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魔法使いアルルと聖雷の剣士エクター  作者: 常日頃無一文
第1章:はじまりの物語
1/11

1:モンブラン教会

「――こうして、約1000年もの間続いた天界と魔界の戦争は引き分けとなりました。こら!」


 モンブラン教会の教室で、授業の締めくくりと同時に響いた修道女の喝。

 それと共に放たれたチョークは、最前列でコックリと居眠りしていたエクターの頭にカコンとあたった。


 は!? とエクターはヨダレまみれのノートから顔をあげる。クスクスクスというクラスメイトの笑い声と、笑顔だけど額に青筋たてている先生という構図に、彼は自分の状況を正しく理解した。


 ――今日の神学も爆睡してしまったか……。


「お、おはようございます。シスター・マロン」


「おはようございますエクター。先生の授業を寝物語にしていい夢は見れましたか?」


 エクターは必死に考える。この前は答え方を失敗して、礼拝堂の雑巾がけを一人でするハメになった。そしてその前は全教室の黒板掃除をして、その前は花壇の雑草抜きと虫取りをした。さらにその前はオルガンの調律なんかもあった。だから今回こそは、失敗せずに乗り切ってやると。


 ――いろいろ考えたけど、今日は先生にゴマをすってみよう。


 エクターは頭を掻きながら笑った。 


「えへへ。それはもう、シスター・マロンの授業はセイレーンの歌声でも聞いてるみたいに気持ちよかったです」



 夕刻、エクターは裏庭で草むしりとかしていた。

 薄暗い夕暮れのなか、エクターは『ぐぅ』と鳴るお腹をさすりながら、食堂の方を見る。時計台の針は午後6時。そろそろお祈りも終わって、皆は夕食を始めている頃だった。


 ――今日の献立はロールパンにヤギのチーズ。それから野菜スープだったなぁ。


 雑草を詰めた麻の袋に、エクターはへたり込むように座った。シスター・マロンからは三袋分の雑草を集めるまで、夕食は抜きだと言われている。食事の時間は厳しく決められているので、モタモタして教会の鐘が鳴ったら夕食にありつけない。でも、一度こうやって座ってしまうと、エクターはなかなか力が出なかった。

 彼は手のひらを見て独りごちる。


「今晩の訓練は、ちょっときついかもな」


 掌には、なめした皮のように固いマメができていた。もちろん、それは雑草を抜き過ぎてそうなったわけではない。

 エクターは、少し離れたところにある大天使エクレールの石像に目をやる。


 背中から両翼を生やした美人の天使。

 手には雷の剣を掲げている。


 長い年月が経っているので、石像はところどころが欠けたり丸くなったりしている。しかし彼女の握る剣だけはピカピカだった。

 大天使エクレール。

 今から1000年前、この地モンブランにせめてきた魔界の軍を、彼女は聖なる雷を操って退かせたという。手に握っている剣はその聖雷の象徴だとか。そしてこのモンブラン教会は、彼女を称えるために建立されたとシスターから聞いている。

 エクターは思う。もしも自分が、あの剣を毎夜抜き取って剣術訓練をしていることがバレたら、いったいどんな罰を受けるだろうか。それは身震いするほど恐ろしいけれども、そうとは知らず毎日のようにシスターたちが、あの石像に祈っているのだと思うとおかしくもあった。エクターはへへと笑った。

 

 結果、雑草むしりが終わらない内に教会の鐘はなった。



 その日の晩、エクターは消灯時刻を過ぎると、いつものようにこっそりとベッドを抜けだした。

 同室の孤児たちを起こさないよう静かに扉を開け、部屋を出る。

 見回りのシスターが照らすランプの明かりを避けながら、そっと廊下を進み、孤児院の外に出た。


 闇の中、エクターは大天使エクレールの石像を目指す。何年と同じ道筋を辿っているせいで、足元の庭草には跡がついている。だから、今夜は月が出ていないけれど平気だった。

 石像の前まで来ると、エクターは手を組んでエクレール像にお祈りする。

 そして彼女の手から剣を引き抜いた。

 いつもならこれから剣術訓練に入るのだが、エクターはそれを一振りもできないまま『ぐぅ』とお腹を鳴らしてしまった。


「……ううう。ダメだ。夕ご飯食べてないから力がでない」

 

 剣を振り上げるどころか、握るだけで精一杯の始末だった。今日はもう止めにしようか、それとも頑張って続けるか。エクターは少しだけ考えてから、そのいずれでもなく剣術訓練の前に腹拵えをすることにした。

