二日目(1)
次の日は、日差しが強くて蒸し暑い日だった。
風もほとんど吹かないので、俺は午前中のほとんどを扇風機の前で過ごした。じいちゃんはそんな俺をだらしないと叱ったが、何を言われても頑として動かない俺を見て、午後は必ず外へ出るんだぞと言い残して何処かへ行ってしまった。その言いつけは守れそうだった。なぜなら今日も凪子と会う約束をしているのだから。
凪子。
昨日、凪子と別れてから、駄菓子屋の前で見た凪子の悲しそうな顔ばかりが頭に浮かんだ。なぜ凪子は突然あんな顔をしたのだろうか。全く思い当たる節はなかった。だって、勧めてもらった菓子を食べて、それを美味しいと言って、それの何が悪かったのだろうか。普通に考えて、何も悪いことなんてないじゃないか。
それなら、きっと凪子には何か普通でない事情があるに違いない。それでは、その普通じゃない事情とは何なのだろうか。そうだ、例えば俺と凪子は幼い頃会っていて、あのゼリーは思い出のお菓子なのかもしれない。小さい頃遊んだ記憶を思い出して欲しくて、それで凪子は俺をあの駄菓子屋に連れて行って、ゼリーを食べさせるように仕組んだ、とか。
「そんな馬鹿な」
扇風機の前で冷やし中華を頬張りながら、俺は自分に突っ込んだ。まさかそんなことがあるわけがない。トンネルの向こうへ行ったのは初めてだろう。いや、でも元々ここらへんに住んでてあっちに引っ越したとか。いやいや、そもそも俺に幼馴染が居たなんて記憶はないし、会ったことがあったとしてどうしてストレートに言わないのか。
「俺ってこっちに幼馴染いたっけ?」
扇風機のほうを向いたまま、テレビを見ながら俺と同じように冷やし中華を食べている母さんに問いかける。母さんはうーんと一つ唸って、答えた。
「いないと思うけど。いても自分で覚えてるんじゃない?
だって里帰りし始めたのって、あんたが小学生にあがってからでしょ」
「そうなんだよな……」
「なんでいきなりそんなこと聞くのよ?」
「それは……」
俺は凪子の事を説明しようとして、やめた。トンネルの向こうで女の子に会って、それでその子が悲しそうな顔をした理由が知りたくて、なんて。そんな事をわざわざ母さんに説明する気にはならなかったからだ。
「別に」
「別にってなに。気になるじゃない」
母さんはテレビから視線をそらさずに言った。全然気になっているように見えない。
「いや、なんか暇だからさ。幼馴染でもいれば暇つぶせるのにって」
「そうね、この辺には昔からあんたと同じくらいの子いないからね」
「そうなんだよなー……。自転車にも飽きてきたし」
「へえ、でもどうせ、今日も自転車でどっかいくんでしょ」
「まあね」
そう返すと、母さんははあ、と大げさにため息をついた。少年が夏休みに太陽の下で運動することの、どこにため息をつく要素があるというのか。
「やっぱり。怪我だけはしないようにね」
「はいはい」
ふと時計を見ると、だいたい昨日家を出た時間になっていた。皿に中途半端に残った冷やし中華を汁ごと一気にかきこんで、それをさっさと飲み下す。
「そろそろ出るの?」
「うん、まあ」
「いってらっしゃい。食器は流しに下げなさいよ」
「わかってる」
扇風機の涼しさに後ろ髪を引かれながら、俺は立ち上がり流しへ向った。