの意識が平面を漂って来た。

『さあ、みんな。行ってください。わたしはエムの固定面の横でその時を待ちますから』

 ムキは集合体に向かって意志を発した。しかし、集合体からは何の答えも戻ってこない。ムキにはわかっていた。そんなことを言ってもカイやテラが「はいそうですか」と立ち去るわけがないことを。しかし、言わざるを得なかった。ムキはそんな悲しい自分の姿をカイやテラに見られたくなかった。

 そんなムキの気持ちがわからないふたりでもなかった。

「テラ。行くか?」

「カイ。あんたがリーダーだ。おれはリーダーに従うよ」

 集合体は、ムキからゆっくりと離れて行った。そして、いつのまにか意志が届かないところまで行ってしまった。

「カイ、テラ。ありがとう」

 ムキは、エムの固定面にピッタリ寄り添ってその時をじっと待った。

 それからどれくらいの時間が流れたのだろうか。この世界での時間はあくまで相対的なものである。ムキが自らの動きを止めてしまうと、平面上のある一点に自分がいる、と言う事実だけが真実となる。あれはつい先ほどのことかも知れないし、無限の時間が過ぎたのかもしれない。

『おかしい』

 ムキは、ようやく自分の意識を再稼働させた。ムキは相当長い間ここにいるような気がしている。

『いくらなんでも遅すぎる。わたしの体にはまだ何の兆候も現れない。いや、本当に遅いと言えるのだろうか?カイやテラがそばにいたら時の流れが多少とも認識できるのに』

 ムキは、確かにエムと同じ破片を吸収した。量からすればエムとは比べようもないほど少ないものだったはずだが、それでも同じ破片を自分の体に吸収したのだ。

『量によって発症までの時間が異なるのだろうか?』

 その時、ムキの数倍の大きさのサーフがすぐ近くに現れた。ムキは思った。そうだ、自分は一人だったんだと。こんなに近くに来ているのに気がつかなかった。集合体でいたときの感覚器がどれほど研ぎ澄まされたものだったのか、いまはっきりと実感することができた。しかし、もう遅い。ムキには立ち向かう気力が無かった。

 固定面に密着していれば吸収されることはない。だが、エムの固定面は体を寄せるにはあまりに小さかった。すぐにはがされるのは明らかだ。やつが迫ってきた。ムキは無意識にエムの固定面を抱え込み、自分の体の中心に仕舞い込んだ。そして、ムキは輪郭境界線を完全に取り囲まれ共有されてしまった。

『固定面になる前に吸収されるのか。この方がいいのかも』

 ムキは、最後に自分の意識が拡散していくのを感じ取ろうとした。だが・・・。

『あの時と同じだ。外側は完全に覆われた。けれど・・・、内側にできた固定面との境界線を共有されていないから境界線が消えないんだ』

 あの時と同じようにムキは吐き出されようとしていた。しかし、やつは手こずっている。ムキが固定面を抱えているから、動かないのだ。ついにやつは自分から身を引いた。そして、ムキを残してすぐに立ち去ってしまった。

 サーフが立ち去ったのは、飲みこんだムキを吸収できないことが、気持ちが悪かっただけではなかった。

『一難去ってまた一難、ってやつか』

 ムキの前には、エクスとまでは言わないが、その大きさを彷彿とさせる大きなサーフが立ちはだかっていた。そしてそれは少し回転して止まった。



                  (十)ムキとの再会、そしてサーナとの出会い


『ムキなのか?』

 カイの感覚がムキの体に滲みこんできた。

『カイ?』

『おれもいるぞ』

『テラ!』

『みんな、ムキが生きていたぞ!』

 集合体を構成する多くのサーフの昂ぶった感情がひとつになって、離れていても押し寄せるように伝わってきた。ムキはゆっくり近づき、集合体の中のカイ、テラと境界線を共有した。

