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いつもと同じように、インクのしみを見つめて、いつもと同じように、椅子に座って。こんな資料なんて、役に立つものかね? オレが直接行って、血の臭いを探したほうが随分ましだと思うんだが。地上ってのは何から何まで回りくどく、めんどくさい。しかも、上司が非常に、おっかない。
オレがおじさんに言われるままにやってきたのは、地上の警察署だ。そこで身体能力の試験と軽い面接で、クリアー。配属先は『ND課』NDってのは自然災害のことだ。まあ実際、自然災害に立ち向かっていくわけじゃない、もちろん。
『異能者』と呼ばれる人間たちを相手にすることが主な仕事で、あとは異能者の影響で妙な進化をした動物やら機械やらの暴走、他にも立てこもりだとか、誘拐だとか、今そこで人が死ぬかもしれないってとこで動く所だ。異能者が引き起こす不思議な出来事を誰かが自然災害だと例えて、それが浸透してND課ってことらしい。テキトーだな。
異能者を相手にするには異能者ってことで、NDは数人の異能者、異能者のサポートをする数人、そしてその二つのグループを纏める一人で構成される。
オレはその異能班の一人で、この中央署にはあと一人異能者がいるらしいのだが、オレは早番なので会ったことはない。前の早番で働いていた異能者は大きな怪我をしてしまったため、他の署でなるべくサポートをしていたのだが、やっとオレが入ってきたということで実に熱い歓迎を受けた。
オレと同じ時間によく居るのが、モニカ・エインズワースという女性。背は身長制限ギリギリの、警察官にしてみれば小柄なほうで、そばかすが目立ち、鼻は低く、幼く見える。もう一人はモニカよりも若い、モーガン・ヘイルという新入りの男だ。色白の長身で、調子のいいムードメーカーといったところ。そしてそれら若い三人を纏めるのが、おっかない上司、黒い肌と黒い髪と黒い瞳の、クマのような図体の大きな大きな男、チャールズ・ドレイパー、チャールズ警部。チャールズ警部のほかにまだ上が居るのだが、その人たちには面接の時から会ったことがない。
このチャールズ警部、なにが困るって、喋らないのだ。オレに興味がないのか、オレが気に入らないのかどっちなのかわからないが、とにかくオレとコミュニケーションをとろうとしない。モニカとモーガンはもう慣れっこなのか、いやいや持ち前の明るいキャラクターのおかげか、チャールズ警部とうまくやっているようなのだが、オレは新入りの新入りでまだまだチャールズ警部とも打ち解けていない。
正直な話、NDが出るようなことは、毎日毎日起こらないのだ。なのでモニカやモーガンは、NDのまた下にあるNDの捜査班を引き連れて、異能者が関わっているだろう事件の調査に行ったりするのだが、オレはいつでも出れるようにしておかねばならないので、机に向かって調査中の事件の資料を眺めたり、おもむろに筋トレしてみたり、昔の事件ファイルを読み漁ったりするだけだ。そのため、オレとチャールズ警部二人きりになることがよくある。もちろん、会話は発生しない。こんなことで本当に大丈夫なのか……!?
