パトナがただの車だった頃
その量は僅か1リットルにも満たない。けれどこの世界にも有ったのだ!
「ライガ様がお探しなのは、それでしょうか? 先ほどの魔女との戦いの際に、火矢に染み込ませていた油ですが……」
知的な光を宿した瞳を、静かに俺に向ける領主様。
「はい! これです」
白い壷の中には透明な液体が半分ほど入っていた。少なくとも真っ黒な重油や、軽油ではない。
独特の臭いはガソリンで間違いない。
色は透明。赤く着色されていた元の世界の物とは違うが、これが本来の純粋な色のはずだ。
俺たちの次の目的地、ヒューマンガースという街には、ガソリンがあるとパトナは言った。
その知識の源は、女神フォルトゥーナが授けてくれたものだ。
ここから200キロ先にある場所まで行けば、ガソリンはほとんど空になる。
そこまで行って「有りませんでした」ではダメージも大きいし、俺たちの旅は終わってしまう。
だから事前に、ガソリンが存在する事を確かめたかったのだが、この世界にもガソリンが在ることが証明された。
とはいえ、成分の分析をしてみないと社用車のエンジンに使えるかはわからない。いきなりエンジンが異状燃焼して壊れる危険性もあるのだ。
と、パトナが壷に指を突っ込んだ。
「お、おい? パトナ!?」
3秒ほどムムム……と眉を寄せて目をつぶると、パトナはぱっと明るい笑みを見せた。
「オクタン価の高いガソリン! 大丈夫……使えるよ!」
「おまっ……! わかるのか!?」
「うんっ。指先でね」
パトナがガソリンの付いた指を、ツナギの裾にフキフキする。
「ま、まぁ便利だな。おまえ……」
思わず苦笑する。流石女神様の力で生まれた女の子だ。
「あ、あとね! 人間の体調だってわかるんだよ? 体液で」
「――え? たっ体液で健康診断!?」
「そ」
少し混乱していると、パトナが悪戯っぽく微笑んで身を寄せてきた。そして、俺の胸に人差し指の先を突きつけた。
そのまま今度はつつつ……と喉元をなぞり、アゴを経て俺の唇に触れる。
「ちょっ……」
僅かに残るガソリンの臭いと甘い香り。暖かい指先が唇の先を「ぷるん」と弾いて、名残惜しそうに離れてゆく。
「今夜、調べてあげるね」
「お……、うぉう?」
社用車のくせに何処で覚えたんだこんなの。
「今の、覚えてない?」
「え? どゆこと?」
「私がただの社用車だった頃。ライガってば、指先でつつーってなぞったじゃん?」
俺を覗き込むような上目遣い。
パトナが唯の社用車だった頃?
「あ!? それ、ボディにホコリが付いてないか見てただけっていうか……」
しどろもどろと年甲斐も無く赤面する俺。
確かに思い返せば、会社のガレージで俺は、洗車を終えた後、ボディをつつつーとなぞり、汚れが付いていないか確認したりした。
妄想の翼を羽ばたかせ擬人化した社用車を重ねると「んっ……あっ!」と恥ずかしそうに身をよじるパトナが思い浮かんだ。
思わずぶんぶんと首を振る。
「ゆ、勇者様、その……」
そもそもここは領主様の執務室だった。
ボッシュ様と秘書、それに衛兵が二人立って俺たちの痴態をじーっと眺めていた。
「す、すみません」
俺は超小声で謝ってから背筋を伸ばした。
「……『魔法の触媒として使われる激しく燃える油』が欲しいとの事ですが、この町にはこれしかありませんでした。お役に立ちますでしょうか?」
「はい、確かめることが出来ただけで充分です。ですが、これはお返しします」
「必要が無い……と?」
「いえ。とても必要なのですが、これは火矢の材料でしょう? 町の防衛に使ってください。私たちはこれを……ワイン樽一つ分欲しいのです」
「なんと……!」
領主ボッシュが驚きつつも、何かを思案するように腕を組み形のよいアゴを支えた。
パリッとした仕立てのいい貴族服に身を包み、金髪に碧眼のイケメンが考えている様子は実にさまになる。
「私たちは、このリリナをテパの村に送り届けた後、ヒューマンガースに向かいます。そこでこの『魔法の油』を仕入れようと思うのです」
「……!」
リリナがすこしだけ悲しそうな表情を浮かべ、小さく唇を結んだ。
残念だか旅はそこで終り、お別れだ。俺だって少し寂しいが、危険な旅だと分かった以上、村娘であるリリナを連れてはいけない。
「なるほど……。ですがこの油は魔法の触媒と言われ、厳重に管理されています。簡単には売ってもらえないでしょう。王国政府、あるいは魔法使いでないと手にはいらないものなのです」
「魔法使い……?」
なんだか面倒な条件が加わった。
「じゃ、ライガが魔法使いのフリをしちゃえばいいじゃん」
あいかわらずのパトナだが、悪くない考えだ。社用車の荷物室に積んである材料で手品を見せて信用させる……とか?
「せめて、私たちは勇者様に資金協力をさせてください。魔法の油を1樽買うには足りないかもしれませんが」
なんと、ここでも資金の申し出があった。
今となっては非常に嬉しい。素直に受け取る事にする。
袋で3つに分けて手渡された金貨は300リューオン金貨だという。
一袋に100枚の金貨が入っている。
確か1リッターでリューオン金貨3枚だから100リットル買える大金だ。
「い、いいんですか?」
「はい。奇跡的に死者が出なかったのは勇者様のお陰に他なりません。人的被害の保証金を考えれば、この程度は支払われて当然の対価ですよ」
どうやらこの大金は、秘書や衛兵たちも納得済みのようだ。真剣なまなざしで俺たちに礼をする。
「ありがとうございます。ですが、この一袋はお返しします」
俺は一袋をボッシュ様に返した。
「何故です?」
「いや、その……広場の屋台を二、三軒、ぶっとばしちゃいましたから」
頬をかき苦笑する。
あの屋台の親父の唖然とした顔が思い浮かぶ。
「……っぷ、ははは! 何と言う御仁だ!」
ボッシュ様が豪快で爽やかな笑みを見せた。執務室は和やかな空気に包まれた。
◇
こうして――。
昼の小休止を終え、町で必要な衣類や歯磨き、石鹸等の雑貨類を支給された俺たちは、シャコターンの町を後にして一路テパの村へと向かった。
そして、リリナとはそこでお別れだ。
【今日の冒険記録】
・所持金:3560円(日本円)
:300リューオン金貨(200リューオン金貨ゲット)
・所持品:使えないスマホ、中古PCパーツ、毛布、工具一式、ライター2個、トイレットペーパ、テッシュ
・町で補充した食べ物や雑貨。
・水、小さい樽で2つ。(36リットル)
・走行距離:61キロ
・ガソリン残量:32リットル