炎の眷属
ヒューマンガースの上空に、物凄い暗雲が集まり渦を巻き始めた。
風が吹き、雨がますます激しく降り注ぐ。
『出てきて下さいな魔女ヘルナスティア! でないと……街の周りを水没させて、街の壁も全て壊してもよろしくてよ』
水を司る魔法使い、魔女ネプネップルが龍に跨ったまま上空から叫ぶ。
――あれが、呪怨六星衆の4人目の魔法使い!
細部までは見えないが、身体にフィットしたチャイナドレス風の白銀の衣装で、太股の両サイドには大胆な切れ込みが入っている。時折、艶かしい脚線美が見え隠れする。
髪は青っぽくお団子ヘアでチャイナ娘っぽい。
肩から首にかけては水色の半透明の「羽衣」のような布切れを纏い、風に揺れることもなく形状を保っている。
おそらく空中浮遊を実現する魔法のアイテムなのだろう。
そして、空から降り注ぐ挑発的な声も特徴的だ。
だが、冷静に考えれば荒れ狂う雨風の中で声など聞こえるはずも無い。これは頭の中に直接響いてくる魔法の「声」なのだろう。
『……ふぅん? シカトってわけ? じゃ、いいわ。まずは街の外から虐めてあげる!』
宣戦布告とも言える挑発的な口上は、ヒューマンガースの住民全てに聞こえているということになる。
ズゴゴゴ……と腹に響くような重低音がますます大きくなると、上空の雲が渦を巻きながら地上に向けて垂れ下がりはじめた。それはやがて漏斗のような状態で地表へと近づいてきた。
雲の先端が地表に触れた途端、バキバキと家が何軒か吹き飛ぶのが見えた。
「た、竜巻だ!」
「危ない! 逃げてみんな!」
周囲はもう大騒ぎで、逃げ惑う人々が我先にと街の入り口を目指して殺到する。その後方では巻き上げられた馬車が宙を舞い、荷物が紙吹雪のように上空へと昇ってゆく。
「あの魔女もメチャクチャだな!?」
「ライガ、移動した方がいいよっ!」
俺はシートベルトをつけ、ミィアにも着ける様に身振りで示す。パトナも完全に臨戦態勢で、ツナギの胸もとのジッパーを、ジャッ! と首まで引き上げた。
――外気圧異常低下! ウィンドゥ開閉禁止。
社用車のフロントガラスにポップアップで赤い警告表示が浮かび上がった。
窓を開けるなとはつまり、車外は相当危険な気象条件になっているということだ。車内は与圧され密閉された空間だが潜水艦程ではないらしい。
だが、人々の多くは、荷物を放り投げて竜巻を逃れて建物の影へと駆け込んだようだ。
駐車場の整理係の例の男が、人々を松明で誘導しているのが見えた。ちゃんと責務を果たしている事に少し驚くが、全ての人々が街の中へと避難するのを見届けると「ダンナたちもお早く!」と叫んでいた。
俺は、車中の窓から手を振って、逃げるように促す。
パトナと俺たちは、この異常現象を引き起こしている魔女を倒さねばならないのだ。
「ライガ、いこう!」
「あぁ! やるべきことはわかってる」
何故なら、俺たちは女神様からそういう役目を仰せつかったのだから。
――人々を苦しめている魔法使いを倒せ、と。
ならば、頭上に浮かぶ青い魔法使いは倒すべき敵だ。
竜巻の渦がいよいよ近づいて来ると同時に、黒光りする長い胴体を持つ龍が舞っているのが見えた。
「ライガッ! 凄いよ龍だよ、上を見て上っ!」
「見てる見てる! ヤッベェだろあれ!」
運転席の俺と助手席のパトナがフロントガラスから上を見上げる。
完全にミーハーバカップルみたいな状態だが、冗談ではない。本物の「龍」なのだ。
全長20メートルはあろうかという東洋風の『龍』は、ヘビの胴体にワニのような手足を持ち、鬣とヒゲを風に揺らめかせている。
そして、眼下にいる俺たちの存在に気がついたようだ。
『キュルキュルキュル……!』
甲高い声で鳴くと、龍が大口を開けた。
口の左右からはナマズのような長いヒゲが波打つように動いている。
「くっそ! ダッシュで……退避ッ!」
俺は思い切りアクセルを踏み込んだ。ギュララララ! と4輪駆動の力強い駆動力で一気に俺たちの社用車は加速する。