「あっ?」

「どうしたムキ」

「カイ。私はエムの固定面を体に抱えたままなのです。そうすることで、あのサーフから身を守っていたのです。でも・・・なぜか動ける」

「固定面が固定じゃなくなった、てか?」

「いえ。先ほど私の体の中で融けたようです」

「ということは・・・」

「はい、あいつとの共有境界以外の境界が無くなるわけですから、カイやテラが来るのがもう少し遅かったら・・・私はあいつに吸収されていたかもしれません」

 カイたちサーフ集合体は、ムキと別れたあとその悲しみを吹っ切るかのようにまっすぐ遠ざかって行った。そして、長い旅が続いた。彼らは多くの破片を吸収したが、決して小さなサーフを攻撃して吸収するようなことはしなかった。そのような相手に出会ったときには、仲間に加えることを繰り返したのだった。そして、もはや千以上のサーフが集合体を構成するまでになっていた。

「すごい大所帯になりましたね。そんなに長い時が流れていたんだ」

「ムキ。おまえが固定面になっていないということは、やっぱりサーナの破片を吸収しなかったということなのか?」

「いえ、そんなことはないです。私もエムと同じものを吸収しました。でも私にはその毒が効かなかったのでしょう」

「おまえは不死身か?今までも何度もサーフに食われようとして生還した」

「私は、また仲間に加えてもらえますかね?」

「あたりまえだろ。お前がいなかったからこの集合体をうまく取りまとめるのが大変だったんだからな」

「テラも少しは成長したようですね」

「何バカ言ってやがる」

「いえ、私は心からそう思っていますよ。あの頃は集合体もこの10分の1以下でした。それが今はこんなに増えているのにきっちりまとまっている。きっと苦労もあったんでしょうね」

「ああ、テラの働きはすごかったよ。ムキがいなくなって性格が変わったのかもしれない」

「カイもバカいうんじゃない。おれは元々働き者なんだ。ムキ、グダグダ言っていないでおれ達の間に入れよ」

「ありがとう」

 こうして、ムキは二人の間に割り込もうとした。だが、そのときムキは集合体の中心に向かってあっという間に沈み込んでいった。

「ムキ。何をやっているんだ。でかいサーフだっているんだぞ。下手したら今度こそ誰かに吸収されてしまうぞ」

「カイ、テラ。これは私の意思ではありません。体の自由が効かないのです」

 ムキは、自分の体が何かに支配されているようなそんな気持ちになっていた。そして、集合体の中央に到達すると、自分の体を完全な円形に変化させた。これに対し集合体の構成サーフたちも自分の体を伸ばしてムキと境界線を直接共有しようとした。これもまた彼らの意思ではなかった。

「カイ。おれ達もムキに吸い寄せられているようだ。どうする?」

「テラ。成り行きに任せてみようじゃないか」

 生まれたてのような、本当に小さなサーフでさえ、ほとんど線のように細くなって集合体の中央にいるムキと境界を共有しようとした。そして、あっという間にすべてのサーフがムキと境界を共有した。

そして次の瞬間、千の構成サーフにある同じ意識が感電したかのように伝わった。それは誰もが知っているが誰も見たことがない、でもそれが『サーナ』の意識だと誰もが理解した。これまでにない快感を伴っていたのだ。

「カイ。これは一体どういうことなんだ?おれ達の中にサーナがいるぞ」

「ああ、テラ。どうやらムキこそが、おれ達が追い求めていたサーナだったようだ」

 ムキは、もはやあのムキでは無くなっていた。そのサーナの境界線からは、そのあとも何らかの快い感情が発信されている。それが取り巻くすべてのサーフのすべての感覚器を通して伝わっていく。サーフたちにとって、それはこれまでに感じたことが無いすがすがしさ、といったものだった。

「なんだ、この感覚は。おれは何だかじっとしていられなくなってきたぞ」

 テラが体を震わせ始めた。まわりのサーフも同じように震えだした。サーナが発している何らかの感情の強弱が、このサーフの集合体全体を共振させ、周期的に揺らしてわずかに収縮と膨張をもたらしているのだった。