 彼はその場に剣を置き、


「背に腹は代えられないっていうしな。それにこんなにお腹すいたら寝るに寝られないだろうし」


 足元から一掴みだけ草をむしって、その場を離れた。



 モンブラン教会には、入口近くの礼拝堂を過ぎたところに食材をしまっておく食料庫がある。以前そこの掃除をしたときに、チーズやパン、ワイン、ドライフルーツが保管されているのをエクターは見たのだ。

 礼拝堂から漏れる明かりを頼りに、エクターは食料庫の前まで来ると、まずは扉に手をかける。

 案の定、鍵が掛けられていて扉はガチャガチャと音がした。


「最近は教会にも泥棒が入るって話だし。当然か」


 等と、これから泥棒まがいの行為を働くエクターは言った。彼はまず、扉の鍵穴に先ほどむしってきた草を差し入れる。丁寧に一本ずつ、中を探るように入れていく。途中に穴や凹みがあったら、隙間をつくらないようにする。

 そうして鍵穴が草でギュウギュウになったら、後はこんなオマジナイを唱えたらいい。エクターは精神を集中してそれを口にする。


「「草よ草よ固くなれ」ってところですか。エクター?」


 シスター・マロンの声が背後から重なって、エクターは心臓が飛び出そうになった。全身から冷や汗が吹き出して、カタカタと身体が震える。


「こ、こ、こ、こんばんは。シスター・マロン。こ、今夜はいい月ですね 」


「こんばんはエクター。今夜は月が出ていませんよ」


 そしてこんな夜更けに食料庫まで何のようですか、と詰問されるかと思ったら、マロンは黙ってエクターの隣まで来て、まずは鍵穴に詰めた草を引き抜いた。そしてまだ固まっているエクターに、布の包をもたせる。


「全く、こんな時間に食料庫で魔法詠唱なんてしたら大騒ぎになります。貴方も知っているように、教会には魔物や盗賊に備えて結界が張り巡らせてありますから、どんな小さな魔法だって分かってしまいます。だから――」


 なんていう注意なんかそっちのけで、エクターは大いなる期待からいそいそと布の包を開ける。すると中から大きなロールパンが三つと、厚切りのチーズ、そしてドライアップルの砂糖漬けがマルマル一つ出てきた。


「こ、これ食べちゃって良いんですか!?」


「エクター、きちんと先生の話を」


「わーー! ありがとうございます先生!」


 目をキラキラと輝かせるエクターに気を抜かれてしまったのか、マロンはそれ以上の説教はせず、代わりにため息をついた。

 彼女は腰に手を当てて言う。


「とにかく、こんなところで食べるのは行儀が良くありません。とりあえず、先生の部屋までついてきなさい。……どうしました?」


 さっきと一転し、まるでキツネに摘まれたような顔で自分を見ているにエクターに、マロンもまたきょとんとなった。

 エクターは目を瞬かせつつも、マロンを上から下まで見る。ランプを手にしたナイトドレス姿の彼女が、普段とあまりに違って見えたのだ。


「あの、急に気になったんですけど。……先生って……いくつなんですか?」


 マロンは首を傾げる。


「? 今年で19ですが、今は18です。それが何か」


 エクターは口をあんぐりと開けた。シスター・マロン。いつもしわのない修道服を来て、背筋をピンと張って、厳かな口調で話をする彼女。授業のとき以外は礼拝堂にいて、よく眼鏡をかけて難しい聖典を読んでいる。エクターはそんなマロンを、随分年上の修道女だと思っていた。だから今、自分と4つしか違わないのだと知らされてショックを受けたのだ。


 ――先生、そんなに若かったの?


 でも、改めて彼女を見ればそんな気もしてくる。大人びた雰囲気こそあるが、やっぱり彼女はそこまで年上には見えない。むしろ、頭巾ウィンプルをとって長いブロンドを流した今の彼女は、実際の年齢よりもなお若く見えるくらいだった。

 エクターは言う。

 

「て、てっきり先生って、さ、30歳ぐらいだと思ってました」


 その言葉にマロンは二度三度と目を瞬かせたが、やがてニコリと笑った。


 エクターはドライアップルを没収された。



 ランプの明かりが灯るマロンの部屋で、エクターはチーズとパンをがつがつと食べていた。その様子を、マロンはベッドに腰掛けて見ている。


「それを食べたら、大人しくベッドに眠りなさい。今日は剣術のお稽古はだめですからね」


 エクターは咳込んだ。慌てたのかパンをのどにつめたらしい。マロンは苦笑しつつコップに水を入れて差し出すと、エクターは一気にそれを飲み干して、肩で息をした。


「落ち着いて、よく味わって食べなさい。これは大天使エクレール様からの御恵みなのですから」


 ごめんなさい、とエクターは息をついた。そしてマロンの様子を伺うようにして言う。


「あ、あの先生。その。俺が……夜に剣の訓練してること、知っていたんですか?」


 マロンはやれやれという感じに溜息をついた。


「毎日のように授業を寝られたら、夜遅くに何かしているんだろうと勘繰るのが普通です。それで先週の晩に様子を見に行ったら、案の定というわけです。まぁ、手のマメの正体や畑仕事を始める前からクタクタな理由がそういうのだとわかって、少し安心しました。ついでに、エクレール様の剣がきれいな理由も分かって」


