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夏の庭園  作者: 冴島岐之
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 もうすぐ、僕は二十回目の夏を迎える。

 都会を抜けていく電車の中、流れていく景色を見つめている。速い。世の中はこんなにも速いスピードで、毎日止まることなく走り続けている。僕はその流れに身を任せている、しがない学生だ。

 もうすぐ、もうすぐあの町に着く。


 僕が生まれたのは、東京のど真ん中。自然なんてものとは無縁の、排気ガスとコンクリートの街。両親共に仕事が大好きで、小さい頃から一人で過ごす時間は多かった。それでも、愛情だけは人一倍受けていたと、思っている。やりたいことはなんだって、やらせてくれた。僕の誕生日には、どんなに仕事が緊迫した状態にあっても、プレゼントとケーキを用意して、一緒に祝ったものだ。不満に思ったことなんて、一度もない。僕は、とても恵まれているのだ。


 もうすぐ、あの町に。


 今は、夏休みだ。僕の通う大学も、夏休み。いつはじまったかわからない習慣、夏休みの一人旅。今年も、僕はあの町へ向かっている。

 多分、小学生の頃だ。学校は休みでも、両親には仕事があったから、僕は家で一人でいることが多かった。幼い頃から家を空けがちな両親のため、僕には日常的にしゃべる相手がいなかった。だから、友達もうまく作れず、会話を続ける方法もわからなくて、遊び相手は常に自分自身しかいなかった。そんな僕の、唯一の遊び。一人で外へ出ること。行ったことのない場所を探して、それが僕の小さな冒険だった。それが僕の、夏休みの過ごし方。


 僕はもう、あの頃よりはずっと大人になった。けれどこの習慣は、長い休みが来るたびに僕の心に細く長く火をつける。泉のように欲望がふつふつと湧きあがって、出かけずにはいられなくなるのだ。

 あの町へ向かうのは、それだけじゃないけれど。


《ねえ、また、来てくれる?》


 僕は、何を期待しているんだろう。僕は。

 目を閉じて、窓から視線を逸らした。読みかけのまま手に持っていた本を開く。カフカの『変身』だ。

 今さら僕が会いに行ったって、どうにもならないことは理解している。どうせ、彼女には見えないのだ。それに、忘れているかもしれない。僕のことなんて。

 顔が見れれば、それでいいじゃないか。


 結局、本には集中できなくてカバンの中にしまった。外の景色を眺める。緑が増えてきた。多分、あと十分もすれば着くのだろう。足元に置いた黒いケースに目をやる。

 彼女にはもう、見せることができないけれど。

 去年、僕は旅から帰ってすぐに一枚の絵を書き上げた。日の光の元で笑う彼女と、緑の絵。校内作品の中で、金賞を取った。もちろん大きなコンテストでは、あまりいい結果は出なかったけれど、それでも僕には大きな進歩だ。


 飛行機雲が見えた。今にも消えそうな薄い、平べったい青い空に、白い飛行機雲。

 もし、彼女に会えたら、教えてあげよう。こんなにも溢れている、美しい夏の色の話。

 病院の、あの小さな庭園で、彼女はきっと待っている。


=END=

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