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一日目(1)


たちこぎ、たちこぎ。


俺は今、猛烈に自転車のペダルを漕いでいた。

サドルから腰を浮かせて、立ったままで、頭の上でさんさんと輝く太陽に急き立てられながら。

遠くの方にぽつんと見える、くすんだ青色の屋根を見据えてただひたすらに足を動かす。

自転車のかごにはカップアイスが三つある。ちらっとかごの中に目をやって確認すると、俺に劣らず大量に汗をかいていた。これはまずい、非常にまずい。

俺は姿勢を前に傾け、さらなる加速を試みる。


「空気抵抗だ、空気抵抗を減らせ」


心なしか横をすり抜ける風が早くなった気がするが、多分本当にそんな気がするだけだ。

その証拠に右ハンドルの速度計の針はさっきとほとんど変わっていない。


「駄目だ、考えるな、走れ」


そうだ、走らなくては。

俺は今急がなくちゃいけない。

走れ、走れ、走れ。

意気込んだ矢先、タイヤで小石でも踏んだのか自転車が縦に揺れた。大した衝撃ではなかったが、かごの中でアイスたちが大きく跳ねる。

かごの底に無情にも叩きつけられるアイスたちを視界の端に捉えて、反射的にかごの中を見た。そして俺は、アイスの中の容器の一つが派手に凹んでいるのを目にしてしまう。あんな凹み方は、中が液状かそれに近い状態でない限りありえない。


足から自然と力が抜ける。俺の腰はサドルに着地し、膝はやがて自転車を漕ぐ事をやめた。

すると、流れて行った景色が止まり、それからゆるゆると自転車の車輪が停止した。ブレーキをかけた時の、なんともいえない音を聞いた後、俺はサドルにまたがったまま項垂れ、一息ついてから自転車を降りた。

諦めきれずに、汗だくで凹んだ俺のチョコミントを手に取る。すると、驚いたことに全く冷たくなかった。ぬるい。


アイスがこうなってしまった以上、俺に急ぐ理由はなかった。

俺は自転車を押して、帰ることにする。

じいちゃんの家はもう目と鼻の先だ。





海辺のテトラポット









「あっはっはっは、ほれ、修一なんだこれは!」


じいちゃんはアイスの入ったコンビニの袋を掲げながら、カラカラと笑った。上機嫌そうなじいちゃんの後ろには、こちらを困った顔でうかがいながら洗濯物を畳むばあちゃんがいる俺といえば、今の隅っこの扇風機の前を陣取ってふてくされていた。我ながらなんて情けないんだろう。


俺は今朝、じいちゃんとちょっとした賭けをしていた。ここから一番近いコンビニまで自転車で行って、アイスを溶かさずに持って帰ってくれば俺の勝ち、アイスが溶けたらじいちゃんの勝ち。負けた方がアイスの代金を支払うと、そういう賭けだ。結果はご覧の通り、アイスはこの炎天下の元無残にも溶け、冷たさのかけらも感じられない姿になってしまった。

「ほれ、修一!財布だ財布!」

「まあ、お父さん。修ちゃんもほら、こんなに汗まみれになって頑張ったんですから、アイス代くらい許してあげればいいじゃないですか」

「母さん、これはそういう問題じゃないぞ。これは男同士の約束なんだ!」

「それにしたって、ねぇ」

「いいよ、ばあちゃん。じいちゃんの言うとおり約束したし。

 じいちゃん、財布」

ばあちゃんが俺をかばってくれたが、ここで約束を果たさないとなると更に情けないので、嫌々ながら中身の少ない財布をじいちゃんに放った。じいちゃんは危なげなく俺の財布をキャッチする。

