4:森の村コーンブレッド
ティラミスの森に、紫のローブを着た魔法使いがふわりと現れた。まるで霧のように立ち現れた彼には、森の草木でさえ気付かない。
その紫のローブを着た魔法使い――アリアンロードは、昨夜にエクターとアルルが寝泊まりした巨大樹を見つけると、音もなく近寄った。
「ふむ、昨夜はきちんと魔物除けの結界を張ったようですね、アルル」
巨大樹からアルルの魔力を感じ取ったアリアンロードは、ゆっくりと頷いた。彼は虚の中へと入り、かがみこんで薪の灰に触れる。さらりと指の間を抜けるそこからは、森の魔法『ゆるし』を感じることができた。
「火の呪文を使う前に、きちんと森の精霊にも断ってありますね。上出来です。そして夕食は巨大樹の挨拶掃除をかねてキノコの料理。森にも身体にも悪くない選択です。……しかし、エクターにヒクヒクワライタケを混ぜるとは、アルルも年頃ですか」
言って、アリアンロードは立ち上がる。そしてどういう手掛かりかは彼にしか知れぬことだが、彼はエクターとアルルが眠っていた箇所まで歩くと、まさにその位置で足を止めた。
「そして、エクター。ヒクヒクワライタケの毒が切れてからは、ほぼ一睡もせずアルルと周囲に気を配っていましたね。彼もまた上出来です」
エクターがアルルとともに飛び退いた場所に、まるで足跡を重ねるようにしてアリアンロードはステップを踏む。エクターを真似ながらも遥かに洗練されたその身のこなしは、魔法使いではなく剣士のそれだった。
「重心移動も悪くないですね。剣の素質がある」
言いながら、アリアンロードは巨大樹の肌を撫でて、根を踏まないように虚を出た。彼は一度深呼吸して、森のあまい空気を楽しんでから、エクターとアルルが目指すコーンブレッドの方角にフードを向ける。
「この分だと、もしかしたら本当に見ているだけで終わるかもしれません。村での活躍が楽しみです。……今度の彼なら、あるいは世界を変えられるかもしれません」
そして森の霧よりも静かな足取りで、アリアンロードは歩み始めた。微かに力が込められたその手には、モンブラン教会からエクターが持ってきた、あのエクレールの雷剣が握られていた。
*
エクターとアルルがコーンブレッドの村に着く頃には、もう日が高く昇っていた。
村での最初の一歩を踏み出すとき、二人は『思ったよりきつかった』と苦笑し合った。とくに、この森の主にして一本でも森になりそうな超巨大樹『ティラミス』を過ぎるときは、遠近感が狂って方向を何度も見失なった。しかも途中で森の悪精ゴブリンに出くわしてしまい、輪をかけて迷うことになった。二人が着いたのはようやくというところだった。
「ここがコーンブレッドかぁ。なんだかこう、人里って感じじゃないな」
エクターは一望しながら言った。その村は、森を切り拓いて出来たというより、むしろ森の中から生まれたその一部という雰囲気だった。
太い木を組み、蔓で束ねて作った緑と茶色の家々。苔むした石で囲われた天然の井戸。適度に散らかった雑草。それらは遠くから見れば、森の一部と間違いそうな溶け込み方だった。
「これは、森と折り合いをつけた正しい人の営み方だと思います。森の形を崩すような世界を作ったら、この森はきっとそれを容赦しません」
アルルの言い方はやや厳しかった。エクターは、そういうもんか、と相槌してから
「とりあえず、まずは朝食……いや、もうこの時間だと昼食だな。どこか食事にありつけそうな店を探そう。それから、ついでに情報収集もしよう。店の人っていうのは村で顔が気が利くもんだ。だから、『死者の書』とそれを借りた人について色々な事情を知ってるかもしれない」
「確かにそうですね。お店を探しましょう」
同意するアルルのお腹がぐぅとなったが、幸いな事にエクターには聞かれなかった。
そうしてエクターとアルルは村の散策を開始した。アリアンロードに試験として言い渡されたエクターとアルルの最初の冒険。二人は自分でも気付かないほどわくわくとしていた。
*
「ずいぶん静かだな。この時間に外に誰もいないって、なんか変じゃないか?」
「そうですね。森からここに来る途中も、全然人とすれ違いませんでしたし」