『皆さん。私がサーナです。そして、あなた方こそがこの広い平面の中から選ばれたサーノなのです。もうすぐ皆さんがこの平面で生きぬいてきた意味が明確になるでしょう』

 サーナはそう言うと、発している信号の強さを最大限に引き上げた。そのとき、周りのサーフたちは、快感に浸りながら更に高い周波数で共振しはじめた。

「おい、テラ。大丈夫か?」

「カイ。これはたぶん快感なのだろうけど、なんだか不安の感情が含まれている。どうしてお前はシラッとしていられるんだ?」

「わからない。だが、おれはそんなに気分は悪くない。いや、却って気持ちがいいくらいだよ」

 そう言った瞬間、カイはサーナとの共有境界を通してサーナのなかに勢いよく吸い込まれていった。

「カイ!」

 テラが叫ぶ声はカイには届いていなかっただろう。それほど一瞬のことだった。そして、その瞬間にあの感情の発信はピタッと止み、同時にこの集合体の共振も止まった。

「ムキ!お前はカイを食っちまったのか?」

 返事はなかった。


                    *


 カイは、空間を感じていた。

『なんだ?この感覚は。サーフ同士がぶつかるはずなのに、ぶつからない感覚。おれは自分の大きさを別の感覚で感じている。そうだ。おれは別の平面にいて、そこからおれの平面にいる自分を感じていると言ったらいいのかも知れない』

『やっぱりカイでしたか』

『ムキなのか?』

『はい。カイは今わたしの体の中にいます。いや、サーナの胎内と言った方がいいのでしょう。でも、わたしの意識もサーナの胎内にいる。おかしいですね。わたしの体はサーナになった。でもわたしの心はムキです。わたしはサーナなのでしょうか?自分の実体が体なのか心なのかわからなくなってきました。

どうやら、この中では以前のように話ができるようです。心配しないでください。私はカイを食べたわけではありませんから。でも私が外の皆さんに発信している意識は、サーナの意識です。わたしの体は、私がコントロールできない大きな何かの意志に従っているように思います』

『ムキ。この不思議な感覚はいったい何なんだ?』

『おそらくこれが3次元というものじゃないでしょうか。でもわたし達にはその世界で必要な感覚器を持っていないから、本当の3次元というものを二次元の感覚でしか感じることができないのです。つまり、わたし達には3次元の全容を知ることが、絶対にできないというわけです』

『ムキは自分がサーナだといつわかったんだ?』

『カイ達と同じタイミングです』

『ムキ。おれは今、自分の境界線を感じることができないんだ』

『カイ。わたしもです』

『ムキ。おれ達はもう喋る必要はなさそうだな・・・』

 ふたりは、ゆっくりと融合してひとつの意識となった。集合体の共振が再び始まった。そして、テラが飛び込んでくると共に静寂が戻った。

『ここはどこなんだ?』

『サーナの胎内だよ』

『カイ?それともムキか?』

『両方だよ。君もすぐに一緒になれるさ』

 その後、エル、ミー、ウル、ラシ、・・・次々と合流してきた。そして、ついに最後のサーノが飛び込んできて、千のサーフの意識が今ひとつになった。この平面上には巨大な真円のサーナがその姿を現していた。これこそが、すべてのサーフが生まれ持っている記憶、即ちサーナとの『融合』のすべてだったのだ。

 それは黙して語らなかった。この平面のほぼすべての知識、経験を有した、唯一無二の存在と言ってよいだろう。そしてその知識は単に集めたそのままではなく、『知恵』という均一のものに昇華していた。

しばらくすると、サーナの胎内では、密度の高いところ、低いところができ始めていた。いわばこの『知恵』が小さく分配されていくようだった。

 そしてサーナはゆっくりと回転を始めた。次第にスピードを増していく。密度の高い部分がサーナの境界線に近づいてゆき、次の瞬間には境界線を突き破り外に飛び出した。これこそが限界面積の新たなサーフの誕生だった。これを契機に次から次へとサーフが生まれては、遠心力でサーナの外郭を突き破り平面の果てに放出されていった。

 

                    *


 すべてのサーフを放出したサーナはほとんど限界面積くらいの大きさだった。最後のサーフを放出した時には、自分も同じ速度で反対側に飛ばされていた。サーナはいわば知識を放出し終えた抜け殻だった。

それは、ゆっくり、ゆっくりスピードを落とし、ついに何も無い平面の中に止まった。そしてそこで真円を保ちながら体が固まっていくのを待った。そして、それはついに小さな固定面となった。

                                            (了)


人生どこで何が待っているかわからない。初めての経験を泣いて笑って楽しんでやり過ごすうちに、いつの間にかその最後を迎える。その最後については、誰も経験から教えてくれる者はいない。

今を一生懸命に生きることこそが人生を豊かにすることなのだと思う。

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