ラブ&ピンチ
対する郁斗は帰って来て早々、部屋に荷物を放り込むとシャワーを浴びて身体の火照りを冷まし、ジャージに着替えると冷凍庫にあったアイスキャンデーを咥えてリビングのソファーにどっかりと座り込んでいた。
「郁にぃ、はるねぇと喧嘩でもした?」
「ん?なんでそう思うんだよ?」
「いや、なんかさっきはるねぇの叫び声聞こえたから、郁にぃ何かしたのかなって」
郁斗がシャワーを浴びているタイミングで、悠の叫び声が隣から響いて来ていたらしい。
聞いていないので、郁斗はその叫び声がどんな感じだったのかは分からないが、別に喧嘩をした覚えはない。微妙な雰囲気にはなったが。
その旨を伝えると、郁香は露骨に顔をしかめて本当かと漏らすが、生憎郁斗には本当だと返す以外の証明方法が無かった。
「大方、郁にぃがはるねぇ誑かしてるんだと思ってるんだけど」
「誑かしてねぇよ。人聞きの悪いこと言うな」
「ほんとぉ?最近、はるねぇが郁にぃの事を見る目が完全に恋する乙女だと思うんだけど」
そう言って、郁香も冷凍庫からアイスキャンディーを取り出して咥えると、郁斗と同じようにソファーに腰かけた。
その間、郁斗に向けていた視線は何かを疑うような視線で、郁斗は少々居心地の悪さを感じつつも、そんな訳あるかと否定した。
「いーや、そんな訳あるね。絶対はるねぇの事誑かしてる。前のはるねぇ、あんなに女の子の顔してなかったよ」
「何を根拠にした話だよ……。あいつがそんだけ女子の中に溶け込めたってことじゃねぇの?」
「だったら、誰かに恋しててもおかしくないよね」
いつになく食いかかって来る郁香に、郁斗はめんどくさそうに顔を顰めて応じるが、郁香は引くつもりは無いらしい。
年下の妹言えど、誰に似たのか文句があれば目上にも平然と食い下がって来るのは、良いのか悪いのか。
そんなことを頭に浮かべつつも、それは無いんじゃないかと郁斗は返す。
「あいつの今の目標は男に、悠に戻ることだ。元々恋愛に興味も無かったタイプだし、それがそんな簡単に変わると思わない」
「私はそう思う。と言うか、今のはるねぇ見てたら大半の女子は気付く。男子はバカだから知らないけど」
「おまけと言わんばかりに世の男子を中傷してやるなよ……」
辛口意見の妹の発言に、思わず苦笑いが出る郁斗。まぁ、世の中の男子がバカなのは否定はしない。死ぬまで心がガキなのが男子である。
それが男性の良いところでもあり、悪いところでもあるのだが、ここで男女の心の成長や傾向の差を語っても栓の無い事。
結局、妹が何を語りたいのか、郁斗は率直に聞いて見ることにした。
「で、お前は結局何を言いたいんだよ。仮に、悠が誰かに恋愛感情を向けているようには思わない。あいつの目的にそぐわないからな」
「そこ、そこだよ郁にぃ。郁にぃはいつまで『気付かないフリ』してるの?」
睨むように鋭い視線を向けられた郁斗は、ただでさえ感じていた居心地の悪さを更に感じる羽目になる。
稀に女子から無差別に向けられる、男子を軽蔑するタイプの視線だ。
因みに、この視線を向けられている時の8割くらいは大体男子が悪い。大方、女子を泣かせたか、デリカシーの無い言動をした場合に多く見られる。
残りの2割は単純に男嫌いか、その個人が嫌いな場合である。この場合は理不尽にもほどがあるので、男子諸君はさっさと逃げるべきだろう。
兎も角、核心を突くような質問に、郁斗は一瞬黙った。
「ほら、その反応するってことは気付いてるよね?はるねぇの気持ちにも、自分の気持ちにも」
間髪を入れずに、次の言葉を投げかけてくる郁香に、郁斗は黙りこむだけしか出来なかった。
それに反応すれば、その言葉を肯定することになる。
「……今はまだそれでも良いと思う。はるねぇも混乱してるし、ちゃんとハッキリ決断しないといけないこともたくさんあると思うから」
そう言って、食べ終わったアイスキャンディーの棒をゴミ箱に投げ入れると、郁香はさっさと立ち上がり、振り返らないままリビングの入り口まで歩いて行く。
「でも、はるねぇ泣かせたら許さないから。だから、見て見ぬフリだけは止めてよね」
最後にそう言って、郁香は完全にリビングから姿を消す。残った郁斗は、溶けかけのアイスキャンディーを頬張りながら、その頭で何回も投げつけられた言葉を反芻させる。
「……あいつの為になんねぇだろ。あいつは、元に戻るんだから。俺が迷わせたら、本末転倒どころの話じゃない」
それでも、何度考えても。郁斗が自覚しているその気持ちは、悠の足枷になるような気がしてならなかった。
もし、相思相愛なのだとしても、それは親友の未来を狭めるような気がしてならなかった。