いやっ、このオレが人間なんぞにビビってどうする。大きいし黒いが、所詮は人間だ。オレは今まで何度敵兵を屠ってきた? あいつらは人間と比べものにならないほど強かった。オレが力をこめて殴れば、人間は、死んでしまうのだ。
警部に話しかけようとすると、部屋についているスピーカーに連絡が入った。警部がもごもごと会話をすると、オレを見て、やっと言葉を話した。
「出るぞ」
どこに!? なんて聞く隙もなかった。捜査班の部屋にも連絡が入っているようで、警部の代わりにND本部に入っていく。オレは警部についていって、外に出てパトカーに乗り込んだ。初出動か、なんだか、締まらないなぁ……。
「北の工事地帯、わかるか?」
「いえ、……」
「ひとつ廃工場があるんだが、そこに放置された機械が誤作動を起こした。廃工場を寝床にしていたホームレスの男が死んでる、たぶん、感電死……」
ああ、まあともかく、オレはその誤作動を起こした機械をぶっ壊してこいってことね。それなら楽勝だ、的はでかいだろうし、動かない。
「北の異能班にいた男が抜けて、人が足りんらしいのだ」
こういうことがしょっちゅう起きるため、大きな街に大きな警察署が五つもある。そのおかげで、どこか欠けても、どこかでフォローできる仕組みだ。異能者なんてそうそう居ないし、警官になろうっていう異能者はそれより少ない。早く見つかるといいけど。
ビル街を突っ切る車の中で、景色を眺めている。こっちに来て一番驚いたことは、太陽の存在だ。オレたちの種族が移住してきた場所には太陽が無く、一日中人工の月で照らしている。オレは移住したあとに産まれたものだから、太陽の存在はなんとなくおじさんから伝えられていたのだが、実際見るとどれほどすごいか! 暑くてたまらなく、すぐに汗だくになるので一日に四回はシャワールームに入った。
「そんなに、めずらしいか」
警部から話しかけてきて、びっくりする。心臓が飛び出すかと思った、ビル街よりも警部がオレに話しかけることのほうが!
「田舎から出てきたばかりなんです、前にも言いましたけど」
「に、しちゃあ、上品な英語を話すな。親御さんの教育か?」
「え? ああ、まあ。親父がこんな話し方なんで。まねして」
「なら、言葉に似合うような男になったほうが良い」
「そりゃ、どーも」
げえっ、と吐く真似をするとなんだか警部は笑ってるみたいだった。たしかに警部の言葉は少し聞き取りづらい、でもな、オレんとこじゃあこの話し方が普通なんだ。上品とか下品とかなかったな。
ちょっと車内が和やかなムードになった所で、オレは嫌な臭いを嗅ぎ取った。敵のにおいだ、どこだ? 頭上、いや、……。考えてるうちに、フロントガラスに何かが落ちてきた! 鈍い音と共に、ガラスは割れてないが……、こりゃ、人か!?
びっくりして声を上げながらも、冷静に車を止めて、オレに車を出るように指示した。金髪の、上品そうな青年だ。肩をつつくと、ほのかに痛みが走る。……まさかな、確かめるように何度も触れるが、やっぱり痛む。始末するなら今のうちか、ジッと銃を抜こうとするが、いやこんな所で殺してしまえば、オレはただの犯罪者だ。ここは地上だ……。
「おい……」
「ちょっと、あなた、なんですか? 何度も!」
パトカーから飛び降りた青年は赤い眼鏡をかけている。不思議なことに、車にも青年にも眼鏡にも、どこにも傷がないのだ。いいとこのお坊ちゃんって雰囲気で、ゆるいウエーブのかかったゴールデンブロンドの髪はおとぎ話に登場する王子様を彷彿とさせる。
「いいですか、俺はあなたに用があります」
「よくねえ、よくねえ。オレは忙しいんだ、喧嘩なら後で買ってやるから」
「俺は喧嘩しにきたんじゃないです!」
「あーもう、うるさいな。じゃあ、乗せてやる。終わったら話聞いてやるから」
空から落ちてきて無傷で、オレに用があるって、明らか『こっち側の』生き物だ。しかし、そいつがなんの用事で、喧嘩でもなく? とりあえず後部座席に乗っけると、警部はミラー越しに落ちてきた青年を見て、不思議そうに首をかしげた。
「異能者か?」
「オレの知り合いで、追っかけてきたんです。終わったら、うちに帰しますから」
オレと警部の会話に、青年が不満そうに唇を尖らせた。
「異能者ってなんですか? 俺は異能者じゃないです! 俺はれっきとした……」