村の中を巡っていく二人は、感じていた違和感を口にした。もう村の半分は見まわっているというのに、未だ誰にも出会っていないのだ。
時々、エクターは家の様子も伺おうとした。けれども、家の窓は全て閉ざされているので、中の様子が分からない。耳を澄ませても、物音一つ聞こえなかった。アルルは無人の道を気にしながら言う。
「ティラミスの森って、思ったよりたくさん食材がありました。だからもっと森に出かける人とすれ違うと思っていたんですけど」
村だけでなくそもそも森の入口に人がいないことを、アルルは不思議に思っていた。食用キノコ。山菜。ハチミツ。樹液。薪。果実。森の幸がそう深くないところにたくさんあったのに、全くと言っていいほど手付かずだったのだ。
「何か特別な理由でもあるんでしょうか」
アルルが言えば、エクターは考えこむように腕を組んだ。
やがて、エクターとアルルは目的の店を見つけた。
ワイングラスの絵付看板を掲げたそこは酒屋のようだ。旅人が情報を集めるのに最も適した場所である。
「よし、早速入ってみようぜ。ピザとかグラタンとかあるといいな」
「ピザ……。は、はい!」
二人はそうして、古びた木の扉を押し開いた。
「ごめんくだ――さい?」
鍵が開いていたので開店中かと思った二人だが、店の中は暗く静まり返っていた。
入口の明りを頼りに様子を伺う。
カウンター、テーブル、酒の入った樽、カップボード。店にはひと通りのモノは揃っているように見える。森の中にしては意外と洒落ているとエクターは思った。
さらに目を凝らすと、テーブルには客が席に着いているようだ。カウンターにも、マスターと思しき影が見える。エクターはもう一度声をかけることにした。
「あの~、すみません。いま営業中ですか? 入ってもいいですか?」
しかし、彼らは返事をするどころか、ぴくりとも動かなかった。アルルが小さな声で「エクターさん」と警戒を呼びかける。エクターは頷き、ショートソードの柄に指先を当てつつ、最寄りのテーブルに近寄った。そして、一言も返事をしない俯いたままの男性客に手をかけ
「あの、ちょっと訪ねたいことが」
がくん、と客が顔をあげた。
振り向いたその顔に目はなく、代わりに空っぽの穴が2つあった。
カサカサに乾いた皮膚は土気色で、大きく開けた口からは黄ばんだ歯がのぞいていた。
「ひ――」
声をあげそうになったアルルの口を、エクターが手を当てて抑える。
「……落ち着け。落ち着くんだ、アルル」
しばらく目を泳がせていたアルルだが、彼が頷いたのを認めると、エクターはそっと手を離す。
「え、エクターさん。これって……」
まだ上ずった声で言うアルルに、エクターは頷いた。
「ああ、死んでる。ミイラみたいになって」
エクターは、次に同じテーブルに付いている無言の客を見る。この男の家族だろうか、女性と子供が座っている。しかし男と同じく、二人ともミイラのように干からびていた。
エクターは高鳴る鼓動を落ち着ける。後はもう確かめるまでもないだろう。その他の客も、あの動かないマスターも、きっと同じだ。
エクターとアルルは背筋に冷たいものを感じた。まさか村が静かな理由は、ここの酒場だけじゃなく……。
「ここはやばいな。とにかく出ようアルル」
エクターは固まっているアルルの手を引いて、酒場を出た。
店の中のことが嘘だったように、外は明るい日差しに満ちていた。冷たい風。緑の匂い。エクターとアルルは、酒場の中で吸い込んでいた死臭にいまさら気付き、二人してゲホゲホと咳き込んだ。
アルルからもらったボトルの水で軽く口をすすいだエクターは、酒場を振り返って言う。
「どうする? 一旦引き返して先生にこのことを報告するか? 村人がミイラ化して廃村になってる可能性があるって。場合によれば白の王国に通報しなくちゃならないし」
ふと、エクターは黙り込んでいるアルルに気付いた。怯えているのかと思ったが、小さく「ん~」と唸っていることからして、何かを考えているらしい。エクターが「どうした」と尋ねると、アルルは「妙なんです」と言った。
