嵐の季節
ステイトリーホームの建物入口では使用人と執事が勢揃いして並んで待っており、エリザベス達は最前列で待っている、エリザベスを始めとしてローラ達は皆同じ白いドレスを着ていた。
そしてその近辺では海兵隊のクレイ大佐がレシーバー通信で盛んに話している。
「来たわよ!」
四人の少女の中で最も目のいいシェリーの声で一堂は居住まいを正した、エリザベスを前にして次々に数台の車が止まって行く内に一際大きい車がエリザベス達の居並ぶ階段の前で止まった、待ち構えていた衛兵の開けたドアから大柄なスーツ姿の男が姿を現す、イギリス現国王ジョージ9世だ。
「お待ちしておりました、陛下」
ジョージ9世は60代とは思えないガッチリとした体の上に優しい顔を乗せたような雰囲気は彼が元軍人だったからだろう。
「やあ、エリザベス、元気そうでよかった
また襲われたと聞いて心配していたんだよ」
スカートの裾を軽く持った少女達が礼伏しているが、続いて降りてきた痩身のピール首相を見つけたエリザベスは驚く。
「まあ、レイモンドおじ様も御一緒だったのですか?」
「陛下がここに来ると聞いていたのでね、一緒に来させてもらったよ、
無事で何よりだよ」
「レイはここに来たくて公務を切り上げて来たらしいよ」
ジョージ9世の笑顔に当然とばかりに返すレイモンド・ピール首相。
「むさ苦しい男達と可愛い女の子達、同じ公務なら選択で議論の余地は無いのです、陛下」
ピール首相ならではの台詞でジョージ9世は声を出さずに笑う。
「今日はピール夫人から頂いたアップルパイとアールグレイを御用意してますわ」
ローラの言葉にピール首相は軽く目を向けた。
「家内が?やれやれ、また私より先にエリザベスに奉納したのか」
ピール首相のボヤキにローラがとりなす。
「今日作ったばかりですから仕方ありませんわ」
「レイ、君が辛党なのは私でも知ってるよ」
ジョージ9世の冷やかしに「そうだっけ?」とばかりに視線を上に向けた事で笑う少女達。
執事に案内された一行は大広間に入った、エイミーとローラがお茶の用意をし、シェリーがアップルパイを切っている、ソファーに座ったエリザベスは早速二人に聞く。
「陛下とレイおじ様が一緒に来られたと言う事は私の帰郷の件でしょうか?」
ジョージ9世はピール首相に「私から言おう」とばかりに合図をして言った。
「そうだ、君の帰郷の手配をしていく上で問題が起こった、君の乗るQEⅢに同行する海兵隊なんだが、
ゴーリキー星系の通行許可をユーラシア連合に求めたが彼等は護衛部隊の通過を拒否した、
ゴーリキーを通るなら警官隊だけにしろと言ってきたのだ」
ジョージ9世の言葉に少女達は手を止めた、エリザベスは顔を強ばらせて緊張した。
「我々もまさかとは思っていたが、これほど露骨に言ってくるとは予想外だった」
打ち合わせてたかのようにジョージ9世が言葉を切ってピール首相が席から立ち上がって話し始める。
「エリザベス、幸か不幸か君は世界で最も裕福な家庭の娘として生まれてしまった」
エリザベスの曇った顔を見て慌ててピール首相は言った。
「ああ、判っているんだ、成りたくてなった訳では無い事くらい皆承知だ、
メアリーの持っているプリマスベースが国連と星間通商同盟の出入り口となってしまった事が原因だからね」
「事の始まりは15年前から始まった国連内で話し合われた食糧経済緩和の合意によって
星間通商同盟との国交回復と共に貿易物資の再開が全てだった」
「一日に二千万トン動く物流の倉庫代や手数料だけで一日に1億ポンドの実入りが奴等には我慢がならないらしい」
今やプリマスベースの宇宙港の株券は「儲かる事はあっても潰れようの無い株券」として「プラチナペーパー」と言われている。メアリー・フィリップスの所有株券の評価額でも9000億ポンドの価値があった。
「そうなる様に食糧経済緩和を推し進めたのが我が国の方針だったからこそ、
今やニューエセックスに入る関税とメアリーの農業政策だけで我が国の歳入の3割を占めて
我が国に大きく貢献した」
「だから君達を守るのは我が国の当然の義務だ、君の容姿も含めて公開しない様に
各メディア関係者に通達してきたし、 守られてきた」
演説調から一旦言葉を切ってから、普段の口調に戻るピール首相
「あの事件が起こった時、我々はニューエセックスの利権が欲しくてエリザベスを狙っていると思っていた、
しかし、ビーチャム警部の一言でそれだけではない様に思えてきたのだ。」
エリザベスや三人の少女達の覗き込むような顔つきに応えるピール首相。
「エリザベス嬢を誘拐するなら何故高校卒業まで待っていたのでしょう?
