魔窟、南サウザリン2番通り
「どこだ!? 逃がさぬぞ白い悪魔め!」
赤いジャケット姿のヴァリ・ヴァリーは叫ぶと、ママチャリタイプの自転車に跨り、ペダルをこぎ始めた。
ギュラッ! とチェーンが凶悪な音を発し、後輪が空転し土煙を上げるのが見えた。
強大な脚力が生み出す推進力を、自転車の細いタイヤが受け止めきれていないのだ。
どうやらヴァリ・ヴァリーは人ごみに紛れた俺達を見失っているようだ。
「こっちだ、パトナ!」
「うんっ!」
俺はパトナの手を引き、身を低くして通りの反対側へと走り、建物の影に身を潜ませた。
「今のうちに深呼吸! 息を整えろ。肺に空気を入れて酸素を取り込むんだ」
「人間ってエンジンも無いのに熱くなるのね……」
「はは、まぁそう言われると不思議だけど、心臓がエンジンみたいなものだからな」
「なんでこんな目にあうニー」
しゅたたっと素早い動きで追いかけてきて身を滑り込ませたのは、猫耳少女のミィアだ。
今になって気がついたが、ミィアは俺達にスリを働いた時の「ボロ布」を羽織っていなかった。
服装はジーンズのような素材のミニスカートに、上は袖なしのジャケット。申し訳程度の白いビキニタイプのインナーを身に着けている。
臍はもちろん丸出しで、見ている方がちょっと恥ずかしい。
身長は150センチぐらいだろうか? 細くてスレンダーな身体に、有るんだか無いんだか微妙な、ぺったんこな胸。
しかし何よりも目を引くのは、お尻の尾てい骨のあたりから伸びる、長さ70センチほどの尻尾だ。
青い毛並みで、先端が白いのは耳と同じ感じだが、しゅるんしゅるんと感情に応じて動くのが……ネコだ。
顔はどこか獣っぽい顔立ちだが、劇団●季で出てくる役者のメイクよりはぜんぜん人間っぽい。丸く吊り上った瞳はグリーンで、まだ幼い子猫のような印象だ。
――あぁ! 完全に猫だ。触りたい……。
「おまえがスリなんかするからだ。金輪際するなよ!?」
「もうしないからあの、恐ろしい変態男をなんとかするニー」
今日は厄日だニーと頭を抱える。
「なんとかって言ってもなぁ……」
俺は建物の影から、人ごみと野次馬の壁越しに、狂気を帯びた相手を観察する。
と、その時。
「まつアルね! あんちゃん!」
赤ジャケットの大男、ヴァリ・ヴァリーの背後から、肉切り包丁やフライパンを持った男達が3人ほど、ワラワラと駆け出したかと思うと、あっという間に自転車を取り囲んだ。
「ぬぅ……!?」
「貴様! ウチの店をブッ壊しやがったアルね!?」
「強盗たぁいい度胸だ! そのふざけたマスクを取れ!」
「衛兵に突き出すっぺ!」
どうやら、ヴァり・ヴァリーがバイクで突っ込んで大破させたのは、食堂かレストランだったらしく、出てきたのは店の店員やオーナーと思しき男たちだった。
一番威勢のいいのは、小太りで手には巨大なナタのような肉切り包丁をもち、白いコック帽を被った男だ。ちなみに鼻の下のヒゲは、先端が「くるん」と丸まっている。
「お前達に用は無い。私はセトゥ神より御神託を頂戴した、正義の具現! 世界を救う戦士だと判らぬのか!?」
「知るかボケ!」
「何言ってやがるゴラァ!」
「そうだそうだ! 怪しげな物で突っ込んで来やがって!」
「ぬっ、ヌヌゥ!? 白い悪魔を追っているのだ! 放っておけば世界の法則が乱――ぐぁ!?」
ゴッ! とフライパンがヴァリーの背中にヒットした。
さしもの大男ヴァリ・ヴァリーとはいえ、血相を変えた街の者たちに取り囲まれては、いささか分が悪いらしい。
やがて、赤いママチャリは、ボゥン……! と煙を噴出したかと思うと消滅した。残されたのはマスクのリーゼント男、ヴァリ・ヴァリーだけだ。
「――自転車も消えた?」
最初のスポーツカーの時は相当ムチャだったが、移動を考えれば30分は走っていたはずだ。バイクはせいぜい街中を追い回した5分ほど。自転車にいたっては1分も存在していない。
実体化できる時間制限、あるいは「パワーの総量」みたいなものがあるのだろうか?
