髑髏が欲しいんじゃ!
1 髑髏が欲しいんじゃ!
夜が白みはじめたころ、京の本能寺では異様な光景が広がっていた。
その小さな寺の周辺には桔梗の旗印と、無数の将兵がひしめきあっている。
寺の欄干では、白装束の男が、ひたすら弓を放っていた。
これが、この世における最後の「いくさ」になると感じながら。
しかし、最後の「いくさ」は余りにも絶望的であった。
眼前には、自らの首を獲ろうと、血眼になった足軽たちが怒涛の如く押し寄せてくる。
男の名は 織田信長。
しかし、この男は最後まで粘る。
「ゴルァァァ!光秀呼んでこいや!」
「光秀ぇぇぇ!ワシと勝負せえや!」
信長は考えていた。
万にひとつ、助かる方法は挑発に乗って現場にノコノコ現れた光秀を弓で射止める。
(まず無理だろうが・・・)
もう、生き残る道はこれしかない。
信長は、思い付く罵詈雑言をひたすら、わめき続けた。
「光秀ぇ!この根性なしがぁ!」
「金玉付いとるんか!ヘタレが!」
幼少のころから、身なりはイカツく、素行は下品、口が悪くて、すぐに暴力をふるう乱暴者。
今でいう、ヤンキーの危ないクソガキがそのまま大人になったのが信長である。
ただし、知能はずば抜けて高く、死を恐れぬ度胸を持ち合わせ、ケンカは滅法強い。
この戦国時代の申し子のような男は、絶体絶命の窮地に陥っても、生き残る術を見つけ出そうとしていた。
一方、光秀はというと…
寺の門前で、黒光りするキセルを存分にふかせ、いやらしい顔でニヤついていた。
この日のために特注で作らせた背もたれ付きの床机に座り、ふんぞり返っている。
そんな光秀の足元に伝令が駆け寄ってきた。
「殿、信長公が、殿を呼べと叫んでおります!」
伝令は、ひざまずきながら、こう告げた。
光秀のニヤついていた顔が瞬時に真顔に戻った。
そして伝令にこう言った。
「もうちょっと、前に来い」
「はっ!」
片膝で、にじり寄る伝令にボソっとつぶやく光秀。
「そこで止まれ」
その瞬間、光秀の足が、伝令の顔面に直撃する。
後ろにふっとぶ伝令。
鼻からは大量の血が吹き出す。
「行くわけないやろがぁぁぁ!バカかぁ、お前は!」
「ははぁぁぁ!申し訳ございませんーーー!」
明智光秀という男、信長の前では、ひたすら平身低頭だが、いない時は、信長以上に暴虐の限りを尽くす。
この日、身に着けている白の陣羽織は、背面に昇り竜の刺繍が施された大衆演劇ばりの派手さ。
もちろん、信長の前では一度も着たことがない。(怒られるのが怖いから)
常に地味な服装をしているが、実はこんなド派手な格好を好む。
所詮、信長も光秀も、イカツい格好をして、周囲に威圧感を与えたい目立ちたがり。
更に、たちが悪いのが、人殺しも平気でできるところ。
罪悪感など、微塵も感じない獰猛な人種で、少しでも気に障ると、すぐに手が出る、足も出る。
逆に、その激しい気性ゆえ、今日まで、この殺し合いの時代を生き残ってこれた。
伝令に大声で怒鳴る光秀。
「とっとと、信長の首、持ってこいやぁぁぁ!」
光秀は、信長の首がどうしても欲しかった。
その首を町中に掲げ、信長の死を万人に知らしめると共に、次の天下人は、明智光秀だと印象付ける。
もちろんこれが最大の目的なのだが、光秀には、もうひとつ、首が欲しい理由があった。
遡る事8年前の天正2年(1574年)浅井朝倉軍を滅ぼした年の織田家中正月の宴席。
ここで信長にされた仕打ちを忘れることができなかったのである…
その時、主だった家臣の前で出されたのは、浅井久政、長政親子、そして織田家に加わる前の光秀の主君、朝倉義景、3人の頭蓋骨に金箔を施した髑髏杯であった。
小姓が、大きなお盆に乗せた3つの髑髏杯を運び、居座る家臣たちに順番に見せて回る。
信長はご満悦であった。
「どうじゃ、ワシの趣向は。なかなかオモロイやろが」
杯を見た家臣たちは、必死の作り笑いで、不気味な髑髏杯を褒めたたえる。
そして、髑髏杯は、光秀の前に来た。
3つの杯には、ひらがなで「ひさまさ」「ながまさ」「よしかげ」と書かれている。
光秀は思った。
(最悪や!気持ち悪いにもほどがある!信長は何を考えとるんじゃ・・・やっぱり頭がおかしいぞ・・・)
すると、突然、信長が声をかけた。
「光秀、どうや!」
信長は気が短い。少しでも返答が遅れると、不機嫌になる。
光秀は、笑顔を見せ、即座に答えた。
「ははーっ! これぞまさしく戦勝にふさわしき一品! 光秀、感服致しました!」
思ってもいない言葉を瞬時に吐きだす特技は信長に仕えてから覚えた。
光秀の返答は完璧であった。
更に機嫌を良くした信長は、褒美を与えることにした。
「よう言うた光秀!まずはお前が飲め!許す!」
「はい?」
「注いでやれ!義景の髑髏に!」
信長の言葉を受けた別の小姓が酒を持って光秀の側に近づく。
そして、義景の髑髏杯に、なみなみと酒を注ぎはじめた。
「遠慮すな!」
満面の笑顔で酒をすすめる信長。笑顔のまま固まる光秀。
場の空気は凍りついていた。
筆頭家老の柴田勝家は、こわばった顔で畳の一点を凝視し、微動だにしない。
羽柴秀吉は更にうつむき、小さくなっている。
頭蓋骨で酒など飲めるはずがない。
誰もが、この悲劇の当事者にはなりたくないのである。
しかし、信長は、皆が嫌がっているとは露ほども思っていない。
この狂気の宴を家臣が本気で喜ぶと思っていた。
やはり、異常である。
そして、髑髏杯には、酒がなみなみと注がれた。
光秀は思った。
(ここで少しでも嫌な顔した日にゃ、アイツは、ぶちギレよる。いかん、いかんぞ・・・
よし!笑顔や!笑顔で飲み干すんや!)