何故あんな意図を知らせる様な工作をしたんでしょうか?とね。」
「二度の襲撃は君達の動きを知ってから動いた様にも思える」
「私は自分がユーラシア連合の人間として彼等の欲望を考えてみた、欲しいのはニューエセックスの実権であり
利権だ、移民停止をされる事無く最終的にコントロール出来る衛星国家を作るにどうしたらいいか」
「ニューエセックスへの移民停止を図る人間は排除して、殺す事の出来ないコントロールに邪魔な者は
地球に釘付けにしておいて、帰郷するようなモノなら人質にとってしまえばいい」
「あの国連要求をやってしまったからには君を殺してしまえば我がイギリスが完全に敵に回る事に
なるのは彼等でも判るようだ、だからあんな芝居をして帰郷を取りやめさせようとしているんだとね」
「セチ星系のように独立出来る数の移民が揃ってしまえば立派なユーラシア連合の衛星国家の誕生だ、
その影響はもう現れ始めている」
「レイおじ様」
エリザベスに呼ばれて顔を突き出すピール首相だが、その表情は柔らかい。
「ニューエセックスが移民受け入れで独立の動きがあるとは言っても、
それは移民してきた人々と国連要求を拒否したい人々の声が合わさって大きく見えるだけです。
ニューエセックスに住む殆どの人はイギリス人でありたいのです」
「それは勿論判っているさ、君達の様にニューエセックスからきた若者が寄宿生活後でも
本国に留まってくれる数が増え続けているのは喜ばしい限りだ、
これが無ければ対抗移住によって本国の国民はとっくに枯渇していただろう
その点に心配は無い。しかしだ、問題はニューエセックスではなくその外にあるのだよ、エリザベス」
「何が起こっているのでしょうか?」
ピール首相は短く言い切った。
「ユーラシア連合と北米連合が戦端を開く準備を始めている」
エリザベスは自分の想定外の国家名が出た事で目がどんぐり眼になって問う。
「ユーラシア連合なら判りますが、同盟国である筈の北米連合が戦争を?」
「私は北米連合を仕切っている軍産複合体の連中の立場でも考えてみた、
ユーラシア連合がニューエセックス簒奪に突っ走った場合、自分達がそれを止める事が出来ないなら、
どうやったら儲けられるだろうかとね」
「私なら放火魔に放火を考えさせない様にするには放火魔の自宅に点火するね、
つまりユーラシア連合にハイガードとの開戦に持ち込んでニューエセックスどころではない状態にすればいい、
しかも戦時予算になって軍事費は3倍以上になるので万々歳だ」
ピール首相はお得意の揶揄を込めた仮想論を話し始めた、彼の議論は尖った鼻にかけて「ピールの鼻っ柱」と言われ、議会でとかく物議を醸すが一度始まったら聞かずにはいられない的を得た表現をするので有名だ。
「ユーラシア連合が240億人を押さえつける軍備に金と土地が欲しいのは今に始まった事ではない、
戦争をしてでもニューエセックスが欲しいとなれば彼等の利害は戦争で一致する」
「この二つの火遊び勢力が最も恐れているとしたらそれは開戦前のニューエセックスの独立だろう、
ニューエセックスが独立したらハイガードが出てくるのは必定だ、ユーラシア連合だけではハイガード相手に勝つことは無いだろう、両者が消耗しているところへ北米連合が叩けばニューエセックスが手に入るかもしれない」
平時ならピール首相の言葉は暴論だろう、しかし今は彼の言葉を裏付ける事態が起こりつつある。
ピール首相は窓の外を観る様に続ける。
「戦争が避けられないものならば、我々は最も受けるリスクの少ない選択をしなければいけない」
このまま移民を受け付けてもニューエセックスと本国の荒廃を招くなら、移民は停止されねばならない、そしてヨーロッパ連合にとってなんら益の無いハイガードとの戦争にも参加する理由も無い」
「ユーラシア連合に攻め込まれてから星間通商同盟に入るよりは最初から入った方が損なわれる人命も減る筈だ」
ジョージ9世がエリザベスに近寄って優しく言う。
「私達は考えたのだよ、君達を狼達の口に放りまずに自滅する位なら来るべき時に戦った方がましだとね、しかし、もう一つの選択肢もあったのだよ」
