一日目(4)
凪子の家から自転車で20分ほど行ったところに、凪子の言っていた駄菓子屋はあった。木造の店舗には所狭しとお菓子が置いてあって、隅の方にお菓子の山に埋もれるようにちょこんと店番のおばあさんが座っている。
「おばあちゃん、こんにちは!」
凪子は店の脇に自転車を止めてから真っ先にそのおばあさんの所に挨拶をしに行った。俺もそれに倣っておばあさんに軽く頭を下げる。
「まあ、まあ。こんにちは、凪子ちゃん。お友達かしら?」
おばあさんは俺たちの顔をそれぞれ確かめるように見つめた後、口元をゆるめて、ゆっくりとした口調でそう言った。
「そうだよ、新しいお友達。修一っていうの」
「あら、あら。よかったわねえ。新しいお友達、嬉しいでしょうねえ」
「うん、嬉しい!」
満面の笑みで凪子は嬉しいと言った。その笑顔を見ておばあさんも嬉しそうな顔をする。俺はというとなんだかばつが悪くて、明後日の方を向いてしまった。
「そういえば、凪子ちゃん。今日は何の用事なんだい?」
「今日はね、修一とお菓子を買いに来たの!」
「まあ、まあ。そうなの、ありがとうねえ」
「どういたしまして!さて、修一。どのお菓子買う?」
「えっ。えーと」
いきなり話を振られて、俺はまごつきならがらも慌てて手近にある棚を見た。
いかにも昔ながらというお菓子もあれば、最近のコンビニやスーパーでも普通に見かけるお菓子も揃っている。それらが同じ棚にきっちり陳列されている様はまったくもってちぐはぐだ。
「修一、何買うか悩んでるの?」
「いや、別にそういうわけじゃないけど」
「じゃあなんでずっと棚見てるの?早く買って食べよう」
「ああ、そうだな。うん」
俺は今度こそ真剣に買う菓子を選ぼうと棚を見る。ここは安全に味のわかっている定番のスナック菓子でいくか、それとも冒険して見たことない菓子を買うか。普段の俺なら確実に見たことない菓子を買うんだろうが、だが今の俺は金欠だ。だから、貴重な小遣いを消費してまでまずいものを食いたくは無い。けれど、せっかくこんな駄菓子屋なんていういまどき珍しい場所に来て、味が保障されているからって、いつもと同じ菓子を買うってどうなんだろうか。
「ねー!まだー?」
「まだ」
「なんでさー!」
「なんでも」
俺が悩んでる隣で、凪子はいつの間にか選んでいた青いゼリーの入ったひょうたんみたいなのを握ってそわそわしていた。よほどはやくその菓子を食べたいらしい。そこまで考えて、俺はひらめいた。
「凪子、その手に持ってるやつ、そんなに美味いのか?」
「え、そんなにって?」
「だってさっきから俺の事やたら急かすだろ。早く食べたいんじゃないのか?」
凪子は何秒かきょとん、としたあと、あぁ、と息を吐いた。
「そういうことか。うん、おいしいよ」
「どれくらい?」
俺の問いかけに、凪子はうんうん唸りながら、考えるそぶりを見せる。
「どれくらいって言われると困っちゃうけど……、このお店ではこれが一番好きかな」
この駄菓子屋の並み居る駄菓子のトップに立つなら、まあ外れってことはないだろう。いまだに難しい顔をしている凪子に、俺は尋ねた。
「それいくら」
「えーっと、50円だけど」
「じゃあ俺もそれにするわ。どこに置いてあるんだ」
「あっちの横冷蔵庫の中だよ」
横冷蔵庫と凪子が指差した先には横になった冷蔵庫、ではなくコンビニなんかに置いてある上の蓋をスライドさせて空けるタイプの保冷庫があった。側面にプリントされている広告がかすれてほとんど禿げている所をみると、この店と同じくかなりの年季の入ったものなんだろう。
俺は保冷庫の蓋をあけて、中から凪子の持っているのと色違いのオレンジ色のゼリーを取り出す。手に取って見るとひんやりとして気持ちが良い。凪子の方を見ると、身振り手振りではやく買えとしきりにアピールしてきていた。
「これ下さい」
ゼリーを差し出すと、おばあさんは老眼鏡をひょいと持ち上げて、まじまじとゼリーを見る。そして一拍置いた後、ああ、そうだったわ、とほほ笑む。
「これね、50円ですよ」
俺はポケットから軽い財布を出して50円玉を渡すと、凪子も俺に続いて10円玉五枚を差し出した。おばあさんはそれを笑顔で受け取る。凪子は愛想よくおばあさんに会釈を返すと、くるっ勢いよくと俺の方を振り返った。
「よし、修一、食べよう!」
空よりもいくらか深いブルーハワイのゼリーを掲げながら、凪子は言った。
「え、今すぐ?」
「ここで!」
言うが早いか、凪子はあっという間にゼリーの口を切って、勢いよく吸い始めた。俺もそれに倣ってゼリーを食べ始める。やすっぽいがどこか懐かしい、オレンジの味がした。
自分のゼリーを半分くらい食べた後、凪子の手元を見るともう食べ終わっていた。カステラは残したのに、変な奴。そんなことを考えていると、俺の視線に気づいたのか凪子も俺の方を見た。
「あっ、まだ食べ終わってないの?」
「うん、まあ。せっかくだからゆっくり食べたいっていうかさ」
「駄目だよそんなんじゃ!これははやく食べた方がおいしいんだよ!」
大口を開けて凪子が力説する。歯列の間から真っ青になった舌が見えた。俺の舌も今はオレンジ色に染まっているのだろうか。
「はやくー、はやくー」
逆らうのも面倒なので、俺はしぶしぶ言われたとおりに残ったゼリーを飲み干す。最期の方は少しだけ味が濃くて、それがまたなんだか懐かしかった。
「これでいいか?」
空になった容器を見せつけるように凪子に見せたが、凪子はゼリー容器ではなく、俺の顔をじっと見つめていた。その視線はどこかこそばゆく、俺は咄嗟に目を逸らした。そんな俺をはやすことなく、凪子は妙にゆっくり落ち着いた口調で俺に言った。
「修一……どう?」
「どうって……甘かった、けど」
「そうじゃなくて、なんかこう……ないの?」
「いや、まあおいしかったけど」
そう言うと、凪子の眉はまるでマンガみたいなハの字型になり、目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えた。俺はそんな凪子の様子に動揺する。
「ど、どうしたんだよ、一体。なにが悲しいんだよ」
「だって、で、でも……」
凪子の瞳が細かく揺れている。
「俺さ、なんか悪いことでも言ったか?」
「……ううん」
凪子は力なく首を振って、下を向いた。
「具合でも悪くなったのか?」
そう聞いても、凪子はしばらく地面に視線を落したまま、しばらく黙っていた。俺はもうどうしていいかわからず、ただ凪子の頭に乗った帽子を見つめていた。
遠くの山から蝉の鳴き声が聞こえる、カラスの鳴く声も。あたりがオレンジ色に染まりはじめて、足元の影がずいぶん長くなっていることに気付いた。
「帰ろう」
凪子がぽつりと、つぶやいた。