5:放浪の剣士と王国の剣鬼
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「すっかり夕暮れか。今から墓地を調べるのはぞっとしないな。入口だけ確認して今日は止しておこうか」
「賛成です。明日にしましょう。でも、今夜はどこで泊まりましょうか?」
「村の端に物置があっただろ。あそこはミイラもいなかったし、中に乾燥した藁がたくさんあったから、寝心地も悪くないと思う。そこにしよう」
まぶしい茜色の夕陽のなか、二人はそんな会話を交わして無人の村を歩く。
自然に溶け込んだ美しい緑の村も、ミイラしかいない廃村だと分かると、溶け込むというより飲み込まれたというような気がしてくる。もしかして村は何か森の禁を破ってこうなったのだろうか、とエクターは少しだけ思った。
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コーンブレッドの墓地は村の外れにあった。
ティラミスの森から入ってきて、村を抜けるように通り過ぎる道中に、墓地の入り口があった。茂みの中に続いていく細い道は、やはり今の時間から入る気にはなれない。二人は足を止めた。
「ここですね。明日の朝早くに調べることにしましょう」
「そうだな。それじゃあ物置まで引き返すか」
そうして立ち去ろうとしたとき、エクターは一つの石碑に気付いた。
苔むしたそこに、二人の名前が彫られている。誰か特別な人なのだろうかと、エクターは近寄って見た。
石碑
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セルタス、勇者に挑めず無念のままここに眠る。
ブルーノ、挑戦者を得ず無念のままここに眠る。
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エクターはその名前に眉をひそめた。
「セルタスって、放浪の剣士セルタスなのか? それにブルーノって、……あの王国の剣鬼ブルーノ?」
「エクターさん?」
アルルが振り返っていた。
「え、あ。悪い。今行くよ」
エクターはもう一度だけ石碑の方を気にして、それから小走りにアルルの後を追いかけた。
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目星をつけていた物置小屋は思ったよりも広かった。
二人は荷物を一カ所に固めて、寝る場所には藁を寄せた。そして夕食と暖をとるためのスペースには、石の囲いを作って中に薪を敷いた。
アルルが、昨夜と同じように薪に口を寄せて呪文を唱えると、小さな火がパチパチと燃え始める。そして夕食として準備し始めたのは、枯れ木の串に刺さったいろいろなキノコだ。アルルはそれを薪の周りに並べて炙り始める。
機嫌良さそうに調味料をふりかけ、鼻歌を歌いながらキノコを炙るアルル。焼けていくキノコに微妙な表情をしているエクターに気付くと、アルルは「こ、今度は絶対大丈夫です!」と言ってから
「ところでエクターさん。あの、ここの墓地にお知り合いの方がいたんですか?」
と聞いた。しばらく首を傾げたエクターだったが、墓地から離れるときに自分が石碑を気にしたことを思い出し、「ああ、あれか」とエクターは得心した。
「知り合いというより、有名人と憧れの人だな。放浪の剣士セルタスと王国の剣鬼ブルーノ。剣を振るなら、誰だって知ってる名前だ。アルルは聞いたことない?」
首を左右にふるアルルに、エクターは続けた。
「セルタスっていうのは、大陸中を旅して、有名な戦士に挑戦状を叩きつけて回った放浪の剣士だよ」
「強い人なのですか?」
「ん~。強いかどうかの噂はまちまちなんだけど、それでも多くの戦いを経験して生き延びてるんだから、相応の実力はあったんだと思う。……それから、ブルーノ。王国の剣鬼と恐れられた凄腕の剣士。剣を振れば荒れ狂う嵐のように魔物を蹴散らして、白の王国では常に特級戦果を挙げ続けた英雄だ。実は俺、その人の話を聞いて剣を振るようになったんだ」
少し照れくさそうに、エクターは「へへ」と笑った。
「なにせその強さと言ったら、白の王国最強の近衛騎士『雷光の槍』エクトルに実力を認められた程だ。言ってみれば世界最強の剣士だよ」
