それは季節の風物詩……らしい
龍は自らの身体に何が起こったか、咄嗟に理解できなかったのだろう。
『――ギィアァアアアッ!?』
悲鳴を上げると同時に、胴体の中央に浮き出た赤い線から、どす黒い体液を四方八方に噴き出した。
空中で身体が上下にズレたかと思うと、そのままバックリと真っ二つに分離--。
「なんですってぇえええ!?」
青き水の魔女、ネルネップルが絶叫する。
あらゆる物質を切断できる単分子カッターの一撃は、確実に龍の胴体を捉えていたのだ。
二つに分離した龍は、俺たちよりも遥か上空でグラリと姿勢を崩すと、急速に高度を下げ始めた。
周囲を覆っていた嵐の渦が晴れ、赤く染まった飛沫を散らしながら、こっちに向かって落下してきた。
「よくもこんなッ、許しませんわ!」
ネルネップルは俺たちの白い社用車を眼下に認めると、残った龍の上半身を反転させ、特攻さながらに突っ込んできた。
「ライガ、正面から来るわ!」
「やばっ!」
赤い液体を吹き出す龍は、あっという間に車のフロントガラスに大映しになった。巨大な口で丸飲みにしようというのか、牙の生えた大顎を開く。首に跨がっているのは目を吊り上げて怒り狂う、青い魔女ネルネップルだ。
「ブースト解除……ッ!」
「うんっ!」
パトナは俺の声に弾かれるように、咄嗟にアフターバーナーの噴射を止め、社用車を自由落下へと切り替えた。
ギュァアアアッ! と社用車の天井に龍の鱗が擦れ、フロントガラスに真っ赤な血の雨が降り注いだ。
「ちいいっ!?」
「――かわせた!」
急激にコースを変えたことで、なんとか正面衝突だけは免れる。体当たり特攻を避けられた龍は、頭上をすり抜けていった。
「うっ……ひぃああ!?」
「こんどは落ちるのかい……! せわしない乗り物だね」
「にぁああああああ!?」
だが今度は、強烈な落下感覚に包まれて俺たちは悲鳴を上げる。
既に上空15メートルを超える高さに達していたので、胃袋の裏を冷たい手で撫でられるような、裏返しになりそうな感覚が背中を駆け抜ける。
車中は一瞬無重力。パトナのお下げ髪や、捨ててあったペットボトルが宙を泳ぐ。
それだけではない。問題はこのまま落下すれば、激突した時の衝撃は計り知れない。タイヤで着地できたとしても、パトナ本人にフィードバックされる痛覚は相当なものだろう。
普通ならば車体がバラバラになり、俺たちは全員ペシャンコだ。
あるいは車体は特殊な加工で壊れなくても、中に乗っている俺たちは、慣性エネルギーが衝撃に転換されることで確実に赤いミンチ肉と化すだろう。
「パトナ……ッ! この……ままじゃ」
「大丈夫! まかせ……てぇやぁああああああああッ!」
目の前に地面が迫った、その時。
「バリューン・エアバック! ……オープンッ!」
パトナが車内で両手を広げて叫んだ。
エアバックは衝突安全装置。風船を爆薬の力で膨らませて乗員を事故から守る物で、この車のハンドルにも装備されている。
確かに衝撃を和らげる効果はあるが、後部座席には付いていないのだ。後ろの二人はともかく、パトナの身体は持つのだろうか。
「エア……バックて、それじゃ……俺しか」
「ライガ、心配しないで!」
ボファンッ! という軽い破裂音と共に、ガラス窓を包むように、外側に真っ白な膜が広がった。
それは車の下部から爆発的に膨れ上がった巨大な風船、車全体を包むほどの大きさの、衝撃吸収用エアバックだった。
「衝突安全性能だって……バッチリなんだからねっ!」
パトナの胸が大きく揺れた次の瞬間、ボヨォオオン、と車体が地面でバウンドした。
「ひぃやぁああ!?」
「ニニニィイー!?」
再び跳ね上がり、軽い上昇感覚を自覚する頃には、今度は落下感覚へと切り替わっていた。短いストロークで再びバウンドしたようだ。
二度目のエアバックによる着地で、風船の空気は程よく抜けたようだ。柔らかく揺れながらタイヤが接地すると、プシュルルル……と、白い膜が吸い込まれるように車体の腹の下へと格納されてゆく。
「たっ……助かった……」
「どう? 大丈夫だったでしょ」
俺はまだ心臓のバクバクが止まっていない。
「じ、地獄の体験をしたニー……」
後ろを振り返ると、ネコ耳のミィアは四足で後部座席に立っていた。フーフーと興奮した様子で目を血走らせている。
「あはは! 凄いものだねぇ、魔法の馬車は!」
ヘルナスティアは、呆れたような笑顔を見せながら乱れた髪を整える。流石の魔女もジェットコースター体験は初めてだったようだ。
「とりあえず、皆無事……だよな!?」
荷物室のガソくんとリンちゃんも横倒しになっていたが、直ぐに起き上がった。
そうだ――ネルネップルは!?
