腐敗宣言
「おまわりさん、待ってくださいよおっ!」
待てるものか、マンションの屋上から飛び上がって、宙を蹴った。手足から燃え上がる影を吹き出して、輝く摩天楼の中から血のにおいを探し出す。大都会の裏では人が死んでいるものだ、明るすぎて見えないだけで。
あるビルに降り立つと、後から追ってきた金髪で育ちのよさそうな青年が落ちてきた。まだうまく飛べないのか、立派な翼を持ちながらもフラフラで、着地なんて顔が一番最初に地面につく有様だった。
「おう、今日もついてきたのか。ご苦労」
「今日も、って……。せっかく俺がご飯作ったのに食べないで飛び出すもんだから、追っかけてきたんですよ!」
ズレたメガネをかけなおし、なるほど確かに、エプロンをつけたまま追いかけてきている。
「そりゃあ、すまなかった。でもな、今日は大物だぜ。こいつの首をあげりゃあ、おじさんも褒美をたんまり送ってくるだろうさ。そうしたら、一緒にうまいものでも食いにいこうぜ、なあ?」
「……仕方ないですね、約束ですよ……」
血のにおいはすぐ真下に感じていた。悪趣味な誰かが、こっそり隠れて人間の死体をいじくり回しているのだ。窓から様子を見ようにも、二人で降りると窓にはカーテンがかかっているし、窓を開けるなんて鍵がかかってないわけがない。オレの鼻は、いくつもの壁があったとしても、その壁の先にある一滴の血液を探し出すことができる。そのおかげでついたあだ名が『中央署の黒い狂犬』だ、オレの髪は確かに黒いけども、オレは噛み付いて病気を移したりはしない!
「おいっ、離れたほうがいい。窓を蹴破る。あっちはまだ気づいてないぜ、まさかビルの十何階から人が飛び込んでくるとは、おもわねーだろうからな」
窓枠を掴み、足で窓ガラスを踏んだ。息を吸って、思い切り力を込めてもう一度踏みつけると、足が窓枠の向こうに飛び出す。男の叫び声だ、悪党め!
ああ、見たとおり、男がひとり、死体が数体。異臭が外からでもかなり目立っていたんだ、間違うはずがない。こういう奴がいるから、オレは休みにもかかわらず出なければならんのだ。
「警察だっ。観念しろ! もう逃げられんぞ!」
珍しく、早起きをした。オレはいつも遅番なんで、今日の睡眠時間は三時間といったとこ。そのせいで不機嫌だってのに、呼び出したご本人様はさらに不機嫌そうだった。
軍のビルの、一番上。透明なガラスで包まれた部屋は、この世界を一望できる。呼び方としては『軍』で、呼び出したご本人様は『総統閣下』だ。軍とは言うものの、政府と言ったほうがいいかもしれない。この世界のことを全て決めているのが、こちらの赤髪でうっすら髭をはやして、黒いコートが大好きな、まるで吸血鬼といった風貌の男である。久しぶりに見たけど、老けたな。
「ルゥおじさん。何の用? こんな朝っぱらに呼び出したりして」
「グレイ……、きみは、上司よりも力があるくせに、なかなか昇進しないが」
「まあ、べつに、昇進なんて興味ないし。おまんま食えて、寝るとこあったらそれでいーや」
総統閣下の部屋のソファに座って、リラックスできるのはオレくらいしかいないんじゃないかな。総統閣下、ことルゥおじさんは、亡くなった友人の子供であったオレを育てたので、オレは父親に接するようにしていた。
しかし、なんで怒ってるかね。何かしたかな? 前に怒られたのは軍に入ったばかりの頃で、服装がなってないと怒られたはずだ。今日は寝癖だって、あんまり寝てないからついてないし、軍服だってシワひとつないくらいピカピカだ。ブーツも昨日、靴磨きの男の子にお菓子をあげて磨いてもらった。
「……確かに君とは小さな頃からの付き合いだが、今はもう、上司なんだ。だから、『おじさん』じゃない」
「あー……、『総統閣下』」
「よろしい」
吸血鬼はオレの向かいに座って、しかしまた不満があるみたいだった。
「グレイ! 足を閉じなさい。はしたない」
「総統閣下だけですよ、オレを女扱いするの。あ、あと一人いたっけ……、まあいいや」
苦笑いすると、やっと総統閣下は穏やかな表情になった。しかし、何か用があるなら秘書が電話なり手紙なりを寄越してくるんだが、直接ってなると、相当な用だと覚悟はしている。足がまた広がらないように気をつけながら、目の前の吸血鬼総統閣下の目を見ていた。
「きみに『広告塔』を任せたい」
「こうこくとう?」
