襲来、水の魔女ネプネップル
車のデジタル時計を確認すると、時刻は午後3時を過ぎていた。
じきに日が暮れる。
今からこの街を出発して、次の目的地である聖都・ヒースブリューンヘイムに向かうのは少々危険だろう。
ヒューマンガースの街の南方、およそ100キロ先にある「聖なる都」は、この神聖フォルトゥーナ・モーレィス王国の中心地だという。
俺たちの旅の目的は「悪い魔法使い」を倒し、苦しめられている人々を救う事だ。
王国を混乱させている魔法使いの秘密結社ブラック・カンパニー。その大幹部である『呪怨六星衆』。
彼らが非道な行いを繰り返しているのなら倒さねばならないが、残る三人の魔法使いは何処にいるのだろうか?
だが、ここで俺の頭の中には、一つの疑問が浮かんでいた。
何故、魔女ヘルナスティアは敵対的なそぶりを見せなかったのだろう?
正直に言えば、ガソリンを入手する上では「助かった」というのが本音だ。話のわかる魔女だったのならば、それはそれでいい。
代償を要求する商売で相手を苦しめているかもしれないが、大勢の人々を苦しめている……という訳でもなさそうだ。
気になる点はまだある。ここに来る前、シャコターンの町を襲った魔女ゴージャス・マイリーンは、魔法使いホルテモット卿が倒された事を知っていた。
つまり『呪怨六星衆』は、水晶玉か魔法の鏡、そういった何かのアイテムで情報の伝達を行っていたのではないか、と言うことだ。
俺たちがの二人を葬った「女神側の救世主」だと分かっていたのなら、きっと唯では済まなかったはずだ。もっと酷い事態に陥っていたかもしれないのだ。
あるいは……知っていて見逃してくれたのだろうか?
恐ろしい魔法使い秘密結社『ブラック・カンパニー』内部にも、ある種の温度差や独自の価値観、判断で行動する余地があるのだろうか?
ここにきても俺の疑問は膨らむばかりだ。
「そうだ。女神ラジオなら、何か情報があるかもしれないな」
魔女ヘルナスティアは二人の神を「敵対する夫婦、陰と陽、死と再生、太陽と闇。決して離れられない流転の象徴」と、そんな事を言っていた。
女神だから正義、セトゥ神は悪という単純な構図ではないのだろう。
もしかして俺たちや魔女は……盤上の駒のような存在なのだろうか?
壮大な神様同士の椅子取りゲームのような……。
「はは、まさかね」
いくらなんでも想像が飛躍しすぎか。
とりあえず、無事にガソリンを手に入れてホッとしている自分に気がつく。
正義と言えば、いきなり襲撃してきた赤いマスク男ヴァリ・ヴァリーの動向も気になる。あいつは一体何者なんだろう?
女神に敵対する「セトゥ神」の使徒だという事だけがはっきりしている。
正義を名乗り俺たちを執拗に狙う理由も、それなのだろうか。
同じことをパトナも考えていたらしい。
「ねぇライガ、あの赤い人、また来るかな?」
「どうだろう。車を召喚する力を取り戻せば、また来そうだな……。だけど、人混みに逃げ込んだ途端、こっちの居場所までは判らないみたいだったしな」
つまり、目視以外で俺たちを見つける方法は無い、普通の人間なのだ。
「あのねライガ、今夜はこの街に居たほうがいい気がするの」
「うん。確かにな、天候も荒れそうだし」
俺はパトナと共に徐々に暗くなる空を見上げた。
ガソリンを積んだ車はロックをして、もう一度駐車場の係員に頼めば大喜びで見張りを引き受けてくれそうだ。
と、ミィアが車の後部座席からもぞもぞと後ろ向きで降りて来た。
「ニー! 居心地のいいねぐらだニー……ニ?」
ピン……とネコ耳を立てたミィアが、はるか彼方に耳と目線を向けた。
真剣な野生動物のような横顔に思わず息を呑む。
「ミィア?」
それと時を同じくして、周囲に停めてあった馬車の御者達が、なにやら騒ぎ始めた。
ガヤガヤと何かを言い合い、空を指差している。
「どうしたのかしら?」
不穏な気配に俺も思わず、ぐるりと空を見回す――と。
西の空を覆っていた黒い雲が、まるで生き物のようにグネグネと蠢きながら、こちらに向かってくるのが見えた。