大陸の英雄譚を語るエクターは、強い憧れを示すように目を輝かせていた。パチッと火花が散ったので、エクターは火の加減を調整する。
「でも、ブルーノはある日を堺に行方不明になった。それから、彼に挑戦状を叩きつけようとしたセルタスも、ブルーノを見つけられないままどこかに消えた。死んだって噂も聞いていたけど。……でも、まさかそれがここだったなんて」
火を見つめて語るエクターの横顔を、アルルは見つめる。そして先に聞いた話に思いを巡らしているうちに、ふと気付いた。
「あの、エクターさん。いまのお話だと、王国の剣鬼ブルーノさんより雷光の槍エクトルさんの方が強かったんですか? 実力を認められたって、まるでお師様みたいというか」
エクターは首を左右に振った。まるでアルルの質問が見当違いだというように。
「『雷光の槍』は、あそこまでいくと強いなんてもんじゃないな。聞く話聞く話が人間離れしすぎてて、剣士なら憧れるというより、崇拝すると思う。白の王国があそこまで強大になったのは、エクトルのせいだと言っても言い過ぎじゃない。もう軍神か武神の域だよ。俺の名前がエクターなのも、エクトルに因んでいるのだろうって言われたことがある。そういうのって、もう神様みたいなもんだろ?」
エクターの目からは、既に憧れや高揚の熱が消えていた。代わりに見えたのは、遠い神話や聖典の奇跡を語るような、静かで冷めた表情だ。たしかに、これは崇拝に近いのかも知れないと、アルルは思った。
「けど、『雷光の槍』もブルーノと同じで、ある日突然、白の王国から失踪したんだ。理由は、戦いが嫌になったからっていうのがもっぱらだけど、真相は分からない。……そういえば、アリアンロード先生も白の王国にいたって聞いたけど、もしかしたらエクトルやブルーノと知り合いだったかもな。アルルは何か聞いたことない?」
アルルは首を左右に振った。
「お師様は、あまり王国にいた時のことを語ろうとはしません。言ってみれば、お師様もブルーノさんやエクトルさんみたいに王国から失踪したようなものですから。あまり良い思い出はなかったんだと思います」
「そっか、帰ったら当時のことをいろいろ聞こうと思ってたんだけど、やめておこうか」
言って、エクターは焼け具合のいいキノコの串を一つ手に取った。しかしそれを口に含む前に、警戒するように観察する。
見たこともない色。形。
しかし匂いは甘く、食欲をすごくそそる。
――まぁ、死ぬことはないだろう。
エクターが意を決してそれにかじりつくと、アルルは嬉しそうに「ふふ」と笑って、自分も手をつけた。
そうして二人は、談笑を挟みながらキノコの夕食を楽しんだ。ジューシーなキノコとアルルの用意した色々なスパイスは相性がよく、エクターはいくらでも食べられそうな気がした。
あっという間にキノコはなくなった。
「ああ、美味かった。ごちそうさま」
手を合わせて、さて一息つこうとエクターが壁にもたれかけたときだった。
ガサガサ、ガサ。
外から茂みをかき分けるような音がした。
「エクターさん」
「ああ、聞こえた」
エクターは素早く薪の火を消した。そして入口扉に小さな隙間を開けて、外の様子を伺う。しかし日は既に没していて、辺りは何も見えなくなっていた。雲があるのか、空には月も星も見えない。
依然、ガサガサという音が聞こえる。エクターは舌打ちした。
「こっちに来る様子はないけど、しかしいったいなんなんだ。獣か?」
小さな声で言えば、アルルの寄ってくる気配がした。
「エクターさん、ちょっと失礼します」
振り返ると、間近にアルルの顔があった。そしてその目が魔物のように赤く光っていたことに驚くよりも先、その唇が額に触れた。あ、とその感触にエクターは動けなくなる。
「うせし光よ、かの目に宿れ」
囁くようにアルルは言って、そっと唇を離す。途端、世界から薄膜が剥がれ落ちたように辺りが見えるようになった。
エクターは小屋の中を見回す。多少、普通よりも景色が薄赤く見えるが、明るさはほとんど昼と変わらない。驚くエクターに、アルルは言う。
「闇の魔法『あんし』です。これで夜でも目が利くようになります」
「アルルは本当にすごいな。もう立派な魔法使いじゃないか」
照れるアルルの「いえ、そんな」と言う声を聞きつつ、エクターは再び小屋の外をのぞいた。そして今度こそ、ガサガサという音の正体をはっきりと認めた。
「……村人だ。動いている」
