三千世界と女神様の事情
『はーい! というわけでやってまいりました! 運命の車輪を回す女神こと私、フォルトゥーナがお送りする、素敵な朝のひと時、今日もはりっきてまいりましょーっ!(ちゃらっちゃ、らっちゃらら♪)』
荘厳な雰囲気でありながら軽快な、明るい旋律が聞こえてきた。オープニングの音楽が流れると女神様の声が一旦途切れた。
思わず息を殺して耳を傾けていた俺は、はぁ……と一呼吸ついた。
「ねっ? 女神さまの生の声がラジオで聴けるんだよ!」
「き、聴けるんだよって、おま…………」
俺は自分の顔がひくひくと引き攣っているのが分かった。
カーラジオから聴こえてきたのは、女神様の生声、年のころは20歳前後のうら若き女性の声だった。
口調は確かに軽薄な印象を受けるものの、一度耳に入ってしまうと朝日のような爽やかさと、女性らしい優しさと包まれるような安心感があることに気がつく。
美味く言い表せないが、まるで母親が愛するわが子に語りかけるような、聞くものを安心させる温かい響きを含んでいるのだ。
それは、女神の声と言われれば確かに納得してしまう説得力を持っていると思った。
「な、なぁパトナ」
「んっ?」
俺は真っ直ぐ前を見据えたまま、ハンドルをしっかりと握り助手席のパトナに尋ねる。
森の中の道は緩やかなカーブを描きながら続いている。
木々で左右の視界は遮られているが、空は青く穏やかな森の朝と言った雰囲気だ。
「ラジオで女神の声が聴けるって、最初から知ってたのか?」
「うーん? 多分知ってたんだと思う。けど、ライガが『ラジオ』って言うまでは全然、思い出せなかったんだよ。てゆうか、私も自分が何を何処まで知ってるか、よく分からないんだ。……あれ? なんか変なこと言ってるね私」
あれれ? と苦笑しながら首をひねるパトナ。
「そっか、そういう感じなのか」
「怒った?」
「まさか! そういうのじゃないけど、納得しただけさ」
「ふぅん?」
車載妖精のパトナは、人間の温もりと心を持っていても、やはりまだ特別な存在なのだ。
近づいたと思っていた二人の距離が離れてしまうような錯覚を覚えた俺は、思わずパトナの手をそっと握っていた。
「ライガ? もう……どうしたの?」
「なんでもない」
オープニングの曲が終わり、女神様がいよいよトークを始める。
そもそも、何処から放送しているのだろうか?
まさか機材のあるスタジオという事はあるまい。きっと女神のパワーか何かで全世界に同時配信しているのだろう。
SNSやネット動画ではなく、音声のみのラジオというところがアナログだが、確かに車で異世界に来た身としては実に有難い。
『今日もいい天気ですねっ! リスナーの皆様のところも晴れかなー? そういえば昨日ね、友達の天使ウェーザくんに聞いたんだけど、今年の世界の天候は概ね良……って、あっ!? これって禁則事項でしたっけ? やだもー! お天気の予報ならいいのに予定をしゃべっちゃダメなんて、ギャフンよねー?』
「ギャフンて……昭和か!」
いや、ツッ込むべきところはそこじゃない。女神さまは「異世界にきちゃったみんな」とか「リスナーの皆様」と冒頭で、さらっと口にしてたのだ。
冷静になればこれは冒頭からいきなり重大情報だ。
つまり、この世界に転生あるいは転移したのは、俺たちだけじゃないって事を暗に示しているわけだ。
思わず興奮し、テンションが上がる。
「聴いたかパトナ! 俺たち以外にも、この世界に来た奴がいるっていってたよな!?」
「そっか! その子たちと仲良くなれるかな?」
パトナが瞳を輝かせる。
「そ、それは分からないけど……。女神様が来させたなら悪いやつじゃないだろう?」
「うん、そうだよね」
パトナは俺と同じ期待を抱いたことは間違いない。