「普通、ミイラになるような死体って、あんな感じで見つかります? たとえば古い洞窟の中とか、廃墟の床とかなら分かります。一人静かに衰弱して死に、誰にも見つからないまま、長い時間を経てできるのがミイラです。……でも、今見たミイラって、なんていうか」
アルルが言いあぐねていることを、エクターは読み取った。
「分かった。ミイラになるような死に方って衰弱死だから、店の客席で一家揃ってとか、仕事中のバーカウンターで見つかるっていうのは変だよな。あれじゃ衰弱死じゃなくて、突然死みたいだ」
そうなんです! とアルルは強い口調で言った。
「村で衰弱死なんて、そんなの普通は他の人が放っておきません。でも、ああやってみんながそうなるのって、全員が一斉に突然死しないとならないと思います」
今度はエクターが考えこむように腕を組む。
「けど、突然死にしては数が多すぎる。それに、店も最近まで使われていたように綺麗だった。とてもミイラができるまで放っておかれたようには見えない。……いずれにしても、普通じゃないよな」
ふと、エクターはそこで『死者の書』という名前が気になり始めた。この不審な死との接点は何も見つけていないが、きっと関係があるような気がした。
改めて、酒場の方を振り返る。
「仮に先生のところへ報告しに戻るとしても、もう少し村を調べてからのほうが良さそうだ。何もせず、ただ死体を見たから帰ってきた、なんて言ったら逃げたようなもんだし。それじゃこの試験は失格も同然だ」
エクターが言うと、アルルは頷いた。
「まずは生きている村の人がいないか探しましょう。そしたらこの状況について、何か手掛かりが得られるかもしれません」
アルルの言葉に、エクターは「ああ」と頷いた。するとアルルは、ごそごそと手荷物を漁る。そして中からちょっと乾いたリンゴを取り出し、エクターに差し出した。
「その前に、伸び伸びになってる昼食をとりましょう」
*
森で得た木の実や果実で簡単な昼食をとった二人は、家や店、さらには物置小屋から家畜小屋までくまなく調べた。しかし、生きた村人は一人もいなかった。
また、どの家でも住人と思われる死体がみつかり、例外なくカサカサに乾いてミイラ化していた。さらに彼らも、酒場と同じ様子でみな不自然な死に方だった。
食事時のように、行儀よくテーブルについたまま死んでいる家族のミイラ。
ベッドで本を読みながら、そのまま死んでしまったようなミイラ。
羊に餌でもやっていたのか、干し草を握ったまま羊と一緒に死んだミイラ。
まるでそれらは、何でもない日常を送っている最中に、突然ミイラにされてしまった様に見えるのだ。
一つの家から出るとき、エクターは先に気にしたことについてアルルに言う。
「あくまで勘なんだけど、このことと『死者の書』って何か関係あるんじゃないか? 俺は魔法のこと全然分からないんだけど、どうだアルル? こんなことを起こしそうな魔法ってないか?」
アルルは頷く。
「『死者の書』についてはあまり詳しくないのですが、これだけ不自然な死に方がたくさんあると、魔法が関係していると考えて間違いないと思います。それに少しですが、調べている家から『闇の魔法』も感じられました」
感じられた闇の魔法、そして、いま自分たちにとって唯一の手掛かり『死者の書』。これら二つは無関係なのだろうか。エクターは少し考えてからアルルに言った。
「よし。今度は人じゃなくて、その本を探してみるか」
はい、とアルルは頷いた。そうして二人は、改めて村を調べることにした。ただし村を一通り見たところ、書棚を持っている家は三軒しかなかったので、二人はその三軒をから調べることにした。
*
「エクターさん!」
と、アルルが大きな声で何かの発見報告をしたのは二軒目の家。そこの二階だった。
階段をあがってやってきたエクターに、アルルは、木のラックから取り出した古い羊皮紙ノートを、机の上に開いた。
「これ見てください! ここの家の人がつけてた日記なんですけど」
アルルがやや興奮気味に指で示す箇所を、エクターが目で追う。
日記
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ああ、どうして飲めないワインなんかを飲んでしまったんだ、ディーア。
