魔女ヘルナスティアの『燃える油』
カラコロンと軽いドアベルの音を聞きながら、俺たちは薄暗い店内へと身を滑り込ませた。
――希望と絶望の店、ジェイム。
店の入り口には『ガマガエル一番搾り油入荷』『人喰い草種油特価』『高品質地溝油あります』と、不安でしかない謳い文句が書かれた紙が張ってあった。
「いらっしゃい、待っていたわよ。女神フォルトゥーナの……使徒さんたち」
――!? 俺達の事を……?
「お、おじゃまします」
一瞬ギョッとしながらも店内に足を踏み入れた。途端に独特の臭気が鼻を突く。
「鼻が曲がりそうだニー」
俺の背後でミィアが顔をしかめる。同時に、パトナが俺の袖を引く。
「ライガ、このにおいって……!」
「あぁ、間違いない!」
それは忘れもしない臭気、俺とパトナにとっては懐かしい「ガソリン」のにおいそのものだ。
「珍しいわね。異国の魔法使いさんがくるなんて……。見たところ、セトゥ神ではなく、女神フォルトゥーナの使徒に見えたけれど、よかったかしら?」
意外にも軽妙な女の声が、薄暗い店の中に響いた。
「フォルトゥーナ……うん、はいっ!」
「パトナ……!」
パトナが元気よく返事をしてしまう。
正面には木のカウンターがあり、金髪の魔女が腰かけていた。
目が慣れてくるとまるで闇の奥底から湧き出てくるかのようにその輪郭と仔細が見えた。
整った卵形の顔の輪郭を持つ、細身の美人で耳が僅かに尖っている。魔族か? と思わせるほどに美しい女の人だった。
年は20歳ぐらいに見えるけれど、逆に恐ろしく年を取っているようにも見えた。
ぞっとするほどの白い肌、燃えるような赤い瞳が、闇の向こうからこちらを凝視している。
僅かに開いた口元からは悪魔じみた牙がチラリと見えた。
明らかに人間の女の姿を真似た悪魔か吸血鬼か、そんな印象だ。
紫色の身体にフィットしたビロード生地のドレスは、袖や襟首に白いレースがあしらわれている。
「あぁ! えぇ、俺たちはその……女神様系統というか、そんなところです」
「……ふぅん? 私はどちらでも大歓迎よ。店の中は中立。セトゥ神でも女神フォルトゥーナご本人でも、等しく平等ってわけ」
その言葉に何故かホッとする。
怪しいが、商売をする上での差別は無さそうだ。
金髪の魔女は何かの本を読んでいたのか、鼻にかけていたメガネをカウンターに置く。
僅かにウェーブした金色の髪はとても長く美しく、悪魔じみた容貌を柔らかい印象に変えるのに一役買っている。
「俺は……ライガ。訳あって旅をしてます」
「私はパトナです!」
「ミーは、ミィア。つ、使い魔だニー?」
俺達3人は、一応魔法使いという設定で口裏を合わせてある。
シャコターンの町で聞いた情報によれば、魔法の触媒は魔法使いで無ければ売ってもらえない筈だからだ。
俺たちは勿論魔法なんて使えないが、異世界から来た科学文明の申し子だ! と説明するよりも話が早いだろう。
店内は入り口から幅5メートル四方はフロアになっていて、大きな樽や壷が取り囲むように並べられている。
店の中は意外と広く、幅は5メルテに対して奥行きが15メートル以上もある倉庫の入り口のような造りになっていた。
両側は全て棚になっていて、いろいろな色や形の瓶や壷が並べられている。
中身は見えないが、きっといろいろな薬剤や油のようなものだろう。
かなり複雑で刺激的な臭いが充満している。
「わたしはヘルナスティア。そうね最近、巷では……『呪怨六星衆』なんて呼び名の方が通じるかしら?」
妖艶な笑みを口元に浮かべ、魔女は本を閉じながら言った。
「へっ!?」
――『呪怨六星衆』!?
