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魔法使いアルルと聖雷の剣士エクター  作者: 常日頃無一文
第2章:アルルの物語
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2:ティラミスの森

「あ、おはようございますエクターさん! よかった、気が付いたんですね!」


 エクターがこのベッドで目を覚ますのは二度目だった。聞こえた子犬のような声音に目を向けると、あの白いフード付きのローブを着た子がいた。見ればその手は二人分の食事が乗った木のトレイを持っている。


 ――名前は、確かアルルだったかな。


 エクターは記憶を探りながら、アルルの顔を眺めた。


「もう、自分で食べられますか? それとも、まだ……」


 伺うような表情でアルルが見ている。エクターは思う。いまの言い方からすれば、この五日間、どうやら食事はアルルに食べさせられていたらしい。その辺りの記憶が全くないことが、少し怖いような恥ずかしいような気がした。

 エクターは身体に力を入れてみる。すると今度は上体を起こすことができた。


「ありがとう。……もう大丈夫だ。あの、ちょっと聞きたいんだけどもしかして、これ」


 言いながら、エクターはいま着せられている麻の服を触ってみせた。アルルはトレイを置いてからハテナと首を傾げていたが


「え、あ」


 と思い当たったらしく、急に顔を真っ赤にした。


「だ、大丈夫です! そ、その。私見てませんから! ほんとなにも全然! 全く! そ、それにその、わ、私男ですから! セーフです! セーフ!」


 アルルはまるで何かの悪事でも弁解するように、身振り手振りを交えてまくしたてた。エクターは自分よりも恥ずかしげな反応を返すアルルを見て、何となく安心した。また、アルルが――彼が男だという話を聞いてさらに安心した。というよりもう、それ以上考えないことにした。


「そっか。確かにそれはセーフだ。セーフ。……えっと、助けてくれて、本当にありがとう」


 エクターがそう言うと、アルルは落ち着きを取り戻したように、ほっと息をついた。それから満面の笑みを浮かべて言う。


「はい、お役に立てて嬉しいです」



 エクターとアルルは朝食を済ませると、互いに名前を交換した。エクターはアルルをアルルと呼び、アルルはエクターをエクターさんと呼ぶことになった。エクターは呼び捨てにして欲しいと言ったが、アルルは「年上なんでエクターさんです」と言って譲らなかった。年が近いせいもあって、二人はすぐに打ち解けた。

 程なくして、木の扉が開いた。

 見ればあの紫のローブを着た家の主が、どこからか帰ってきたらしい。脇に薪を抱えていることからして、この近くでそれらを拾っていたのだろう。


「お師様、お帰りなさい。あの、すみません薪拾いをお任せしてしまって」


 ペコリと頭を下げるアルル。一瞬、フードがずれかけて見えたブロンドの髪は、なんだか男にしては長くて綺麗だな、とエクターは思った。


「構いません。途中で貴重な薬草が獲れましたよ。早起きは三文の得ですね」


「サンモン? 何ですかそれは?」


「異国の通貨です。さて」


 言いながら、家の主は近くにある切り株のテーブルセットに腰掛け、アルルとエクターにも来るように手招きした。エクターとアルルはそれに従い、テーブルへと着く。

 エクターはそこで初めて、この家の主が人間でないことを認めた。本来は顔のあるべきフードの中が空洞だったのだ。


 ――精霊なのだろうか?

 

 伺うように見ているエクターの目線を気にせずに、ローブの主は顔を近づけた。

 これより彼は、エクターの運命を変える言葉を唐突に切り出すことになる。そしてそれを本能で予感したのか、エクターは空洞と思われたフードの中に2つの光――目を見つけると、息を忘れて動けなくなった。


「エクター、貴方はモンブラン教会の敵を討ちたいですか?」


 目を見開いたのはアルルだった。


「お、お師様!!」


 責めるようなアルルの声を、ローブの男は手で制した。エクターはひどく動揺したが、なぜそのことを知っているんですか、とは言わなかった。代わりに俯き、拳を握った。あれだけの事件だ。五日も経てば公の知るところになっているだろう。しかも自分がモンブラン教会の修道着を来ていて、剣を手に倒れていたとなれば、このぐらいは察しがつくに違いない。でも。


「どうして、そんなことを俺に言うんですか?」


 悲痛な感情を押し殺すようにして、エクターは言った。ローブの主は、手袋に覆われた手で指を2本立ててみせる。


「人が立ち直るには二種類の方法があります。一つは時の経過に任せた自然治癒。これは心の傷が軽い場合は有効ですが、傷が深い場合はただ腐らせるだけになります。ですから私はもう一つの方法を取ることに決めたのです。エクター、お前の傷は時間では癒えない。心が死ぬ前にその傷を処置する必要がある」