「ハイガードですね」
「そう、我が国はかつてニューエセックスで彼等と死闘を繰り返した、どちらも失ったものは大きかったが
互いに実力と性格を知っている関係でもある」
「メアリーの伝手でハイガードのレスター司令から確約を得られた、
君の護衛を受けてユーラシア連合と戦闘になっても守って見せるとね」
自分達の存在が元で戦争が起こる可能性と戦争になっても守ると言う勢力の存在に
エリザベスは恐怖と安堵感の両方を感じて言葉が出なかった。
「ニューエセックスが独立すれば公然と移民を停止する事が出来、イギリス本国とニューエセックスの
共倒れは回避出来る」
ピール首相の言葉に対しエリザベスはどちらかといえば独立反対派だった、それは自分がイギリス人として不足の無い生活を送ってこれた事は判ってはいるが、自分が良くてもそうではない国の外圧があるからにはそれを解決するには独立が最善だと言う事がニューエセックスで数年前から議論されていた。
この半年間における本国議員達との情報収集で知った事に頭では判ってはいる、しかしエリザベスにはまだ故郷の独立に感情として受け入れられない、思い出の地が遠い存在になってしまう事に。
「仮に君達を地球に留めおいてニューエセックス独立がなくてもだ、
イギリスは最悪の事態になる可能性がある」
「北米連合とユーラシア連合がハイガードと開戦したら、我がヨーロッパ連合が中立に回る事を
彼等が知ったら、いや予想したらハイガードはニューエセックスで迎撃されることなく、
ユーラシア連合のゴーリキー星系と北米連合のエドモンド星系が最前線となって
太陽系も容易く射程圏になると考えるだろう」
「前の大戦では一度しか起こらなかった太陽系の破壊活動が大戦を通じて有り得る事になる、
それを防ぐにはヨーロッパ連合が参戦するか、ニューエセックスを占領するしかなくなる」
「ユーラシア連合のニューエセックス占領を黙認した北米連合がハイガードに開戦しても私は不思議に思わない」
ジョージ9世は海軍の軍人として前大戦で戦っていただけにその言葉に間違いは無いだろうとエリザベスは思った。
それまで黙って聞いていたエイミーが質問する。
「今度ユーラシア連合と北米連合戦争がハイガードに開戦しても勝てるのでしょうか?」
エイミーの疑問に頷くようにピール首相が言う。
「15年前なら勝てたかもしれない、勝つのは難しいとだけしか言えない。
何故なら星間通商同盟の保有している星系の数すら正確に掴めていないのが現状だからだ、
しかし、星系発見の公表は無くても知る事は可能だ、貨物船の新造船の数だよ、あれは国の規模のバロメーターだ」
「これはトーマスがずっと調べ続けてきたことだが、通商再開時にニューエセックスに来た通商同盟の
船は963隻あったが新造されたものは91隻だった、これが通常の比率だ」
「ここ3年は2200隻を下回ることなく常に350隻以上の新造船が見られる、
これが意味するのは15年前の2倍以上の物流量がある事とさらに大きくなる事を示している、
人口も増えているだろうが新星系の発見と発展がない限りこの現象の説明はつかないのだが
星間通商同盟は前の大戦で懲りて公表する気もないのだろう」
窓の外の庭園を見ていたジョージ9世、彼の表情は27年前の海軍士官の時に戻っていた。
「我々は豊かな時代を過ごす事が出来た、嵐が来ると判っているなら備えねばならない」
ジョージ9世とエリザベスを交互に見ていたピール首相は誰を見るとなく言う。
「まだ公表は出来ないが、今度開かれる議会では王位継承法の修正案が出される、
どの議員も独立をするにしても立憲君主制が望ましい事は理解している、
これが君達の助けになるだろう」
エリザベスの表情に気付いたジョージ9世はエリザベスの前に来て静かに言う。
「独立は嫌かね?」
「陛下、ニューエセックスが独立になってしまったら・・・」
エリザベスの一途な視線が大きな体のジョージ9世を見上げる。
「私はイギリス人ではなくなってしまいます」