光秀「ありがたき幸せ!では、頂戴致しまする!」
(一気や。一気に飲むんや!)
杯を勢いよく口に運び、一口目を喉に通す。
(いける。大丈夫や・・・)
その瞬間、光秀の脳裏に浮かんだのは、かつての主君、朝倉義景の笑顔であった・・・
「ブッハァ~!!!」
光秀の口から勢い良く飛び出す酒と胃の残留物。
そして、コロコロと転がっていく杯。
光秀は、座敷から飛び出し、庭に向けて吐きつづけた。
「うおぇ~うおぇ~!!!」
光秀の吐しゃは止まらない。
唖然とする一同。
しかし、信長は怒り狂った。
「ゴルァァァァ!光秀ぇええええ!」
吐きつづける光秀に向かって、鬼の形相で駆け寄る信長。
「わりゃ~!どういうつもりじゃあ!なめとるんか!!!」
そして、信長の一方的な暴力が続いた。
頭部を狙った執拗な踏み潰しに、頭を抱える光秀。
涙を流し、ゲロまみれになりながら、理不尽な暴力に耐え続けた。
その時、思ったのである。
(信長ぁぁぁ、いつか絶対ぶっ殺して、お前の髑髏を杯にしたるぞ……)
以来、光秀は、信長の従順な下僕に成り下がり、命を削って仕える。
元々、頭が良く、武勇に優れた男である。
信長の望み通りに成果を上げ続け、やがて実質、織田家ナンバー2の地位にまで登りつめる。
信長を殺す日をひたすら待ちながら……
そして、今、信長の髑髏がまさしく手に入るところまで来たのである。
寺の周囲には、明智の大軍。
中には、あの憎き信長がいる。
当時の屈辱を思い出し、怒りに震える声で、光秀は吠えた。
「信長の首を手に入れるんじゃ!ワシは髑髏が欲しいんじゃあ!」
光秀の、実に歪んだ、いびつな願望であった。
その頃、完全に追い詰められた信長は、光秀への挑発を諦め、弓を放り投げて、寺の奥へと姿を消した。
信長は、光秀を、そしてこの後登場する秀吉をも、使い捨てにする気でいた。
天下統一までは必要な人材だが、そのあとは不要。
そもそも、異なる一族による地方分権が、国内争乱の元になると考えていた信長は、この仕組みを根底から変えるつもりでいた。
日本全土を自らの親族、織田一族だけで固め、反乱の起こらない中央集権体制を敷く事を最終目的にしていたのである。
国内をまとめた後は、唐入り(朝鮮出兵)で、有力大名たちを派兵し、かの地で果てさせるつもりであった。
しかし、その野望を遂行する前に、捨て駒の光秀から先手をうたれた。
「クソが・・・」
そうつぶやいた信長だったが、これは、自分自身に向けた言葉でもある。
光秀に謀反を起こす度胸は無いと踏んでいた自身の甘さ、油断が、この事態を引き起こした。
本能寺の最奥にある座敷に座り込んだ信長は、付き従う森蘭丸に向かい
「ワシの頭から油をぶっかけい!」
と叫んだ。
信長の真意を察した蘭丸は、戸棚を開け、火のついていない蝋燭立てを集め、泣きながら、主君の頭に油をかける。
「この首だけは、消し去る」
光秀の歪んだ欲望など知る由もない信長だが、首だけは渡すつもりはなかった。
首がさらされなければ、信長生死の判別はつかない。
そうなれば、光秀に協力するか否か、迷っている家臣たちは二の足を踏むだろう。
光秀の元に、戦力が集まるのを、短期間でも防げるのである。
その間に、この窮地から逃げ延びるであろう、嫡男、信忠の元に織田家が集結。
大軍団をもって明智軍を葬り去ることができる。
せっかく築き上げた織田帝国をこのまま崩壊させるつもりはなかった。
信長は、死の間際、このストーリーに期待し、自らの身体を灰にすることを決断したのである。
信忠の事を思い、かすかな笑みを浮かべながら、首筋に脇差を突き立てる信長。
「信忠ぁぁぁ!光秀をブチ殺せやあぁぁぁ!」
首筋から飛び散るすさまじい血しぶき。
と同時に、信長の身体に火をかける蘭丸。
崩れ落ちる身体からは火柱が立ち上がった。