戦争は、日に日に激しくなるばかりである。いいや、戦争とは呼べないか、一方的に虐げられているだけだ。国境、とも呼べるラインにオレは配属されていたのでよくわかるのだが、奴らは、兵士を痛みつけ、そしてさらうのだ。その後どうなっているのかは、ああ、悲しいが、辱めを受けて殺されているとしか考えられない。だって殺すだけならば、そこで殺せばいいのだ。
国境ラインで何年か戦っていくつもの敵を退け、いくつか大物の首をとっているので、さすが総統閣下の子だとオレの評価はそこそこに良かったのだが、そこの上司が意地悪な考えの持ち主で、本来ならもう少し後ろのラインで、ちょっと余裕を持ってお勤めできるところを、下っ端の下っ端でこき使われてきた。……のにもかかわらず死なないので、総統閣下はオレを広告塔にすることを決めた。危険な任務なので、やはり戦場を生き残るセンスは必要だし、単純な敵を殺す力、経験と体力、若さや度胸、それらを考えて、偶然にもオレに行き着いたというわけだった。
「しかし、広告って、何を宣伝すりゃ……? おもしろい兵器でもできたんですか?」
「地上に行くんだ、地上で、善いことをする。善いことをして、あの七十億人と技術と兵器を味方につければ、勝てるとは思わんかね」
「総統閣下、それは、オレに地球征服しろっていうんですね?」
「ああ、そうだとも。どうだい、夢のある話だろう」
「実に、ばかな考えです、閣下。でもね、オレはばかなことが好きだ」
私たちの力を使えば、人間を騙すことなんて容易いぞ。英雄になって、人間の心を掴めば、彼らは私たちの敵を殺すのに、喜んで手を貸すだろう。恐怖政治より随分良い。きみをモデルにしたマンガやアニメもできるだろう。男らしい顔つきと性格で、誰もきみを女だとは思わんだろうな。しかしバレてみてもミステリアスで、実に良い。世の中は女性の味方だ、どう転んでもかまわない。グレイ、きみの全てが、地上のヒーローに向いている。
「……しかし、たった、オレ一人で? しかもヒーローって、何にもないところからはじめるのは少し面倒が……」
「ヒーローは孤独なものだ、しかし、補佐を一人に頼んである。準備が遅れるが、うまく合流してくれたまえ。土台や向こうで暮らす準備など、全て整えてあるよ。愛しい我が娘はきっと任されてくれると思ってね……」
「閣下、ずるいな、自分の都合いいときだけ、オレを娘にして、兵士にして」
大仕事だ。こんなすごいことを任されるなんて、オレの頑張りが認められたってことかな。ああ、あの国境ラインは、オレがいなくなって無事だろうか、少し心配だけど。
ルゥおじさんには、血の繋がった妻子がいない。そろそろおじさんも後継を考えなければと、オレにこういった大きな仕事をさせて、皆を認めさせようとしている所もあるだろう。
この世界は、血統が一番だ。純血に近いほど力があり、(もちろん例外もあるが、一般的にはそうとされる)出世できて、いい暮らしができる。子どもは親に、人間以上に、非常に、似る。古い名門なんてそうなのだが、子どもが大人になったときに、絵描きを呼んで肖像画を描かせるのだが、それを見比べてなんと、ほとんど同じなのだ。
そんな世の中であるからして、もちろんルゥおじさんはルゥおじさんの実子に後継をさせれば文句もないのだろうが、オレは全く血統的にはおじさんにかすりもしないそうだ。もちろん、全く顔も似ていない。オレはギラギラした吊り目の赤い虹彩、黒くてごわごわの髪、歯は肉を噛み切るような、細かい切れ目がはいっている。対しておじさんは優しそうな垂れ目でグリーンのひとみ、赤毛はゆるくウエーブして、鷲鼻だ。……正直、総統閣下の娘であるというので結構な妬みやら恨みを買ってきたのだが、実子ならそれほど反発がなかったのではと思わざるを得ない。まあ、でも、死んだ親に代わってここまで大きくしてもらって、仕事にもつけて多少の不自由はあれど暮らしてはいけてるのだから、感謝するほか、ないだろう。それでこの仕事で認められて、おじさんの後継ができて、本当の本当におじさんの娘らしくできるのであれば、どれほど嬉しいか! その意図を読み取り、オレはやる気に満ちていた。血がなんだ、オレには力がある。おじさんはオレならできると選んでくれたんだから。
部屋を出て、エレベーターから外を見た。相変わらず、月は大きくそして輝いている。この景色も、しばらくはお預けか。らしくなく、センチメンタルだ。今日は、うまいものを食おうと思った。