仲間、とまでは行かなくても、何処かで出会えれば世界で生きていく術について、情報交換をしたり出来るはずだ。そして可能なら協力して生きていけるかもしれない。
そんな期待が膨らんでゆく。
けれど俺は同時に、一抹の不安も抱いていた。
それは社会人として生きてきた2年間、世の中にはいい奴ばかりじゃないって事を見て肌で感じてきたからだ。他人を蹴落とすことをなんとも思わない酷い奴もいたし、大人の汚さ、ずるさ欲深さにも触れてしまった。
もし同じ境遇の転生者が存在したとして、必ずしも友好的とは限らない。
女神様が転生させるのが、俺のような……気弱な善人ばかりとも言い切れない。
中には――考えたくは無いが――ガソリンを奪おうという奴が居てもおかしくない。
いや、そもそも必ず車で来るのかさえ定かではない。
普通のネット小説やラノベの話では、大抵『異世界にきたらチート魔法使いだった!』『異世界で美少女転生した俺氏www』とか、そういうパターンが多い気がする。
寧ろ『異世界に来たら社用車のほうがチート能力満載だった!』という俺たちのケースこそが稀な気がする訳で……。
「うーむ。喜んでばかりも居られないか」
俺が悩んでいた間も、ラジオは軽快な女神トークを流し続けている。
けれど、期待に反して、女神フォルトゥーナさんのトークは、実に……どうでもいい話題が多かった。
天界の誰それの神と何処其処の神がケンカしたのだの、どこに生えている桃の木が美容にいいだの、温泉で羽衣を忘れただの、そういった話題を延々と一人語りしているのだ。
いつしか、俺とパトナはラジオから流れる女神の声を、にぎやかなBGM程度にしか思わなくなっていた。
助手席ではパトナが、ぼんやりと窓の外の景色を眺めている。
目線を追うと、孔雀のような綺麗な鳥が、パタタと森の中を羽ばたいていた。
「なんか、期待はずれだなぁ」
「あー、ラジオ? だって女神様は三千世界を行き来するんだって。いちいち私達にだけ有益な情報をくれないのかも」
「三千世界て……」
確か仏教上の世界の考え方だったはずだ。ボカロの歌詞にも使われたりする厨二な響きがかっこいい。けれど、多数の中のひとつにすぎないと考えると、俺としては一抹の寂しさを感じてしまう。
つまり、慈悲とやらは、他の世界で不運にも死んでしまった魂を転移させ、もう一度人生をやり直させて、頑張ったらいいことあるよ! と、あちらこちらで同じような事をしている可能性が高いわけだ。
「ま、神さまや女神様は、人間の人智が及ばないものなんだよな」
「ライガどうしたの?」
「いや、別に……っと!」
「あ! ライガ前」
「出た出た」
20メートルほど先に突如、小人の群れがワラワラと現れた。
森の左右から飛び出してきた10人ほどの団体は、ボロ布を身に着けた醜い姿の、身長1メートルほどのゴブリン族だ。
『ギィヒヒヒ!』『トマレコラー!』『ミグルミハガスゾオラー!』
口々に叫んで棍棒や錆びた剣を振り回している。盗賊を生業とする彼らは朝からこうして通りかかる馬車を襲っているのだろう。
「はいはい、すみませんけど、急いでるのでちょっと通りますよ」
ブゥウウウウウウウウウウ! とクラクションを長押し。
『ブッ……パアッ!?』『コプァ!?』
スピードを僅かに緩めつつ、俺たちは群れの中を突っ切るように通り過ぎた。
音に驚き逃げ惑うゴブリン達。だが、殺傷モードの超振動クラクションを浴びた身体が無事なわけも無い。
バックミラーでチラリと確認すると、森に逃げ帰る前にパンッ! ポンッ! と赤い霧が吹き上がって、やがて動くものは居なくなった。
「無慈悲ー……」
パトナがサイドミラーで後ろを確認しながらポツリと言う。。
「すまん。俺、今ちょっと虫の居所が悪いのかも」