「わかった、わかったから! ここでその話はやめろ!」
「あ、そっか……」
わかっていただけたようで、ああ、よかった。しかし警部にさっき言われて気づいたのだが、この青年も、オレと同じような話し方をする。『あいつら』も所詮は同じ種族というか、なんというか、ああ、もう! 狂うな。
こいつも『田舎』から出てきたので、ビル街がめずらしいようだった。そのうち車は橋を渡り、工業地帯へ。ひとつの古い工場に、黄色いテープが張り巡らされている。車を止めて降りると、現場にいた警官たちからの歓声が上がった。
「異能者がきたぞっ!」
わかりやすいように、NDは制服に一本縦のラインが入っている。緑色のラインが捜査班で、白が本部。そして黒いラインが、異能班だ。……班って言っても、人が足りないから班にもなってないけど。
ヘルプを出した北署の捜査班の男が、オレを見て駆け寄ってきた。
「ごめんよ。遠くから呼びたてて。僕は北の捜査班のイヴァン・ユロフスキーだ」
「いいや。構わない。オレは中央異能班のグレイ・キンケード」
「ファミリーネームじゃなく? 宇宙人かい? ……いいや、失礼なことを言った。さ、こっちだよ」
小柄な茶髪の男イヴァンについて行こうとすると、パトカーの窓が開いた。金髪眼鏡の青年が何か言いたげにこっちを見ている。
「おまわりさんおまわりさん、俺も行きます。ちょっとは役に立つかも……」
「一人で平気だ。大人しくしてろ、車から出るな。わかったか?」
ぴしゃりとはねのけると、警部ががんばれよと、こっちを見ないまま言った。
「一番は、自分の命だぞ」
ベルトのバックルに、ボタンがある。何か危ない目にあったら押すと、ここから電波が飛んで、この街のND全てに場所の連絡がいく仕組みだ。意地はらないで、ちゃんと押せよとベルトのバックルをつついている。
まさか機械の誤作動でこのオレが死ぬはずあるまい、心配しなくたって大丈夫だ。ブザーなんていらないね。
イヴァンに案内されて、薄暗い工場を進んでいく。つんと、嫌なにおいだ。敵のにおいがたしかにある。
「イヴァン、そろそろ、戻ったほうがいい。近いから」
「わかるのかい?」
ああ、と、一言だけ。遠くに、微かに動く人影がある。
「げ、また死んでんのかーっ? やだなあ、もう。グレイ、きみ、さっきの遺体は見たかい? 僕さっき見たんだけどね、入り口近くまで吹っ飛ばされてたから。そりゃあね、損傷がひどくってね、明らか『誰か』がやったんだよね。機械じゃなくって」
「ありゃ死体じゃあ、ねえな。動いてるだろ」
「そうなの? よくわかるな」
「ほら……」
人影がゆらりと立ち上がり、……あれが機械を動かして死体をいじくって捨てた奴か? ホームレスの男一人を運ぶには小柄だ、というか、子供だと、思う。女か子供か、まだ遠くてよく確認できないが。
「あれは違うね。なんだろうな? 人質か? 犯人はどこだろう?」
イヴァンがキョロキョロあたりを見回すが、それといった気配は見つけられなかったようだ。人影が少し近づいて、右手を上げると天井や床に敷き詰められたちぎれた電気コードから大きな火花が散った。その瞬間、『嫌なにおい』が立ち込める。あの子供だ! 確信した瞬間、電気の束が壁のようにして現れた。ああ、違いない、この敵意とこの超常現象を操るのは『異能者』に違いない!
ぎゃっと悲鳴をあげるイヴァン、電気の束がオレたちの侵入を防いでいる。ここをとにかくどうやって突破するか、のだが、オレひとりで抜けるのは容易い。ほんと、赤子の手をひねるくらいには。この工場の照明は機能していないし、数少ない窓からはほんの少しの日光が入ってきているだけだ。しかしこの侵入を防ぐための電気の束、このおかげでオレは向こう側に行くことができる。
「イヴァン、危険だ。早く下がったほうがいい」
「そっ、そうだね。僕は少し後ろで様子を見ておくよ。応援は必要かい?」
「いいや。一人のほうがやりやすいね。くれぐれも、誰も近寄らせんように。下手すりゃ、マジに、死ぬからな」
「じゃあ僕は行くけど、……が、頑張ってね!」
イヴァンが下がったのを見届けると、ああやっとオレは暴れられる。最近ストレス溜まってきてたんだよな。体がなまってないといいが。軽く伸びをして、壁の奥を見つめた。何も、正攻法でいかないといけないなんてルールはない。