小屋に近い一軒の家。その入り口近くで、女ミイラの村人が箒を手にして、掃除の真似事をしていた。ガサガサという音は箒が地面をこする音だったらしい。
さらによく観察したら、遠くでは子供のミイラが遊ぶように走っているし、それを眺めている老人のミイラもいる。家の中でもいろいろなミイラが動いているようだった。井戸から水をくんでいる女のミイラもいる。
隣で様子を見ていたアルルが言う。
「まるで、生きてたときの行動をしているみたいですね」
「けど、どうして夜なんだ。たとえば井戸の水汲みなんて昼にしかしないだろ。子供が遊ぶのだってそうだし」
「きっと、昼にはできない事情が――あ」
アルルは自分の閃いたことに驚く。大したことではなかったが、しかしそれが村の真相に大きく近づくのではないかと思ったのだ。
真剣な目で見つめるエクターに、アルルは言う。
「闇の魔法だから、かもしれません。闇の魔法は光の少ない夜に効果が強くなります。反対に、朝や昼は効果が弱くなります。もし、村の人が闇の魔法のせいでこうなったのなら、……夜だけに動くという話にも説明がつきます」
エクターは腕を組んで少し考えてから、自分の意見を言った。
「逆に言うと、これが闇の魔法によるものなら、それを使った魔法使いは『昼に効果が出るほどの魔力は持っていない』って、そう考えてもいいのか?」
「それは、ええ、そういうことになります!」
アルルは興奮気味に言った。
「ちなみに、もし村人たちが俺達を見つけたら、襲ってくるなんてことはあるか?」
「それは、かけられている魔法の種類次第です。でも、エクターさんの言ったように『昼に効果が出るほどの魔力は持ってない』のであれば、そこまで強敵にはならないと思います」
アルルの言葉を聞きながら、エクターは注意深く彼らの動きを観察する。見る限り、ミイラは全ての動作がゆっくりとしている。普通の人の半分ぐらいの早さだ。これなら襲ってきても負ける気はしないし、最悪でも充分に逃げ切れそうだ。
エクターは、よし、と言ってアルルの方を見た。
「念のため今夜はこのまま隠れていよう。睡眠は、交代でとるってことで」
言えば、アルルは頷いた。
「じゃあ、先にエクターさんが寝て下さい」
「いや、俺は後で」
「いいえ、だめです」
あまりにきっぱりとした口調に、エクターは改めてアルルを振り返った。すると、アルルは身体をこちらに向けて話し始めた。
「エクターさん、本当は昨晩全然寝てないですよね」
あ、と言いかけた口をエクターはつぐんだ。そしてそんな分かりやすいリアクションを返す彼に、アルルはクスッとなった。
「私には分かります。エクターさんの魔力、すごく弱ってますから」
実はアルルの言う通り、昨夜はあの毒キノコの効果が切れて以降、エクターは一睡もできていなかった。
あの晩、毒から覚めて気が付くと、虚の中の薪の火が消えていた。そしてアルルが寒そうに眠っていたので、エクターは自分のブランケットをアルルにかけて添い寝しようした。
しかし一緒に寝始めてすぐ、アルルは腕を首に巻きつけ、身体を密着させてきたのだ。そのせいでエクターは寝られなかった。
孤児院にいたときも、寝相の悪いやつに絡まれたことはあったし、ひどいときは首を締められたこともあった。それでも平気で眠れていたのに、なぜかアルルのときは気になって眠れなかったのだ。さらに、なぜかそのことをアルルに言うのが躊躇われた。
バツが悪そうにエクターが頭をかくと、アルルは何かを誤解したようにニコニコとした。
「大丈夫です。これから魔物よけの結界を張るので、村のミイラ――アンデッドぐらいなら近づけません」
エクターは、変に勘ぐられるよりこのまま素直にいうことを聞いておこうと思った。実際、お腹もいい具合に膨れて眠いのは本当なのだ。
「それじゃ悪いけど、言葉に甘えるよ」
「はい、休んで下さい」
エクターが、おやすみ、と目を閉じたら、眠りはすぐに訪れた。
アルルはしばらくして、昨夜と同じように魔物よけの魔法を静かに詠唱する。森の魔法なので、新たに焚いた薪の火もまた消えてしまうかもしれないが、それでもミイラに見つかるよりは良い。
結界が張られたのを確認すると、アルルはエクターのそばに寄った。そして彼が寝息を立てているのを確認すると、その寝顔を見ながら囁いた。
「私、エクターさんみたいなお兄ちゃんが欲しかったかもです」