6:死者の書
日の出の直前に、村人のミイラたちは動くのをやめた。彼らはその場に倒れるということはせず、昼にいた場所へきちんと戻り、眠るように静かになった。それによって、エクターとアルルは薄暗いうちから物置小屋を出ることができたので、二人は夜明けとともにコーンブレッドの墓地に着いた。
茂みに埋もれるよう並び立つ、苔むした墓石たち。
辺りの雑草は背が高く、アルルは何度も足を取られそうになった。
途中、地下に続きそうな階段もあったが、錠前で閉ざされていた。造りをみれば、内からも外からも鍵はかけられるようだ。
「まぁ、内側から鍵をかけるってことはないよな」
「ええ。まさか地下墓地に住み着く人はいないと思います」
エクターとアルルはそれらに目を配りつつも、迷うこと無く一軒の小さな小屋を目指す。小屋の看板には『墓石』の絵が描かれていた。
「……墓守さんの作業小屋ですね。ここにきっと手掛かりが」
「鍵は――空いているな」
二人は木の扉を押し開いて中に入った。
作業小屋には色々な道具が置かれていた。土を掘るためのスコップ、祭具、大工道具。印の入った住民票の写しや、何かの鍵類。念のため、アルルはその鍵束をとっておく。恐らく、途中で見かけたあの地下への道を開くためのものだろう。
「見ろアルル、墓守の日記だ」
見ればエクターが、墓守の家で見つけたのと同じ種類の羊皮紙ノートを机に広げていた。アルルは彼の隣で覗き込む。
日記
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やった。うまく手に入れたぞ。もうすぐだディーア。
必死の思いでティラミスの森を抜けて、私はなんとかあの家を見つけた。
魔法使いはいなかったが、代わりにエルフの子供が留守番をしていた。
私のことを最初は警戒していたが、
白の王国にいたころの話をすると、子供は信用して一冊の本を貸してくれた。
魔法の本は『死者の書』と言うらしい。
帰り道、急いでページをめくる。
確かに、不死身や蘇生の魔法について記されているらしかった。
これからすぐにディーアのいる地下墓地に向かう。
そして必ず生き返らせて、立派な花嫁姿にさせてやる。
大丈夫。まだ彼女が死んだと知っているのは私だけだ。
待ってろ、ディーア。
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二人は読み終えて、顔を見合わせる。予想外の人物が出てきたのだ。
「もしかしてこのエルフの子供って、マロン先生なのかな?」
「私の兄弟子にあたる人ですね。お会いしたことはないですけど、昔にお師様から何度かお話を聞いたことがあります。すごい才能のある人だったって」
エクターは黙って頷いた。しかしこれ以上考えたら、また目頭が熱くなりそうだったので、話を切り替える。
「とにかく、これで墓守が『死者の書』を持ち帰って、何かの魔法を使ったのは間違いない。きっと村の人たちがミイラになったのも、その影響だろうな」
恐らくです、とアルルは頷いた。
「それじゃあ、『死者の書』を探しに行きましょう。……ディーアさんのいる地下墓地。きっと途中で見たあの階段のことですね」
日記を閉じながらアルルは言った。エクターも覚えている。墓地の中にあった、錠前で封鎖されていた地下への階段のことだろう。
「もし『死者の書』を読めば、この村の人達を静かに眠らせてあげる方法が分かるかもしれませんね」
アルルの言葉を聞いて、エクターは頷いた。
「そうだな。今のままだと村の人も気の毒だし、『死者の書』を見つけたら、持ち帰る前にその方法についても考えてみようか」
そうして二人は新たな目的を試験に追加し、墓守の小屋を出た。
*
地下墓地へと続く階段は、アルルが墓守の小屋で手に入れた鍵で開くことができた。錠前に差し込んだ鍵は少しだけアルルに抵抗したが、エクターが強く捻るとガチリと音をあげた。
石の扉がズズっと開く。
カビ臭く、冷たい風が流れてきた。
中は広く、そして暗い。
この扉をいっぱいまで開けても、奥まで光が届くか怪しかった。
「なぁ、アルル。あの闇の魔法の『あんし』ってまた使えるか?」
エクターが問うと、アルルは「はい」と頷いた。
「朝なので効果は弱くなりますけど。でも、ないよりはいいですね」
言って、アルルは呪文を唱えるべくエクターの方を向く。エクターは額に口付けをする手順を思い出し、アルルがそうしやすいよう少し屈んだ。ただしなんだか照れくさいので目は閉じる。
「……アルル?」
いつまでたっても感触がないので、目を開ける。すると、アルルは顔を赤らめ二の足を踏んでいる様子だった。
「アルル?」
「は、はい! すみません! い、いまします!」
そうしてエクターの額に口をつけ、アルルは魔法を唱えた。
*