 アルルの悲痛な表情をよそに、ローブの男が語る言葉は淡々としていた。


「エクター。もう一度問いますよ。復讐を望みますか? もしもあのオークを教会にけしかけた魔物がいるとしたら、エクター、どうしますか?」


 そのとき、エクターの脳裏にヘビーオークの言葉が過った。


 ――なぁ、ガキ。俺様達がこの教会を襲った本当の理由を知りたいか。


 あれは、まさか。


「……いるんですか。けしかけた魔物なんていうのが」


 空っぽのフードは、エクターの言葉を肯定するように揺れた。


「だとすれば、寛大な心でその魔物を許してやれますか?」


 その言葉は、確かにエクターの死にかけていた心を蘇らせた。ただしそれは、痛みで麻痺した身体に刃をつきたて、さらなる痛みで覚醒に誘うような荒療治だった。


「……絶対に、許せないです」


 固く握りしめた拳。未だ包帯の巻かれたその手から、じわりと赤い血が滲んだ。アルルはエクターから目を背けたが、しかし彼の師は満足したように頷いてみせた。 


「結構。ではエクター、お前にも今日、アルルと同じ試験を受けてもらいます」


 エクターが問い返す前に、テーブルの上に一振りの剣が置かれる。古びたショートソードだ。特別な力が封じられているのか、刃には青白い光が灯っている。


「先ほど仕上がった封魔の剣です。エクターの持っていたエクレールの雷剣ほどではありませんが、それでも安全に扱える限界の魔力を込めたつもりです。お前には必要なものだ。受け取りなさい」


 ローブの男は、動揺しているアルルを一度気にした様子だが、さらに話を続ける。


「ここから西に25km、ティラミスの森を抜けた先にコーンブレッドと言う名の小さな村があります。そこの住人に『死者の書』を貸してあるのですが、10年以上経った今でも返って来ていません。その本が今どうなっているのか、調べてきて欲しいのです。そしてもう『死者の書』が村に必要ないと判断できたのなら持ち帰ってきて下さい。最初の試験内容は以上です。首尾よく全ての試験を終えたなら、例の魔物について話すことにしましょう」


 提示された内容に、エクターはぎりと奥歯をかんだ。憎むべき敵がいるのなら、すぐにでもそいつのことが知りたい。そしてすぐにでも剣を取ってたたっ斬ってやりたい。エクターはローブの男を睨んだ。


「これは、自分勝手な言い分だと思います。でも、その魔物がどこにいてどんなやつなのか、すぐに教えてもらうわけにはいかないですか?」


 押し殺したような声でいうエクターに、しかしローブの男は頭を振った。


「エクター、私はこの試験を通してお前の力を見極めます。その結果、例の魔物を倒しうると判断すれば、私はすぐにでも話すつもりです。しかしそうでないなら、アルルを含めて別の者に委ねることになる。本来そこまで気遣う義理はありませんが、お前はもう私の愛弟子を二人も巻き込んでしまった。簡単に死なせる訳にはいかないのです」


 二人? とエクターは眉をひそめた。恐らく一人はアルルのことだろうが、もう一人は一体誰だろうか。そもそもこんな風に魔法の話ができる知り合いなんて、自分にはマロン先生ぐらいしか。


 ――先生の先生はあの大魔法使い、アリアンロードです。


 喚起されたかつての記憶に、エクターはまさかと目を見開いた。そしてその驚愕を肯定するように、空っぽのフードが頷く。


「名乗り遅れました。私の名はアリアンロード。かつては白の王国で宮仕えをしていた魔法使いです。エクター、もしもモンブラン教会の復讐に加え、愛弟子マロンの最期の願いも聞き届けてくれるのなら、強敵に挑む勇気だけではなく、それに勝利するための知恵も手に入れるべきです」


 言いながらフードの男――魔法使いアリアンロードは、机のショートソードを手に取り、エクターの前へ静かに押し出した。


「エクター、お前にその覚悟はありますか?」


 青白い刀身を前に、エクターはしばし逡巡する。強敵に挑む勇気。勝利のための知恵。どちらがかけてもその魔物は倒せない。教会の復讐は果たせない。アリアンロードはそう言った。

 それが手に入れられるのか、それは自分にも分からない。しかし幸運な事に、それはこの大魔法使いが量ってくれるという。

 

 ――なら、あと必要なのは覚悟だけだ。


 エクターはショートの柄を握った。何より、マロンが救ってくれた命を無駄にするわけにはいかないと思ったから。


「分かりました先生。試験を受けさせて下さい」


 強固な決意をエクターから読み取ったアリアンロードは、穏やかに「結構」と頷いた。



 アリアンロードの隠れ家からティラミスの森まで、エクターとアルルはたっぷり6時間かかった。

 道中は天険という程でもなかったが、迂回すべき沼地が多く、また病み上がりのエクターを気遣って休息を多く挟んだため、森の入口につく頃には日が沈みかかっていた。


「今夜はここで野宿しましょう」


 ティラミスの森に入ってすぐに、寝心地の良さそうな巨大樹の(うろ)を見つけたアルルは、そこに手荷物を開きながら言った。木の食器を取り出しているところを見るに、夕食の支度を始めるらしい。エクターは近くを流れる清流から水をくむため、荷物の中から小型バケツを取り出す。


