スマホ中毒患者と、ライガの交渉
運転席に乗り込んだ俺は、シートベルトを締めてからエンジンのキーを回した。
正義のドライバーとしてこれは当然だ。
キュルル、キュルルルル……! とセルモータが苦しげな音を響かせるがエンジンは掛からない。
「う、うそだろ!? おいっ! 動け! 動け……よっ!」
もう一度キュルルとキーを回すが、エンジンが息を吹き返す様子はない。
映画などでは化け物から逃げて車に乗り込むとエンジンがかからないのはお約束だが、何もこんな時にまでテンプレでなくてもと歯軋りする。
「ライガ、慌てないで。ゆっくり、一呼吸おいて……!」
「パトナ……! でも!」
「大丈夫だから」
冷静で真っ直ぐな瞳は「信じて」と言っていた。
この世界に来てからというもの、俺は何度もパトナに救われた。だから……この可愛らしくも頼りになる相棒を信じると決めたのだ。
「あ、あぁ!」
そうだ……! 確かガス欠した車に給油してもすぐエンジンが動くわけじゃない。ガソリンが行き渡るまで、少し時間がかかるという話を聞いたことがある。あと少し、もう少し時間を……。
「ニィヤァアアア!? ライガ後ろ! 後ろニー!」
ピンチといえば少女の悲鳴も付き物のようだ。
ビチャビチャッ……! という湿っぽい音と共に、リアガラスに青く半透明なタコの腕のようなものがへばりついた。
それは、青い魔女ネルネップルの正体、巨大なスライムが伸ばした触手だ。
「うわぁあ!?」
「きゃぁ!」
ミィアがパトナのいる助手席にびょーんと飛び込んできた。運転席と助手席の間を見事に跳躍し、助手席の足元にしゅたっと収まる。身のこなしは流石ネコだ。
「あー!? ったく騒がしいねぇ、ゲームオーバーっ!? ビチャビチャうるさいいんだよ、この……粘着女が!」
後部座席でスマホゲーに興じていた炎の魔女ヘルナスティアがキレて突然叫んだ。
どうやら……ゲームのクリアに失敗したらしい。
くわっ! と怒りに眉を吊り上げると、指先に赤い魔法の光を生み出す。それをなんの躊躇いも無くリアガラスに投げつけた。
「ちょっ危な!?」
――まさか爆発系の魔法!?
だが、流石にそれは杞憂だった。
次の瞬間、ジュッ! とリガラスの外側から煙が上がり、へばりついていた触手が一瞬で、熱を通した卵の白身のように白濁した。
『ビチュルルァアア!?』
スライムは悲鳴にも似た音を発すると、触手が石灰のようになりボロボロと崩れ落ちた。
「内側から加熱しただけさね」
「ありがとう魔女さん!」
「ったく! ゲームのジャマをするんじゃないよ!」
窓にへばりついたスライムの触手を一掃すると、再び前向きに座りなおし、スマホを眺める。
途中で悪いスコアを出してしまったらしく、悔しそうにしている。プレイしているのはツム●ムだろう。
「それ…………気に入ったか?」
俺は運転席から、呆れ気味に声を掛けてみた。
「こりゃぁ良い物だね! アンタ、ライガとか言ったっけ? 今更、返せなんていわないだろうね?」
鼻息も荒く、スマホを胸に抱くようにして威嚇する。
「言わないよ。思う存分、どうぞ」
「なら、いいさね」
――ふぅむ?
スマホを手にして小一時間。魔女ヘルナスティアはすっかり毒されていた。
現代人でもハマると抜けられないというのに、ファンタジー世界の住人である魔女が、スマホゲームの破壊的な刺激に抗えるはずも無いのだ。
画面を食い入るように見つめると指先でタップ。軽快な音と共にゲームを再開する。
……これはチャンスだ。大人の交渉が出来るかもしれない。
「ライガ、多分もう大丈夫だよ!」
「わかった!」
三度目の挑戦。キュル、ルルル……ヴォゥオン! と今度は見事にエンジンが掛かった。
軽くアクセルを吹かし、ヴォンヴォオオンとエンジンの回転を確かめる。
確かに、ガソリンは十分に行き渡ったようだ。
「やったね!」
「よっし! 出発だ!」
アクセルを踏むと社用車は走り出した。
バックミラーに映る水色の塊は、あっという間に小さくなった。
ブニブニと身体を揺すりながら再び車を飲み込もうとしていたようだが、俺たちの車は既にそこには居ない。大きく開いていた触手は、萎んだイソギンチャクのようになった。
「もう大丈夫だよ、ミィア」
「ニー! 助かった……ニー」
パトナの膝の上に突っ伏すようにしてネコ耳を垂らす。
「あの鈍足じゃ、もう俺たちに追いつけないな」
「このまま逃げちゃう……?」
「はは、それもいいけどな」
パトナの言うとおり確かにそれもアリだ。けれど俺たちの目的は困っている人々を救う事だ。
もし、ヒューマンガースの街に酸を撒き散らす怪物が入り込んで暴れたら、それこそ大惨事だ。毎年雨季になると沸いてくる風物詩だとしても、放置も出来ない。
倒すとなると問題となるのは俺たちの武器、例えばヘッドライトビームが効くのかということだ。
さっきのヘルナスティアの熱魔法は、リアガラス越しでもかなりの効果があった。可能なら魔女の魔法で仕留めるのが効率がよさそうだが……。
俺はスライムから十分距離をとったところでハンドルを回し、方向転換をした。そして再びスライムと対峙したところで停車する。
「あぁ、ヘルナスティア。お前の炎の魔法で、あのスライムを倒せないか?」
「………出来るさね。その後ちょっと魔法力を消耗して無防備になるんだよ?」
紫色のドレスの裾を持ち上げて、白い脚を組み換える。
「そ、そうか」
「犯されたら堪らないねぇ……」
ニヤリと妖艶に唇の端を舌で舐める。
「なんでだよ!?」
何故かパトナとミィアが、じーっと俺を見る。
「それにアタイは御免だよ。何の徳にもなりゃしないんだからね」
「でも、魔女さんの街が襲われるかもしれないのよ?」
パトナがフォローを入れる。
「頼まれれば手は貸すよ。だけど『魔女の取引』が無きゃイヤだね」
ふんっと鼻を鳴らし、ややウェーブした金髪を指で梳く。
なるほど。相変わらず面倒くさい魔女だ。
「そうか。…………ところでヘルナスティア。手元のスマホの右上に、壺のようなマークが見えないか?」
「壺……? あぁ、これかい。見えるね。1個だけ何かが中に残っているような図形だね……。あたしが最初に見たときは2つあったんだけどねぇ」
やはりバッテリーは消耗しているようだ。
「それが無くなるとスマホはもう動かないよ」
「な……なんだって!?」
「それは電気っていう、俺たちの魔法の源みたいなものさ。使えば無くなる、当然だろ?」
俺は何かを言いたそうなパトナに指で合図をし、俺に任せてもらう。
「じょ! 冗談じゃないよ!? 動かなくなったら困るんだよ!? ハイスコア、ハイスコアを出すんだからね!?」
運転席のシートを掴んでガタガタ揺らすヘルナスティア。
「ハッハッハ。それはお困りですね」
よしよし、いい食い付きだ。
「ど、どうすればいいんだい!? 何か……方法があるのかい!?」
ヘルナスティアが身を乗り出してくる。
「まぁ、あるといえば……ある」
俺はニヤリと口角を吊り上げてから、車のダッシュボードから充電コネクターをつまみ出した。
「そ、それは!?」
「これは、車の電源からスマホに充電できる便利グッズさ」