どうしてこうなったのか
「流石、と言うべきか。その歳でその力量、我ながら舌を巻く」
「……どういうことだ」
まるで悠を知っているかのような口ぶりに警戒を高める
普段は無い静けさとピンと張り詰めた緊張感に悠の頬には汗が伝う
目の前にいるこの男は異様を越して異常だ。顔も声も見えているはずなのに靄がかかったように認識が出来ない
学校に押し入った辺り、狂人や愉快犯的なまともな思考が出来ない部類かと思っていたが、それにしてはあまりにも理知的で理性的な判断で悠と渡り合っている
そのくせ、向こうは悠を知ったような口だ
気味が悪いにも程があるだろう
「文字通り、そのままの意味さ。そして、大よそお前の予想は当たっていると思うぞ」
ゾクリと悠の背筋に悪寒が走る
もう気味の悪さどころの話ではなかった、圧倒的な警鐘が脳内に響き渡りその場から跳び退る(トビスサル)
「俺の狙いは【お前だ】。高嶺 悠」
「――――ッ!!!!?」
その一撃を防げたのは殆ど奇跡に近かった
見向きもせずに振るった箒の柄は偶然、悠に向かって来ていたナイフを弾く
「ぉらあぁっ!!」
そのまま体を反転させ、男の胴体に思いっきり蹴り込む
流石に避けきれなかったのか男はそのまま蹴り飛ばされ悠の前方へと転がっていく
「はあっ、はあっ、クソッ」
悠ももう一度後方に大きく飛び退いて、廊下の曲がり角付近まで男との距離を取ると思わず悪態をついた
後ろに下がった瞬間に背後に回り込まれる、なんてことは普通に考えて出来るわけがない。人はそんな速度で移動は出来ない
ましてや、確実に視界に納めていたであろうものが気が付いたら背後にいるなどあり得ない
「何がどうなってやがる」
理屈もへったくれも何もない、意味不明、理解不能に尽きる
荒い息を整え、男から視線を外さずに集中する。また同じことをやられてはたまったものではない
この場からの撤退も視野に(させてもらえるかはまた別の話である)、悠は箒の柄を構え
「高嶺君……?」
「なっ……?!」
後ろから聞こえた、聞き覚えのある女子生徒の声に狼狽してしまう
して、しまった
視界の端で起き上がった男が笑い、消える。女子生徒の声に反応して振り返りかけていた悠は消えた男を瞬時にその視界に捉える
そこにいた女子生徒に男がナイフを振り下ろす様をその視界に写す
肉を断たれ、血飛沫が上がる嫌な音が静かに聞こえた
「がっ、は……」
「えっ、あっ……」
おびただしい量の血液が悠の体から流れ落ち、悠自身もその場に崩れ落ちる
理解が追いつかない女子生徒はただただ狼狽えるだけで何も出来ることはなく崩れ落ちる悠を見つめる
「ちょっと予定外だったが、やはりお前には一番効果的だったようだな」
「てめぇ、何のために――」
「なに、お前にちょっと小細工をするためにな」
その前に彼女には眠っていて貰おう、そう言って呆然としている女子生徒に何かを嗅がせると女子生徒はあっさりと意識を手放す
既に床に伏せることしか出来ない悠はそれを眺めることしか出来ない
「安心しろ、彼女には今の事は忘れてもらう。今のは意識を混濁させるだけではなく、その時の記憶をうやむやにしてしまう効果もある、彼女に辛い思いはさせんよ」
「なんなんだ、ごほっ、てめぇホントに何のために」
「言っただろう、目的はお前だ。今回はたまたま場所が学校だっただけで、別に俺にとって時間も場所も関係ないからな」
全く以て要領を得ない男の回答に悠は薄れつつある意識をなんとか保ちながら、殆ど気合いだけで思考を働かせる
自分が狙われる心当たりもないし、妙にさっきの女子高生には優しかった
そのくせやってることは猟奇的に思える、結局幾ら頭を働かせてもこの男の真意が読めない
「さて、そろそろ人払いも限界だろう。救急車もこっちで手配済みだし、その傷も【これ】を使えば何の問題もない。安心しろ、別にお前を殺しに来たわけじゃないんだ。むしろ生かすために俺はここにいる」
訳の分からないことを、そう頭の中で悪態をつく悠の頭を持ち上げて男は手にした錠剤を悠の口に含ませる
そのまま、飲料水を口に流し込んで胃に流し込まれたことを確認した男はその場に悠を降ろし、立ち上がる
「都合の悪いことはこっちで全て手配してやる。元に戻りたくば俺を倒せ、お前の行く先々に俺は潜んでいる」
窓の向こうからサイレンと人の怒声が聞こえる
今までの静けさが嘘のような騒々しさが廊下に響く
「じゃあな【―――】。精々強くなると良い」
こうしてこの騒動は終わりを告げ、犯人が行方を眩ませた猟奇事件として全国に知れ渡った
そして、彼、高嶺 悠の人生のターニングポイントもここから始まる