「なぁ、アルル。一つ聞いてもいいか?」


 アルルは「なんですか、エクターさん」と手を止めずに言う。


「この試験なんだけど、先生は『アルルと同じ試験に』って言ってたよな。アルルはこの試験で何を試されているんだ?」


 木に生えている大小のキノコをせっせと取っているアルルに、エクターは尋ねた。


「お師様から習う魔法の適性です。魔法にはいろいろ種類があって、学ぶ者にはそれぞれ適性があります。エルフには森の魔法が良いとか、吸血鬼には闇の魔法が良いとか、そういうのです。人間の場合は本当に人それぞれです。それからほとんどの場合、人は一生に一種類の魔法しか習得することしかできません」


 充分なキノコを取り終えたアルルは、今度は荷物から調味料を出して並べる。バケットに入ったカラフルな香辛料のうち三つを取り出して、キノコにふりかけ始めた。


「その意味で、光の魔法、闇の魔法、時の魔法、そして森の魔法を収めているお師様は本当にすごい魔法使いだと思います」


 アルルはそう言った。しかしエクターは、それがどれぐらいすごいのかピンと来ない。でも、マロンがあれだけ誇らしげに語っていた先生なのだ。きっとアルルの言う通り、本当にすごいのだろう。彼は一人頷いた。

 エクターが小型バケツを手に虚の中へ戻ってくると、アルルが薪の近くに屈みこんで、ボソボソと何かを呟いていた。


「薪よ薪よ小さく燃えよ」


 するとそこに小さな火が燻り始めた。どうやら魔法を使ったらしい。エクターは小型バケツの水をポットに移し替えて、薪の上にセットしながら尋ねる。


「アルルはどうして魔法使いになりたいんだ?」


 アルルはポットにキノコや山菜、それから固形のミルクを入れている。そして小指の先をつけて一口舐めて、頷いてから言った。


「人助けがしたいからです」


 アルルは一度だけ目を向ける。


「世の中にはいろいろな方法の人助けがあると思います。お金で人助けをする。知恵で人助けをする。力で人助けをする。私はお金持ちじゃないし、力持ちでもないし、頭もよくありません。でも人より少しだけ魔力はあるみたいなので、魔法で人助けをすることにしました」


 やがて、アルルがスプーンで混ぜているポットがぐつぐつと音を立ててきた。辺りにキノコの甘く香ばしい匂いが漂い始める。よし、と言うと、アルルは木のボウルとスプーンを準備して、ワンセットをエクターに渡した。


「さぁ、アルルの得意料理、キノコのこのこシチューの完成です。明日に備えてしっかり栄養をつけましょう」


 そうやって笑うアルルの笑顔が思いのほか可愛らしくて、エクターはどきりとしてしまった。


 ――30分後。


「う、動けねぇ……」


 二人は大の字になって倒れていた。

 キノコのこのこシチューのせいだった。

 身体に感じるのは、まるで全身を拘束されて、脇腹をくすぐられるような感触。エクターもアルルも、泣いているような笑っているような表情を浮かべて痙攣していた。


「ご、ごめんなさいエクターさん、……い、一種類だけ妖しいキノコがあったんですけど、美味しそうだったんでつい……。でも、痺れは一時的なもののはずです。たぶん、あと2時間ぐらいで切れるはず……」


 アルル、ここで大胆告白だった。


「……2,時間、だと……」


 エクターにとって、それはある種の拷問のように思われた。いや、実際に世の中には、身動きのとれない者をくすぐり続ける拷問があるとマロンから聞いたことがある。本気でどうにかなりそうだった。

 エクターがしびれる口を開く。


「……も、もう、このまま寝ちまおう。し、死にはしないんだろ……?」


 幸か不幸か、このタイミングで強烈な眠気がエクターを襲ってきていた。それは旅の疲れか、病み上がりのせいか、あるいはキノコの作用かはわからない。でも、それはくすぐったさを充分に凌駕する、泥のような眠気だった。既にエクターの意識はもう霞んでいる。


「……はい、その点は大丈夫です。大丈夫な、はずです」


 アルルの声も、どこか気だるげな様子だった。エクターはそれを聞き終えると、すぐに深い眠りに飲み込まれた。

 それから10分程が経過した。

 アルルはエクターの寝息を確認すると、彼を起こさぬよう静かに起きだした。まるで先の症状が嘘だったかのように。

 アルルは薪のあまりを寄せて、再び小さな火を起こす。そして虚の中が温まる程度に整えると、エクターの傍に寄り、彼のマントをブランケットのようにして掛け直した。


「これで風邪をひくことはありませんね」


 言って、アルルはエクターから少し離れたところで丸まって、「おやすみなさい」と目を閉じた。今日は一日中、歩き倒したせいだろう、アルルにも眠りはすぐ訪れた。

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