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灯篭流し

作者: 青椒

 小さかった頃、灯籠を買いに行ったのを覚えている。

 日は暮れてしまっていて、町の市場の通りはあちこちに人だかりができていた。年に一度の祝祭の日ということもあって、市場の人出はいつもより多い。手を引かれながら、ぼくは所狭しと並んだ屋台と、用途不明のがらくたを眺めていた。葡萄がほしいというと、彼女はにっこり笑ってぼくに小銭をくれた。ちょうど刈り入れの季節だったからだろう、安くておいしかったのを覚えている。売り物の灯籠にはもう火が入っていた。大きいもの、小さいもの、凝った外観のものもあれば、愛想のない外見のものも結構ある。あれから何十年たった今も、僕はそのときの錆の浮いた灯籠の篭と、灯籠売りたちの鳥の嘴を思わせるお面を鮮明に思い出すことができる。そしておそらく、この先も忘れることはないだろう。

「願い事は決めた?」

「うん」

「とっておきの場所を教えてあげる。そこで飛ばすのよ」

 と彼女は言った。

 大きな屋台の前で、ぼくらは足をとめた。様々な形の灯籠が、荷台付きの屋台の壁に掛けられている。ぼくは卵形のものを選んだ。表面はざらざらして、青黒い錆が浮いている。横手につけられた飾りものの窓からは、ろうそくの光がちろちろと覗いている。金属製のはずなのに、それはやけに軽く感じられた。

「小さいのに、見る目あるね。それぐらいの古さのやつが一番いいんだ。何十年もやってりゃ、それぐらいのことはわかる」

 店主らしき灯籠売りのおじさんが、どこか誇らしげに言う。彼らはこの季節にだけ、どこからともなくこの町にやってくるのだ。

「お姉さんは?」

「いえ、私はいいんです。この子の付き添いできただけですから」

「そうかい。気をつけてな」

 代金を払って、ぼくらはその店を後にした。

 日は落ちてしまっていて、あたりはいよいよ暗くなってきていた。祭りの見物を終え、温かい夕飯の待つ家に帰っていく人々、家族とともに灯籠をもって市場を後にする人々を後目に、彼女とぼくはこころなしか足を早めた。

「いよいよ、もう少しで灯籠を流すからね。」

「どこで流すの?」

「それは内緒。」

 彼女は市場を離れて、山のほうへとずんずん歩いていく。道沿いの家の夕飯の匂いと、笑いさざめく声がして、ぼくは手を強く握った。家々の連なる通りを抜け、村はずれの農道を通って、彼女は夜の山へと足を踏み入れる。一瞬、鳥にも似たえも言われぬ鳴き声が聞こえた気がした。

「ねえ、どこに行くの?」

「もうすぐだから心配しないの。」

 彼女はそう言いながらも、歩調をゆるめようとはしない。町の明かりは、もう遙か遠くになってしまっていた。暗い冷え冷えとした空気のなかで、灯籠の小さな明かりが暖かかった。道の両脇のところどころで、昼間はどこかに潜んでいる何かがが蠢く気配がする。分け入ろうとする山はあまりに暗く、幼心にも侵しがたいもののように思えた。だがぼくにできることは、ただ彼女についていくことだけだった。足に軽いだるさを感じはじめたころ、ようやく彼女は立ち止まった。

 ぼくらは崖の上にいるようだった。背後には、底知れぬ暗い森が静かに佇んでいた。見下ろせば、妙に懐かしい町の明かりと、町の人々の流した灯籠の明かりが、ぽつぽつと光っている。息を殺して、ぼくらは境界に佇んでいた。

「ずいぶん高くまで来たね」

「そうね。でも来る価値は……」

 彼女ははっとしたように口を噤み、黙って僕の灯籠を指さした。流せ、ということらしい。僕は恐る恐る、言われていた通りにそれを投げ上げた。

 灯籠はゆっくりと空に上っていく。「願いごとは?」と彼女が小声で聞く。ぼくは小さくうなずいた。みんな幸せになりますように。はやく大きくなって、いっぱい勉強して、まずはお金持ちになって、そうしたら……。

 ふいに大きな羽音がして、ぼくは振り向いた。何かが頭上を掠める気配がして、気づいた時には、ぼくの灯籠は跡形もなかった。

「願い事が……」

 泣きそうになっているぼくを見て、彼女は優しく、そしてどこか寂しそうに笑った。

「あれで、よかったのよ。お祈りしなさい。願いを聞いてくださって、ありがとうございましたって」

 あれから数十年、僕はそれなりに勉強して金持ちになった。あの当時に比べれば、皆、そこそこの幸せを手に入れることができたのだと思う。だが願えなかった最後の願いだけは、いまだに叶えられないままだ。


 灯籠を流し終わってから暫く、ぼくらは眼下の町の暖かい明かりを眺めた。

「幸せになりますように」

 と彼女は言った。

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