しかし、死にゆく信長の期待は、数時間後、あっけなく潰える事となる。
その頃、門前にいる光秀の元へ、重臣の齋藤利三が駆け付けた。
「利三、中の様子はどうじゃ!」
「寺の奥が燃え始めました!」
「チッ!信長めが・・・髑髏を渡さんつもりか・・・」
「髑髏?」
「とにかく首を探せ!」
「それより信忠を仕留めましょう!」
「先に首じゃ!信忠なんぞ、ほっとけ」
「逃げられますよ!」
「かまわん!あんなクソガキぐらい、後でなんとでもなるわい!」
そこへ伝令が駆け付ける。
「殿!信忠中将、二条城に入城!」
「二条城に?」
「安土に逃げていなかったのか?」
あっけにとられる光秀と利三。
本能寺の近く、妙覚寺に駐留していた嫡男信忠(官位:従3位中将)は、明智謀反の報せを聞くや否や、信長を助けに行くと言いだし、避難しなかったのである。
光秀は、信長を完全に仕留めるため、全兵を本能寺周辺に配置。
信忠のいる妙覚寺には、派兵していなかった。
信忠が謀反の報せを聞いた後、すぐ避難していれば、織田家居城である安土城に無事入れた可能性があったのである。
しかし、この後継者は、あろうことか、父親と一緒に死ぬ道を選んでしまった。
信忠は思っていた。
自分は、父親の後ろ盾なしに、この国を治める器量がない人物だと。
このまま、信長が死に、自分だけが生き残っても、必ず天下は荒れ、獰猛な戦国武将たちにいいように利用されて、織田家は滅ぶかもしれない。(実際、そうなったが・・・)
後世に「ダメ息子」として名前が残るのを嫌がったのである。
これが信長なら、父親を見捨て安土に逃走。まずは織田家存続につとめたであろう。
しかし、信忠は、家の事より、自分のプライドを優先させたのである。
その選択は、光秀を狂喜させた。
逃走やむなしと考えていた信忠が同時に殺害できるのである。
「よっしゃぁ~!利三、バカ息子を殺しに行け!」
「ははーっ!」
「ぎゃははは!神様はワシに早う天下とれと言うとるわい!」
明智の1万を超す大軍は、瞬く間に二条城を包囲し、数時間の戦闘の後、城は炎上。
信長の期待を見事に裏切った嫡男信忠も、父親の後を追うように、その身体を灰にした。
まさかの2トップ同時殺害が達成されたのである。
光秀は、ずっと考え、ずっと待っていた。
どうすれば、信長を殺して、天下を手に入れられるのか?
やがて、1つの鍵にたどり着く。
天下を転がす事ができる鍵。
それは”朝廷”であった。
織田家のナンバー2、近畿管領にまで上り詰めた光秀である。
気性の荒い悪人だが、頭の切れ方は尋常ではない。
光秀は、朝廷を巧みに使い、用意周到に、このクーデターを計画した。
そして、天下人と後継者、偶然ではあるが、2人同時に葬るという史上稀に見る大成功を収めたのである。
計画では、当初、3か月と見込んでいた天下統一が、おそらくは、1か月で達成できるであろう。
そう光秀は確信していた。
なにより、光秀には、天下を治める”切り札”が用意されていた。
誰も思いも付かないであろう、絶対的な秘策を持って、このクーデターに臨んでいたのである。
しかし、ある男の策略によって、光秀の計画が狂い始める。
その男も、光秀同様、天下へのどす黒い野望を胸にしまい込み、その期を伺っていた。
羽柴秀吉。
本能寺の変後、憎み合っていた毛利と瞬時に和睦。
そして、電光石火の速さで京に突入。
何故、そんな、ありえない事ができたのか?
秀吉は、光秀のクーデター計画をすべて知っていたからである。
知っていながら、傍観し、信長を見捨てた。
明智との戦いを主君の弔い合戦などと称した辺りは、見事な悪謀である。
この稀代の悪人は、混乱に乗じて、自らが天下を簒奪することを決意していた。
天正10年、6月。
天下を狙うならず者たちの、黒く壮絶な騙し合い、殺し合いが幕を開けた・・・