「なんだ、修一。小銭ばっかりじゃねぇか」

「夏休みだから、色々遊びに行ったりしたんだよ」

「ふぅん、いいじゃねぇか。うらやましいねぇ。

 ほいじゃ、貸した500円返してもらうからな」

「……わかったよ」

じいちゃんは喜々として俺の財布から金色に輝く500円玉を抜き取り、さっき俺がやったみたいに、財布を俺の方に投げた。

「修一、毎度!」

じいちゃんは俺が財布を受け取ったのをみて、真っ白い歯をむき出しにしてにいっと笑った後、いつもみたいにカラカラ笑いながら外へ出て行った。

「おじいちゃんったら、もう。修ちゃん、ごめんね」

「いいから」

ばあちゃんは俺に気遣わしげに声をかける。そんなばあちゃんを何故かうっとうしく感じて、思った以上にそっけなく返してしまう。ばあちゃんは何にも悪くないのに、完全に八つ当たりだ。しかも、そんな八つ当たりしてしまう自分が嫌で、さらにイライラしてしまう。駄目だ。

「シャワー浴びてくる。気持ち悪い」

「そう。じゃあこれ持って行きなさい」

ばあちゃんは俺に洗濯したてのタオルを渡して、にこりと微笑む。俺はそれに頷いて応えて、まっすぐ風呂場へ向かった。



八月中旬、つまりはお盆の季節に、俺と母さんは毎年、じいちゃんの家に里帰りに行く。


じいちゃんの家は畑とたんぼに囲まれた、本当になんにもないところにある。隣の家まで5キロは離れているし、スーパーやコンビニはそれよりずっと遠いところにしかない。同じくらいの年の従兄弟が居るわけでもないし、正直少し退屈な場所だ。嫌いな訳じゃないけど、もう少し何かあればな、と毎年思う。

例えば、近くに同じくらいの年の友達がいたらいいのに。



風呂からあがって、水でも飲もうかと台所にいくと、母さんが大きな鍋にお湯を沸かしてした。今日の昼はそうめんか冷やしラーメンになりそうだ。

「あら修一、帰ってたの?

「うん」

「おかえり、それで、おじいちゃんとの賭けはどうなったの?」

嫌なことを聞かれた。

「負けたよ」

「やっぱり。だって佐々木さんのコンビニまで自転車で30分はかかるでしょ」

「……でも、出来ると思ってたんだよ」

「まあね、ここくるとあんたはいっつも自転車漕いでるもんね。自信もつくでしょうよ。自転車乗れるようになってから、から中学二年になった今まで、毎年毎年ずっとだものね、ここに帰ってくると一日中自転車漕いで。ばあちゃんも言ってたわよ、良く飽きないねって。あとじいちゃんが自転車乗って時間つぶすくらいなら俺の仕事手伝えって」

母さんはテキパキと昼飯の準備をしながらぺらぺらしゃべる。ねぎを刻んで、しょうがを磨って、ということは今日はそうめんだな。

「だって他にやることねーんだもん。仕事手伝うのはしんどいからやだ」

「ま、確かにじいちゃんの手伝いはしんどいわね」

「それにさ、昨日面白そうなところ見つけたんだ」

「面白そうなところ?」

「そう、面白そうなところ」

俺は昨日もほぼ一日中、今日の午前中のような全力疾走でないにしろ、自転車をこいでいた。このだだっ広い田舎の隅から隅までまわってやるつもりで、地図を見ながらあっちこっちぶらぶらとやっていたのだ。

「ここから墓地まで行く途中脇道をずっと行ったところに、なんか舗装がぼろぼろの道あるだろ。海が遠くに見える道路。あの先にトンネル見つけたんだ」

「ああ、旧道のとこ?危ないんじゃないの」

「大丈夫だよ、多分。何の注意書きもなかったし。今日昼食べ終わったら行ってみようと思って」

「そう、まあ、怪我だけはしないようにね。……さ、出来た。あとはそうめんゆであがるのを待つだけね。修一、食器の準備してから、じいちゃんとばあちゃん呼んできて」

「わかった」

母さんの手元を見ると、きちんと薬味が小鉢に入れられて並んでいた。ネギ、しそ、ワサビ、揚げ玉にショウガ。

しかもいつの間にか大きな鍋の中では、真っ白な素麺が踊っている。俺はそれらを見て、自分が大層空腹なことを自覚する。そりゃそうだ、だってついさっきまで一時間近く自転車を漕いでいたんだから。

俺は急いで食卓に食器を並べ、走ってじいちゃんとばあちゃんを呼びに行った。早く昼飯を食べて、昼飯が終わったらあのトンネルを探索するんだってそんなことを考えながら。


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