次の瞬間、背後に真っ白な水柱が吹き上がった。
ズシャアアア! という衝撃波に車体が揺れる。地面がめくれ上がり泥と水の混じった爆発が沸き起こった。
「どぅわ!?」
「きゃぁ!?」
上空から、空爆のように、水の塊が撃ち込まれたのだ。
「ニィアアア!? なんだニーあれは!?」
「超質量の水塊だよっ! 押しつぶされちゃうよ!」
流石のパトナもミィアも後ろを見ながら悲鳴を上げた。
「舌を噛むから歯を食いしばれ!」
俺が蛇行運転するコースを追うように、背後で次々と水柱があがる。
ドシャ! ブシャァッ! という激しい音と衝撃波に広場に放置されていた馬車の荷台が砕け散った。
一瞬でも速度を緩めれば、即狙い撃ちだ。
だが相手は空の上、クラクションも届かなければ、ヘッドライトビームも射撃角度が確保できなければ狙えない。
「くっそ! 空から狙われたんじゃ……ッ!」
おまけに、駐車場になっていた広場には、放置された馬車や荷物などが散乱していて、うまく避けないと乗り上げたり激突してしまう。
必死でハンドルを右へ左へと切り返す。
荷物室に詰め込んでいた荷物の重量のせいか、ハンドリング感覚がいつもと違っていた。
――ハンドルが重い! 動作がワンテンポ遅れる……ッ!
だが、気がつくと壷のガソくんとリンちゃんが踏ん張って、荷物が崩れないようにしてくれているのに気がついた。
「賢い子たちだね!?」
「あはは……!」
おまけに風雨により視界は最悪だ。通常モードのワイパーとヘッドライトを使い、暗い暴風雨の中を必死で駆け抜ける。
「このままじゃやられる。反撃だ! 反撃しないと……!」
焦るばかりで、反撃の糸口が見つからない。
『あらあら!? 地面から魔女ヘルナスティアの眷属の臭いがすると思ったら……白い魔法の馬車がいるのね? ちょこまかとよく動く事。とっても下品な……油くさい、ババァの香水のような臭いがするわ!』
水色の魔女が上空から憎憎しげな声で叫んだ。
吐き捨てるような言い方も、まるで炎の魔女に恨みでもあるかのようだ。
「あいつ今、眷属って言ったか!?」
俺はハンドルを巧みに操りながら、助手席のパトナに叫んだ。
「言ったね。ガソくんとリンちゃんの事かと思ったけど……」
「たぶん俺たちもセットなんだよ!」
俺は真横で起こった水柱の爆発を横目に、フッと笑って見せた。
「俺たちは仲間さ、一蓮托生ってやつだ」
「うんっ!」
パトナが俺の左手を握る。
――そうだ。もうミィアも壷だって、仲間なんだ。
今更だが俺たちの車はガソリンで走っている。
つまり、魔女ヘルナスティアの属性だという「炎」と同じ力を使う文明に属しているとも言える。
解釈によっては『魔女の仲間』という誤解を受けてもおかしくない。
だが、そもそも『呪怨六星衆』たちこそ仲間じゃないのか?
何故、水の魔女がこの街の炎の魔女を攻撃しに来たのだろう?
「ライガ! 前ッ!」
パトナの声にハッと我に返るが、コース取りを誤ったようだ。放置された荷物と車輪の外れた馬車が行く手を塞いでいる。思わずブレーキを踏み減速する。
「――しまっ!」
僅かな隙を魔女ネプネップルは見逃さなかった。
コァアアア! と上空の龍が口をあける。口の中にゴゥウと黒い雲と水蒸気が吸い込まれ収斂し、巨大な水の塊を生み出してゆく。
『アハハ!? まずは眷属滅――』
ダメか!? と思った次の瞬間。
真っ赤な一条の光がミサイルのように飛来し、上空の龍を直撃した。そして凄まじい勢いで破裂し真っ赤な炎で龍を飲み込んで行く。
『――ゴハァアアッ!?』
龍が悲鳴を上げる。だが、すぐさま内側から押し返すかのように水蒸気の爆発が起こった。
赤かった光は白い霧のようになり四方八方に霧散する。
「ふん!? きたか……!」
水煙が晴れた時、魔女ネルネップルも龍も健在だった。水の障壁で炎の力を相殺したのだと俺は理解する。
『あたしの庭先で……なーにやってくれちゃってるのかしら? カビ臭い水女』
それは、炎の魔女ヘルナスティアだった。