 何もかもお見通しだったことについて、エクターは改めて先生のことを思い知った気がした。しかし同時に、不思議に思うこともあった。

 彼はどこか安堵している様子の彼女に尋ねる。


「あの、……怒らないんですか先生? その、夜に勝手にエクレール様の剣を振り回したりして。それに安心したって?」


「もしもエクターが剣を乱暴に扱っていたなら、先生は怒ったと思います。けれども、貴方は剣を使う前と使い終わった後に、きちんとエクレール様にお祈りをしていました。また剣を扱うときも丁寧な印象でした。それならあの剣術訓練は、一つの信仰の仕方だと言えるでしょう」


 マロンは真摯な目つきで、エクターに言った。確かに彼女の言う通り、エクターはあの剣を大切に扱ってきた。しかしその理由は、信心深いからというよりは、あの剣が彼にとって宝物だから、という方が近い。そしてお祈りのほうは、何か悪いことをしてるような気がするという、後ろめたさも手伝ってのことだった。


「それから、安心したと言うのはエクターが常に疲れている理由が、そういうものだと分かったからです。貴方は先生以外の授業でもよく寝たり、さぼったりしているという話をいろいろなところから聞きます。だから、何か先生の知らないところで厳しい罰を言いつかったりしているのではないかと思っていたのです」


 簡単に言えば、マロンはエクターが誰かから嫌がらせを受けているのではないかと心配していたのだ。

 教会で預かる孤児たちは、エクターを含めて家庭にいろいろな事情を持っている。だから、出生のことで差別されたりすることはない。しかし彼の場合は、素行の悪さが噂になるほど目立っているので、そうした心配をする必要があった。

 マロンは、エクターのやることには悪意がないと分かっているから大目に見ていた。与えてきた罰則も、厳しい教会の中では最もやさしい部類のものばかりだ。

 しかし、年配の修道女の中にはエクターを目の敵にしているものもいる。マロンはエクターが、彼女たちから必要以上に手厳しい罰を受けているのではないかと心配していたのだ。

 エクターは彼女にこたえる。


「いえ、シスター・マロンが一番厳しいですよ。というか、いまどき罰則のいいつけなんて古いこと、先生ぐらいしかしないです」


 エクターが真顔で言うから、マロンはおかしくなって笑った。



 エクターが一通り食べ終えて、食事に対する感謝の祈りを終えた後のことだ。


「先生、どうも有難うございました。それでは、おやすみなさい」


「おやすみなさい、エクター。剣術の訓練もほどほどにね」


 そうしてマロンの部屋を出しな、挨拶を交わして別れようとしたとき、微かにではあるけど、エクターは悲鳴のようなものを聞いた気がした。

 孤児院の方だった。

 気のせいかと思ったが、違ったらしい。マロンが修道服のローブを手早く羽織り、ランプを手に持った。その様子を見つめるエクターに、


「エクター、あなたはここにいなさい。先生が戻ってくるまで鍵をかけてじっとしていること。いいですね」


 マロンはそれだけを言い残すと、そのまま早足で行ってしまった。

 彼は言いつけ通りに扉を閉めて、カチャリと真鍮のカギを回す。ほどなく、バタバタバタと廊下を走っていく音が大勢の足音が聞こえてきた。

 エクターは扉に耳を当てて様子を伺う。どうやら他の修道女たちも起きだして、外に向かう様子だった。何かを口々にしゃべっているが、うまく聞き取れない。


 ――孤児院で何かあったのかな。


 言いようのない胸騒ぎをエクターは感じた。



 エクターがここにいるように言われてから、どのぐらい時間が経っただろうか。

 今はもう、修道女の宿舎は物音一つしない。

 エクターは、いまも外の様子を伺うよう神経を尖らせている。そして自分の感覚を信じるなら、何かこの教会で良くない出来事が起きたに違いなかった。聞こえた孤児院からの微かな悲鳴は、あの後も何度か聞こえたのだ。そして、まだマロンが戻ってきていないことを考えると、きっと起きた出来事は厄介なことに違いなかった。


 ――やっぱり、様子を見に行こう。何か手伝えることがあるかもしれない。

 

 エクターは決心して、扉の鍵を開けた。そしたら焦げたような匂いが鼻につき、彼はまさかと駆け出した。

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