魔法のせいで微かに赤みを帯びて見える、石造りの地下墓地、その中を二人は慎重に進んでいく。朝とはいえ、これだけ暗いと闇の魔法も多少は効果が強くなる。もしかしたら、昼間からでも動くミイラが出てくるかもしれない。アルルはそう言った。
「それに、本当に『死者の書』の魔法でこうなったのなら、その本に近付くほど魔法効果は強くなるはずです。エクターさん、気をつけて下さい」
「ああ、分かった。」
エクターはショートソードの柄に指をかけながら、周囲に気を配る。何か不審な動きをするものはないか。息を潜めている魔物はいないか。そこかしこにある石棺に、蓋が開いているものはないか。そして、ディーアと名の付いた棺はないか。あるいは、本を抱えて息絶えているものはいないか。
「それにしても、上にある墓地と地下にある墓地って、どんな違いがあるんでしょう? なんだかずっとお日さんを見られないのって、かわいそうです」
アルルが周囲を見ながら言えば、
「多くの場合は信仰の違いだよ」
とエクターは答えた。
「死後に光を浴びたら天使が迎えに来てくれるって信じている人と、死後に光を見せたら迷って死者の国にいけないって考えている人。だいたいはその二つなんだけど、中には死を公に出来ない人が、ひっそりと地下に眠る場合もある。今回の墓守の娘――ディーアさんはそっちなんだろうな」
言いながら、エクターは立派な二つの石棺を見つけて足を止めた。
たくさんの枯れ花に飾り立てられたそこは、多くの巡礼があった証だろう。
まさか、と棺の名を見る。
そこにはやはり、『セルタス』と『ブルーノ』と記されていた。
「ここにあったんだ」
エクターは、思わず本分を忘れて近寄ってしまった。アルルが「あ、エクターさん」と小走りで後を追う。
エクターはブルーノの棺に寄ると、足元の方に突き立てられた剣を見た。茶色の枯れ花に飾り立てられたそれは、しかし剣鬼ブルーノが振るにしてはやや小ぶりなショートソードだった。しかしながらその刃には、剣鬼の象徴たるオーガの刻印が刻まれている。
「これが、ブルーノさんのお墓」
「みたいだな。そしてその隣が、セルタス」
エクターは目を閉じた。大陸の英雄譚に語られる剣士と、それを追い求めて果てた放浪の剣士。もしもこの二人が戦っていたら勝負はどうなっていたのか。やはりブルーノが勝利するのか。それとも前評判を狂わせて、セルタスが勝ってしまうのか。想像するだけで、エクターはわくわくとした。
しばらくして、エクターはアルルを振り返る。
「悪いなアルル、先を行こう」
「ええ。いきましょう」
そうして二人はさらに先へと進んだ。
*
ブルーノとセルタスの墓を過ぎて程なく、二人は地下墓地の最奥へと至った。エクターとアルルは、そこに目的の墓と、石棺に寄り添うように果てた一人のミイラを見つける。
墓に記されている名は、やはり『ディーア』だった。
僅かに開けられた棺には、ミイラ化したドレス姿の女性が手を組み、横たわっている。そしてそれに寄り添うミイラは、片手を石棺に伸ばし、もう片方の手は黒い一冊の方を抱いていた。
「ディーアさんのお墓ですね」
エクターは頷く。
「するとここで倒れているのが父親の墓守で、抱いている本が……きっと」
言ってから、エクターはそれを確かめる前に目を閉じ、ささやかな黙祷を捧げた。そして抱いている本に手を伸ばす。表題もなにも書かれていない黒い本は、墓守の手からするっと離れた。エクターは埃を払って、それをアルルに渡す。アルルは表紙をめくり、中の字を指でなぞりながら追い始めた。その様子をエクターは見つめる。
「……間違いありません。『死者の書』です……!」
アルルの言葉に、エクターは「よし」と拳をあげかけて、しかし不謹慎な気がしたのでやめた。アルルは夢中で本を読み進めている。そしてやがて、ページを捲る手をとめた。
「ありました! 不死身と蘇生の呪文。……これは確かに死者を蘇らせる方法として書かれてありますが、正確には、生きた人を仮死状態にして、アンデッドとして再生させる呪文について記されています。注意深く読み解けば気付くんですけど、きっと墓守さんは必死だったんでしょう。それから用法も間違えて、不完全な形の魔法が、それも村全体にかかってしまったんだと思います。……もしかしたら、ディーアさんが全然目を覚まさないから何回も呪文を唱えたのかもしれません」
言って、アルルは本から目をあげた。エクターは、ディーアの墓に祈りを捧げていた。
「婚約前夜の一人娘を失ったんだ。ちょっと同情する気持ちも分かるけど、自分含めて村人全員をゾンビに変えてしまうって、恐ろしいな」
アルルは頷いて同意を示した。ほとんど魔力のない人間が、不完全とはいえ村一つを廃村にかえるほど闇の魔法を唱え続けたのだ。その執念は確かに恐ろしい。
「何か、この魔法を解呪する手掛かりがないか調べてみます」
アルルはそう言って、再びページをめくり始めた。