時折、雷光のような赤黒い光を内側からストロボのように光らせている。
ズォオオオオ……と唸り声のような低周波のような、不安を駆り立てるような音も辺りに聞こえ始めていた。
「なんだありゃ?」
「ライガ……」
「あぁ、嫌な予感しかしないな」
「うん」
俺とパトナは頷きあった。
周囲にいた人々も、空を指差して口々に不安を訴えながら、ある者は馬車に乗り込み、ある者は家路を急ぎ始めた。
パトナが助手席に乗り込み、フロントガラスに情報を映し出す。何か赤い警告が点滅していた。
「ライガ、高い魔力反応……! やっぱり何か来るみたい」
「……宿泊する前にひと仕事しなきゃダメかもな。ミィアも乗れ!」
「ニー!?」
俺は運転席に乗り込みながら、ミィアを後部座席に押し込んだ。
キーをまわしエンジン始動。
心地の良いエンジンのサウンドと、冷たいハンドルの感覚に安心する。
ガソリンメータの残量を見ると、5分の1ほど残っている。おそらく15リッターぐらいはありそうだ。
燃費を考えても100キロ以上は余裕で走れるし、万が一戦闘になっても短めのブーストジャンプならば出来るだろう。
と、途端にラジオから明るい声が飛び込んできた。
『――――(ザッ!)、お肌がつるっつるになったの! それでねっ』
「ライガ、女神ラジオだよ!」
「何の放送だよ……」
「ニー!? 誰ニ!? 誰の声ニー!?」
後部座席で落ち着かない様子でキョロキョロするミィア。
「大丈夫、声だけ聞こえる魔法なの」
「そ、そうなのかニ……」
パトナが説明している間、チューナーを回しラジオの音声を拾う。
『だよねぇ。あっ! みんな聞いてるかな? 今ね、臨時ニュースが入ってきたよっ』
「臨時ニュース!?」
なんだか嫌な予感がする。
『炎の魔女ヘルナスティアちゃんの領地、ヒューマン・ガースの街に、水の魔女ネプネップルさんが迫ってるねっ!? 陣取りゲームを始め……あっ……うそ! えーん!? 私が慈悲を授けた、可愛い運命の子達もそこに居るみたい! 驚きだねっ』
「な! 水の魔法使い……!?」
「それにライガ! 今私たちのこと言ってなかった!?」
「言ってた! 女神様は見てるんだ!」
「な、なんの話ニー!?」
『このラジオ聞いてくれてるかなぁ……? 遠い世界で見つけた、燃える心臓と円輪の四肢を持つ聖獣さんとその使い手さん! 中立を貫く炎の魔女さんと、相性バッチリなはずなのよねぇ?』
どこまでも軽い調子でペラペラしゃべりまくる女神様だけど、とんでもない情報が次々と垂れ流されている気がする。
空がいよいよ暗くなった次の瞬間、ガゴァアアアア! という稲光と共に物凄い雨が降り出した。
混乱する駐車場から、人々が逃げ惑う。
「来た!?」
俺たちは、人混みを避けながらゆっくりと街の外へ通じる道を進み始めた。
その時、一条の青白い光が一直線に俺たちの頭上を掠め、街の尖塔に向かっていくと塔を粉々に打ち砕いた。
「なんだぁあ!?」
「きゃぁああ!?」
悲鳴と塔が崩れる音が響き土煙が舞う。僅かに、叩きつけるような雨が弱まる。
『ウッフフフフ! 出て来て頂けませんこと、炎の魔女さん!』
「な、なんっ!?」
驚いて頭上を仰ぎ見ると、垂れ込めた暗雲の間から、ぐねぐねとヘビのように長い「龍」が空中で蠢いていた。
その頭のほうには、ヒラヒラと青白いマントのようなものが見えた。
「龍だ!? ドラゴン……というより東洋の龍みたいな!?」
「ニァアアア!?」
ミィアが悲鳴を上げて後部座席で身体を丸くする。どうも後部座席に乗る子は、こういう目にあうようだ。
『私は魔女ネプネップル……! 呪怨六星衆のお仲間の筈ですわよね? 顔をお見せくださいまし! 私に、このエリアを差し出して頂きたくて参上しましたの……!』
ゴシャァアアア! と龍が身をよじると物凄い雨が降り注いだ。
俺は慌ててワイパーを動かし視界を確保する。
「ライガ! 龍に乗った人は、ヘルナスティアさんと街を狙ってるみたいだよっ!?」
「いったい何がどうなっているんだよ!?」