車載妖精(ダッチナビゲータ)、その名はパトナ!
バゥン! と下から突き上げられたような衝撃で俺は目を覚ました。
「痛てッ!?」
衝撃と共に額を何かにぶつけ、思わずオデコを押さえる。
ギシギシという音と全身を貫く揺れは、車特有のサスペンションの振動だと分かった。
気がつくと俺は、車のハンドルを握っていた。
目の前には見慣れた黒いインストゥルメント・パネル(※インパネ)に、垂直にそそり立つフロントウィンドゥ。つまりここは、愛用の社用車の運転席か。2年近く毎日乗っている相棒を間違えるはずもない。
エアコンの吹き出し口に後付したドリンクホルダーの上では、自販機で買ったばかりのお茶のペットボトルが、カタカタと揺れていた。
「確か、俺は列車事故で死んだんだ……よな?」
自分の手の感触を確かめる。確かに硬いハンドルを握っている。
車の窓から見える道は、草原の中を貫く一本道のようだ。
丘陵地帯のような未舗装路の真ん中で、俺は停車しているらしい。フルルとエンジンは軽い回転音を奏でている。
我に返った俺は、慌ててサイドブレーキを引き、車を完全に停車させた。
「なんだ……これ?」
俺は白い社用車に乗ったまま、唖然とする。恐る恐る身体を前に倒し、フロントガラス越しに外の様子をうかがう。
見渡す限りの草原は、ゆるやかな風が吹いているのか、緑の草が波のようにそよいでいる。
まるでモンゴルの草原のような場所には、建物はおるか電柱さえも見当たらない。空は恐ろしいほどに青く、雲ひとつ無い。
--どこだろう? 見たいこともない場所だ。
記憶は曖昧だが、俺は確か踏み切りで母娘の乗る軽自動車を助けて死んだハズだ。
そして女神様の力で、逆再生的に復活……。
あるいは俺はまだ、白昼夢でも見ているのだろうか?
「っ……痛たたた。ギシギシされると足腰にくるわー」
突然、声がした。
若い女の子の声が左横……つまり助手席から。
「――えっ!?」
俺はバッ! と慌てて助手席の方に首を曲げた。
「よっ!」
そこに居たのは、作業着を着た女の子だった。よっ! という軽い調子の声と共に、右手をシュタッと上げる。
「……誰……ですか?」
「あたしよ? わからない?」
照れたような困ったような、くりくりとした大きな瞳で小首をかしげる少女。日焼けした健康的な顔でニッと笑うと、白い歯が輝いた。
――あたし……って、誰だっけ?
まず目を引くのは、身に付けているツナギだ。
オシャレ着のサロペットとかではなく、本物の作業着……ツナギを着ているのだ。ポケットが胸や肩、太もも部分についている。中央をジッパーで閉じたり開けたりするアレだ。
ちなみに色はピンクのような赤。胸がやけにピチピチなのだが、そこは努めて目線を向けないようにする。
顔の輪郭は卵形で、形良く丸みを帯びた顔だち。ぱっちりとした優しげな目元にキリリとした意思の強そうな細い眉。
髪は茶髪というよりはアニメみたいな明るい赤系。それを左右二つのツンテールに結わえている。
美人ではないが、全体的にユカイというか愛嬌があるというか……第一印象は「元気で明るいガテン系女子」といった印象だろうか。
「って! いやいやいや!? 君、どっから来たの!? 何処かで乗せちゃったっけ!?」
俺は慌てて両手を上げてノータッチのポーズで威嚇する。
手では触れないと言う意思表示をしないと痴漢と騒がれて人生終了のお知らせだ。……って死んだんだっけ、俺?
勿論、俺は一人で外回りをしていて、こんな未成年者略取みたいなマネはしていないし、勤務中に女の子を乗せたりしたこともない。
つまり、断じて犯罪行為はしていない……はずなのだが?
「んー……そか、わかんないかー。ずっと一緒にいたのになぁ」
「は?」
少し残念そうな顔になる。
幼馴染とか、妹とか、俺には居ないのだが。何を言っているのだろうか。
「ごめん。わからないよ。どちら様です……っけ?」
「もう! あたしよ!」
ブォン! と突如社用車のエンジンが唸りを上げた。回転数が急上昇し、目の前にいる女の子が指を回すと、ピタリと収まった。
もちろん、俺はアクセルに爪先を乗せていない。
「な、なにぃ……!?」
「私、パトナ。この社用車の車載妖精! ……って、女神様が慈悲をくださったんだけどなー」
――女神の慈悲!
その言葉が俺の脳幹をビビッと覚醒させる。
全て思い出した。女神が母娘を助けた褒美にと特殊能力を授けたのは、この社用車のバンなのだ。
「つまり……君が、女神様の力で生まれた……車載、妖精?」
「そういうことー!」
ぷく、と頬を膨らませて俺を上目遣いで睨みつける。
間違いない。
それと、胸が……大きい。ツナギでぴちぴちに押さえられている感じが……。って、違う!
「……その、これマジ?」
「まじです! ほらー!」
パトナと名乗った少女が指先を動かすと、今度は勝手にワイパーが動いた。
ぱちんと指を鳴らすと、後部座席(※社用車は4ドアなのだ)がバコッ! と開いてまた閉じた。
「こりゃ驚いた……!」
あの女神様の慈悲とやらは、本物だったのだ!
「信じてくれた?」
「あ、あぁ……!」
俺は、運転席で両手をヒラヒラさせたまま、引きつった笑みをなんとか浮かべてみた。
「これから、こうして雷牙とお話できるなんて、うれしーな!」
パトナは嬉しそうに、けれど照れくさそうに微笑んだ。その仕草が可愛いが、人間ではないのだろうか。
けれどこの子は俺のことをライガ、つまり内藤雷牙と、間違いなく名を呼んだ。
俺を知っているんだ。
本当に、この子は…………社用車なのか?
確かにパトナはどこか相棒の社用車に似ている気がした。丈夫そうで明るく元気そうな印象は、もしも車を擬人化したらきっとこうなるかもな、という印象だ。
「はは……は」
俺は混乱しきった頭の中、ハンドルに寄りかかるように身を預けた。
途端に、プゥウウウウウ♪ と間抜けな軽いクラクションが鳴った。
「おっと……!」
思わず身を引き起こしたとき、視界の向こうで、何か人のような生き物が現れたのが見えた。
距離にして10メートルほど先の草むらの茂みの中から、そいつはフラフラと現れた。そして耳を押さえて悲鳴を上げた。
『ギィ……ヤァアアア!?』
――な、なんだ……ありゃ!?
その生き物は全身が緑色で耳が尖っていて、口は耳まで裂け……赤い帽子を被った凶悪そうな顔の小人だった。
なぜかその小人は両耳を押さえながら道路に出てくるなり、こちらの方を憎憎しげに睨み付ける。
そしてゴハァ! と口から泡を吐くと、膝から崩れ落ち最後はバタリと倒れてしまった。
「ななな、何だありゃ!? ば、化け物? 小人? え? 何で!?」
「あー……それ、超振動クラクション……なんだけど」
「ハイバイヴ……え?」
「うん」
パトナがコクリと頷くと、エヘヘと苦笑気味にハンドルを指差すので、試しにもう一度鳴らしてみる。
プッ! と短く。
『ギァイアアア!』
途端に草むらから悲鳴が響くと、小人がもう一匹現れた。そして、ブシュアァ! と耳と口から何かの汁を噴出させながらその場で悶絶してしまった。
「ぅおいっ!?」
なんだこれ!?