それから、アルルは長い時間をかけて『死者の書』と格闘した。1ページ1ページを慎重に読み進め、一文字も誤って解釈しないようにする。間違った呪文を唱えたら、状況を悪くするばかりか二人の命にも関わるのだ。
読みにくい文字があったり、理解の仕方が怪しい時はエクターに相談した。エクターもじっくりと考えて、少しでも気になることがあったら意見を言った。そうして少しずつ、二人は本に対する理解を深めていった。
あっという間に昼になった。
小休止を兼ねて昼食を取ることになったが、そのときもアルルは本を離さなかった。
夕暮れ時かという段になんて、ようやくその手が止まる。
「アンデッドを土に返す呪文。これです」
目を充血させ、少し掠れた声でアルルは言った。エクターが水の入ったボトルを渡すと、「ありがとうございます!」と小さな喉をゴクゴクとならして、アルルは水を飲んだ。
それから呪文の箇所を、アルルはエクターとともに確かめる。そして二人で一緒に何度も繰り返して読み、意見を言い合って、怪しい解釈がないことを確かめた。
「それじゃぁ、魔法を唱えます」
アルルは『死者の書』を祭具のように掲げ、厳かにその呪文を唱える。
「闇に染まりし骸の人形、光を夢見て土へと還れ」
微かに『死者の書』が波打ったように見えた。エクターは周りで何か起きないか警戒したが、地下墓地は静かなままで、特に変わった様子もなかった。
「……終わりました」
大きなため息をついて、アルルは掲げていた『死者の書』をおろした。そして額にかいた汗を、ローブの裾で拭う。精神的な負担が大きかったのかもしれない。
「これで、村の人たちが安らかに眠れると良いんですけど」
言われて、エクターはディーアや墓守のミイラを振り返る。しかし特に変化はない。もしかしたら、夜にならないとわからないのかも知れない。
「せっかくだから、村の様子は見届けて戻ろう。夜に彼らが動いてなければ、ひとまず成功としていいと思う。どのみちもう日暮れだし、今日中にはティラミスの森を抜けられない。昨日の小屋まで戻ろうか」
エクターの提案に、はい、とアルルが答えた時だった。異変を感じたのか、ただならぬ様子でアルルが『死者の書』を開く。そして急いで、先に唱えた呪文のページを開いた。
そして起きていた事態に、アルルは目を見開いた。
「……そんな」
半ば呻くように言ったアルルの前で、そのページに、血がにじむようにして新たな文字が浮かび上がってきた。
エクターはアルルのただならない様子に焦燥しながらも、ページに現れた文字を読む。
血の文字
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――ただし、この解呪の魔法は強い未練を持つものには逆効果。
未練が解消されるまで、あらゆるものを襲う恐ろしい魔物となる。
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「なんだよこれ!」
言いながらショートソードを抜き払い、エクターはアルルを庇うよう剣を構えた。そしていつ襲い来るかもしれぬ墓守とディーアに、神経を集中させる。
エクターは喉を鳴らした。一人は婚約前夜に死亡し、もう一人はそんな娘を救えず息絶えた。魔物になる条件は充分に揃っている。さぁこいと、エクターは内心でいって己を鼓舞した。でなくては恐怖に負けてしまいそうだったから。
――それにしても、恐ろしい魔物って一体なんなんだ。
エクターは二人のミイラを見守った。
しかし、墓守が動き出す様子はなかった。
そして、ディーアもピクリともしなかった。
沈黙の時間だけが過ぎていく。
やがてアルルも平常心を取り戻し、エクターの脇からそっと顔を出して覗きこむ。やはり、石棺のディーアに動く様子はなかった。
「なにもおき――」
「 ブ ル ー ノ ォ オ ! !」
爆音を聞いて二人は飛び上がった。
そしてこの世のものとは思えぬ絶叫の方を慌てて振り向けば、一際大きった石棺のうちの一つ、その蓋が粉々に砕けて埃をあげていた。
棺の中からノソっと出てきたのは鎧をまとったミイラの剣士。赤黒い光を放つその目は、憤怒と悔恨に燃えているようだった。エクターは思わず口に出す。
「放浪の剣士セルタスか! こっちの方がディーアや墓守よりも未練強かったのかよ、くそ!」
エクターはアルルを連れて逃げ出そうかと思ったが、あの『死者の書』に浮かんだ血文字を気にして思い留まる。
あの骸の剣士。
もしもこのままセルタスを、否、魔物の剣士を村に置いて逃げたら、この後どんな災いをもたらすか分からない。
それに、悪意がなかったとは言え、この魔物を生み出したのは自分たち二人の責任だ。そこから逃げるようでは、たとえアリアンロードの元に『死者の書』を持ち帰ったところで、きっと良い返事はきけない。それはきっとアルルも同じだろう。
――よし、やってみやる。
エクターは決意し、声をあげた。
「俺がブルーノだ! セルタス!」