ポツン、と取り残された大男は若干小さく見えた。
「そこの貴様! 動くな!」
「ちょっとこっちへ来い!」
そこへ駆けつけた衛兵二人が剣を手に事情を聞き始めた。
「ぬぅ!? 私こそが正義だとなぜわからん!?」
「あーはいはい、いい子だから大人しくしろよ!」
ガッ! と両脇をロックされズルズルと連行されてゆく大男。
リーゼントは形が崩れ、赤いジャケットはホコリまみれのヨレヨレで、謎のマスクも若干傾いている。
「ライガ、あの赤い人……大丈夫かな?」
「ま、まぁ時間は稼げそうだな」
「ちなみに街中で乱心、暴れても罪だニー」
ニャハハとミィアが笑う。
「アイツは放っておくしかない。今はまず先を急ごう!」
どうやら「正義の執行人」ヴァリ・ヴァリーは、万人に支持されているわけでは無く自称らしかった。
お陰で俺達は、なんとか逃げおおせる事が出来たようだ。
◇
「ここかザウザリン通り……」
俺はその異様な雰囲気に気圧されていた。
狭い裏路地のような通りには、様々な怪しげな店が並んでいる。
店先には何かの頭蓋骨が葡萄のようにぶら下げてあったり、曲がりくねったドアに紫色の読めない文字の看板が掲げられていたりと、明らかに「魔法関連」の店だと判る。
道行く客も黒いローブを羽織った怪しげな男だったり、トンガリ帽子を被ったセクシーな魔女だったりと、妖しさ満点だ。
正直、ここは魔窟のようだ。
普通なら店の中に入る気にはならない、そんな店構えの建物ばかりだ。
これならば魔法の触媒も売っているはずだ。
「ミィア、俺たちはガソ……いや、『凄くよく燃える油』が欲しいんだ。売っている店を知らないか?」
「ミーは知らないニー」
頭の後ろで腕を組んで知らん顔だ。
「ライガ、この子そもそも……」
「……まかせとけって」
すこし不満げなパトナを遮って、俺は片目をつぶる。
こういう手合いの扱いは、なんとなくわかる。
なんたって猫だからな。
俺はきょろきょろと辺りを見回す。
と、通りの入り口には、比較的普通の屋台が3つほど商売をしていた。
そこでは、乾し肉や干した魚、干からびたヘビなんかを売っている。その他にもドライフルーツを何種類か山のように積んで量り売りをしている。こちらは魔法の触媒というよりは、保存食。つまりは乾物屋らしい。
俺はその店で干した魚をひと束買う。店主の老婆は銀貨2枚だというが、小銭を持っていない。
仕方なく金貨一枚分の干した肉とドライフルーツを買うことにした。
老婆に金貨をチラつかせると驚き、値札に書かれた以上の量を袋につめ、そして乾し肉やヘビの肉をサービスしてくれた。
まぁ、ここから先の保存食としても丁度いい。
「ありがとう」
「ギヒヒ、他に何か要り用がありそうじゃの?」
老婆は不穏な暗い光を瞳に宿す。只者ではないのだろう。おそらく通りに入る人間を見張るような役割か、そんな気がした。
まぁ以前読んだ何かの小説でそうだった、というだけだが。
「2番通りに行きたいんだ。触媒がほしいんだ」
「……そこをまっすぐ行って三つ目の角を左じゃ。じゃがの……あそこでは、金だけでは手に入らない物もある。何かを失わなければ、手に入らないやもしれぬぞぇ」
ギョッとするような黄ばんだ目玉が、俺とパトナを見据える。
「何を……取られるんですか?」
「ギヒヒ。女か、おまえさんの腕か、目玉か……。あるいは、他の何かかものぅ」
「なるほど」
俺は老婆に礼をして、ドライフルーツと乾し肉をリュックに詰めた。
そして、周囲を警戒しているミィアの目の前にチラつかせる。
「ほら、ミィア。これが何だがわかるか?」
「ニ?」
目の前で干した魚を一匹ヒラヒラさせる。
途端に瞳を輝かせて、ジャンプ。
「くれニー! 欲しいニー!」
「おっと!」
ひょい、と腕を上に上げる。ミィアが空振りして着地。しなやかに身体を動かして再びジャンプ。
「ニー! ニー!?」
「俺達に協力してほしい」
「何をすればいいニッ!?」
「俺の『使い魔』を演じてくれ」
「ニー?」
首をかしげるミィアに俺は乾し魚を一匹あげた。
「俺とパトナは今から魔法使いだ。そしてミィアは『使い魔』ってこと」
そして、俺たちはいよいよサウザリン2番通りへと足を踏み入れて、触媒を売っている店を見つけた。
店構えはドアひとつだけ。
左右におきな樽が置いてあり、真っ黒いタールの様なモノがブクブクと泡立っていた。
――希望と絶望の店、ジェイム。
「うわ、これはまた」
「あ、怪しいねぇ」
「ニ、ニー」
俺の後ろにはパトナとミィアがへばり付いている。
動きにくいが、逆に男として奮い立たないと言えば嘘になる。
カラコロンと軽いドアベルの音を聞きながら、俺たちは薄暗い店内へと身を滑り込ませた。
「いらっしゃい、待っていたわよ。女神フォルトゥーナの……使徒さんたち」