相棒(パトナ)と初めての夜
◇
「やれやれ、まったく……どうかしてたぜ」
俺は村長の家の前に停めていた白い社用車を洗車することにした。
何故に「パトナと一緒にシャワーを浴びる」という思考に至ったかは反省しきりだが、俺はきっと疲れているのだと思うことにした。
ジャブジャブとバケツの水をスポンジに染み込ませ、屋根部分から洗う。
水は村長の家のすぐ横を流れる小川から汲めばいいし、スポンジとバケツは後ろのカーゴ室にあったのを使っている。
カーシャンプーは切らしていたが、まぁ見たところパトナが心配していたような血や、ヤバイ脂も付いていないようなので、無くても大丈夫だろう。
既に外はトップリと日が暮れて夜になっているが、村長のお屋敷の窓から漏れる明かりと、借りてきた手持ちランプの明かりで洗う事にする。
「初めての夜……の洗車か」
異世界に来ても洗車。
まぁこれは俺の毎日の儀式のようなものだ。
元々俺は、暗いガレージでの洗車に慣れていた。
会社は経費節減でガレージの明かりは無かったし、出張から帰ればいつも夜。
俺はそんな中、自分の疲れや汗を流す前に、まず世話になった社用車を洗うのが日課だった。
もちろん、空気圧やウオッシャー液の残量もチェックすることを欠かさない。
恐る恐るボンネットも開けてみるが、見た目は今までと同じだった。
「……うーむ?」
何故にクラクションが殺人音波を出し、ヘッドライトのパッシングが熱ビーム兵器なのかは見ただけでは分からなかった。
そこにある部品は従来品となんら変ったところは見当たらない。
これはもう、海のように深く、宇宙のように謎に満ちた「女神の慈悲」の力だということで、自分を納得させる以外、理屈でどうこう理解できるものでは無さそうだ。
念の為、オイルの量やウオッシャー液、ブレーキフルード(※ブレーキ用のオイル)を確認してみたが問題なし。当面は元気に走ってくれるだろう。
――だけど、この世界ではもう交換部品は手に入らないんだ……。
もしもガソリンが尽き、オイルが消耗し、タイヤがパンクしたら車はもう走れなくなるだろう。
その時、パトナはどうなるのだろうか?
苦しみ、痛みを訴えたりするのだろうか? あるいは……消えてしまったり、動かなくなる可能性だってある。
車載妖精の少女の笑顔が脳裏をよぎる。
――くそ……! どうしてこんなに気になるんだ。
今日出会ったばかりの謎の美少女に、俺は心奪われているのだろうか。
単に車が心配で、それと混ぜこぜになったワケの分からない感傷を抱いているだけだろうか?
俺はボンネットを閉めながら、夜空を見上げた。
すぅ、と鼻から冷たい夜の空気を吸い込む。湿った藁のような、農村の香りが胸を満たす。
目が慣れてくると、俺は驚きに目を見開いた。
そこには、まるで見たことのない星の海が広がっていたからだ。
天の川はそこにはなく、恐るべき数の星々が競うように瞬いている。その星たちの密度は尋常ではなく、空一面で均一に光っている。
「うわ……!? 凄い星空……! 地球じゃないってのは確かだなぁ」
夜空なのに背景色が青白く信じられないほど明るい。もし銀河系の中心部に立ったなら、こういう星空が見えるのだろうか?
そんな事を考えながら、俺は車に鍵をかけ、屋敷に戻りシャワーを浴びた。パトナの入った後なのでほんのりと暖かく甘い香りがした。
だが、煩悩は厳禁。
女の子の色香に狂い不埒なことを考えるのは人生の落とし穴。
ロクなことにならないのは、23歳まで清らかな童貞を守ってきた俺の経験と勘だ。
着替えが丁寧に用意されていたのでとりあえず着替える。
異世界の服は意外に快適で、ステテコとTシャツを着ているような感覚でリラックスできそうだ。素材は麻のようなものらしい。
そして、リリナが最初に教えてくれた寝室のドアノブを回し中へ入る。
ドアを開けたとたん、暖かい光と弾んだ声が俺を迎えてくれた。
「おかえり、ライガ」
「え!?」
そこには――。
赤い髪を解き、白い薄手の寝間着に着替えたパトナが居た。ノースリーブのひざ下までの長さのワンピースには可愛らしい刺繍が入っていて、俺と同じ素材で出来ていた。
パトナはベッドに腰掛けて待っていたらしく、立ち上がって俺の手をぎゅっと掴み、部屋に招き入れた。
あまりのことに俺は唖然とし、なすがまま一緒にベッドに腰掛けた。
「パトナ、その服……」
自然に、とりあえず声が出てホッとする。
「あ、服は明日リリナさんが洗濯してくれるって。一日着たら汗のにおいがするし、なんかシミは付いているし、びっくりしちゃった」
たはは、と恥ずかしそうに笑うパトナ。
「に、人間ってそういうものだろ」
「んー、そうなんだ。不便ね」
と、自分の髪をすんすんと嗅いでいる。髪は少し湿っているが、思ったとおり綺麗で柔らかそうだ。
「く……車は洗ってきた。綺麗になったよ」
俺は下をうつむいたままポツリと言った。
「うん、分かってた。だって感じるんだもの」
「なにを?」
「ライガが、洗ってくれていること。全身で……感じるんだ。全身すこしくすぐったいし、その……ボンネットを覗き込まれて触られると、変な気持ちになるの」
「へ、へぇ……そそそ、そうなんだ」
超上ずった俺の声。
パトナはもじもじと、露な太ももを動かした。
――い、いかん、何考えてるんだ俺!?
そして横から俺を覗き込んでいる気配に、思わず顔を向ける。
わずか30センチに大きな瞳が瞬いていた。熱っぽい瞳が俺を捉えている。前髪がさらりと揺れて、形のいい眉毛を隠す。
柔らかそうな唇から目が離させない。
「や、やっぱり、感覚を共有してるの?」
「そう……みたい」
「痛い事も?」
俺は静かに、真剣な声で聞いた。
悪漢にトゲつきの鉄球で殴られたことは、痛くなかったのだろうか?
魔法使いの雷に打たれて平気だと笑っていたけれど、本当だったのだろうか?
「すこしビックリしたけど、ぜんぜん平気。痛くないよ」
思わず、自然にパトナの頭を撫でて抱き寄せる。
「よかった。パトナが痛かったら、俺は……辛いし」
「ライガ……」
唇を重ねる。
短く、カンマ何秒か。
ふにゃり、と柔らかく湿っていて、甘く香る。
脳髄の奥から痺れて俺はもう何がなんだかわからなかった。
「……優しいんだね、この世界に来ても、私がこんなに変ってしまっても」
嬉しそうに、パトナが微笑み頬を赤らめる。
「か、変ってなんていないよ。パトナはずっと……俺と居た時と変らない。大切な……俺の……」
――相棒だ。
「うん……! ありがとう。大好き、ライガ」
「あ、あぁ……」
俺はそれ以上、何かを言う甲斐性も、勇気も持っていなかった。
ただ静かに柔らかいパトナの身体をぎゅっと抱き寄せて、いつまでもいつまでも、温もりを感じていた。
◇
※明日は連載お休みです
(そして、新章突入!)