思わず呼吸が止まりそうになり、口を押さえる。
「ライガ、ヘキサって……あの!?」
「ニィ?」
ミィアは何のことやらという顔をするが、俺はチラリとパトナと目配せし、動揺を見せないようにと合図をしあう。
目の前にいる紫色の魔女は、魔法使いの秘密結社、ブラック・カンパニーを牛耳る6人の魔法使いの一人なのか。
この店の主である魔女、ヘルナスティアの仲間を倒した女神側の人間だと判れば……終わりだ。
これは……まずい。
心臓が激しく脈打ち、口が渇く。
今まで戦った二人は、少なくとも狂気に支配されていた。そして恐るべき魔法の力で、問答無用で襲い掛かってきた。
こうなればガソリンの入手どころではない。こっちは今「生身」なのだ。
素手で猛獣の檻に迷い込んだウサギのような存在だ。
踵を返して、今すぐ逃げ出すべきだろうか……。
町に出ればまたあの赤いジャスティス男が襲撃してこないとも限らない。
四面楚歌、いや八方塞がりか……。
「あら? そんなに怖がらなくてもいいわ。帰依する神が入れ変わってね、呼び名が『6聖者』から『呪怨六星衆』に入れ替わっただけよ」
何かを話さなければ、と声を絞りだす。
「神様の……鞍替え? ということですか」
「巧い事を言うのね。知っているかしら? セトゥは技術と知恵の神、力の神で破壊の神。勝利を司り、死を運ぶ闇の風、なんて呼ばれているわ。対して女神フォルトゥーナは、運命の女神。太陽のような光、生命の再生を意味するわ。そこから転じて車輪の女神、更に商売の神様なんて呼ばれていて……、そして美と白痴の神でもあるわ」
魔女ヘルナスティアは艶やかな声で、つらつらと述べた。
なんというか、店に客が来て話をしたくてしょうがない、といった感じだろうか。
「つまり……えと」
「どちらも表裏一体ってことか」
「そうね。二人の神様は男と女でもあるの。敵対していながら夫婦よ。陰と陽、死と再生、太陽と闇。決して離れられない流転の象徴」
「だから、『6聖者』から『呪怨六星衆』も本質は変わらない、と?」
「その通りよ、異国の魔法使いさん。気に入ったわ。受け入れるのが早いのね。普通は反発して怒り狂う人間もいるのよ?」
「それはそれは」
俺はようやく余裕が出てきた。俺達にとってこの世界の神々の対立や意味などあまり意味が無い事が幸いしたようだ。
「それで、何がほしいの?」
「燃える油。激しく、爆発するほどの……この臭いを発する油がほしい」
くんくんと鼻を鳴らす。
「……爆炎魔法の触媒ね? シェイラオイル。砂漠に生える魔法の木の実を搾って、出てくる油を精製したもので取り扱いには注意。とても危険よ」
魔女はサンプルらしい小瓶を取り出してテーブルに置いた。500ミリ入りのペットボトルよりも二周りほど小さいガラス瓶だ。
手にとって蓋を開け中の臭いをかぐ。間違いなくガソリンだ。
次にパトナに手渡すと、油に指先で触れた。そして目をつぶり数秒ほど沈黙。
「ハイオクガソリンだよ!?」
「あの車レギュラー仕様だけど……まぁいいか」
「……? お前さんたちの国の言葉かい?」
「え、えぇまぁ。それで、これを沢山ほしいんです!」
「戦争でも始める気かい? 高いよ。この小瓶で金貨1枚はするよ」
やはり1リッターなら金貨3枚といったところだろうか。
「金貨なら200枚出せます」
俺はカバンから金貨の袋を取り出してドシャリと置いた。
あと50枚ほど残っているが、当座の生活費も残しておきたい。
「おや! 随分気前がいいんだね。ま……、在庫もあるし売ってあげなくも無いけれど」
金色の髪を手櫛ですく。
俺とパトナは顔を見合わせた。内心、飛び上がりそうだった。
ついに念願のガソリンが手に入るのだ。
「でもこれは魔法使いの取引だよ? お金以外に……何をくれるんだい? そっちのお嬢さんかい? それとも……おまえさんの腕かい?」
魔女は事も無げにそういうと、ギラリとした光を瞳に宿した。