いくら婚約が決まったからと言って、
羽目を外して死んでしまっては元も子もないだろう。
それにどうして、井戸に行く前にパパに言ってくれなかったんだ。
水なんていくらでも家にあるじゃないか。
それとも、そんなにパパに怒られるのが嫌だったのか。
認めない。お前が死んだなんてパパは認めない。
待ってろディーア。パパがなんとかしてやる。
そうだ、あの森の外にいる魔法使いのところに行こう。
確か、彼は不死身の魔法について書かれた本を持っていると聞いたことがある。
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読み終えて、エクターはアルルに頷いた。
「不死身の魔法について書かれた本……。森の外の魔法使い。先生が『死者の書』を貸した人って、きっと彼のことだろう」
「その可能性が高そうです。でも、ここから先の日記が見当たらないんです」
そう言ってアルルが次のページをめくると、日記はそれで終わっていた。ぬか喜びでした、と、やや消沈したように溜息をつくアルル。
「ひとまず、この人がどんな人なのかを調べよう。きっと家を調べたら、何か手掛かりがあるはずだ」
エクターは励ますように言った。
「二人で手分けして、変わったものがあったら一階の玄関に持ってくるようにしよう」
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そうしてエクターとアルルは、手分けして家の中を調べ始めた。
キャビネットを開く。ベッドの下をのぞく。庭も見て回る。そして気になるものを見つけては、玄関に運んだ。エクターは『自分で提案してなんだけど、泥棒みたいだな』と少し落ち込んだ。
そして半時間ほどして、二人は互いが持ち寄ったものを検討し始める。
天使の羽がついた水入れ。赤線の引かれた聖典。奇妙な刺繍の入った肩掛け。そして刃物のように鋭利なスコップ。住民票と思われる名簿。
アルルはそれらを見ながら考えこむ。
「……水入れの方は祭具でしょうか? 聖典は、特に魔力を感じません。肩掛けも、こんな呪具は見たことも無いです。住民票……村長さんに近しい人でしょうか?」
悩むアルルに、エクターは「墓守だな」ときっぱりとした口調で言った。
「この水入れは、死者を埋葬するときの『清め』として使う。聖典の赤線が引いてある箇所は、葬儀のときに唱える『弔いの祈り』だ。そしてこの肩掛けは牧師が使うものだ。この大仰なスコップは墓を掘るためのもので、名簿は村人の管理をするためのものだろう。これらを管理しているのは、墓守に間違いない。……って、アルルどうした?」
頬を紅潮させて目を輝かせているアルルに、エクターはキョトンとなる。
「え、エクターさんすごいです……! まるで探偵さんみたいです!」
それが尊敬の眼差しだと気付くと、エクターは照れたように頭を掻いて
「いや、ほら俺って教会育ちだから。この辺りはさいさん教えこまれて」
そこまで言って、エクターはふと、モンブラン教会やマロンのことを思い出した。
うわついた気持ちが失せて、彼は静かに溜息をつく。アルルもその様子から彼の気持ちを察して、静かになった。エクターは、アルルに気を使わせてしまったと思い、空元気から彼の肩をポンと叩く。そして「あ」と少し驚いたアルルに言った。
「とにかく、この人が墓守なら行動範囲は家と墓地の周辺だろう。墓地に何か手がかりがあるかもしれない。行ってみようか」
「そ、そうですね。いきましょう」
エクターは、いそいそと表に出るアルルを見てふと思った。そういえば、肩に触れた時、アルルはちょっと戸惑った様子だった。そのときはなんとなく肩というか、鎖骨のあたりに触れてしまったが、思っていたより手応えがないというか、柔らかかったというか。
――いや、それより。
エクターは不思議に思った。ほんの少しだけとはいえ、マロンの面影をアルルに見てしまったのだ。顔立ちというか雰囲気というか。おそらく彼女の幼いときはこんな風だったんじゃないかと。
――ていうか、アルルは男じゃないか。
バカな考えだと思い、エクターは頭を振った。そしてアルルに続いて墓守の家を出た。