慌てて辺りを見渡すと、居た。
俺たちよりも僅かに遅れ、木の葉落としのような動きで地上に落下してくる。
水の魔女ネルネップルは、半分に切断された龍の上半身にしがみついたままだ。
――地面に激突する!
次に展開されるであろう惨劇を想像し、思わず目を背ける。
だが、断末魔の悲鳴も肉体が潰れる生々しい音も聞こえなかった。
代わりに響いたのは、ビチャチャチャチャという湿った粘着質の音だった。
「ライガ……! あれを見て!」
「えっ?」
パトナの声にもう一度顔を上げる。すると、水色の粘液の塊となった物体がいた。車から30メートルほど離れた場所で、青い塊がグネグネと蠢いているのだ。
どうやらそれは、龍が形状を崩しながら、ブルブルと体を水色の塊へと変化してゆく途中らしかった。
魔女ネルネップルを探すと、全身をジェルのような水色の粘膜で覆った人型がいた。
チャイナ服の魔女ネルネップルの名残りを見せながら溶け、巨大な粘液の中に沈んでゆく。
すべてが粘液の塊へと帰依し、青い巨大アメーバのような塊となった。
「スッ……スライムだ!?」
「スライムだよ! おっきなスライム!」
「あれが、ネルネップルの正体さね。梅雨も近い証拠だねぇ」
ヘルナスティアが頬杖をつきながらアンニュイな雰囲気を醸し、ため息をつく。
「梅雨だから!? なんじゃそりゃ!?」
「そういうもんなのさ、アイツは雨と一緒に毎年湧いてくるからねぇ……」
「毎年!?」
「湧く!?」
俺とパトナは顔を見合わせる。
「ニィアア!? 横! 横にも居るニー!?」
「うわ!?」
ミィアの声に振り返ると、先に落下していた龍の下半身が、ドロドロと形を崩しながら液体と化し、ネルネップルの第二形態へと合流してゆくところだった。
――龍も同じスライム……! 魔法で形成していたのか……!
「なら……いまのうちに!」
「ヘッドライトビームだね!」
パトナが右手と左手の人差し指をスライムに向けて、指して片目をつぶる。このタイミングらなら確実に仕留められるはずだ。
「あのゼリー怪物をブッ飛ばして、終わりにし…………あれ?」
スコン……。とアクセルが変な音を立てた。
エンジンが止まり、車内が静かになる。
「悪いニュースだ」
「ライガ……?」
「ガソリンが切れた……」
俺は洋画の主人公のように苦笑を浮かべてみた。
【今日の冒険記録】
・同行者:炎の魔女ヘルナスティア(年齢?)
:猫耳少女ミィア(13歳)
:足つきの壷×2(ガソくんとリンちゃん)
・所持金:3560円(日本円)
:78リューオン金貨
・所持品:PCパーツ、毛布、工具一式、ライター2個、トイレットペーパ、テッシュ
:町で補充した食べ物や雑貨、毛布、乾し肉と魚。。
:水は小さい樽で1つ分。
・走行距離:370キロ
・ガソリン残量: 0リットル(予備、約100リットル)